第二十五話 あなたも『人間』でしょう?
空は快晴、冬だと言うのに、寒さは殆どない。
遠くでは巨人が暴れていて、巨大な音が鳴り響いている。
そして凛賀は……愚者に責められていた。
「ねえ。あなたは由逢ちゃんの味方? 敵?」
「そ、それは……」
味方だ。凛賀はそう言おうとし、口を閉ざした。
たしかに、交わした口約束では、味方ということになる。
盾にしておいて、それでも味方と言えるのか?
「ねえ。由逢ちゃんはあなたを助けに行った。それを、あなたは邪魔した」
「あ、ああ」
否定できない事実だ。凛賀は拳を握りしめた。
あの時、凛賀には余裕がなかった。避けることのできない刃の束を防ぐには、近くのものを盾にするしかなかった。
そこに丁度、由逢がいたから、そうしたんだ。そんな身勝手な理由で、心をコーティングしていく。
これ以上傷つかないように、これ以上苦しまないように。
「ねえ、あなたさ、知らないのかもしれないけれど……由逢ちゃんは、強いよ? もしあなたに掴まれていなかったら、ぜんぶの刃を叩き落とせたくらいには」
「はあ? そんなの、わかるわけが」
凛賀のなかで、何かが音をたてた。嘘だ、嘘だと凛賀の耳元で何者かが囁いている。
「素人は黙っててよ。なにも分かっていないじゃない」
「そんな、嘘だ」
崩れていく。
「ざんねーん、嘘じゃありませーん」
「証拠を出せよ!」
心の揺れと比例して、語気が強くなっていく。
「十年来のお友達。私はそう思ってるの」
「は?」
なんの話だ。凛賀は愚者を睨みつける。
「勘違いしないでね? 私、人殺しじゃん? 恨まれてるんだよね」
「……人殺しの、言うことが」
俺が言えることなのか? と客観視できるほど、凛賀は冷静ではなかった。
「まあまあ、聖者が死んだら抵抗しないつもりだからさ、大目に見てよ」
自由度愚者は肩をすくめた。その動作は間違いなく人間だった。
凛賀は顔を顰めた。
「すくなくとも、私のほうが由逢ちゃんとの付き合いは圧倒的に長いの。あなた、決めつけているでしょう?」
凛賀が何もしなければ、由逢も凛賀も無事だった。それだけのことを、凛賀の脳は拒んでしまう。
そんなわけがないと、必死に言い訳を考えてしまう。
「……お前の、せいじゃないか」
凛賀は目を見開いた。
(そうだ、元はといえば、自由度愚者がいるからだめだったんだ)
「んん? なあに?」
首をかしげる自由度愚者。その仕草が、その存在が、凛賀の新たな、その場しのぎの逆鱗に触れた。
「お前がいたから、俺は焦ったんだ! お前さえいなければ、俺はあんなことを……!」
「はあー。なにそれ、逆恨み?」
薄暗いジト目をさらに暗くして、自由度愚者は凛賀の顔を覗き込んだ。
迫力に負けるな、と自身を鼓舞して、凛賀は口を開く。
「ああ、そうさ、逆恨みさ。そうだ、そうだよ。でも、だけど、お前さえいなければ、俺は」
「……あなたは勘違いしている」
突然の冷たい声に、凛賀の背筋が凍った。
凛賀は眉を顰めたまま、一歩体を引いた。
「私は愚者。分かっているでしょう? あなた程度が何を言おうが、私にはほとんど響かない。世界中の恨みを向けられているから、ね。やれやれ、可愛いと困っちゃうなー」
腕を広げ、首を振る愚者。
「そして。どうしてあなたが、人を測れるの?」
「そ、それは……」
「私、頭良くないの。大して心も強くない。特殊能力だって、愚者のなかでは弱い方。愚者であること以外、普通の人ね」
「そんな、わけが!」
「人って、簡単に差別するよね。自分はしていないといいながら、相手と違うところを見つけて線を引くよね」
「……それ、は、でも、お前は愚者じゃないか!」
「ええ。愚者として言わせてもらうね。あなた、愚者よりも世界が見えていない」
「それは……」
「あなたが顔を上げた時確信した。謝ろうって表情をしながら、心のなかでは差別していた。自分は普通だから、私や由逢ちゃんがおかしいと決めつけるように」
「そんなの、わかるわけないじゃないか!」
「私、これでもいろんな人とお話してきたの。死の間際って不思議でね、一度冷静になっちゃうと、だいたいみんな本心で話してしまう。探り合い、天秤の傾け合いは生者の特権だもの」
そう言うと、自由度愚者は武器を手にした。
「差別されて生きてきた。忌み嫌われて生きてきた。勿論、悪いことはいっぱいしたわ。でも、愚者というだけで避けられてきたのも事実。あなた、想像力足りてないんじゃない? ざーこ」
凛賀は俯いたまま、目をキョロキョロさせた。
「んん? どうして説教してたの、私!?」
頬に手を当てて、愚者は跳び上がった。武器から出た破裂音が、衝撃と化して地面を割った。
「ああ、そうだそうだー。ねえ、あなた」
凛賀は顔を上げた。
巨大な武器が凛賀の鼻先を掠り、小さな切り傷をつくった。鋭い痛みに、凛賀は眉を顰めた。
しかし、なにもできない。なにも話せない。
「由逢ちゃんの成長に繋がりそうだから、見逃してあげる。でも、次会ったら……その時は、待雪草でも用意しておくね」
「……待雪草?」
「あっはは、学もないの! ばーかばーか! きゃっはは!」
一度、破裂音が鳴った。自由度愚者の足元を起点に、砂ぼこりが上がっていく。
凛賀はただ、砂ぼこりを眺めた。急に表れた、得体のしれない現象は、夢のなかにいるかのように白みがかっていた。
砂ぼこりの中から声が聞こえて来た時、凛賀はようやく我に返った。
「ちぇ、かっこよく退場しようと思ったんだけどー?」
「自由度、穿つ。そっち、優先」
「もー、由逢ちゃんは変わらないんだから」
砂ぼこりが晴れた時、そこに立っていたのは、凛賀がつい先程捨てたばかりの少女だった。
全身から血を流し、満身創痍の格好で、しかし目の輝きだけは消えていない。
凛賀は思わず、叫んでしまった。
「動けるのか、その怪我で!?」
由逢が振り返った。目が合った。ただそれだけで、凛賀の背筋が凍った。
凛賀が畏縮していると、いつの間にか、由逢は凛賀の隣にいた。
「う、うわああ!」
「煩い。真、道具とした。今度は、偽」
何を言われたのか、凛賀には、理解する暇も与えられなかった。
腕をつかまれた。勢いよく引っ張られた。……いつの間にか宙に浮いていた。
「おわあ!」
目の前に迫ってくる刃。凛賀は咄嗟に腕を伸ばし、体を回転させた。
吹き出す鮮血。気にできる間もなく、迫りくる別の刃。
(投げられたのか?)
気づいた時には、もう遅かった。
体の制御もできぬまま、凛賀の体は横向きで飛んでいく。向かう先には、自由度愚者。
なすすべもなく、体から何かが落ちていく。
しかし、痛みに悶える暇も無かった。数メートル地面を削り、所々痕跡を残して、凛賀の体は停止した。
「う、ぁ」
キーーンと甲高い音をたてる耳を押さえて、凛賀は顔を上げた。
最初に目に入ったのは……硬い地面に、有機的な皮がベッタリと引っ付いている様子だった。
実はまだ車の中で、炎に包まれていると言われても信じてしまうであろうほどの熱が、凛賀の全身に絡みついている。
まさか。焦る心を押しつぶして、凛賀はあたりを見渡した。静寂に沈んだ世界で、2つのブレが煩いくらいに動き回っている。
凛賀は体を起こした。
……立ち上がることは、できなかった。
「あ、ああ」
欠落している。
遠くにあるアレは、なんだろうか。
……誰かの、足じゃないか?
「うああああああぁぁぁ!」
のたうち回り、体を引き摺り、叫び声を上げた。
今までに経験したこともないような痛みと、体が冷たくなっていっていると感じ取れてしまうほどの出血。
「早く、早く殺さないと……!」
怪我をした。ならばどうするか? それは、凛賀の思考の中で、体系化されているもののひとつだった。
そして、その習慣化された行動のおかげで、凛賀は今の今まで生きてきた。
それが狂気という物だという自覚もあった。
片腕を伸ばし、体を捻り、痕跡を残して進んでいく。どこへ向かっているのかは、凛賀にはわからない。ただ、殺さなきゃ、殺さなきゃと呟きながら這う様は、愚者よりも愚者らしかった。
「何処へ?」
声は届かない。ただぶつぶつと音を発して、凛賀は文字通り命を削る。
「……わかった」
何かを感じ取ったのだろうか。凛賀には気付きようがなかったが、由逢が呟いた。途端に、凛賀を襲った浮遊感。速度を増して、景色が吹き飛んでいく。
「う、あ」
また投げられたのだと、今度こそあの武器で裂かれて死ぬのだと、凛賀はそう確信した。だから、動きをやめた。動く気力も枯れ果てていた、というのが正しいのかもしれない。
しかし、体が向かう方向は、凛賀の想像と違っていた。
「……?」
体の中でも足があった方から、倒れ込んでいた家にぶつかった。肉を潰す感触と肉が潰れる感覚を同時に感じて、凛賀は首を傾げた。
びしゃ、と水音がした。凛賀の下半身だった欠片が、血を含んで宙を舞った。
反撃もむなしく潰れてしまった家が、守るべきものをおいたまま徐々に泡と化していく。
ようやく家が消えた時。そこには、首の曲がった赤ん坊が、ひとつ転がっていた。




