第七話 知らないままでは、守れないから
「本当は、分かってること全部言いたいんだけど……天秤が傾いちゃうからね」
黎真はそう言うと、どういう原理だろうか、木の板を空中に張り付けた。
「まずは、聖者と愚者王について、かな。といっても、おとぎ話の補足程度で止めるけどね」
黎真は板書を始めた。
歪な文字と、滴るインク。
「わかった。お願いね、黎真」
「世界には、聖者と愚者王という、対となる人間が生まれる。彼らは同時に生まれ、どちらが長く生き残るか、競い合わなければならない。聖者が勝つといいことが起こり、愚者王が勝つと悪いことが起こる」
黎真が暗唱したのは、人が生まれながらにして、なぜか知っている物語。
勿論、凛奈も知っている。
「嵩陽、ここまでは知ってる、よね?」
「うん、知ってるよ」
「よし、じゃあ、ここからは補足だね。まあ、知ってると思うんだけど……愚者王には対応する手下みたいなのが二十人いて、彼らは愚者と呼ばれる。そして、愚者が一人でも生きていると、愚者王が死ぬことはない」
まだ常識の範疇だ。凛奈は頷く。
「僕たち、聖者側の最終目標は……愚者王を殺すこと。だから、愚者たちを各個撃破する必要がある。現時点で六人……いや、昨日どこかで死んだから七人か、それだけの愚者がすでに死んでいる」
「七人も? そんなに……」
凛奈は目を丸くした。愚者の生存状況など、聞いたことがなかったからだ。
愚者が死ぬというのは一大イベントだ。だから、愚者が討伐されると、その情報は世界中に広まる。凛奈がいた村に届くくらいには、広く深く浸透していく。
凛奈が知る愚者の討伐数は、三人だった。
(でもそっか、よく考えたら、伝わってくるには時間かかるもんね)
凛奈はポンと手をたたいた。
黎真は話を進める。
「そして、聖者は、どんな場所にいても愚者の居場所を大まかに知ることができる……本人曰く、霧の中で白い綿を探すくらい大変、らしいけどね」
「ええ、本当!? すごいね!」
探知系の能力を持つ凛奈。凛奈が把握できる範囲は、せいぜい村ひとつ程度だ。
村ひとつ程度、の時点で相当な広範囲ではあるのだが、そんな凛奈だからこそ、距離にかかわらない聖者の異常な探知範囲に感嘆した。
「そういう特殊能力?」
「うーん、ちょっと違うかな。詳しくは話せないんだけど、まあ、詳しくはあとで聞いてよ」
「え、わ、わかった」
互いに同じ分野に心得がないと、共感するのは難しいらしい。
寂しさを感じながらも、凛奈は話を聞き続ける。
「愚者王は、生まれる時に特殊能力を自分で決めることができるらしい。そして、聖者の特殊能力は愚者王の特殊能力によって出力が変わる。それで、今の聖者は歴代で最も……」
凛奈は首を傾げた。視界が揺れ始めたのだ。
「聖者と愚者王のうち、先に死んだ方は歴史から抹消される。この時に、偽物の英雄が……そしてこれが殺し……」
凛奈は目を擦った。
赤黒いインクで描かれた板書は、凛奈には読めないほど歪で、それが気になってた話の内容が入ってこない。
「……だから、……、なので……」
凛奈には、黎真がずっと独り言を言い続けているように感じられて、いつの間にか意識が途切れかけていた。
ゆっくりと揺れる体、少しずつ閉じていく視界。
「黎真ぁ、ストップだ! おぉい、大丈夫か、凛奈ぁ!」
背中をバシバシと叩かれ、ハッとした凛奈は、いそいそと首を縦に振った。
(いけない、寝ちゃってた! でも大丈夫、話は聞いてたから……)
寝ている間でさえも、凛奈の特殊能力は情報を集めてくる。おかげで、黎真が言っていたことを一言一句聞き漏らしてはいない。
理解できたのかは別だが。
「だいじょうぶ、きい、てる……」
凛奈は驚き、口元に手を運ぼうとした。しかし、凛賀の体は動かない。
「っちぃ、黎真! 水差しもってこいぃ、アタシの鞄から!」
「ほら、これ!」
「よし、飲めぇ、凛奈」
されるがままに、凛奈は液体を流し込まれる。飲み込む、飲み込む……咳き込む。
視界の揺れがおさまっていき、少しずつ体が熱を取り戻していく。
数分の後、凛奈は体を取り返した。
腕を上げて、手を握りしめて、体を捻って、凛奈は動く体に歓喜する。
「あ、ありがとう、名さん」
「大丈夫か、凛奈ぁ?」
「う、うん。死にはしないから……」
凛奈は目を伏せた。
どれだけ苦しくても。凛奈の犠牲が凛奈を殺すことはないのだ。
「……そぉか、ま、異変感じたらすぐにいえよなぁ」
「えへへ、よろしくね。ところで、黎真はどこに?」
凛奈が倒れてすぐに、黎真は何処かへ行ってしまった。
凛奈の特殊能力は、黎真の居場所を示している。今現在の行動さえも。だが、凛奈には、黎真の行動に理由をつけることができない。
不可解なことに、黎真は今、誰かの家で窓拭き掃除をしているのだ。
「あー、心配すんな、もうすぐ帰ってくる」
「そ、そうかな? 窓拭きしてるし……」
名は目を見開いた。
「おぉおー、そうかそぉかあ! テメーそこまでわかんのか、すっげぇ特殊能力だなぁ!」
「え、えへへ、ありがと」
凛奈は満面の笑みで応じる。酷い犠牲を伴うとはいえ、特殊能力を褒められて嬉しくないはずがない。
だが、凛奈にとってはそれ以上に重要な意味があった。
凛奈は基本、憐れまれる。
酷い犠牲のせいで、行動すらできないから。
体を蝕む犠牲のせいで、体のそこかしこが光を通してしまうから。
人は基本、目に見える情報だけで判断してしまう。凛奈はそう、知っていた。
凛奈の特殊能力を褒めるのは、いつも決まって凛賀だった。
今は両親にさえ、特殊能力を褒められたことはなかった。
(そういえば、パパとママは今どうしてるんだろう?)
凛賀亡き今、凛奈の家族は両親だけだ。
(……いや、いっか。今は関係ない)
凛奈は名の方を向いた。名は頭を掻いていた。
「うー、あー、本当はぁ、良くないんだが……そうだよなぁ、話しとく必要あるよなぁ」
「え、なんの話?」
凛奈が聞き返すと、名は急に立ち上がり、そばにあるコップを持った。
「よし、凛奈。今から、黎真の特殊能力について、少ーぅしだけ説明するぜ! 危機が迫ってきたら、『助けて』というんだぁ、いいな?」
「え、なに、どういうこと?」
凛奈が困惑していると、名はコップを振り下ろした。凛賀の顔目掛けて、勢いよく。
(まずいまずいまずいまずい! 怪我しちゃうよ、避けなきゃ……体が追いつかない……!)
動体視力は、特殊能力で代用できる。しかし、体が動くかは別問題だ。
凛奈は混乱しながら、必死で解決策を探す。 一秒にも満たない時間で、名の言葉を反芻する。
「! 助けて!」
言葉を発した直後。凛奈の目の前に、壁が出来上がった。殻が割れる鈍い音がした。
「乱暴だなあ、名。それが医者のやること?」
「黎真ぁ、テメーの犠牲の説明は、これが手っ取り早ぃんだよ」
ようやく、壁に正体が黎真に背中だと気づいた凛奈は、困惑を隠せないでいた。
ただ一つわかるのは、先程の状況が名のいう危機だった、だから『助けて』と言って正解だった、ということだけだ。
「名さん、どういうこと?」
「あぁ? 黎真を連れ戻したんだ、犠牲を使ってな」
「犠牲……?」
「黎真ぁ」
「わかったわかった、確かに、説明しとくべきだったね」
黎真はそういうと、また、空気椅子をした。
「僕の犠牲は、助けを求められたら助けなければいけない、って感じ。助ける相手は、状況がどれだけ危機的かで優先順位があるみたいなんだけどね」
「へ、へえー」
「だから、もし危険な状況になったら、迷わず『助けて』って叫んでね、嵩陽。状況にもよるけど、僕が助けに行くから」
「わ、わかった。頼りにするね」
恐ろしい犠牲だ、と凛奈は思った。
(すっごい不自由なんだ……黎真、可哀想)
凛奈は、憐んでしまった。
凛奈が頷いたところで、名が手を叩いた。
「よっし、じゃあぁ、そぉろそろ質問タイムといこうかぁ! 凛奈!」
「ひゃい!?」
凛奈はパニックになった。指名されたことなど一度もないのだ。
心の中で首を傾げながら、とりあえず何かを言わなければとあたふたした。
「ええっと、質問、だよね、質問質問……んん?」
凛奈は、数分前の黎真の説明を、少しずつ思い出していく。
(えっと……私は聖者側で、愚者王のほうには愚者っていうのが計二十人いて、彼らを全員倒して初めて愚者王を倒せて、だから私たちは愚者たちを……あの暴虐無人と噂の愚者たちを倒さないといけなくて……)
薄い参考書をそのまま投げ込まれたような感覚。頭痛を食い止めて、ひとつづつ消化していく。
存在を知ってはいるが意味は知らない単語たちが一斉に意味を帯び、つながりを構築し、頭の中に埋め込まれていく。
「質問……じゃあ、とりあえずの目標から……えっと、愚者を倒して回るんだよね?」
「ああ、そうだよ」
「じゃ、じゃあさ、愚者についてもう少し知りたいなーって」
「あぁ? 具体的には」
「ええっと、じゃあ、まずは、愚者の特徴とか、見分け方とか、教えて黎真先生!」
(愚者に会ったことないのに、愚者を見分けて倒すなんてできるはずないもんね)
凛奈は、わかりやすい特徴を期待した。紋様とか、言動とか、誰でも見分けのつくようなものを。
しかし、答えはずっと簡単だった。
「愚者も同じ人間だから、見分けはつかないよ」
凛奈の期待は、泡よりも簡単に割れてしまった。
「そ、そうなんだ……」
「ただ、愚者王と聖者にはわかるらしい。とはいっても、聖者は接触するまでわからないって言ってた。あと、そうだ、これ、すごく重要なんだけど」
黎真の真剣な表情に釣られて、凛奈も表情を固くする。
「愚者は生まれつき愚者だけど、愚者としての自覚はなくて、ある日愚者として覚醒して初めて自分が愚者だったと理解するんだ。だから、もしかしたらここにいる誰かも、自覚がないだけで愚者かもしれない」
恐ろしいセリフに、凛奈は息をのむ。
「それと、覚醒前の愚者は愚者王にも聖者にも、そして本人にも見分けがつかない。勿論、聖者の愚者レーダーにも引っかからない。でも、覚醒前から人数にはくわえられているみたいで、減ることはあるけど、増えることはない」
凛奈は目をぐるぐるさせた。
「あれ、大丈夫? ついてこれてる?」
凛奈は震えながら、言葉を組み立てる。
体が震えるのは、情報の天秤のせいだと決めつけて、恐怖を中和していく。
「っていうことは、今この瞬間にこの中の誰かが愚者として覚醒することも?」
「もちろんあり得るけど……まだ覚醒してないのはたった二人。全世界で二人。まあ、確率的にほとんどあり得ないかな」
たぶん大丈夫だ――そう言われたのと同義だ。凛奈は胸をなでおろし、息を吐いた。
「もう、びっくりした。脅かさないでよ」
「まぁ、いぃつも気張っておけってこったなぁ? 愚者がいつ出てくるかわかったもんじゃねえ」
そうだ。これからの凛奈の相手は、得体のしれない愚者という存在。気を緩めることは許されない。
再度思考を展開。と、ここで、凛奈の中に小さな疑問が浮かび上がった。
「あれ? 愚者を追いかけている最中ってことは……」
「あ、気づいちゃったか」
不敵に笑う黎真、頭を搔く名、血の気が引く凛奈。
なんで今、愚者を追っている存在が目の前にいるのか。理由なんて、ひとつしかないじゃないか。
「少し前に、愚者たちからの予告状が、世界中にばらまかれた」
「タァーゲットはここ、改造生物の街、バイオ。アタシたちが今いるこの街にぃ、愚者たちが来」
違和感。
硬直する凛奈。
しかし、固まったのは凛奈だけではない。黎真と名。目の前の二人も、同じように固まっている。背後から降りかかる威圧感、違う、人が人である限り逃れられない本能に、三人の行動が抑えられているのだ。
何者かの足音。浅く速くなる呼吸。窓の外からやってきた、怪物。
「やあ、二人とも。久しぶりだね、元気? あ、辛かったら言ってね、ちょっと離れるからさ」
声だけ聴けば、優しい好青年という印象。文字通りの聖者が来たのかと一瞬思ってしまうほどに。
しかし、黎真と名の反応を見れば明らかだ。
(こいつは味方じゃない。私の、私たちの敵!)
凛奈はなんとか、窓から入ってきた存在に目を向けた。
どんな化け物かと思っていたが、視界に入ったのは人間だった。男とも女とも取れない、大柄でも小柄でもない背格好で、頭から布を被っただけの恰好をした、一人の人間。
名の睨む顔が見える。しかし、凛奈は動くことができない。
不快を凝縮したような感覚、引きずりだされる汗。体に重くのしかかるなにか。命の危機とは違う、奇妙な危機。凛奈の中で、考えがまとまっていく。何が起こっているのか、この不快感の正体は。
(そうか、情報の天秤だ!)
情報の天秤が、ひれ伏しているのだ。その場にいるだけで、周りの人の本能を破壊する存在。
(なんなの、この人!)
答えはすぐに訪れた。かろうじてひねり出したであろう、黎真の声で。
「……愚者王……!」
頭からかぶった布の隙間から、特徴的な、とがった耳がはみ出した。




