第十五話 突撃! 真下の研究所!
「……準備できたな?」
バイオ中央研究棟。その名の通り、バイオの中央に位置する、巨大な建物。その前で、聖者たちは作戦の最終確認をしていた。
聖者たちの他に、或居とは違う研究者や、傭兵のような格好をした者たちがいる。
「ねえ、名さん。なんで、こんなにいっぱいいるの?」
「あ゙ぁ? バイオの聖者派の面々だとよ。或居さんが招集かけたらぁ? たくさん来てくれたらしいぜぇ?」
「ええ? じゃあ」
楽勝じゃないか。凛奈がそう言いかけた言葉を、名が遮った。
「あぁー、確かに戦力は多くなったがぁ、間違っても気ぃぬくなよ? テメーは最前線、そして敵にゃ愚者がいるかもしれねえ」
名が、凛奈の肩を強く握る。
「だがまずは、生き残ることを優先しろ、いいなぁ?」
「……うん、わかった」
凛奈は力強く、うなづいた。
「……よし、準備できたな。……行くぞ」
聖者の号令で、研究者たちが進んでいく。聖者はまだ、動かない。
「えーと、先に、いつも通りを装って……」
凛奈の頬を風が撫でた。
「そうそう。研究者諸君に道を開けてもらうのさ。あ、あと、由逢と名は先に入るんだって」
いつのまにか、凛奈の隣に黎真が立っていた。
「うわあああ! びっくりしたあ……」
「あははは、大丈夫? もし僕が敵だったら、死んでたよ?」
凛奈ははっとした。特殊能力に意識を集め、周囲を警戒する。凛奈が背負うリュックの中に、先ほどまでなかったはずの石ころが見つかった。
「うう……やられたー」
「まあまあ、気を付けてね。突撃がいつになるかわかんないけど……」
凛奈は頬を膨らませたままリュックを漁った。道具の隙間から、手のひらサイズの石ころが出てきた。
凛奈は、黎真を見る。そして、手の中の石ころを見る。また、黎真を見る。
さも当然のように、黎真の背中めがけて、石ころが飛んで行った。
「うーん、跳ね返して、いいよね?」
声と共に返ってきた石を避ける術を、凛奈は持っていなかった。
* * *
「……よし、行くぞ」
聖者が歩き出した。その後ろを、ぞろぞろと屈強な者たちがついていく。その様はさながら遠足のようで、凛奈は思わず頬を緩めた。
「ほら、気を抜かない。行くよ。危なくなったら、助けてっていうんだよ?」
「あ、うん、分かった」
一度深呼吸をして。額を抑えたまま、凛奈はゆっくりと歩き出した。
* * *
地下への侵入は、恐ろしいほどに簡単だった。
或居が「実験のために呼んだ」と説明するだけで、門番らしき者たちは戦力の塊を招き入れざるを得ないのだ。
凛奈は改めて、権力の恐ろしさを思い知った。
巨大なエレベーターに乗り込み、少しずつ下へ下がっていく。
一層下がるたびに、数人が降りていく。そして毎回、聖者が凛奈に問う。
「り……どうだ?」
「ここじゃないみたい」
或居ですら、像の場所はわからない。凛奈の能力だけが頼りだった。
エレベーターは下っていく。ゆっくり、ゆっくりと下っていく。階段を降りた方が早いのではないかと思えてしまうほどに、エレベーターは遅かった。
(うーん、一層数メートル……もうちょっと速くならないかな……?)
凛奈が不満に思っていると、一人の研究者が口を開いた。
「おかしい……流石におかしい……」
「……おい、どうした?」
「せ、聖者様、エレベーターの速度がおかしいです!」
「ほう?」
「ここまでは人数の問題だと思っていましたが……明らかに、遅いんです」
「……なに?」
ざわめきが広がっていく。研究者の震える声は、弱々しさとは裏腹に、確かに天秤を揺らした。
「本当、なんだな?」
「え、ええ!」
凛奈でもわかる程、聖者が焦っている。汗を吹き出して、動きもどこかぎこちない。
(どうしてそんなに焦ってるんだろう?)
「……黎真」
「わかった、ちょっと待って」
黎真が目を閉じた。エレベーター内の空気が揺らぎ、小さな風が起こった。風の音が止んだのちに聞こえたのは、その場にいないはずの声だった。
『黎真か? 要件は?』
「え、なにこれ、名さん?」
どこからともなく聞こえてくる音を聞き、凛奈は辺りを見渡した。どこにも姿はなかった。
「ああ、そうだよ。名、或居さんと話したいとさ」
『おやおや、どうしましたか』
「或居ばあさん、手短に話す。このエレベーターを、殺してもいいか?」
『……おやおや、恐ろしいことを……それが本当に必要なんですね?』
「ああ」
『……わかりました』
ぷつりと音が鳴って、話し声が聞こえなくなった。
「ね、ねえ、黎真、いまのって?」
「話は後、捕まって!」
差し出された手を握った時。
グチャ、という小さな音が鳴った。と同時に、エレベーターが消滅した。
「え、あ、きゃあああああ!」
浮遊感が駆け抜け、風圧に変わった。先程までとは比べ物にならない速度で落ちていく。風に飲まれ、背負っていたリュックが吹き飛ばされてしまうほどに。
叫び声を上げる凛奈と対称的に、凛奈が握った手は、全く震えていなかった。
「うるさいなあ、もう。耳元で叫ばないでよ」
「そ、そうは、言っても! あばばばばば」
「あははは、何言ってるかわかんないや」
「あばばばばば」
落ちていく恐怖。真っ暗で底も見えない、安全に向かうはずだった場所を視界に収めて、凛奈は身震いした。
恐怖の対象は、他にもあった。
(黎真、どうして話せるの!?)
「ねえねえ、嵩陽。多分、さっきのは加速愚者のせいなんだけどさ、人影、観える?」
「そ、それ、どこ、じゃあ!」
「ああ、そっか。風圧すごいもんね、どこか……あそこだな」
轟轟と鳴る力強い風の音の中に走った、小さな、そして鋭い音を凛奈は聞いた。そして、黎真もろとも、横に吹き飛んだ。
剥き出しの廊下に突っ込み、ごろごろと転がっていく。木箱の山にぶつかったところで、ようやく動きが止まった。
「いっててて……たす、かったぁ……」
軽い火傷跡以外の怪我がないことを確認し、凛奈は立ち上がった。
(あ、あれ? 怪我がないってことは、名さんに……?)
「嵩陽、どう? 像とか」
「え、あ、そっか」
凛奈は思考を中断し、周囲を確認する。隅々まで、何一つ見逃さないように。沢山の研究者と、実験器具、そしてなんだかよくわからない装置が、視覚情報として凛奈に流れ込む。
……像は見つからなかった。だが。
「黎真、なんか、場違いな感じの女の子たちが近づいてきてる」
黎真の顔色が変わった。
近づいてくる変わった姿の人影は、明らかに、壁の向こうの凛奈を見ている。凛奈はそう感じた。間の部屋の研究者を見ているのかもしれないが、その真偽は関係ない。
「んん? 何人?」
「えっと……十人くらい?」
「えーと、あ、いた……嵩陽!」
凛奈の探知、その中から、一人の少女が消えた。と同時に、凛奈は右から引っ張られた。
何かが、凛奈の真横を横切った。凛奈がそう認識した時には、颯然とした一陣の風が凛賀の髪を乱し、体ごと焦がそうとしていた。
……つい先程まで凛奈がいた場所を、轟音と閃光が貫いていた。
「へ?」
焦げた肉の匂いと、濃くなった火傷の跡。そして、飛び散り、蒸発を始めた血痕が、凛奈を一歩引かせた。
先程の少女の集団は……また、人数が減った。
「へ? じゃない、避けるよ!」
黎真に引かれるまま、凛奈は走る、走る、走る。走っていると言うよりは、勢いよく引きづられる。
背後、ギリギリのところを、風が、熱が、光が通り過ぎていった。背中の布の感覚が消えた。
じくじくと痛む背中に意識を向けないように、凛奈は足を動かす。しかし、黎真は速すぎた。
「あっ」
足がもつれて崩れた体勢めがけて、何かが飛んでくる。素材不足の走馬灯が、凛奈の足を止めようとする。
「ちぃ、嵩陽!」
凛奈ははっとした。走馬灯のセンスが足りなかったらしい。
「助けて!」
「ああ!」
手を引かれる。急な加速が、凛奈の視界を引き延ばす。そして、凛奈の意識を刈り取った。
* * *
「……え、ねえ、嵩陽?」
頬をペシペシと叩かれて、凛奈は目を覚ました。開き切らない瞼の外に、黎真と聖者を見つけた。
「あれ……? 私、どうなって……」
「ごめんね、僕の加速に耐えきれなかったみたい」
「え……あの、女の子たちは……?」
「黎真、聞かせてくれ」
凛奈はさっと体を起こし、じくじくと痛む背中を抑えた。鋭い痛みが全身を駆け抜け、思わず腕を振った。
「……黎真、聞かせてくれ」
「あ、うん。聖者は知ってるでしょ、加速愚者。やつの私兵」
「……やっぱりか」
「……ああ。あの動き方は、確実に」
鋭い痛みの余韻が治ってきたところで、凛奈は首を傾げた。
「加速愚者? あー! 史上最悪の愚者か!」
「シー、静かに。そう、あってるよ」
思いの外声が響き、凛奈は手をぱたぱたさせた。仮面の下から睨む瞳が、凛奈を白い目で見ている。
「あ、ご、ごめんなさい。えーっと、それで、愚者の私兵?」
「えーとね、人間のゴミは悪い意味で有名でさ。特殊能力の一部が判明しててね。その名の通りゴミ……加速する能力なんだよね。ここで問題! この瓦礫をとんでもない速さで投げるとどうなるでしょうか!」
黎真が瓦礫を掲げた。
「それは……大きな音が鳴る?」
「うーん、半分正解。みてて」
なめらかに、緩やかに。黎真が瓦礫を投げた。
瓦礫は目で追えない速さで飛んでいき……凛奈の特殊能力の範囲ギリギリで、少女の体を貫いた。
「え……え?」
「こんなふうに、殺戮兵器になる。加速愚者は、これを当たり前にできる」
「え、今、一人……え?」
凛奈には、まだ実感がなかった。余裕もなかった。
急襲の時は、腹を裂いた名が心配で。
先程は、訳のわからない破壊による、死の恐怖で。
やはり、数少ない例外を除いて、一見は百聞を遥かに凌駕する。
元々狂っていた凛奈の、それでも形を保ってきた平和を、一瞬で打ち砕くほどには。
「さっきの女の子も、加速する寸前だった……あれ? 聞いてる?」
「ええっと、うん、そうだよね、そうしないと危なかったんだもんね、そう、そうだよ」
「嵩陽?」
人は、自分でも気づかないうちに、綺麗な理由を探してしまうのかもしれない。
それならば、その綺麗さが壊された時、どうなるのか。
「……りん、……あー、名前はいいか。像を回収して、さっさと帰れ」
「え、あ……」
「ここは、……、理想を壊す場所じゃない。薄汚い野望を追いかける、そのための場所だ。さっさと帰れ」
「で、でも……」
涙が溢れた。凛奈には、理由を一つに絞れなかった。
「像の場所なら、もう検討がついている。東区地下、第十三層。青辛……? を捉えた後、加速愚者と交戦した」
「ええ、嘘!? そういうのは先に言ってよ、聖者。戦えたの?」
「……どっちかと言うと、逃げてきた」
「だろうね」
聖者は咳払いをした。
「早く行け。黎真、この子供を送り届けたら、加速愚者を仕留めるぞ」
「わかった。嵩陽、行こうか」
黎真が優しく、手を差し伸べる。
凛奈はその手を、弾いてしまった。
「いてて。……そうだよね、そっかあ。感覚が違うんだ」
(どうして、弾いちゃったんだろう)
もしもさっき、黎真が瓦礫を投げていなければ。凛奈はおそらく、ただでは済まなかっただろう。
それは凛奈もわかっている。
わかっていても、心のどこかに、反発しようとする何かがある。
ずっと、危険と隣り合わせだった。死の恐怖が、生まれてから常に付き纏っていた。
だから人一倍、誰かの死に敏感なつもりだった。
ずっと、守られて生きてきた。動けないから、誰かの助けを受けないとどうしようもなかった。
だから人一倍、周りの人を大切にしている……つもりだった。
生まれ育った環境は、時に人を地獄へ落とす。どんな環境も、たまに牙を向く気分家なのだ。
「……嵩陽、いくよ」
「う、うん」
足は動かない。
「嵩陽、死ぬよ?」
「わかってる」
考えがまとまらない。
「……凛奈。今すぐ、帰れ」
聖者の周りを、小さな破片が囲っている。
(殺されちゃうんだ、いま、ここで)
凛奈の中が、鋭く尖った諦めで埋め尽くされていく。
隙間も分岐もない真っ暗の一本道が、凛奈の前にあらわれる。その道を、少しずつ進んでいく。そんな想像が、簡単にできてしまう。
(凛賀、ごめんね。やっぱり、限界だったみたい)
思考の飛躍に気づけないままで、凛奈は一人、座り込んでいる。
「……アングレイカム、どうすればいい?」
「またやってるの、聖者。仮面に話しかけるなんて」
「ただの死体に見えるなら、目がおかしい」
「いやいや、そうじゃなくて……死体由来なのは忘れていたよ」
恐ろしい内容の会話を、凛奈は恐ろしいと感じられない。
頭を抱えたまま、ゆっくり立ち上がり、凛奈は一歩ずつ、ふらふらと歩みを進める。どこに向かっているのかはわからない、無意識のままで。
上から差し込む光に気付き、凛奈は顔を上げた。巨大エレベーターがあった穴だと、そして現在地が最下層だと気づくまでに、時間はあまり掛からなかった。
上の方から音がする。それは叫び声か、爆発音か、下からではわからない。
凛奈の足元で、グチャリと気持ちの悪い音がした。……人であったはずの何かだった。かろうじて、人だと判別できる程度、高いところから落とされた人間。凛奈は小さく悲鳴をあげた。
凛奈の特殊能力が、地下研究所内の凄惨な様子を映す。実際に殺し合っている人はほとんどいないが、放たれた化物が研究員を襲っている。そしてところどころで、形の崩れた少女が破壊の限りを尽くして灰になっていく。
そして、殺戮の限りを尽くす狂人。沢山の人体が、上から落ちてきた。
「え、あ、……」
落ちてきたのではない。落とされたのだ。
落とされた人間を足場に、凛奈の前へ狂人が表れた。
「ひひひふふはははははははははは! 研究者め、ほろぼしてやるうわははははははははは!」
高らかに笑い声を上げ、刃を振りかざす狂人。動じる余裕もなく、凛奈はただ、呆っと見ていた。
凛奈の後方から、黎真が走ってくる。しかし、間に合わない。
狂人が、二つの狂刃を振りおろした。
時間が止まった、そんな錯覚の中で。
(……死にたくない)
凛奈は、凛賀の体は。ズタズタに引き裂かれた。




