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双子の交差線  作者: 鳥藍
第一章 集え、交差点へ。
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第八話 歓迎されない人々


 頭を覆っていた布をするする剥がし、性別不明の人間は一瞬だけしかめっ面をした。

 

 手の動き、足の動き、表情の変化。その全てが、凛奈に圧迫感と不快感をもたらす。

 それらが本能……”情報の天秤”からくるものだと理性でわかっていても、どうしようもないほどの警鐘が頭の中で鳴り響く。


「愚者王って呼んでほしくない、そう何回も言ったはずなんだけど……仕方ないか、これ以上傾けると君たちが狂死してしまう。ある程度は耐えないと、ね」


 呼吸が速い、浅い。凛賀の、ただでさえ回復したての体が、凛奈の本能と共に悲鳴をあげる。


 普段から与えられる情報、そのすべてが拒まれ、存在しない者とは別の空白が目の前に存在している。

 

 異常な天秤の傾きと、死者と全く同じ虚無。凛奈の心をかき乱すには十分だった。

 心の底から害意がない、そんな雰囲気を醸し出す愚者王に吐き気を覚え、凛奈はコップに手を添えた……が、それ以上動くことはできなかった。

 

 凛奈の隣で敵を嘲笑する黎真。この部屋にいる三人、いや、凛奈の抜け殻と異常者を含めて五人、その中で声を出せるのはたった二人。

 下手をしたら死ぬ殺し合いとは違う。最も平和な部屋。誰も死なない平和会談。


「はは、笑わせる。それだけ垂れ流しておいて、配慮しているつもりなんだ」

 

「垂れ流しているつもりはないんだ。与えられうるすべてを閉じ込めておけるほど、人間の脳はうまく作られていない。そんな感じの、それだけの話なんだよ。そういっても、信じられないだろう?」

 

「ああ、信じられないね。知識を得る能力を持っている、それだけなら信じられるが、知識が多すぎてあふれている? そんなの信じられるわけないでしょ。さっきの発言で天秤が傾いていないのも……いや、これはわからないか」


 少しだけ空気が重い、それだけの、この地球上のどこよりも平和な言い争い。

 凛奈はただ黙って見ていることしかできない。手に力をこめる。汗が噴き出す。二人の姿以外が、ぼやけて見える。


「そろそろ、緊張するのやめてくれないかな、君。私がこの街に来た理由は、愚者たちが事件を起こさないか見張るため、ただそれだけさ。事件を起こすつもりはないんだ」

 

「はあ? 予告状をばら撒いたのはお前だろ? 何をいまさら」

 

「予告状、読んだんだ? 書いてあったはずだけど、本来愚者のものである装置を回収に行くって。加速愚者(かそくぐしゃ)が我儘を言い出してさ、仕方なく。預けておいたものを取りに来ただけさ」

 

「じゃ、じゃあ、なんで大人数で来てるんだ! おかしいでしょ!」

 

「それは仕方ないだろう? 私が呼んだわけじゃない。勝手に集まってきてしまった」

 

「はあ?」

 

「愚者たちにとって、今回の譲渡会は、私に会えるまたとないチャンス。かわいそうな狂人たちが自然と集まってきてしまうのも、理解しやすい事象だろ?」

 

「……っち」

 

「それに。さっきも言ったが、私はただ、血気盛んで十人十色な愚者たちが問題を起こしすぎないように来ただけ。誰か一人でも暴れだしたら、この街の、世界一の生物技術が消えてしまう。知識の伝道師として、それは許せないからね」


 黎真は少し深く呼吸した。チクチクと肌を刺す空気が、部屋全体に広がっていく。


「何が知識の伝道師だ、ふざけないでよ。それに、非力なお前が来た程度で、あの頭の狂った愚者たちを統制なんてできるのか? いや、できないでしょ」

 

「たしかにできないけど、一応これでも愚者王だからね。近くだったらどこに愚者がいるかわかるし、人間が起こした暴虐は私を止められない。力で真正面から抑えるのは無理だけど、対応するだけならだれよりも長けている自信があるよ」

 

「っち、前と同じ、ああ言えばこう言う。結局何がしたいんだよ、お前!」


 表情を変えず、慈しみの視線としか形容できない奇妙な視線を向けたまま、愚者王は黎真の怒号を受け止める。凛奈にはそれが、ひどく気味の悪い化け物に見えた。

 

「私の目的は、すでに君たち二人は知っているはずなんだけどね」


(目的? 私を像にした理由?)

 

 淡い期待に似た何かが、凛奈に手を振っている。そしてすぐに牙を出す。愚者王に答えた黎真の言葉は、凛奈の期待、いや、覚悟そのものを裏切った。


「『聖者さえ先に死ねば、あとはどうだっていい』、でしょ?」


(……は?)


 思考が追いつかない。何がしたいのか、何を言っているのか。


 愚者王の異常性、その一端を垣間見た気分に。


「そうだよ、よく覚えているじゃないか。私はただ……」


 思考が押しつぶされる。もともと押しつぶされていたものが、別の方向から押しつぶされる。どこまで行っても、理性は本能には勝てない。


 危険だ。死とは違う、でも危険だ。危険だ、『これ』は危険だ。早く、今すぐに排除したい。視界から消えてほしい。どうにかして、今すぐに。そんな破壊衝動が、凛奈の心を蝕んでいく。

 

 凛奈は、いつの間にか自身の腕が前に伸びていることに気づいた。

 液体が飛び散る音、殻が割れる音。床に広がった破片と、頭から水をかぶった異常者が、何が起こったのかを物語る。


 目を見開く黎真、目だけを動かす愚者王。


「うわっ、驚いた。よく動けたね、君。全くの無駄なのに……窮鼠猫噛み未遂だね」

 

「……ふぅー、ふぅー」

 

「怖いな、そんな目を向けないでよ。恥ずかしながら、他人から向けられる殺意に慣れていなくてね。君は知らないんだろうけど、君に知りようはないんだろうけれども」

 

「嵩陽!」


 自分の行いに驚いて戻ってこれない凛奈を暖かい風が覆う。ドアの隙間以外に風が通る場所はないが、などと考える余裕はない。薄れてはクリアになる視界、激しく上下する肩。名に口を押えられ、呼吸が少しずつ戻っていく。


「ごめんね、君。怖がらせちゃったみたいだ。一応、配慮はしているんだ、許しておくれよ」


(弟を、凛賀を返せ)


「おい、愚者王、」

 

「……でてけ、とは言えないんだよね。わかるよ。人をやめない限り、”情報の天秤”には勝てない」

 

「……愚者王ぉ、こぉれは医者からのちょっっとしたアドバイスだ。そこの窓から一歩出ると、いいことあるぜぇ?」

 

「あはは、ようやくしゃべってくれた、偽名医者。アドバイスありがとう。だけど、聖者が死ぬまでは現世にいようかな」

 

「アタシにとっちゃぁ、患者が優先なんでねぇ!」


 凛奈を助けるためだけの、つかの間の静寂が訪れる。

 黎真と名の焦りを知覚しながら、凛奈はただ呼吸をする。


 肝心の愚者王は腕を組んでじっとみている。簡単な救助活動を、興味深そうに。

 

 沈黙を破ったのは、窓が勢いよく割れる音だった。


「……どけ」

 

「おっ、久しぶり、聖者」


 窓を蹴破って入ってきた存在が、愚者王に相対する。


 飛び散った破片が愚者王に少しの傷をつけ、散らばっていく。そのうち、いくつかの凛奈のほうへ飛んできたものはすべて物理法則を無視し、壁に、天井に突き刺さった。誰が何をしたのか、凛奈にはわからない。

 

「完全に無視か、いやだなあ、やっぱり人の心ないでしょう、聖者?」

 

 聖者と呼ばれた男は応えない。黙ったまま、巨大な凶器を構えている。

 床に刃の先端を付けているが、素人で錯乱状態の凛奈には何をしているのかわからない。


 ただ、茫然と、場違いだが。凛奈は、ここでやらないでほしいなとだけ考えていた。


「そんな歓迎されなくても、そろそろ帰るよ。じゃあね、君も」


 先ほどまでの態度から一変。


 何もしていないはずが、なぜか気が変わったのだろう、武器を構える男を無視して愚者王は割れた窓へ近づく。一切の恐れも見せず、まっすぐに。「じゃあ、また」とだけ言い残し、愚者王は窓の外に消えていった。


 

 * * *


 

 聖者と呼ばれた男が音を立てて舌打ちをした。地団太を踏んだ。残っていたコップが全て宙を舞い、ぶつかり合って粉々になった。

 およそ聖者とは思えない行動と、不可解な現象に、落ち着きを取り戻したはずの凛奈はただ動揺することしかできなかった。


「おいおぃ聖者ぁ? 簡単に割らなぃでくれよ、高かったんだぜぇ?」

 

「……すまない、取り乱した」

 

「名、聖者、そのコップ、僕のなんだけど」

 

「すまねぇは免罪符じゃぁねえぞ、ったく」

 

「ところで、そっちの子は?」

 

「話そらすなよ……まぁいいかぁ、後でな、後で!」


 どうやら『聖者』で間違いないらしい男と目が合い、凛奈は絶句した。いや、目が合う前から気づいてはいた。ただ、心のどこかで信じられなかっただけだ。


 ……顔の皮がないのだろう、露出した筋肉は、ところどころ本来の色を失っている。


「そ、それ……」

 

「ん? ああ。名」

 

「そらぁ!」

 

「投げないでくれ、特注品なんだ」

 

「お前なぁ……」


 名が至近距離で投げた何かが、男の近くで減速し、ちょうど、男の顔の前で浮かび上がった。どういう原理かわからないが、仮面のつもりなのだろう。

 それだけで恐怖が収まるわけもなく、凛奈は震えたまま、男を観察する。次第に落ち着きを取り戻し、深呼吸をした。


「これでどう、……名前は?」

 

「あ、」


 凛奈は、ちらりと名のほうを見た。大丈夫だ、とでも伝えたいのだろう、頷く名。勇気と共に声を出す凛奈。


「わ、私は、嵩陽凛奈。あ、あの、新しいメンバーだよ殺さないで」

 

「そうか、聖者だ、よろしく、以上だ」

 

「え? あの、えーとっ?」

 

「聖者、困惑してるよ、もっとなんかないの?」

 

「ああ、ない。結局は、誰もかれも自殺志願者。この街を生き延びたら、初めて挨拶をしよう」

 

「ん? ……どゆこと」

 

「そのいぃかたはねぇだろぉ、聖者?」

 

「すまない、少しやることがあるので、失礼する」

 

「あ、まてって……っち、全力で逃げやがった、アイツ」


 唖然としてばかりの凛奈を置いて、物語は進んでいく。

 

 変な奴が来て、変な奴が来て、変な奴が逃げて、変な奴が逃げ帰った。それだけのことがわずか数十分の間に起きたのだ。混乱しても無理はない。不審者は一人で十分なのだ。


「あぁー、とりあえず、アタシは窓の手続きしてくっから! 黎真、凛奈に町を案内したって、コップとか買ってきな!」

 

「はぁー、わかったわかった、りょうかい。ほら、嵩陽、少し外歩こうか」

 

「え、ええ」


 ばたばたと足音を立てて走り去っていく安心感の背中を見ながら、情報を受け止める器は、しばしの休息を望んだ。


(とりあえず、何も考えずに歩こう)


 黎真の補助を受けながら、凛奈は立ち上がった。

 

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