幕間 起源
ある地方の伝説の中で、『結界師斗不郎』と呼ばれる物語があります。
聞いたこと、ありますか?
あっ、ないんですか?
それなら、私がちょっとだけ教えてあげます。
そんな長くはならないと思いますよ。
気軽に聞いて下さい。
❖ ❖ ❖
戦国初期、あづまの諸国の一つ。
番馬斗不郎という鍛冶屋の男が住んでいた。
本来、彼は都で結界師の血筋で名を馳せた番馬家の嫡男だった。
しかし、何故かそれを投げ捨て、北東の僻地に身を潜めた。
そして、そこで鍛冶屋を始めた。
斗不郎は毎日鉄を打った。
軽く鋭いものを作る時もあった。
また、鈍く重たいものを作る時もあった。
しかし、作る道具の性質など、この男の眼中にはなかった。
ただ鉄を打ち続けることだけが、彼にとっては重要だったのである。
番馬斗不郎は、まるで鉄を打つためだけに生きているように見えた。
だが鋼に良く似たこの男にも人間らしい側面を見せる時があった。
それは唯一の家族にして、息子であるたら丸に対するときである。
斗不郎はたら丸のことを非常にかわいがっていた。
だが、人々はたら丸の母が見えないことを怪訝に思った。
そのことを聞かれると、斗不郎は口をつぐむだけである。
彼の背景の不確かさもあり、色々な噂があった。
「きっとあれは人殺しだ。都で罪を犯して、そのままでは居られなくなって、一人息子だけを連れてここまで逃げてきたんだ」
「鍛冶屋さんは陰陽師の類で、たら丸は妖怪の間から生まれた半妖だって。この前、儂は鍛冶屋さんが妙な文字が書かれた札を並んで何かを諳んじているのを見たんだよ」
「いや、陰陽師じゃなくて、ご自分から人外の血を継いでいる一族の末裔って聞いたぞ。夜になったら元の姿に化けて人肉を齧りに山へ入るとか」
憶測が乱立し、混ぜられ、ますますおかしな方向へ向かっていた。
しかし、それが実際に斗不郎に害をなすことはなかった。
人々は、口数の少ないがしっかり自分の仕事をやってのける斗不郎のことを気に入っていた。
だから敢えて彼を苛むようなまねはしたくないと思っていたのである。
そんな心遣いを、斗不郎はありがたく思った。
余所者を受け容れてくれた人々に報いたいと思い、働きにどんどん熱を入れた。
そして、やがて彼の名前がお国のご領主の耳にも入るほどになった。
そうやって鍛冶屋として斗不郎の名声は相当高くなっていたのだる。
だが彼にとって名が知られることはあまり歓迎すべきことでもない。
ただ自分の息子とともに穏やかな日々をずっと送りたいと思っていただけだった。
一時は──そのまま全てが順調に流れると思われた。
しかし、平和はそんな長続きしなかった。
*
冬のある日、外出から戻ってきた斗不郎はたら丸が深い裂傷を負っていることを見た。
周りの見物人から聞くと、彼は通りかかる武士たちに無闇に近づいて、それを無礼だと思った一人に斬られてしまったという。
その小さな身としては傷が大きすぎた。
どうも彼を生かせるすべは無さそうに見えた。
見物人はうなだれる斗不郎を不憫に思った。
が、何もできることもないので、無言のままその場を去って行った。
その日の夜、人々に事情が知らされた。
彼らは、たら丸の命はもうないと思った。
しかし──
翌朝、一人が鍛冶屋を訪れた。
彼は悲劇の結末を予想した。
だから、沈痛な表情を浮かべて斗不郎を探した。
しかし妙にも、彼の姿はどこにもいなかった。
彼だけじゃなく、その息子の姿も。
何だか良く分からないが、その人は非常に悪い予感を覚えた。
他の群れを連れて、皆で斗不郎とたら丸のことを探し回った。
だが日が暮れるときになっても。
まるで蒸発したかのように、二人の気配は全く見つからなかった。
その次の日も、
また次の日も、
またまた次の日も同じことの繰り返しだった。
やがてうんざりしてしまった人々は捜索をやめて、代りにまた変な噂を立て始めた。
「今度こそ彼が何かへんてこりんな魑魅魍魎に混ぜて、黄泉の世界に逝ってしまった」
という類のものだった。
囃し立てられていた陰陽師の噂の類と相まって出来た話だった。
しかし、それは本当のこととは違う。
ただの作り話に過ぎなかった。
でも、荒唐無稽の程度でいったら──当たらずといえども遠からず、だったかも知れない。
❖ ❖ ❖
たら丸が斬られた日の夜。
斗不郎は息子を背負い、更に北の所へ向かっていた。
必要な道具を全部持って。
夜がふけるにつれ激しくなる吹雪を抜けて。
やがて彼が到達した場所は、山の麓に建てられたある建物だった。
荒れ寺みたいな外見だったが、中は管理はされている。
寺の隣には広場がある。
広場は柵で区切られていて、仮屋根で雪が当たらないようになっている。
また、その中央には大きなふいごなどが設けられている。
そして、寺から歩いてすぐ着ける距離に、薄氷で覆われた川がある。
ここの川は、砂鉄の採取が行われる場所だ。
そして荒れ寺は仮りの作業場兼休み所として使われている。
だが、続いた雪嵐のせいで、今のところ作業は停止されている。
斗不郎はこれらを全部知っていた。
全てを考慮してここまで来たのだ。
斗不郎は周りを見渡した。
そして、思った。
──この場所なら、自分の目的は果たせる。
彼はまず荒れ寺の奥へ入り、瀕死の息子を床に寝かせた。
「……もうちょっと我慢だ」
そう、自分の息子に言い残した。
外へ出た斗不郎は、持ってきた道具を出した。
──それこそ、『杭』だった。
鉄製のその物は、呪詛の文字が書かれた札で包まれたいる。
彼は山奥の方へ走り出した。
*
それから、斗不郎は縦横無尽に山中を走り回った。
荒れ寺を囲むかなり広い領域の地脈を調査し、重要な地点に杭を打ち込んだ。
彼がした作業は、ある結果をもたらすため。
術を為せるため。
その術は、時空間を切り抜く。
そして、その時空間を彷かせるのである。
術によって、杭が示す領域は元の時間軸とも空間座標からもかけ離れる。
一種の結界──物理法則が適用されない領域を張るのである。
これで息子を生かせる時が稼げる。
そして、そのための材料がある場所も確保できた。
もともと、斗不郎は結界師の家筋の末裔だった。
幼き頃から非常の才能を持っていた彼として、それはそんなに難しい術ではなかった。
しかし、苦みは残る。
……後ろで遠くなる都の情景を最後に一瞥したとき。
こういう忌々しい術なんか、二度と使うまいと思っていたのだが。
しかし、昔のことなどどうでもいいのだ。
今の斗不郎には、ただの一念しか無かった。
「──息子を、たら丸を、生かさねばならぬのだ」
だから使えるものなら何でも使う。
そして、大事なものを救う。
それだけだった。
*
……彼が杭を以て表示すべき領域は広かった。
それは山の面積を殆ど覆っている。
悪天候の下、道にもなってない山路を登り、杭を打ち込む。
それは決して容易でなかったが、不満を口にする余裕など無い。
なんとかしてでも、この作業を終えなくてはいけない。
「────」
そして、やがて斗不郎は全ての地点に杭を刺した。
彼は目を瞑って、印相を結び、唱えた。
「────留」
彼が目を開けると──
「……ここまでは、成功か」
周りは不思議な結晶の中の色みたいになった。
何もかもが、自然の摂理から外れたことをしっかと示していた。
最も歴然たる証拠なら、吹雪の消失だ。
ああにも激しかった吹雪が、完全に止んでいる。
術の有効さを確認した斗不郎は、まず息子のもとへ戻る。
「……」
たら丸は辛そうな顔をしている。
しかし、心做しか、さっきより少し落ち着いているようだ。
と言っても、ほぼ停止している状態なので、あまり意味はない。
斗不郎は自分の頬をつたう汗の一滴を感じた。
術者には時間の流れが確かに適用されている。
いや、もしくは、……禁忌に近い扱いを受ける、時空を操る術。
その術者はどうなるのか。
都で結界師の鍛錬に励んでいたとき、散々聞いていた。
この世でも魂の領域でもない所を永遠に経巡るようになる、とか。
周りの時空間にイタズラをした分、惨たらしい報いが戻ってくる、とか。
「────」
そう言えば、斗不郎は身体が怠すぎる妙な感覚を感じた。
いくら労働をしたとはいえ、斗不郎は常日頃体力を鍛えている。
彼にとって、これほどの倦怠感に侵されるなど、異常なことだった。
「────早く済ませないと、我が子の元服さえ見届けないかも……知れんな」
やるべきことをやるため、その場から立ち上がった。
*
番馬一族の特技は、結界術だ。
彼らは結界に関する色んな術をなせる。
そのために用いられる道具にも数々ある。
その一つが──『杭』だった。
しかし、番馬一族のが使う杭は一般的なものとは少し違う。
材質は鋼、長さは人の肩から指先までくらい。
そして特殊な鋳型を以て作られ、作り上げには咒いめいた施術が必要だった。
特殊に製作されたその道具だが、使い道は他と変わらない。
あくまでも、大まかに言って、だが。
杭とは、一つの目的を果たすために使われる。
杭とは、『繋ぎ止める』ための──つまり『固定』するための道具だ。
斗不郎が今からやろうとしている仕事には、固定の力が必須なのだ。
──斗不郎には、見えていた。
自分の大事な息子が今どんな状態に際しているのかを。
たら丸は、現せ身の領域から彼岸へ渡ろうとしている。
現在、たら丸の全ての存在は二つの世界の中間の境にいる。
つまり、境界線のちょうど上に立っているのだ。
斗不郎は癒す者ではない。
ゆえに、息子を生の側へ引っ張ることなどできない。
彼に出来ることはひとつ。
せめてたら丸があと一歩をあっちの世界に踏まないようにすること。
すなわち、彼を強く境界線上で『繋ぎ止める』ことである。
そのために、杭が要るのだ。
出来るだけ多くの。
既に持っている杭は、このあたりの時空間を彷かせるのにほぼ使い果たした。
生命を繋ぎ止めるためにはそれよりも遥かに多い量の杭が必要である。
だから、この荒れ寺へ来た。
邪魔されず、鋼鉄の道具をいくらでも作り上げる。
時間はある。
足りない働き手は、結界師として為せる小賢しい奇術で何とかする。
無謀だとか、とんでもないとか、そんなことなどどうでも良い。
息子を、たら丸を、生かさねばならぬのだ。
番馬斗不郎は、必ずたら丸の命を救うのだ。
そのためなら、何でもする。
*
彼がそれから行ったことを全部書き記すことなど、できない。
いくたび木こりをして、いくたび木炭を作ったか?
いくたび砂鉄を浚って、いくたび炉から上がる紅を眺めたか?
いくたびたたらを踏んで、いくたび足が千切れそうになったか?
いくたび鋳型が壊され、いくたびそれを作り直したか?
いくたび杭が作られ、いくたびそれに向かって咒いを諳んじたか?
そして──
いくたび完成された杭が、たら丸の小さな身体に打ち込められたか。
分からない。
知るはずがない。
張本人さえも、あまたを数える余裕など持っていなかった。
ただ男の内で響いて響き返されることは、一つの願いだった。
「────たら丸を、救わねばならぬ。彼は儂のたったひとつの、希いなのだ。それを死なせることなど、けっしてあってはならぬことだ」
……そしていつの間にか。
男が感じることは至極少ない、単純な数個の感覚に収斂していった。
────鉄がぶつかる音。
────炎立つ色。
────炭が燃え上がる音。
────終わらない夜の空の色。
────樹木がつんざかれる音。
────冬の川水の冷たさ。
そして、息子の身体の上で、杭を金槌で強く打つ度に、
────カン、カン、カン、カン。
────カン、カン、カン、カン。
と鳴り響く、谺の音響。
…………いくら時がすぎたか?
────カン、カン、カン、カン。
あとどれほど、この作業を繰り返せばいいのだ?
────カン、カン、カン、カン。
そんな質問が産まれるひまなど、無い。
男の全ては、埋め尽くされた。
無生物敵感覚だけで、満たされた。
────カン、カン、カン、カン。
夥しい瞬間の連なりの末。
やがて男は、たった一つの願いさえも忘れてしまう。
────カン、カン、カン、カン。
ついに、彼は──
杭を作るために──杭をツクる──キカイジカケと──化した──
────カン、カン、カン、カン。
────カン、カン、カン、カン。
────カン、カン、カン、……。
────…………。
❖ ❖ ❖
酷い雪嵐が過ぎたあと。
嘘のように綺麗な空が見えてきた朝。
その日は、鍛冶屋の父子がなくなって十日が経ったときであった。
砂鉄取りの役夫たちは、作業を続けるために荒れ寺に戻った。
しかし彼らは大きな山の樹木がほぼ全部こられているのを目撃し、驚愕した。
それだけではなかった。
仮作業場は数え切れないほど使い果たされている。
その周りが鉄屑と炭の痕で汚れきっている。
雪嵐の間、誰かがここを使っていたのは明白だった。
だが、誰が、どうやって?
こんな短い間に?
山一面の木々を全部木炭にして、戦でも起こすつもりだったのか?
呆然とその光景の前に棒立ちしになっていた彼らは、ふと荒れ寺の奥から奇妙な声音を聞いた。
──それはまるで、子供が泣き喚いているような。
明るい朝焼けの下なのに、彼らは背筋に戦慄が走る感覚に侵された。
「……中に、誰かおるのか」
その中、ちょっと勇気を出した一人が、そう問うた。
「────」
返事はない。
だが、さっきより声音が鮮明になった気がした。
確かに、誰かが中で泣いていた。
男は仕方ないと思い、恐る恐る荒れ寺の障子に近づけた。
その前で一瞬ためらったが、一気にそれを開けた。
「──これ、は……?」
眼の前にある珍妙な眺めに、男は絶句してしまった。
他の役夫たちも、恐怖でおずおずとしながらも、前に出た男に続いて荒れ寺の敷居まで接近した。
そして、前の男が釘付けになった訳を理解した。
荒れ寺の奥には、きらびやかの朝の日光があまり届かない。
代りに、ろうそくから微弱に揺れる橙色の光が照らしている。
その微かな明かりによってやっと見えてきたのは、
床と壁の所々に鉄の楔みたいなものが差し込まれている室内。
泣いている坊やと、その坊やが縋り付いている妙な外見の像だった。
深々とうなだれていて、坊やの顔が良く見えない。
しかし、何がそんなに悲しいのか、えーん、えーん、と大声で泣いている。
像はぼろぼろになっている浴衣を着ていた。
頑固に目をつむったまま胡座をかいた形である。
身体は非常に痩せている。
頬と瞼が深く陥没し、襟元の向こうに見える腹部は肋骨が高く突出している。
瞑想の末で悟りに至った仏を表す像にも似ている。
しかし、顔に浮かべられた表情が決定的に違う。
それは涅槃の欣びとは程遠い、苦しみの形相である。
……いや、よく見ると、それは像ではなかった。
涸びて、個体のようになってはいるが、それは人だ。
そして、見覚えのある顔立ちである。
「──鍛冶屋のダンナ?」
それは番馬斗不郎の屍だった。
気力を使い尽くし、最後の生命力の一滴さえも枯渇した。
挙句、衰弱死になってしまったのだ。
それに縋り付いているのは、死んでいたはずのたら丸だ。
彼は父の死を悲しんで、大声をたてて喚いていたのである。
突然の出来事に、役夫たちはどうしようもなく、据え付けられた。
晴天のした、のどかな朝の風景。
ただ一つ、鍛冶屋の親子だけが悲劇を演じている。
全てが静寂な朝だった。
しかし、坊やの泣き声だけがそれを乱している。
それはずっとずっと長く、うるさく、響き続いた。
❖ ❖ ❖
はい。これでこの物語はおわりです。
興味深そうに聞いてくださって、語り手としても嬉しいですね。
……えっ、そのあと、たら丸はどうなったのですって?
そうですね。実は、同時期その地方に、奇妙にも鋼の杭を武器として使っていたという忍びの記録があり、その名を『有鱈』といいます。
この伝説と有鱈という忍びが関連があるのではないか、という説も出ていますが、立証されたわけではないです。
それに、あの有鱈という男は二十歳になるも前に、仕えていた主に裏切られて、死んでしまったんですんで……生涯が短すぎて、得られる情報も少ないですね。
……はい、もしたら丸と有鱈が同一人物だとすれば、虚しいですよね。
斗不郎があれほど自分の命を削りながら生かせたのに。
長生きしていれば、杭を使う忍びの伝説が語られていたかもですね。
でも悲しいかな、ですね。
彼は若死にしてしまい、『この世界』には杭を武器にした忍びの物語などないです。
とにかくまあ、これで本当におしまいです。
ご清聴、ありがとうございました!
◇ ◇ ◇
はい、有鱈くんの起源でした。
実はこれ、一番最初にプロローグとして上げたものをちょっと直した再投稿です。
本編の物語とあまり直接関係がないので、後で非公開にしましたけど。
とにかく、語り手さんの言葉の繰り返しになりますが、読んでくださってありがとうございます。
出来るなら、また会いましょう。




