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『双子の交差線』  作者: 鳥藍
第一章 集え、交差点へ
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第二十六話 死の気配


 嵩陽凛賀にとって、『死』を経験するのはこれで二度目であった。


 一度目との相違点は……『人を殺した』という安(・)心(・)感(・)の有無だった。



 

「い、やだ。まだ、しねな、ぃ……」


 引き伸ばされた時間感覚の中で、凛賀の上半身は地面に転がっていた。凛賀にひっついているはずの下半身はもうすでにそこにはなく、半分ほど弾け飛んだ腹からはどろどろになった内臓が溢れ出していた。息を吸うための筋肉も膜もすでに形を忘れて、逃した酸素たちが凛賀を嘲笑っている。

 

 凛賀の思考は冷静という言葉自体を忘れたかのように、ただただ緊急事態だと騒ぐだけだ。


「はや、く……だ、れか、を……」


 嫌だ、まだ死にたくない。死ねない。残してはいけない。いられない。


 そう願ったところで、すでに手遅れだということを、凛賀はわかっていた。視界は暗闇に吸い込まれ、痛覚はすでに自主棄権し、体から熱が消えていく。そんな状況下で凛賀が唯一感知できる物は、それこそ死の気配しかなかったのだ。


「お、れは……ま、だ……し、ねねえ」


 まだ誰も殺していない。だから、このまま死んだら、本当に死んでしまう。早く殺さないといけない。しかし、今の凛賀でも殺せる人間が近くにいるだろうか。腕の感覚もなくなった凛賀が、口を閉じることもできない凛賀が、呼吸さえもできないでいる凛賀が、果たして誰を殺せるというのか。


(息が……息を、しないと……)


 どくどくと音を立てて、血液が水たまりを作っている。夕陽を反射した真紅はやけに幻想的で、しかし凛賀はそれをみることはできそうになかった。

 もはや凛賀の質量よりも多いのではないかと疑ってしまうほどの血液を垂れ流し……しかし、凛賀の命を奪おうとしているのは流血ではなかった。流血だけでは、人は死なない。


 凛賀の命に王手をかけているもの、それは……数秒で意識を奪い、動けない獲物を死に至らしめる……窒息だった。

 呼吸をしなければ死んでしまう理由は、未だ解明されていない。それでも、実際に人が死ぬのだ、凛賀本人が殺されようとしているのだ。明確な理由など、気にしている場合などではなかった。


 死の気配は、実態も姿も持たずに、すぐそばに在った。


 脳を巡る、現状に似つかない快楽が、凛賀を優しく諭し始めた。今度こそは仕方がないと、そんな言葉が凛賀の中で反響した。

 小さい、掠れた声。それでいて、優しく、透き通った声。……凛奈の、本当の声。凛賀しか知らない、大切な肉声。

 

「ごめん、よ。あ、ね……」


 声が小さくなっていく。擦れていく。声を出せていたこと自体が、奇跡だったのだ。


 暗闇に閉ざされた視界の中で、色とりどりの花が咲いた。白い閃光が往復し、凛賀の耳を塞いだ。全身全霊で存在していたはずの世界は、もうすでに、凛賀に触れていなかった。

 

 死を表す時、息を引き取ると言う。全身の力が抜けて、比較的弱い息を吐く力さえも無くなって、穏やかに動けなくなっていくらしい。凛賀の場合は、呼吸さえも許されなかったのだが。静かに、意識の底がせりあがっていった。


 凛賀の体が徐々に冷たくなっていく。意識はもうすでにないだろう。意識を失ってから、本当の意味で死ぬまで何分か。灰色の細胞たちの間で崩壊が流行り始め、汚染された身体が微生物の侵入を阻まなくなった。

 

 本当の死とは何か、それは誰にもわからない。分からないが……死を記録する存在は、少なくとも凛賀の予想よりは、せっかちだった。

 

 こうして、嵩陽凛賀は死んだ。

 

 凛賀の下半身があるはずの場所。そこに転がっている、血だらけの赤ん坊の死体。凛賀は最後まで、それに気付くことはなかった。


 


 

 

【あ、死んじゃった。残念。残念な事。本当に? 残念な事だって言ってるだろうが。残念な事であったらいいなあ。うん、やっぱり、残念なことにしておこう? 厳格な審査の結果、残念な事ということになりましたーパンパカパーン。よかったよかった、そう言うことにしておけば、地球は安泰。安寧安寧、嬉しい! 折角あるんだから、あったほうがいい。まだあってもいい。生かされているのならば、生きていればいい。意味が分からないのならば、意味が分からないままでいい。死というものには、抗うことなどできないのだから。いつも思うけど、星の数よりも人の方が多いって、なんか不思議だよね。人類の歴史、長い長い幾星霜の歴史の中で、まだ彼らには、抗う術などないのだから。まだ、面白い時代なのよね。登場人物だと、そう、断定するのだわ。『観測』し、『記録』し、『発現』し、『創造』し、『孤独を感じない(安心)ための材料(塵)』に。あ、危ない危ない、『これ』は消しておかないと。……あれ、あ、なーんだ、『嵩陽凛賀』だった。えー、そっかあ。つまんなーい。え、あ、それはちょっと……心が……。はあぁ? 指図しないでくださいます? 待て、もう残さないほうがいい。人格を疑わせてくれ。あー、もう。見逃してくれ、これを読む誰か】消去済み——。




 


(あ、あーあ。死んじゃった)


 一番最初に凛賀の死に気付いたのは、自由度愚者だった。元々、上空数百メートルにいても地上の様子を感知できるほどの感覚の鋭さを持つのだが、何より凛賀を少しでも気にかけていたことが大きい。勿論、本当に気にしていた相手は凛賀ではないのだが。


(おっと、危ない。うーん、すごいなー、由逢ちゃん)


 自由度愚者が凛賀の死体に関心を向けていたのは、束の間だった。殺し合い中なのだ、当たり前の話である。死体に拘り続けるほど、愚者は優しくはなかった。


「死ね!」


「あっはは、由逢ちゃんったら、足りてないよ〜?」


「ん……」


「ほらほら! ……え? ストップ!」


 一番最初に異変に気付いたのも、自由度愚者だった。愚者は反射的に、振りかぶっていた武器を持ち替え、切り取り線の入った袖に刃を置いた。何が起きても、自分の腕を落とせるように。はたから見たら狂気的な行動だが、当の愚者はジト目をとがらせて辺りを睨んでいる。


 由逢も気付いたのだろう、地面に座るような体勢で、辺りを見渡している。


 視線の先にあるのは……突然光り始めた、周囲に転がる物質たち。光の色は、白か青か、それとも赤か。夕陽の彩りに負けながらも、確かに淡い光を発している。

 

 愚者は気付いた。おそらく、由逢も気付いているだろう。光を発しているのは、人(・)の(・)死(・)骸(・)だということに。

 聖者を襲おうとして、由逢に貫かれた小道具たち。聖者が来るよりも前から転がっていた、誰かの勝利を物語る生臭いモニュメント。そしてつい先ほど息絶えたはずの、殺人犯の上半身。細かい血飛沫も、自由度愚者や由逢についた返り血も、淡い光を纏っている。

 

(だれかの特殊能力?)


 瞬間。大地を支配した轟音、そして衝撃。


「え、ええ!?」


 立っていることもできないような衝撃に弾かれ、愚者は武器を地面に刺して耐え忍ぶ。

 愚者の横を小さな体が通り過ぎた。


「え、あ、由逢ちゃん!? うー、もう! この衝撃、ぜったいあの巨人じゃん! 邪魔しないでよ!」


(だったら、この光ってるのも巨人のせい? うー、違うかな? でも、だれの?)


 困惑しながらも、自由度愚者はただ黙って見ていることしかできない。巨人が作り出す衝撃に足を取られ、さらに光る肉たちが何をしでかすかもわからないのだ。


 光が、揺らいだ。不定形の形を作って、まるで炎のように、天へと立ち昇っていく。透き通るような青白い炎は、夕日を背景にして、夕焼けの赤を食い破り、そして……一点に、集まっていく。


 見るもの全てを魅了するであろう、そんな幻想的な光景に、自由度愚者は思わず息を呑んだ。


「わあ……!」


 吹きすさぶ寒風と暗くなっていく空、その中で輝くイルミネーション。青白い炎が、形を変えて、姿を整えて、たまに四散してを繰り返した。

 

 自由度愚者はそれを、綺麗だと、そう思ってしまった。人の死骸から発生したそれに、超常現象以外の何物でもない、人が生まれながらに背負う業に、心を動かされていた。愚者だからではない。


(ぐーちゃんにも見せてあげたいな)


 自由度愚者は確かに愚者である。しかし、それ以前に、一人の人間なのだ。


 いつまでも見ていたい、そう思えるような光景の前で、愚者は地面に固定した武器へと背中を預け、即席の特等席で命の演技を観劇した。

 


 

 閉幕は突然訪れた。振動が止み、光の輝きも徐々に消えていき……空も半分以上が真っ暗になっていた。


 そして……つい先ほどまでうっとりとしていた自由度愚者は、目を見開き、勢いよく立ち上がった。

 

 自由度愚者の視線の先、炎が消えた場所、そこには……死んだはずの人間が、佇んでいた。

 


 

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