第十六話 火事の後始末
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体が膨れ上がっていく不思議な感覚の中、凛賀は必死で体を動かす。
目も耳も焼けてしまったのだろう。凛賀は、無音の闇の中で、ぐちゃぐちゃの肉の感触を確かめ、まだ車内だと確信した。
「姉貴、あとは脱出するだけだ!」
大丈夫、失明前に姉貴は助け出したから……そう考えた時、凛賀は違和感に気づいた。
「……あれ?」
凛奈の像の、つい先ほどまで抱えていたはずの感触がないのだ。
凛賀は、左腕の感覚もなくなったのだ、と結論づけようとした。しかし、少しずつ戻ってくる理性が、それを否定する。確かに、背中を押す蒸気の感覚がある。確かに、肉を触っている感触がある。
しかし、「熱さ」がなかった。燃え上がる車の、炎の中にいるはずなのに。
不意に、音が聞こえた。
不意に、光を感じた。
「ここは……?」
煙が晴れていく。体を覆っていた肉が、溶けて消えていく。
開けた視界の先は、たくさんの柱が立ち並ぶ薄暗い空間だった。凛賀の頭上から伸びる光と、天井や床から漏れる青緑色の光がやけに幻想的な、巨大地下空間。凛賀は頬をつねった。
(夢じゃない、よね? じゃあ、姉貴と入れ替わったんだ。……どうして? いや、でも、肉はあったもんね)
凛賀は辺りを見渡した。見覚えのあるニコニコ顔の少年と、座り込んで何かをぶつぶつ言い続けている細身の男が、凛賀を挟んでいる。奇妙な状況に追いつけないまま、凛賀は疑問を整理した。
(どうして、姉貴がここに……? それに、入れ替わったのは……)
凛賀の額に青筋が浮かび上がった。
(どっちだ? どっちが!)
入れ替わり解除、そのための、二つある方法。
一つは、入れ替わった場所で眠ること。安全で、痛みもなく、生贄も少なく済む正規ルート。
もう一つは……人を殺して、そして死ぬこと。危険で、苦しく辛く、生贄も大量に必要な裏ルート。
(どっちが、どっちかが! 姉貴に人殺しをさせた、姉貴を殺した!)
凛賀の目が血走っていく。相変わらず推理は短絡的だ、もはや推理とも呼べない。姉、凛奈のこととなると、すぐに暴走してしまう。
凛賀の耳を刺した、少年の声。凛賀は振り返り、心の底で牙を向いた。
「嵩陽凛賀! いまは、嵩陽凛賀なんだな!」
ニコニコ顔が張り付いた、見たことがある人物が、笑いながら凛賀の名前を呼んだ。その笑顔は、凛賀を恐怖させた。
(人が死んだはずだ、目の前で。どうして、そんな笑顔でいられる?)
「……は? どうして、名前を知っている?」
(そんなの、決まっているじゃないか)
誰だったかのはひとまずどうでもいい。凛賀が名前を教えていないはずの人間が、凛賀の名前を知っていることが問題なのだ。
知る手段はいくつかある……はずだった。名前を教えていた、村の一部の人間は全員像と化してしまった。ならば、名前を知る方法はただ一つ。
「それは、君のお姉さんが教えてくれて!」
(やっぱり、そうだ)
後ろで座り込んだままの細身の男は、未だぶつぶつ呟いている。なるほど、目の前で人が死んで、そして復活した事実に混乱しているのだろう、と凛賀は都合よく解釈し、目の前の少年の異常性を再確認した。
人は普通、生き返らない。生き返る能力、というのも今のところは伝説がいくつか残っているだけだ。
目の前で確かに殺された人が生き返った。そんな錯覚に陥ったら、普通は驚き、混乱し、放心するだろう。
しかし、入れ替わり能力を知っていたら。
(やっぱりこいつが……そうだ、あの時の)
「……あの時の。そうか、姉貴を唆したな?」
凛奈を唆したからと言って、凛奈を殺したとか、殺させたとかに直接繋がるわけではない。が、凛奈を唆した事自体が、凛賀にとっては重罪だった。
「ま、待って、勘違いだ! あ、危ない!」
少年が凛賀の後ろを指差してそう言った。
(笑わせるな。どう考えても、お前の方が危険じゃないか。武器を持って、さっきまでにこにこしてやがって)
凛賀は嘲笑気味に、少年を見た。
「危ない? 俺には、お前の方が危険に見える」
一歩ずつ、凛賀は少年に近づいていく。もしもその気になられれば、凛賀はすぐに殺されるだろう。それでも、やらなければならないのだ。
(後ろの奴が仲間かはわからない。けれど、姉貴を唆した少年なら、姉貴がどこにいるか知っているはずだ)
少年の胸ぐらを掴み、凛賀は低い声で言った。
「答えろ、姉貴はどこだ」
返ってきた答えは、凛賀の予想に反するものだった。
「……君のお姉さんなら、今僕たちが捜索しているところじゃないか」
「……は?」
(何を言っているんだ? その言い方じゃ、まるで……)
狂人とは、こういう人間なのか。凛賀は眉を顰めた。
もしも、少年が仲間なら。仲間が死んでニコニコ笑う、信用できない存在だ。
もしも、少年が敵なら。怯えたふりをして凛賀を騙そうとする、油断ならない嘘つきだ。
「僕は、君の仲間だよ」
少年は弱々しい声で凛賀を騙そうとする。しかし、情報の天秤は揺るがない。嘘ではないのか、それとも何の価値もないと判断されたのか。
「嘘つけ! 姉貴が死んで、それなのに笑っていたお前が、仲間? そんなわけないだろ!」
「嘘じゃないもん」
「はあ?」
凛賀は、少年が目元に涙を浮かべていることに気づいた。
「何泣いてるんだ、お前。早く、姉貴を返せって言ってるんだ!」
ふっと、風が吹いた……そんな気がした凛賀は、振り返った。
細身の男の姿が消えていた。
「嘘じゃない! ……わかったよ、目星がついてる場所は教える。第13層の、東区側。詳しい場所はわからない」
キーンと高い音が鳴り、凛賀の真横で淡い光が起きた。何が起こっているのか理解もできないまま、突如起こった風圧に負け、凛賀は地面を転がった。
「言ったでしょ、危ないって。そして、仲間だって」
「ヒィッヒャヒャッヒャヒャッヒャ! ほろびないなら、ほろびろ、もっとほろびろ研究者ども!」
先ほどまで放心していたはずの細身の男が、少年と刃を交わしている。そして彼の血走った目は、明らかに凛賀を捉えている。
「は? な、なにが」
目の前で行われる、殺し合い。
こんな世界だ、凛賀も人殺しをしたことはある。姉を守るために、襲撃者を撃退するために。しかし、凛賀がこれまでやってきた命の取り合いが遊びだったと思えてしまうほど、目の前の殺し合いは壮絶だった。
硬く鋭い石同士がぶつかり合い、甲高い音と共に一瞬だけ発光する。それが何度も、残像を残して繰り返され、薄暗い空間に小さな花が咲いていく。
耳障りな笑い声が、凛賀の頬に傷をつけた。
「あ?」
「嵩陽凛賀! 離れろ、危険だ!」
一瞬近づかれたのだと気づき、凛賀は全力で走り出した。疑わしい少年の言う通りにするのは癪だが、命を守るためには仕方がない。あの場にいても死ぬだけだと割り切って、凛賀は走っていく。
端も見えない巨大空間、ただし高さはそこまでない。息を切らした凛賀は立ち止まった。
「なんなんだ、なんなんだよ!」
たくさん走ったはずだった。実際に、光が上から照らす場所は、もうすでに米粒のように小さくなっている。それなのに、淡い光は眼前を通ったかと思うと遥か遠くで光る、を繰り返している。
「くそっ、どうすればいいんだ!?」
姉を取り戻す。そのためには、上へ向かわなければならない。しかし、凛賀には、上へ登る場所を見つけられない。
当たり前だ、上へと通じる道は、中央の光が差す場所しかないのだから。他にもあるかもしれないが、この広大な地下空間で別の出口を見つける前に殺されてしまうと、凛賀は直感でわかっていた。
不意に、声がした。
「嵩陽凛賀、声だけ送るよ、聞こえてる?」
少年の声。凛賀は一瞬黙り込み、しかし藁に縋るしかないと考え直した。
「聞こえてる、なんだよ」
「僕の能力の出力を上げる方法があって、それをすれば命の保証ができる。頼みたいんだ」
天秤が少し傾いた。
(今度は嘘じゃない、でも……いや、やるしかないか)
「わかった、何をすればいい!?」
「助けてって言って」
天秤が傾いた。不快感が全身を駆け抜けて、そしてすぐにおさまった。
(……呪いの類じゃないよな?)
どちらにせよ、やるしかない。拳を握りしめて、凛賀は息を吸った。
「助けてくれ!」
同時に、強い風が吹いた。何もない地下空間で、起こり得ないはずの現象だ。
「ヒャヒャヒャヒャヒャ、ヒャ?」
凛賀の体が浮かびあがった。抵抗もできず、風の流れに吹き飛ばされていく。
凛賀は、気がついたときには、無機質な道で転がっていた。
また、声がした。
「そこなら今のところ安全だよ、第二十層くらいかな。 でも、動かないで! 加速愚者が」
「なにはなしてるんだ滅びろおおおおおおおおヒャヒャヒャヒャハっハッハ!」
「加速愚者!?」
一瞬の不快感の後、凛賀は思わず、大声を上げた。加速愚者といえば、史上最悪と言われている愚者だ。
(いる、とかまで言ってくれたらよかったんだけど……いや、違うか。そこまで言われると、天秤が傾きすぎるのか)
凛賀は辺りを見渡した。沢山の扉がある、廊下だった。血が飛び散っており、恐ろしい殺し合いが起きたことを物語っている。文字から察するに巨大な地下研究所らしいと、凛賀は理解した。
(とりあえず、身を隠そう)
凛賀は箱を集めて、その隅に座り込んだ。
少年が味方なのかはまだわからない。まだ、姉を殺した犯人の可能性も十分にある。凛賀は、騙されているのかもしれない。
(でも、それならそれで、あの少年は俺をいつでも始末できるんだろうし……はあ、嫌だけど、ここにいる方がマシだな)
箱の山から頭だけ出して、凛奈がいるであろう第十三層の様子をこそこそと伺いながら、凛賀は待ち続けた。
* * *
凛賀は、誰かが近づいてくる気配を感じ、咄嗟に頭を隠した。
凛賀は、足音が通り過ぎていくのを息を潜めて待つ。足音は、すぐ近くで止まった。
「そこか?」
声と共に、凛賀の顔を隠していた箱が飛んでいった。
声を上げる間もなく、凛賀は気づいた。
箱と共に宙を舞う、見覚えのある姿。
仮面を被った人間の横で、凛奈の像がぷかぷかと浮いていた。
瞬間、凛賀は仮面の人間に掴み掛かった。




