EP 23
満月の夜。解き放たれる『雷神の月兎』
「……あ、あんな魔境、絶対に許さんぞ……ッ!!」
深夜のポポロ村。査察官のために用意された村長宅の一室で、ユリウス・フォン・クラウゼンは、ランタンの灯りを頼りに震える手でペンを走らせていた。
彼の姿は、帝国のエリートの面影など微塵も残っていない。
オーダーメイドの軍服はルナの爆破魔法でススだらけになり、狼男から逃げ回ったせいで靴底は剥がれ、自慢の銀縁メガネにはヒビが入っている。
昼間の「映画撮影(という名の爆破スタント)」で、彼は文字通り死の淵を三度ほど彷徨ったのだ。
「あの料理人も、エルフも、狼も、全員イカれている……! ここは人間の住む場所ではない! 明日、朝一番でルナミス帝国軍の精鋭大隊を呼び寄せ、この村を物理的に解体してやる!!」
ユリウスは、涙と鼻水で報告書をぐしゃぐしゃにしながら、復讐心だけでペンを握りしめていた。
「そしてリーザ殿下を救い出し、私は帝国に英雄として凱旋するのだ……!! 見ていろ、狂人どもめ……!」
ユリウスが最後の気力を振り絞って「帝国軍の要請」の項目にサインしようとした、その時だった。
スゥゥゥ……。
窓の外を覆っていた厚い雲が、風に流されてゆっくりと晴れていった。
そして、漆黒の夜空に、巨大で完璧な円を描く『満月』が、ポポロ村を煌々と照らし出したのである。
◇ ◇ ◇
同じ頃、村長宅のリビング。
「……おい、マズいぞ。今夜は新月じゃなかったのかよ」
リアンが、窓から差し込む強烈な月の光を見て、マグロ解体用の包丁を構えながら冷や汗を流していた。
その視線の先には、ソファーで人参柄の抱き枕を抱えながら、恋愛小説を読んでいたキャルルの姿があった。
「キャルル……おい、大丈夫か。俺の言葉が分かるか?」
月の光が、キャルルの身体を包み込む。
ピクッ、ピクッ。
ウサギの耳が、あり得ないほどの角度で天を突き刺すように直立した。
「…………あら」
キャルルが、ゆっくりと顔を上げた。
その愛らしい瞳から、『光』が完全に消失していた。
代わりに、彼女の全身から紫電の雷光がバチバチと音を立てて溢れ出し、圧倒的な闘気がリビングの空間を歪ませていく。
「あらあらあらぁ~……? なんだか今夜は、村の中に……とっても『肩が凝っている人(お疲れの人)』がいる匂いがしますねぇ~……?」
「……出た。月兎族の特有の異常生態、『満月病』だ」
リアンが舌打ちをした。
月兎族は、満月の光を浴びると魔力と身体能力が極限まで跳ね上がる。
そしてキャルルの場合、その有り余るエネルギーが「他者の疲労回復(強制的なヤキ入れ)」という、最も厄介なベクトルへと向かってしまうのだ。
「ひぃぃぃッ! キャルルがおかしくなったぁぁ!」
リーザがテーブルの下に隠れて震える。
「……リーザ、ニャングル、ルチアナ! お前らは絶対に部屋から出るなよ! 俺とイグニスで、なんとかコイツを地下の隔離部屋に……ッ!」
リアンが動こうとした瞬間。
バアァァァァァァァンッッ!!!
村長宅の分厚いオーク材の扉が、キャルルの『流星脚(ただの回し蹴り)』によって、一撃で木っ端微塵に粉砕された。
「うふふふっ☆ 村長として、村民とお客様の健康管理は絶対の義務ですからねっ! さぁ、徹底的に疲れを癒して(ボコボコにして全回復させて)あげますよぉぉぉ!!」
キャルルは、マッハ1の速度で夜のポポロ村へと飛び出していった。
後に残されたのは、紫色の雷の軌跡と、焦げた扉の残骸だけである。
「……あーあ。終わったな」
リアンは深くため息をつき、静かに扉を閉めた。
◇ ◇ ◇
「……ん? なんだ、今の爆発音は?」
部屋で報告書を書いていたユリウスは、外の騒ぎに気づいてペンを止めた。
「またあのエルフが暴れているのか? フン、野蛮な連中め……」
ユリウスが呆れたように立ち上がり、窓の外を見下ろそうとした、その時。
「お・つ・か・れ・さ・ま・でぇぇぇす!!!」
ドガァァァァァァァァンッッ!!!
ユリウスの部屋の窓ガラスが、外側から凄まじい衝撃と共に粉砕された。
月明かりを背に受け、紫電を纏ったウサギ耳の少女が、空中で美しいハイキックの姿勢をとっている。
「……へ?」
ユリウスの銀縁メガネに、キャルルの『超電光流星脚』の踵が、スローモーションのように迫り来る。
帝国特別査察官の、真の地獄(無限全回復ループ)が、ついに幕を開けたのである。




