第十九話 忘れちゃったの?
足を引きずり、凛賀は進んだ、進み続けた。響き渡る咆哮と爆音を聞きながら、死の気配を幾度も感じながら、凛賀は進んだ。あまりに必死だった。だから、凛賀は聞き逃してしまった。
肩に手を置かれて、凛賀は振り返った。凛賀の目の前に、白衣の女性が立っていた。
「おぃ、おいテメー、り……凛奈? 返事しろ、ったく」
聞き逃してしまった?
「……は? 誰の話だ?」
「『は?』じゃねーよ、り……? っち、……いや違うなぁ、別人だ、凛賀か」
白衣の女性は頭を抱えた。まるで何かを探るように、目をぐるぐるさせる様子を見て、凛賀はぞっとした。
「名前……ああ、そうか、あの仮面の人の仲間……」
「仮面? あぁ、アイツか」
凛賀は手をたたいた。確かに、名前を知っていても納得だ。
(本当にそうか?)
凛賀の中のシルエットが、へらへらと笑っている。
「……お前ら、どうして、どうやって、俺の名前を知った!?」
「はぁ? そりゃぁ……だめだ、おもいだせねぇ?」
「はあ? ふざけるな!」
(赤の他人の名前だぞ? なんなんだ、こいつは、いや、こいつらは!)
「話は後だ、生きてたらなぁ! 避難が先だテメー! 足ひきずってんじゃねーか、ほら、乗れ?」
そういうと、白衣の女性は椅子を指差した。
「はあ? ……っち、わかった」
(その時まで生きてる保証はないが……確かに、避難が先だ)
簡単に、しかしできる限り確認して、凛賀は椅子に座った。それと同時に、椅子が動き出した。
「小型車?」
「そぃつに任せときゃ一時避難所まで行ける。テメー、死ぬなよ?」
「……後で問い詰める」
凛賀は舌打ちをした。しかし、暴れ回ることはしない。
小型車の見た目はただの椅子で、動きもそこまで速くない。だが、歩ける状態ではない今の凛賀にとっては、これ以上ないほど有難いものだった。
(避難に使ってる……ってことは、まあまあな台数あるんだよ、な? 地下施設といい……なんなんだよ、ここは)
椅子は、でこぼこの道を進み続ける。もともとは舗装されていたであろう、文明の香りを放つ道を。
破損したタイルが光を発し、そして消えていく。ところどころ炎や煙が昇り、空を赤く覆い隠している。
風を切って飛ぶ岩が音を立てて、またひとつ、上空で花が咲いた。
煙の隙間から、月が弱々しく光っている。
凛賀は気付いた。今は夜なのだと。
(……落ち着け、俺)
震える腕を抑えて、凛賀は空を舞う粉塵をながめた。凛賀には、ちりばめられた光の粒が、少しだけ輝いて見えた。
* * *
(あ、あれか。避難所って)
数十分経ち、暴れまわる巨人も小さくなったころ。畑道を進む凛賀は、ひとつの建物に近づいていた。
「おーい! だ、大丈夫か!」
建物から出てきた人影が、凛賀のほうに手を振っている。
人がいる、助かるんだと、凛賀は頬を緩めた。
「あ、ああ」
「そう、えーと、その。水、のめる?」
蓋の開いたボトルを受け取って、凛賀はそれを口元に運んだ。水が喉を潤し、染み込んでいく。目の前をちらついていた粉塵が、半分だけ消え去った。
「あ、ありがとう……ええっと、ここが避難所、か?」
「そ、そう、そうだよ、ええっと、肩、かそうか……?」
「ありがとう」
親切な人の肩をかり、凛賀はゆっくりと、避難所へ入っていった。階段を降り、地下へ向かっていく。
避難所の中にはたくさんの人。そして、何かを議論する学者のような者たち。
そこは、外よりもさらに騒がしかった。
「ええっと、端っこに、いこうか」
「あ、ああ、わかった」
薄暗い室内、凛賀たちはその端で座り込んだ。
「ありがとう、ここまで」
「あ、あはは、いいよ、その、僕も、丁度、ええっと、話し相手が欲しかったし」
「そ、そうか」
凛賀は頬を掻いて、親切な人と向き合った。
(天秤がちょっと傾いてる……悪い気は、しないけど)
話し相手になろうと、凛賀は話題を探した。
凛賀は右手で自身の目を指さして、首を傾げた。
「なんか、珍しい目をしてるね」
言ってしまって、凛賀は後悔した。親切な人の瞳が揺れた、そう感じ取ってしまったのだ。
(あ、まずかったか)
「……あ、これ? ええっとね、今、貸してるんだ。僕の代わりに、戦ってくれててね」
(やっぱり、まずかった?)
「代わりに?」
「その、ええっと、大親友とこの街にきてて。緊急事態だから、今、あの巨人に対峙してて……」
親切な人が髪を揺らす。
凛賀は頭を押さえて、何も言えなかった。
呼吸がはやくなっていく。頭痛が定常波になって凛賀を苦しめ始めた。
「不安だけど、待つしかできないから、ね」
「そ、そうだな」
凛賀は目を伏せて、こぶしを握る。
凛賀の頭の中を、何かが駆け回っている。
凛賀は何となく、胸ポケットを探ろうとした。そこにポケットはなかった。
「あ、その、ごめんね、暗い話して。その、こんな状況で」
「そ、それは……俺は、俺には、なにも……」
記憶の中を、何かが走り回っている。
細い足で、骨の透けた体が、走り回っている。
「え、あの、大丈夫? その、えーっと」
数年、十数年。それよりも深く濃く長く。
ぼやけた景色が、目の奥を貫いている。
「俺にも、なにか……そうだ、俺の名前、しってる?」
「え、あ、名前? ええっと、ごめんね、知らないや……そ、そうだ、僕は古枝……」
凛賀は目を見開いた。
(誰かが、知らないうちに、赤の他人が、ほんとにそうか?)
「そ、そう。わかった、古枝さん、助けてくれてありがとう」
「その、ええっと、暗い話はやめとこっか……ええっと、どうしよう」
強烈な違和感が、凛賀に吐き気をもたらす。
強烈な吐き気と共に、違和感は消えてなくなっていく。
フェードアウトしようとする違和感に掴みかかって、凛賀はまた、動悸を知る。
『偽物の英雄』という単語が、凛賀の頭を横切った。
何度も聞いたことのあるその単語が、いろんな声で再生されたのだ。
それは、凛賀の母の声、村の誰かの声、そして……黎真と呼ばれた少年の声。
凛賀は頬をたたいた。視界がぶれるほどに勢いよく。
「ええ!? ど、どうしたの」
凛賀の意識が暗転する、なんてことはなかった。
「……だめだ、おもいだせない」
「お、落ち着いて、落ち着いて」
「何か、何かが足りない、何かが足りないんだ!」
凛賀は頭を掻きむしる。ドロリとした感触が凛賀の手のなかで熱を帯び、頭痛が強さを増していく。
「偽物になんて、しちゃだめなんだ。これは……大事なもののはずなんだ!」
『偽物の英雄』。それは……。
「絶対に、俺は何かを、何かを……忘れてるんだ!」
「ストップストップ、止まって、ほら」
優しい人に引っ張られて、凛賀は顔を上げた。どろどろと流れ落ちるように、視界をふさぐ黒い物がはがれていく。
不安そうな表情が目に入り、凛賀ははっとした。
「ご、ごめん……取り乱した」
「だ、大丈夫? そうだよね、こんな事があったんだもの」
「もう、大丈夫だ。ありがとう」
「あ、ああー、よかった」
凛賀はため息をついた。じくじくといたむ頭の横をおさえて、床に視線を落とした。
「あのさ、」
凛賀が話始めようとしたその時。
けたたましいサイレンが鳴り響いた。
「なんだ!?」
「しっ、静かに。前線からの情報提供だって、その、何回か鳴ってるんだ」
「そ、そうか」
サイレンが告げるのは、現実味もなにもないリアルと、雑音のようにはいる悲鳴。
『巨人、愚者確定! 約八十メートル、密度変化中、そのまま巨大化!』
想像もできないような数字が、淡々と、しかし感情がこもった状態で紡がれていく。
凛賀の頭が煙を吹いた。
『以上、エネルギー概算お願いします!』
研究者風の者たちが、一斉に何かを書き始めた。凛賀はただ、圧倒されることしかできなかった。
「す、すごいよね、あれ。この街だと、危機には計算で立ち向かう、みたい」
「そ、そういうことか……だめだ、さっぱりだ。知らない単語ばかりで……」
「そ、そうだね。仕方ないよ。あ、水いる?」
「いいのか?」
「さっきも、飲んだじゃん」
「ありがたく、いただきます」
意味のわからない議論の声と、ペンの走る音を聞きながら、凛賀は容器を受け取った。
容器に口をつけた時。凛賀の体が悲鳴を上げた。心の底から沸き起こる気持ちの悪さが、水とともに音を立ててあふれ出したのだ。
親切な人が動きを止めた。カサカサ鳴っていたペンの音も止まった。地面が揺れる轟音だけが、響き渡っていた。
(な……なん、だ? うごけ、ない)
凛賀には、既視感があった。行動阻害と、気持ちの悪さに。
「そうか、……天秤、か…」
轟音が小さくなって、凛賀は気づいた。一瞬扉が開いて、避難所に誰かが入ってきた、ということに。
(人だ、人なのは間違いない。天秤が傾いているのなら。でも、これは……)
普通の人ができることではない。しかし、特殊能力の気配もない。
凛賀の体から、汗が噴き出した。先ほど飲んだばかりの水までもが、凛賀の心と連動している。
姿を見せぬ怪物の足音が、ゆっくりと避難所の中へ近づいてくる。
そしてついに、揺らめく人影を凛賀の視界が捉えた。
その怪物は……尖った耳を持っていた。




