第十八話 なんのために、誰のために?
巨大な音に追従した、人が立っていられないほどの振動が凛賀を襲った。天井に手をかけたままの凛賀は、必死で両腕に力を込める。振動に飲まれれば最下層まで真っ逆さま、凛賀の額から汗が吹き出した。
「なあああ、ななななんだよこれえええええ!」
返事はなかった。いや、誰にも聞こえなかったのだろう。振動と共に大きな音が鳴り続けているのだから。そして断続的に、巨大な音が凛賀を襲う。何かが崩れるような、何か硬い物が破られるような、そんな巨大な音が。
「ぐぬぬぬぬぬぬ!」
凛賀の右耳を高音が襲った。
耳が壊れたのだと、気づく余裕もなかった。
凛賀はただ、必死で天井にしがみつく。何かを考えられる最低限の余裕もなく、肺を押しつぶす音と骨を砕く振動に耐え続ける。
しかし。
「あっ」
必死でしがみついていたのは凛賀だけではなかったのだ。
凛賀が手をかけていた天井が、端から消滅し始めた。泡になって、空気に溶けていく。そのような消滅を、凛賀は何度か見たことがあった。
それは、建築物や家電等——改造生物が死んだ時の反応だった。
「くそがああ、どんな技術だよ!」
凛賀が生まれる前から、安価な建築物は全て一つの改造生物で建てられている。効率的でローコストだからだ。
勿論例外もある。特に巨大建築は、消滅してしまうと困るため、いまだに木や石でできている。
凛賀はこれまで、少なくとも床や天井は石でできていると思っていた。地下研究所などと言う巨大施設であり、さらにところどころ崩れた部分からは血も肉も見えなかったからだ。
(ああ、もう!)
掴んでいた天井が消え、凛賀は音の中に落ちていく。どこかに掴まろう、と凛賀が腕を伸ばすと、まるでそれを嘲笑うかのように、凛賀の目の前で建物の端が消えていく。揺れる空気が、凛賀の腕を痺れさせる。
(ここで死ぬのか!? いや、いやだ! 姉貴、姉貴!)
凛賀の喉を掻きむしるように、言葉が走り出した。それは、理性の障壁を破った、凛賀の本能の声。
嵩陽凛賀は、まだ狂っていない。
「だ、だれか! 助けてくれ!」
そして。運命の歯車と揶揄される代物は、いつの時代も狂っている。
「うん、わかったよ」
体を潰すような風圧が消えた。巨大な音も、小さくなった。凛賀に届くのはただ一つ、鮮明な声だった。
「嵩陽凛賀、たすけてあげるよ。すこし傲慢に、だいぶ高慢なままで、ねえ!」
凛賀が目を開くと、景色の流れが止まっていた。そして目の前には、逆さまになった少年がいた。
「え、えーと。そのー、え?」
状況が飲み込めない凛賀は、辺りを見渡そうとした。しかし、体は動かなかった。
「ちょっとまってね、まずは地上にいくからさ」
少年がそういうと、凛賀の体が落下を始めた……否、上昇を始めた。
(あ、俺が逆さまになってるのか。いやでも、重力も感じねーよ?)
されるがままに、凛賀は上昇していく。それも相当な速度で。道のない道中で、少年が逃げ遅れた人を助けている様子を見て、凛賀はただ単純に感嘆した。一人、また一人、凛賀と共に上へ上がる人間が増えていく。
下から上へ流れていく景色をぼうっと眺めた末、凛賀は仮面の人間を見つけた。仮面の人間も例に漏れず少年に助けられていた……が、その時の会話を、凛賀は聞き逃さなかった。
「聖者ー、大丈夫? 助けようか?」
(は? 聖者……? いや、流石にそれは……)
聖者とは、人が生まれながらに知っている御伽話、そして現実に一人存在する生まれながらの英雄である。……そんな常識を再確認して、凛賀は首を振った。
(いやいや、そんなわけない。そんな確率……)
首を振りながら、凛賀は聞き耳を立てる。聖者かどうかの真偽がどうであれ、凛奈と、最愛の姉と接点があることは確かなのだ。何気ない会話からこそ本心が知れると、凛賀は知っていた。
「……助けてくれ」
「ええー? 振動で聞こえないなー、あはははは!」
(は? なんか、前と違うぞ……?)
凛賀は違和感を感じた。仲間内での行動とはいえ、この非常事態にふざけていられるものなのかと。
「……黎真、能力の使いすぎだ」
「あっはははは、仕方ないじゃん! 全員助ける、それができるから!」
「能力狂いの後遺症が残るぞ?」
「あっはははは、うーん、それは困るかなあ!」
(能力狂い? そういえば、そんなのあったな。そうか、あれが……待て、鵜呑みにするな、俺)
能力狂い。それは、特殊能力の使い過ぎによる精神汚染。凛賀は、うわさ程度にしか聞いたことがなかった。
(これだけの能力なら、あり得るのか……?)
それぞれの階層から、通路から、瓦礫の下から、人がどんどん助け出されていく。相当な広範囲だ、これならば能力狂いでもおかしくないだろう。そう、凛賀は結論づけた。
* * *
たまに強い振動を感じながら、凛賀はぐんぐん上昇する。そしてついに、大穴の外へ辿り着いた。そこはまだ、何らかの建物の中だった。
「おおっと、危ねーな」
逆さまのまま、凛賀を掴む何かが消え、凛賀は空中で放り出されたのだ。間一髪で体を翻し、受け身をとった凛賀は、強打した手を振りながら立ち上がろうとした。
「ここはどこ……ってうわああ!」
凛賀は気づいた。気を抜けばバランスを崩すほどの振動が、地上を支配しているのだ。
「そりゃ、そうか!」
ここはどこか、などを考える余裕もなく、凛賀はゆっくり歩き出した。少し遠くに見える、出口であろう扉を目指して。
扉の外は、まだ建物の内側。真っ直ぐ伸びる廊下を、壁に手をつけて凛賀は進む。転んだ肉片を踏みつけて、一歩ずつすすむ。
バランスを崩して転びそうになった時、廊下の奥から、凛賀は声を聞いた。
「おいテメーらぁ!? こっちだ、これに掴まれぇ!」
声と同時に投げ込まれるロープに、凛賀は反射的に飛びついた。内臓を揺らされながら、確かな存在にしがみつく。
「ひっぱれ、筋肉自慢どもぉ!」
「「「おう!」」」
地面が崩壊していく。崩壊に合わせて、ロープが引っ張られていく。凛賀はただ、目を瞑って引きづられる。
凛賀がようやく日光に気づいた時、振動がピタリと止んだ。
「……は、はは」
ふらついた足取りで、凛賀は立ち上がった。
周囲には液体を噴き出す建物群。手のひらを削り取り、血を飲み込んだロープ。手を、体を襲う激痛。
背後の地面が陥没し、煙を発して何かが消えていく。
しかし。そんな近くの悲惨よりも、目を引く何かが蠢いていた、
「なんなんだ、なんなんだよ、あれは……」
それは、人だった。ただし、この破壊と振動、その全ての元凶だと一目でわかる、そんな怪物だった。
「現実、だよな?」
巨大な人間の上半身、を立体的に模した硬い糸のような存在が、凛賀の視界の中で蠢いていた。
「は、はははは」
巨人が腕を振り下ろした。数本の糸でできたような、スカスカの腕だ。それだけで、凛賀の向こう、ずっと向こうの少し高い建物群が、スライスされて崩れ落ちる。それだけで、風を切る音が地面を震わせる。
「逃げないと、どこか、遠くへ……」
凛賀は振り返り、走り出そうとした。
足が動かない。カタカタと震えた足が、動こうとしない。
「動け、動けよ、俺、動け、って」
凛賀の背後で、風を切る音がした。悲鳴が沸き起こった。……体はうごかない。動こうとしない。
足音がする。地面が割れる。凛賀は立ち尽くしたまま、動けない。
まるで世界から、意識だけが隔離されたのかのように。
(……どうして、俺はこんなところにいるんだ?)
凛賀を動かす原動力は、なんだったのか。凛賀にはわからない。
ぐるぐると巡る頭痛が、凛賀に警告している。忘れているぞと、大部分を占める何かが凛賀を揺さぶっている。
心の中にぽっかり空いた輪郭だけが、何か大切なものの存在を示していた。
凛賀の頬を石が掠った。鋭い痛みに思わず頬を押さえて、凛賀は目をぐるぐるさせる。
(どうして俺は、なんのためにここに?)
凛賀にはわからない。
意識を呼び戻すように、凛賀は気づいた。たくさんの人が走っていることに。
誰もいなかった視界に人が溢れて、その分、悲鳴が鮮明になった。
嵩陽凛賀は、まだ、狂っていない。
凛賀は腕を掴む手を緩めた。
「みんな逃げてる、みんな避難してるんだ。まずは……」
狂っているのは、嵩陽凛賀ではないのだ。
「避難するのが最優先だ」
凛賀は、地面に縫い付けられたかのように重たい足を持ち上げて、少しずつ進み始めた。




