第二十三話 はじめまして、『人間』
* * *
遠くに巨人の姿を見ながら、凛賀たちは崩壊した家々の間を進んでいた。
時折聞こえる悲鳴や助けを求める声を聞き流すことに凛賀は多少の申し訳なさを感じながら、置いていかれないように前かがみで歩いていく。
「嵩陽。危険だ、離れるなよ」
強大な巨人が街を破壊しているが、下半身が埋まっているために、破壊の範囲はそれほど広くない。
そのため、街の防衛機構が巨人や街の外に向いている今、街の大半を支配しているのは無法者たちだった。
避難所からここまでの道のりで、凛賀はいくつもの新しい死体を見たが……おそらく無法者同士の闘争があったのだろうと、凛賀は納得した。
「わかって、る」
凛賀は体を震えさせた。
もっとも、無法者たちに怯えているわけではない。慎重な行動のためにも多少怯えている必要はあるが、今の凛賀は嫌に冷静だった。
胸元の痛みが、滴り落ちる血が、混乱している暇はないと凛賀に危機感を持たせているのだ。
(せっかくなら、今襲って……だめか、聖者を見て襲ってくるようなやつは、いないだろうな)
凛賀の前を進む聖者は、背丈ほどもある巨大な武器を振り回して道を作っている。巨大な甲殻類の殻、それを鋭く削ったようなその武器で、聖者は道を塞いでいた岩まで切り崩した。
さらに、聖者たちから少し距離を置いて前方には、気味の悪い圧を発する愚者王がいる。
そんな聖者たちを見て襲ってくる者がいたら、それはもう英雄と称されてもいい。
……だが、世の中には命知らずがいる。
「はっはははは! 強え武器だ、奪え野朗ども!」
瓦礫の向こうからの声と共に、凛賀と聖者を囲うように無法者たちが姿を現した。
その目はどこか虚ろで、二十個すべてが凛賀を見ている。
「ね、狙いは、俺か!」
凛賀を人質に取るつもりなのだろう、そう判断した二人の行動は早かった。凛賀は勢いよく跳ね、地に伏せる。それと同時に、凛賀の上で風を切る音がした。
凛賀は見た。聖者の武器が、明らかに伸びているところを。
一閃、固いものがぶつかる音。刃が止められたのか、誰かが倒れる気配はない。
しっかりと状況を把握できない現状に凛賀はもどかしさを覚えながらも、うつ伏せで息を潜めることしかできない。
「……愚者王の差し金か?」
聖者がそう呟いた。それに答える気はないのだろう、無法者たちの咆哮と、たくさんの駆け出す音がした。
凛賀はぎゅっと目を瞑った。何が起きても耐えられるように。
(姉貴……!)
神のような存在に祈るようなものだ。凛賀にとって、凛奈は神よりも大切な者だった。
——音がした。連続して、しかしひとつずつ丁寧に、どさりどさりと。一連の音が止んだ後、やってきたのは強烈な血の匂い。
「……は?」
うつ伏せのままの凛賀には、何が起こったのか分からなかった。ただ、命が消える気配を感じて、動くこともできずにいた。
静寂。聖者が声を出さなければ、凛賀はずっと固まっていただろう。
「……由逢か」
はっとした凛賀は、目を開き、ゆっくり立ち上がった。と同時に、周囲に転がった十の無法者の姿が凛賀の目に入った。凛賀は目を見開いた。
「だ、誰!? あの傷、聖者じゃない」
「……落ち着け、嵩陽。仲間だ、由逢だ」
仲間だと言われても、どこにもいないのだ。周囲のどこを見ても、仲間らしい者の姿がないのだ。
凛賀の動揺も仕方のないことである。
「どこに!」
「近くにはいると思うが……」
「いると思うがってなんだよ!?」
「……特殊能力だ。愚者王が聞いている以上、詳しくは言えない」
そう言って、聖者はちらりと視線を動かした。少し距離はあるが、愚者王が振り返ってみているのだ。凛賀は息を呑んだ。
「そ、そう言えばそうか……」
「とりあえず、嵩陽。由逢と合流して、そっちで行動しろ。あの巨人とは戦えないだろう?」
「ご、合流、って言ったって、どう、やって」
凛賀はキョロキョロしたが、それらしい姿はない。
(聖者の仲間、らしいが……外見も何も分からないんだ、どうしようも……)
「……仕方ない。嵩陽、ここで待機だ。由逢なら、接触してくるだろう。たぶん由逢なら、聖者の仲間と言っておけばどうにかなるはずだ。実際、守ったところを見ている……はずだし」
「あ、曖昧、だな。大丈夫、たぶん」
「そうか。がんばれ」
それだけ言って、聖者は駆けていった。愚者王との間に距離が開いていたのだ、聖者の対応も当たり前だろう。
もの寂しさを感じながらも、凛賀はその場で座ったまま、何者かの気配を待ち続けた。
* * *
「何者?」
「うわあっ!?」
急な声に驚き、凛賀は飛び上がった。恐る恐る振り向くと、そこには一人の少女がいた。
ただし、普通の少女ではない。体の半分を赤く染めて、冷たい視線を凛賀に向けている。
「驚いた。真、何者?」
「真? どういうことだ?」
少女が目を細めた。
冷たい汗が背中を伝い、凛賀は目をキョロキョロさせた。
「なにもの?」
「え、あ、ああ。俺は、嵩陽。そう、嵩陽だ」
(聖者云々の話は、言ってもいいのか?)
凛賀は迷っていた。目の前の少女が、聖者の言う「由逢」なのかどうか、確信を持てなかったのだ。
「嵩陽……? 何処かで」
「! 聞いたことが、あるのか?」
(姉貴を知っているなら、聖者の仲間かもしれない。何故か、姉貴は聖者たちと一緒にいたみたいだから……)
凛賀はそう考え、少女が縦に首を振ることを期待した。
「……わからない。真、聖者の、なに?」
(わからない? いや、聖者も忘れて……だめだ、信じられるのか?
凛賀の目にうつる少女は、嘘をついているようには見えない。演技ができるようには見えない。
だが、人であることは確かなのだ。
聖者の仲間で、本当に嵩陽という名を聞いたことがあったが、聖者と同じように忘れてしまったのか。
それとも、聖者の敵で、演技しているのか。
考えても仕方がないと諦める前に、凛賀は気付き、馬鹿馬鹿しいと笑った。
(いや、よく考えたら、聖者にとって俺はそこまで重要じゃないだろ)
もしも少女が聖者の敵で、そして凛賀を人質に取ろうとしているのなら、見当違いも甚だしい。
……すぐに悪い方向に考えてしまうのは、凛賀の悪い癖だろう。
ともあれ、目の前の少女が敵でも味方でもどちらでもいいのだ。凛賀はただ、誰かを殺すため、そして凛奈を思い出させるために危険な場所へ来たのだから。
「ああ、俺は、聖者の仲間だ」
なんと返されるか。凛賀は身構える。
「……そう。偽、由逢。真、何者?」
ポカン。そんな音が鳴ったかのような錯覚に陥った凛賀は、腕をパタパタさせた。
「何者って、なんて答えれば」
「目標は?」
凛賀は首を傾げ……手をたたいた。
(そういうことか、何をしに来たのかを聞いているのか)
不思議な子だな、そう思いながら凛賀は口を開く。
「そういう、ことか。俺は……」
人を殺しに来た、素直にそう言うべきだろうか。
凛賀の目の前にいる少女、由逢は、異常者というべきだろう。体の半分、右側を真っ赤に染め、右頬には舐め取ったような跡もある。だが、異常者だからこそ、「人を殺しに来た」に驚かないのではないか。
しかし、そうであってほしくない。そう思ってしまう凛賀もいる。凛賀の目にうつる由逢は、はっきり言っていたいけな少女だからだ。
どちらも、決めつけでしかないのだが。
(そんなん言ったら、姉貴はどうなんだって話だろ。なあ、俺)
とても同い年には、双子には見えない凛奈を思い浮かべながら、凛賀は自答する。
湧き上がる謎の罪悪感を源流から絶つような真似もできず、凛賀は仕方がないとため息をついた。
「俺、怪我しているだろ?」
能力で治す。だから犠牲で……人を殺す。その手伝いをしてほしい。
凛賀はそう続けるつもりだった。それで、丸く進むと思っていた。
凛賀が未だに決めつけてしまっていたのは……見た目が人間だからといって、中身まで凛賀の知る『人間』とは限らない、ということだ。
「? 辛い? わかった、一撃、誓う」
何かが煌めいた。凛賀には、それしか分からなかった。理解する間もなく、凛賀は……。
気付いたときには、凛賀のこめかみに鋭い刃が押し付けられていた。
「っ」
声も上げられず、尻もちをつく凛賀。震え始めた体が、怯えた目が、凛賀の自由を奪ってしまう。次に由逢が動いたとき、命が潰えるのだと分かってしまった。
そのまま十秒、二十秒……由逢が動く気配はなく、凛賀の体は次第に落ち着きを取り戻していく。
否、目の前の死を受け入れていく。
「……ん」
無表情から一転、困ったような顔をして、由逢は音を発した。
何を言い出すのか。なにを、いいだすのか。
「……話、聞く。名、言ってた」
「は?」
何の話だ、と凛賀は混乱した。混乱が諦めを薄め、恐怖を呼び戻した。
「短絡的、ダメ。偽、知ってる」
心の奥底を覗き込むように、凛賀の瞳を、由逢が覗き込む。幼気な少女は、その身に似合わぬ狩人の目をしていた。
由逢の静かで冷たい声が、凛賀の皮膚に突き刺さる。体の動きを食い止めて、喰い破っていく。
「ん。早く、弁明を」
「べ、べべ、弁明?」
状況の急降下、急上昇、その繰り返しに凛賀はついていけない。本当の意味で理解不能の、人が即席の悪者になるような恐怖が、凛賀の思考を再展開させる、回転数を上げていく。
水中から浮かび上がる感覚が、凛賀の意識に浸透した。
「……ない?」
「姉貴を、助けるんだ」
「ん?」
(できる限り、怒らせないように。天秤を傾けないように……いや、さっき助けてもらった分だけ)
ここにきて初めて、凛賀は由逢との間の天秤の傾きを知った。数時間前まで規格外の愚者王と対峙していたのだ、感覚が麻痺していたのだろう。そう、脇道で道草を食うことができる程度には、凛賀は冷静さを取り戻していた。
「俺の能力で、姉貴を助ける。そのために、人を殺さなければならない。だから、手伝ってほしい」
「……怪我は?」
まだ足りない。
「俺の特殊能力で、治せる」
だから、俺に力を貸してくれ。
目の前、わずか数センチ先の由逢の瞳が、時計回りにきらめいた。少なくとも、凛賀はそう感じた。
「……そう。わかった、ついてきて」
「あ、ああ」
(良かった、何とか協力にこぎつけた)
凛賀は胸をなでおろし、目の痛みを思い出して瞬きをした。
先ほどの冷たい気配はどこへやら、由逢は体を翻し、すたすたと歩き始めた……そして、瞬時に姿を消した。
「……は、え?」
(え? 一緒に進むって流れじゃないのか? だめだ、全く分からない、なんなんだ、あの子は!)
呆気にとられた。予想外の連続と、ことごとく裏切られる期待、通り過ぎていった死の恐怖。怒りが湧くには十分だった。拳に力がこもっていく。やり場のない怒りが、眉の間に表れていく。
(はあ、感情がぐちゃぐちゃだ。姉貴のために、必要なんだろ?)
そう考えて抑え込もうとしても、無理なものは無理なのだ。いくら凛奈優先の凛賀とは言え……。
ベシッ!
音とともに、凛賀は倒れ込んだ。
「っち、また消え始めてるぞ、俺! しっかりしろ、しっかりしろよ! わすれるな!」
燃え上がるような右頬を押えて、凛賀は叫ぶ。
記憶はどんどん消えていく。それがどれだけ大切なものだとしても、いつかは名称のない宝物になってしまう。
息を荒げ、凛賀は立ち上がった。
「たぶん、遠くにはいない。姿を消せるんだ、きっと」
報連相が一切成っていないが、凛賀は頼む側だ。客ではない、無理を言って押し入った存在なのだ。
(仕方がないことだと、頭ではわかっているんだけど、な)
凛賀は歩き始めた。誰かが襲ってくることを期待して。……空から見下す存在には、気付けなかった。




