第十一話 急襲と目的と
「あははははは!」
凛奈を見下ろす黎真が、笑い出した。馬鹿にするような冷笑ではない。満面の笑みで。
この血飛沫が見えないのか、と凛奈は体を震わせた。
(どうして、笑っているの?)
凛奈に流れ込む視界の外側。百回見ても心が理解を拒むような状況が、データとなって凛奈を押しつぶそうとする。
特殊能力を持ってしても尚、凛奈には、名の安否さえわからない。周辺の人々、全員が死んでいると言われても、凛奈は信じてしまうだろう。それくらい、悲惨な状況だった。
(どうして、こんな状況で笑えるの? どうして、私にかまっていられるの!?)
「嵩陽、君、何なの!? 入れ替わってないでしょ、今。それなのに、それなのに!」
何が言いたいのか、ただ興奮した様子の黎真に、凛奈は言葉を返そうとした。吸い込んだ空気が、肺を抜けて身体中から放り出されていく。穴の空いた風船のように。
声は出なかった。ただ、凛奈の全身から、萎む胃袋のような掠れた音がした。
「おっと、ごめんね、興奮しちゃった。君が一番重症なのに」
ありえない、凛奈は心の中で黎真に突っ込む。
(名さん、心臓むき出しだったよ!? 私の下敷きになってる人達も、もうすぐ消えちゃいそう……)
凛奈には、凛奈自身が一番重症などとは到底思えない。
混乱する凛奈に、黎真が優しく言葉をかけた。
「ああ、嵩陽の心配はあれかな、名の状態。そうだよね、初見だと驚いちゃうよね」
たまに、一聞は百見を凌駕する。
「お腹割いたの、見ちゃったんでしょ。あれが犠牲なんだよね、名の。痛そう」
(え、でも)
未だ、凛奈の声は出ない。景色は変わらない、グネグネ動く天井のまま。名の位置は変わらない、流血と共に倒れている。
凛奈は目をきょろきょろさせた。
「信じられないだろうけど、名はちょっと経ったら目を覚ますから。それよりも……うーん、動かしていいのかな、これ」
(そこまで言うなら、名さんは無事なのかな……)
凛奈はそう、納得した。心の底から安心した。
本当なのかどうかなんて分からない。
けれど、黎真がそう言うのなら、きっとそうなのだろうと思った。
そしてすぐに、凛奈の脳は、それどころではなくなった。由逢の心配に移行する暇もなく、黎真への疑問を整理する間もなく、特殊能力が異変をとらえたのだ。
布ずれの音。誰かの足音。沢山の笑い声。
(……ちがう、ちがうちがうちがうちがう!)
笑い声はひとつだ。一人の声が、こだましている。
代わりに、足音は沢山あるはずだ。普段は気になることも、情報として抽出されることもない、布ずれなどという小さな音が届いているのだから。
凛奈は、特殊能力に集中する。気付いたのだろう、視界の端に立つ黎真も、あたりをきょろきょろし始めた。
「……ねえ、嵩陽。当たってたら瞬き二回ね。……助け、いる?」
足踏みをそろえた集団が、凛奈たちのいる宿を囲っている。
凛奈たちを中心として、大きな円を形作っている。
明らかな異常。急な襲撃とは違い、凛奈の脳が追いついている。追い越していく。
(助け? ……そっか、黎真の犠牲!)
特殊能力の犠牲。それは、特殊能力の対価である。そして、一部能力にとっては、発動条件である。
瞬き二回。凛奈の視界から、黎真が消えた。風が起こった。砂埃が起こった。
……音を置き去りにして、宿が消滅した。一瞬の浮遊感が凛奈を放り出し、風を切る音に凛奈の意識は溶けていった。
* * *
凛奈はゆっくり、体を起こした。
「ん……あれ? 布団……?」
凛奈は辺りを見渡した。宿とは違い、おしゃれな小物がところどころ配置されており、高貴さを感じられる部屋だった。天蓋の向こうに見える天井は、死んだ木でできていた。
そして、凛奈のそばでは少女が一人、刃物を研いでいる。
「ひゃああああああああ!」
(これ知ってる! 泊めた人を取って食べるやつじゃん!)
小さな魔女が顔を上げた。
目元に新しい傷があるが、確かに、名から由逢と呼ばれていた少女だった。
「ん、起きた。偽、医者、呼んでくる。誓う」
「まってまってまってまって!……へ?」
「ん? 治す、嫌? 分かった。一撃で終わる、誓う」
由逢が刃物を握った。
「ひやあああああ分かってない分かってないいいっ!」
凛奈の眼前、ぴたりと止まる刃。光を反射して、鋭く光っている。
「ん?」
呼吸が速くなっていく。
「はなし、はなしを……!」
「話? 分かった。真、一撃で仕留める。痛くない、誓う」
またしても、振り上げられる刃。切っ先がきらりと光った。
(この子、話が通じない!)
殺気も威圧感も、何もない。当たり前のことのように、由逢は刃を構える。傷を裂いて見開いた、由逢の目に映るのは、凛賀の体ではないように、凛奈には感じられた。
「まだ、話す?」
「お医者さん! お医者さんとお話しさせて!」
由逢の動きが止まった。動けない凛奈を置いて、離れていく。
「ん、分かった。呼んでくる、誓う」
音を立てて、扉が閉まった。たたたた、と軽快な足音が遠ざかっていった。
「はあー、なんとかなった……」
部屋に残された凛奈はひとり、ため息をついた。
* * *
しばらく経った後、凛奈は、部屋の前にだれかがいることに気づいた。
名と由逢、そして黎真が何かこそこそ話しているが、凛奈には筒抜けだった。
(うーん、結構わかりやすいと思うんだけどなー)
こそこそ話の内容は、凛奈か凛賀かどっちか、というものだった。無理もない、凛奈が目覚めた時に居合わせたのは由逢だけ、そして由逢は凛奈も凛賀も知らないのだ。
そうなると、やることは二つ。正体がわからないまま突き進むか、または。
由逢によって、寝起きの凛奈の焦りようが事細かに説明されていく。
「ひゃああ、やめて、やめてえー!」
凛奈は顔を真っ赤にした。そしてすぐに、扉が勢いよく開かれた。
「おいテメー、どおしたぁ!」
声を荒げて、焦った様子の名が、凛奈の元へ駆けつけた。
「え、あ、名さん……」
顔を赤くした凛奈を見て、何かを悟ったらしく、名は笑った。
「ハァーッハッハッハ! 心配かけるんじゃねぇよ、凛奈!」
何があったのか、どれくらい寝ていたのか。凛奈には、断片的にしかわからない。わからないが、凛奈がどれだけ心配されたのか、そして凛奈自身どれだけ心配していたのか、それだけはわかった。
気付かぬうちに冷静を装っていた凛奈。決壊するのは、早かった。
「おいおい、泣くなって。まぁでも、そーだなぁ、あんなに怖いことがあったもんなぁ? 初心者にゃ、きついかぁ……」
「怖かった、怖かった……」
涙ぐむ凛奈と、凛賀の背中をさする名。
側には、にこにこしたままの黎真と、何を考えているのかわからない由逢。
「真、泣いてる。自由度?」
「ちび、空気読めないならちょっと向こう行こうか」
「ん。殺す」
黎真と由逢が駆けていった。思わず、凛奈は微笑んだ。
「落ち着いたかぁ? テメー、ったく」
「う、うん。おかげさまで。名さんは、大丈夫なの? その、怪我とか……」
「あぁ? 黎真から説明なかったか?」
名は怪訝そうな顔をした。気圧されて、凛奈は記憶を探った。
「えーと……犠牲がどうとか……」
「あ゙ぁー、っちぃ、どっちだ? アイツなりの優しさか、興奮して普通に忘れてたか……明らか後者だな」
「え?」
「あー、こっちの話だ、きにすんな……っとはいかねぇかぁ」
名は頭を掻いた。凛奈には、迷惑だと言っているように見えた。
「しかたねぇ。アタシの特殊能力、一回しか言わねぇから、しっかり聞けよ?」
「え、あ、わかった」
少しずつ白衣のボタンを外す名。何をしているのか、正確にはわからないが、凛奈はなんとなく恥ずかしさを覚えた。
「え? 白衣、二枚着てるの……?」
「あぁ? あー、そうか、そりゃ驚くわな。ちょっっっと守備力あがるんでなぁ」
「なるほど……」
白衣の下から現れたのは、縦線の入った、薄い下着だった。
「アタシの特殊能力は、双概型」
特殊能力は、大きく分けて三種類ある。
意識して使う、発動型。
常に垂れ流しの、恒常型。
そして、双方の特徴を併せ持つ、双概型。
生まれながらに、人が知っていることのうちひとつだ。
「うん」
凛奈の犠牲が一段と強くなった。凛奈は、そんな錯覚に陥った。情報の天秤が、傾いたのだ。
凛奈は唾を飲み込んだ。
「普段から弱めに使えるがぁ……しっかり使う時は、胸から腹にかけて、アタシ自身の手で裂かなきゃいけねぇ」
一段、また一段と、体が重くなっていく、凛奈は、深呼吸した。
「まだ大丈夫。名さん、説明お願い」
「あぁ。相手との感覚や身体状態の共有、及びそれらの移動。これが、アタシの特殊能力だ」
凛奈は倒れ込んだ。
情報の天秤の傾きは、本人の体調にも大きく影響する。
大怪我から目覚めたばかりの凛奈には、厳しいものがあった。
しかしそれはあくまで体の問題であり、凛奈の頭は通常通り動いている。
(え、じゃあ、あの、栄養剤って……!)
「凛奈のことだ、気づいちまったかもしれねぇが……気にすんな。アタシは、医者だ」
凛奈はゆっくり体を起こした。重圧が少しずつ消えていったのだ。
個人間の情報の天秤。それは、双方合意の元、ある程度までは傾きを無くすことができる。
超古代から数千年、人類が身につけた、本能に抗う術のうち一つである。
「名さん、ありがとう」
「ハッ、いらねえよ」
名はそう言うと、凛奈にカプセル錠を差し出した。
凛奈はそれを受け取り、飲み込んだ。
「よし、体調は……大丈夫そうだな」
名は、凛奈のいるベッドに腰掛けた。
「んじゃま、色々疑問があるだろうがぁ……時間がねぇ、急いで説明するぜ。何があったのか」
凛奈の頬を、一滴の汗が滑り落ちた。
「え?」
嫌な予感がした。凛奈の特殊能力が、何かが足りないと訴えている。
「凛奈の像……それが、盗まれちまった」
絶叫が、こだました。




