第六話 不快感と決意
凛奈は咄嗟に身構えた。涙はすでに止まり、心の中はどす黒い興味で埋め尽くされている。
「私を像にした……犯人?」
「あぁそうさ? だが、今は名前は言えねえ。大事な情報だぁ、そして……危険すぎる」
名はにやりとした。だが、その目は笑っていない。瞳の奥で黒く蠢くもの、それは凛奈を見ていなかった。
「危険?」
「そうさぁ? 単純に、生半可な気持ちでぇ人を巻き込みたくねぇんだ。そぉだなぁ、誰もが知ってる、生まれながら持っている知識。聖者と愚者王。この辺りがしっかり関係しちまってるんだ」
情報の天秤が軽く傾く。何とも言えない不快感が、凛奈にのしかかる。
名は真実を言っている。疑うことを知らない凛奈であっても、情報の天秤が傾けられる本能的な嫌悪感には抗えない。
聖者と愚者王、というのは人が生まれながらにして知っているおとぎ話のようなものだ。誰もが知っている単語、誰もが理解している話。
世界を滅ぼそうとする愚者王やその手下の愚者たちを、世界を救う聖者が倒していくという、べたで安っぽい、ありふれた物語。
全人類が恐怖する愚者王を倒す、全世界から信用される聖者。
どんな人間でも、一度はそんな存在に憧れたことがあるだろう。
みんな知っているから、その単語、その物語自体に特別な価値はない。だから、口にしただけで天秤が傾くのはありえない、普通は。
(でも……)
例外はある。それを口にしただけで均衡が崩れるのなら、本当にどちらかが関係しているのだ。それも、相当深く。
凛奈はそう納得し、眉をひそめた。
「おおっとぉ、ごめんなぁ? 天秤を傾けようと思ったわけじゃねえ。なぁんか、重要度がたかいみたいでぇ? 重すぎて、勝手に傾いちまう。 だぁからすぐには話せねえ。仲間としていいっ緒に来るなら話は別だがぁ、医者としてぇ、命捨てろとはいいたくねぇんだ……どうした?」
凛奈は黙って、うつむいた。仲間になれば、像にした犯人を教えてやる。でも、命の保証はできない。そう、凛奈は捉えたのだ。
交換条件だ。命を犠牲にすれば、これからの人生を犠牲にすれば、好奇心が満たされる。
(私にとっては、割に合わない気がする。知ったところで、弟は帰ってこない……でも)
凛奈は唇を噛み、震える手に力を入れた。
脳裏に浮かぶ、これまでの人生。そのすべてで、傍にいた弟。常に凛奈を優先しようとする、頼もしい弟。
(……私の命は、私のこれからの人生は、弟がくれたもの。こういうとき、弟がどう考えるか、わかるよ)
凛奈は、像をチラリとみた。相変わらず、中身は空っぽのまま。それでも、凛賀が、弟が、最後まで守ろうとしたもの。
(だって、お姉ちゃんだもの)
弟なら、私の像化を解くために、私の仇を討つために、首を縦に振るだろう。私とは真逆で、用心深い弟だ。即断即決とまではいかないだろうけど、それでも最後は。
そんな光景が瞼の裏に映り、凛奈は思わず微笑んだ。哀愁に満ちた表情のまま、凛奈は顔を上げた。
最初に凛奈の視界に映ったのは、名と少年の苦しげな表情だった。
「……よくわかんないけど、なんか決心した顔してるね」
「あぁ、そうだなぁ……よぉくわからねぇが、聞こうかぁ?」
凛奈は一度深呼吸した。
「仲間になる。だから教えて。たぶん、弟ならそうする」
「「……は?」」
凛奈は真剣だ。
「まぁじかよ、ほとんど何んにも言ってないぜ? 驚き超えて怖いんだがぁ?」
目を丸くする名と、唖然とする少年。予想外の反応に、凛奈はわかりやすく動揺した。
「え、あれ? 変……だったかな……?」
「いぃや、まあ、面倒な駆け引きがなくてありがてぇっちゃありがてぇんだが……飛躍しすぎだろ……まぁ、いいか」
呆れを超えて心配の目を向ける名。その意味がよく分からず、首を傾げる凛奈。いまだ口をぽかんと開けたままの少年。
名はため息をつき、少年の背中を叩いた。うわあ、と気の抜けた声がし、張り詰めていた空気が一瞬で霧散した。
「……とりあえず、話を聞く覚悟はできた、ってことでいいなぁ? 天秤が傾いた分は、未来のこれからの行動で清算してもらうぜぇ? 後払いの契約みてぇなもんだからなぁ、天秤ってのは」
「ん? あれ? そうなんだ……聞きたいことが増えちゃった」
「まぁ、とりあえず、話すぜ。私たちが追っている、テメーを像にした正体。それは……」
名が一呼吸置いた。どれだけ延ばすつもりなんだろう、と凛奈は息をのんだ。決心はついたはずなのに。
重たすぎる情報は表れる前から威圧する。凛奈の意識を刈り取ろうとする。
「……愚者王本人だ」
「!」
凛奈は目を見開き、口を開けたまま硬直。
凛奈自身に自覚はなかったが、心のどこかで、愚者王の手下の愚者が相手だと思い込んでいたのだ。
愚者ですら、それぞれがとんでもない特殊能力を持ち、それぞれが世界を変えるだけの力を持っているといわれている。ましてや、愚者王は。
相対するだけでも、死を超える何かを運んでくる存在。
それが、人類が生まれながらにして持つ、愚者王に対する印象であり、歴史に残る愚者王たちはすべてそういう存在だった。
凛奈の中に、疑問に近い不安が生じた。それは形を成し、熱を帯び、凛奈から飛び出した。
「愚者王を追っているってことは……つまり、聖者と面識が……?」
私の力ではどうしようもない災禍の中に飛び込んでしまったのか。そんな中で私ができることは。
傾かない天秤が、余計に凛奈の不安を煽る。なにがある、この情報を受け止めている、この対価は一体。
(そんなの、誰かをかばって死ぬくらいしか)
仲間として、旅をして、最期まで生き残る。その間に何度も一方的に助け、貢献する。そこまでして初めて、この情報に釣り合うだろう。
今、天秤が傾いていないということは、後払いで釣り合うということ。確定した未来。
情報の天秤には、情報だけが乗るわけではない。二人の間にある、恩の差のようなものが、重しとなって乗りかかるのだ。
相手を助けることでも、天秤を抑えることはできる。
それでも、凛奈の力で目の前の二人を助けられるかといえば、否だ。助けられることのほうが多いだろう。
それでも釣り合うのなら。
「予想ぅ通り、聖者とは面識あるぜぇ? というか、仲間になってくれんなら、紹介すんぜ」
「なあ、名。そろそろ、背中たたくのやめてくれない? 痛いん、いてっ」
思考がどんどん先走る。
犠牲にされるのかもしれない。何らかの儀式のために消費されるのかもしれない。無制限の苦しみを強いられるかもしれない。
時間が引き延ばされ、凛奈を置いて消えていく。体が震える、止まらない。
そんな背中に、衝撃が走った。
「びぃくびくしてんじゃねーよ、これからはアタシたちの仲間、チーム聖者の一員! なに、流石ぁに最前線にほっっぽり出したりしねーよ。 黎真なげときゃ大抵解決だ!」
「そ、それはさすがにやめてほしいかな、最善は尽くすけどさ」
背中をたたかれた衝撃で、脳が正常に戻っていく。凛奈の悪いところだ、一度考え込むと恐ろしい速度で突き進んでしまう。
(そっか、仲間じゃん。さっき私が言った通り)
すぐには割り切れない、不安も残る。
でも、ここまでよくしてくれる人たちが、そんな鬼畜なことをするわけないじゃないか。今までと一緒、変わらない。凛奈はそう思い始めた。
「ごめ、いや、ありがとう、えーと……名さん?」
「おぅ、さんいらねえよ、アタシの偽名は布留火西瓜名、名とでもよべ!」
頼もしい限りだ。
少しだけ、震えも消えた。
(大丈夫だよ、凛賀見てて、私、頑張るから!)
「あと……ん?」
少年のほうを向いて、凛奈は首を傾げた。思い返すと、自己紹介をされた記憶がないのだ。
少年はきまりが悪そうに、指をいじりながらそっぽを向いた。鋭い目を向ける名。
「またかぁ、黎真! カッコつけようとしやがって、はぁ」
名はため息をつくと、少年の耳を引っ張った。
「このチビは椎羅黎真だぁ! ……よし、他己紹介終了、名前聞かせな!」
凛奈は目を閉じ、深呼吸をした。
初対面の人に名前を言ってはいけない。
でも今は初対面じゃない。仲間になるんだ、言ってもいいだろう。
「私は、嵩陽凛奈。これからよろしくね、名さん、黎真!」
「ええ、なんで僕は呼び捨て!?」
「そりゃぁそうだろ、アぁタシのようなお姉さんとそぉの横にいるちんちくりぃん。よーびすてで、オッケー!」
「むうー、納得いかない」
いつの間にか不安は吹き飛び、凛奈は微笑んだ。
生まれて初めての、友達の輪に入る感覚。
傍観しかできなかった場所に飛び込んだ興奮が、より一層凛奈をときめかせた。
少しわちゃわちゃと親睦を深めあったのち、名が手をたたき、椅子に座った。
「親睦が深まったとぉこぉろぉでぇ? 情報共有タイムといこうかぁ!」
「情報共有タイム?」
そういう遊びだろうか、と凛奈は心を躍らせる。
「ああ。愚者王を追ううえで、どうしても知っておいてほしいことがあるからね」
「あ、ソノママノイミデシタカ」
「? ああ、そうだけど……なんか勘違い?」
浮かれていた。初めての仲間の感覚に、初めての友達の感覚に。
凛奈は顔を真っ赤にした。
「おぉう、どうした……? いぃや、ここは無視だなぁ、よし、黎真説明よろしくぅ!」
「はいはい、そう来ると思ったよ。じゃあ、凛奈。よく聞いて。わかんなかったら、何回でもおしえる」
空気椅子のまま足を組んで、黎真は語り始めた。




