第二十二話 無意識の自殺
「あ、気付いていたのか。流石聖者、侮れないね」
いたずらっぽい笑顔を浮かべ、愚者王が頷いた。対するのは、仮面をつけたままの聖者。
暗に気付くのが遅いと言っているのだろう。凛賀は眉をひそめた。
「死ぬこと……? お前が死ねば、姉貴は元に戻るのか?」
言い切った途端に、凛賀の喉を襲った熱。焼けつくような熱に、凛賀は喉をおさえた。
「おっと、気を付けてね。わかってると思うけど、質問は許してないからね」
「う、ああ」
「まあ、答えようかな。折角の会話だものね」
愚者王が醸し出す雰囲気が一段険しくなった。
「君の言う通りさ。私が消えれば、君の姉は、私が外したすべての人は、帰ってくるだろう」
「そう、か」
姉貴の仇が目の前にいる。そして、どうにかして殺せば、姉貴が帰ってくる。最愛の人が帰ってくる。消えてしまいそうな大切な者が帰ってくる。
帰ってくる。そう、帰ってくるんだ。
大切な、凛賀の全てが。
(姉貴。姉貴は、望まないかもしれないけれど。ごめん、俺は、どうしても)
人が人でなくなるには、十分な動機だった。
殺意を向けた分だけ、体は重くなっていく。そして、頭の中が白くなっていく。
「……動くな、嵩陽。今はまだ、殺せない」
「はあ? なんでとめるんだ! こいつが、こいつを!」
ぐちゃりと、左手が音を立てる。凛賀の体が熱くなっていく、全身が燃え上がりそうなほどに。呼吸も、鼓動も、異常値に驚いている。
肩に置かれた聖者の手を右手で払いのけ、凛賀は舌を噛む。
「……止まれ。いや、止めろ、嵩陽。君は今、何をやっている?」
「はあ? 何をって……」
ようやく、凛賀は気付いた。左手が液体に触れていることに。恐る恐る、視線を下ろす。
——人が人でなくなるには、十分だったのだ。
凛賀は目を見開いた。驚きと、恐怖。震える体、そこから発せられた、気の抜けた声。
「……はぁ?」
無意識に胸元を引っ搔いていた。
指先がなにか固いものに触れている。
血に塗れたその奥に、白っぽいものが覗いていた。
熱を送るそれは、凛賀を。
「……は、ぁあ?」
背筋が凍る感覚。腕が震えている。
恐る恐る、といった感じで、凛賀は左手を目の前へ持って行った。爪が割れて、指先がつぶれて、あらぬ方向へ曲った指は、血の嫌なにおいを発している。
(ありえない)
遅れてやってきた強烈な痛みが、脳を刺激する。
(そ……そうか、天秤……ごめん姉貴、俺、浅はかだった……)
呼吸しようと暴れる膜が、息を押しつぶして痙攣している。
血を送ろうとする心のありかが、寒気を訴えている。
そして迫りくる、静かな死の足音。
倒れることはなかった。いや、倒れることさえもできないほどに、天秤に縛られていた。
仮面の内側で、聖者が口を開いた。
「……愚者王、はなれ」
「あはは、これ以上は譲歩しないよ」
低い声。
「だめか。そこの、青い服の君。手伝ってくれないか?」
「え、ええっと、えええっっとおお、ぼ、僕のこと……?」
「そうだ。嵩陽が危険な状態だからな。この怪物から少しでも離してやる必要がある」
「そ、そう、そうですか、えっと、わかりました……」
おどおどしながら凛賀を支えたのは、古枝だ。
ゆっくり、古枝の肩をかりて、凛賀は愚者王から離れていく。もともと、片足を負傷しており、歩ける状態じゃないのだ。その足取りはどこかおぼつかなく、そして鈍かった。
それでも、それだけ鈍くなっていても。愚者王から離れていく凛賀の目は、真っ赤に充血していた。果たしてこれは、痛みのせいだけだろうか。
十数歩進み、凛賀の腕は震えをやめた。凛賀を破滅させようとする分だけ、だが。
「あり、がとう、古枝」
顔を顰めて、痛みに耐えて、それでも凛賀は感謝を述べる。
「大丈夫? ええっと、病気の類は、えっと」
「だ、大丈夫だ、最近、特殊能力を使ったばかり、ってぇ」
「そっか、じゃあ、止血しないと……痛いよ!」
鼓舞するように叫び声をあげ、古枝は勢いよく手を突き出した。その手には、布。薄汚れた布だ。そこら辺に落ちていた、なんの変哲もない布だ。
「うあっ」
痛みに耐えかね、凛賀はうめき声をあげた。
そのまま数分。
ずっと、聖者と愚者王の、一方的な討論が、避難所内に響き続ける中。
「ええっと、止まった、かな?」
布を取り換え、埋め込み……ようやく、凛賀の流血がおさまった。完全に止まったわけではなく、まだ滲んでいるのだが。
それでも確かに、血の勢いは明らかに弱くなっていた。
「あ、ああ、大丈夫そう、だ。あとは、俺がおさえる、よ」
壊れた体を布でそれっぽく戻した凛賀は、胸を押さえ、今度は血を吸った布に視線を移した。
「なあ、その布……それ、左足に、巻いてくれない、か? ちょっとは、歩けるようにしないと」
「え、あ、うん、わかった」
べちゃ、とまだ温かい液体が足を包み込んでいく。一通りの処置が終わったことを確認し、凛賀はゆっくり立ち上がった。
歩き方を確かめながら、聖者の元へ歩みを進めていく。当然、胸を貫かんばかりの痛みが襲っているが……この程度、姉貴を失うよりは痛くないだろと、凛賀は心の中で言い聞かせる。
そして、凛賀は口を開いた。
「な、なあ、聖者、さん。外に出るんだろ? ついていっても、いいか?」
凛賀と古枝が止血に勤しんでいた間、聖者と愚者王は話し合っていた。痛みに耐えきれず、凛賀は会話の最初の方を聞き取れていなかったが、結論だけは知っていた。
凛賀の言葉を受け取った聖者は、仮面越しでもわかるように、目を細めた。
「どうして外に行くのか、分かっているのか?」
「いや、知らない。俺には、結論しか、聞こえなかったから」
「そうか」
はあ、と聖者がため息をついた。
「なぜ、ついて来ようとしている?」
聖者は今、不満な表情をしているのだろう、と凛賀は感じ取った。
だが、それでも、凛賀は引けない。なぜなら。
「この怪我を治す。それと、姉貴をもう一度、呼び戻す。俺の特殊能力なら、できるかもしれない」
そしてその犠牲を知っている者は、凛奈がいない今、凛賀と聖者だけだ。
聖者が目を見開いた。
「……そうか。だが、足手まといだ。移動でも、戦いにおいても」
「それでも! いててて」
「……何をしに行くのか、聞いていなかったのか。それでも、遊びに行くわけじゃないことは、わからないか?」
凛賀はうつむいた。事情を分かっていない以上、凛賀の望みは我儘以外何でもない。
「愚者王が、あの巨人愚者と接触したいらしい。うまくいけば、これ以上の破壊を止めることができるからだ。だが、愚者王が何か命じて、巨人愚者を逃がす可能性もある。愚者だからな」
凛賀は眉をひそめた。
「だから、愚者王の監視と、巨人愚者の捕縛。そのために、外に出る。幸い、戦闘が始まって、投石が減ったらしいからな。多少は安全だ」
「そ、そうか」
「もー、聖者、監視なんて言わないでほしいな。まるで私が悪役じゃないか」
「悪役だろう?」
「知識の伝道師が、悪役に見えるのかい?」
また始まった会話を他所に、歯を食いしばり、凛賀は思考を展開する。
(巨人愚者とは、戦えない。もともと戦える特殊能力じゃないし、何よりこの怪我だ、満足に動けない。でも、俺は……誰かを殺さないといけない。でも)
凛賀は振り返った。凛奈が息をひそめている。
(避難中の人を殺したりしたら、姉貴が許さないだろう。何とかして、早く)
こうしている間にも、刻一刻と、死が凛賀を蝕んでいる。
「……仕方ない。嵩陽、今、仲間の一人が外でパトロールをしている。戦力が巨人愚者に集中し、かつ外が安全になりつつあるから、悪さをする奴らが蔓延っているらしい」
「……そう、か。それなら」
(悪さをする奴らを、一人でいい。どうにかできれば)
「ああ。仲間と合流して、どうにかしろ。そこまでは、連れて行ってやる」
「あ、ああ、ありがとう。姉貴は……」
凛賀はまた振り返った。いまだ、足取りはふらついている。が、弾んでもいる。
「なあ、古枝さん。その像、姉貴を、守っておいてくれないか」
「ええっと、いい、けど……無理して外に出なくても……」
「俺の特殊能力で、怪我を治す、みたいなことができるんだ。だから……」
古枝は戸惑ったような表情をした。
「そ、それなら、犠牲を誰かにとってきてもらって」
「俺がやらないと、いけないんだ」
凛賀の、擦れた熱量に押され、古枝は頷いた。凛賀は頬を緩ませた。
「たのんだ」
「ええっと、わかったよ」
愚者王が階段を上っていく。それについていくように、聖者も上っていく。
凛賀は小さく手を振って、階段を上り始めた。一段一段、着実に。




