EP 21
暗殺者の定食屋と、胃袋の完全敗北
ポポロ村の広場に面した、古びた定食屋『ポポロ屋』。
その暖簾を、目深に帽子を被り、怪しさ満点の旅人風の外套を羽織った男がくぐり抜けた。帝国特別査察官、ユリウスである。
(全ての諸悪の根源、そしてリーザ王女を虐げている黒幕は、この定食屋の店主だ。客を装い、裏の顔と不正の証拠を必ず暴き出してみせる……!)
「いらっしゃいませぇー! 空いてるカウンター席へどうぞぉ☆」
ピンク色のフリルエプロンを着たリーザが、満面のアイドルスマイルでユリウスを案内する。
ユリウスは帽子を深く被り直し、心の中で血の涙を流した。
(あぁ、なんという痛ましい姿か! 誇り高き親善大使に、このような下働きをさせるとは……! 安心してくださいリーザ殿下、私が必ずあなたを救い出します!)
ユリウスがカウンターに座ると、厨房の奥から、店主であるリアンが鋭い視線を向けてきた。
(……チッ。変装のつもりか知らねぇが、殺気と敵意がダダ漏れだぞ、あのお堅い公務員。まぁいい、腹ペコの客には飯を食わせるのが俺の仕事だ)
元・暗殺者であるリアンにとって、ユリウスの素人丸出しの変装など、ガラス張りも同然であった。
「……ご注文は?」
リアンが冷徹な声で問う。
「ふ、ふん。ならば……『特製・生姜焼き定食』をもらおうか」
ユリウスはメニュー表を睨みつけながら注文した。
(生姜焼き。豚肉と生姜、醤油という極めてシンプルな料理ゆえに、誤魔化しが利かない。不正な劣悪食材を使っていればすぐに分かるし、生姜の香りが強ければ毒が盛られている証拠だ。帝国の宮廷料理を食べ慣れた私の舌は、絶対に誤魔化せんぞ!)
「……あいよ」
リアンは静かに振り返り、冷蔵庫から分厚いシープピッグ(魔物豚)のロース肉を取り出した。
そして、マグロ解体用の包丁(兼・暗殺用の大剣)ではなく、研ぎ澄まされた業物のペティナイフを手に取った。
トトトトトトッ……!!
目にも留まらぬ速さで生姜がすり下ろされ、タレが調合されていく。
(な、なんだあの包丁捌きは……!? 無駄な動きが一切ない。それに、あの背中から立ち上る異常なプレッシャー……! やはりこいつ、ただの料理人ではない! プロの殺し屋の動きだ!!)
ユリウスが冷や汗を流して警戒心をMAXまで高めた、その時。
ジュワァァァァァァァッッ!!!
熱したフライパンにタレと豚肉が投下された瞬間、暴力的なまでの『香ばしい匂い』が店内に爆発した。
焦げる醤油の香ばしさ。生姜の爽やかで刺激的な香り。そして、上質な豚の脂が溶け出す甘い匂い。
(……なっ、なんだこの匂いは!? 私の……私の嗅覚が、本能レベルで警鐘を鳴らしている! 『今すぐこれを寄越せ』と……!!)
「お待ちどう。特製・生姜焼き定食だ」
ドンッ。
ユリウスの目の前に置かれたのは、黄金色の照りを持つ肉厚な生姜焼き。山盛りの千切りキャベツ。そして、ふっくらと炊き上がった、ツヤツヤの白米である。
(くっ……! 見た目と匂いだけは、完璧だ。だが、私は騙されんぞ。これは暗殺者の作った罠……! 一口だけ食べて、その不正を暴いてやる!)
ユリウスは震える手で箸を持ち、分厚い豚肉を一切れ、口へと運んだ。
「…………ッ!!!」
その瞬間。
ユリウスの脳内に、雷が落ちた。
(……嘘だろ!?)
噛み締めた瞬間、シープピッグの柔らかな肉質から、極上の旨味と肉汁が滝のように溢れ出した。
そして、それを包み込むタレ! 三ツ星レストランの副料理長であったリアンが、異世界の食材で極限まで調整した『究極の黄金比』。
生姜の香りが豚肉の脂のくどさを完全に消し去り、醤油とみりんの深いコクが、怒涛の波となって味蕾を蹂躙していく!
(あ、甘い……いや、辛い? 違う、旨いッ!! なんだこの深みは!? 隠し味にリンゴのすり下ろしと、世界樹の蜂蜜が入っているのか!? 帝国の宮廷シェフが何日も煮込んだソースすら凌駕する、この圧倒的な暴力性……!!)
「お、おいしい……」
無意識のうちに、ユリウスの口からその言葉が漏れていた。
気がつけば、彼の右手は自動的に動き、タレのたっぷりついた肉を『白米』の上でバウンドさせ、そのまま米ごと口の中へとかき込んでいた。
ガツガツッ! ムシャムシャッ!
(だ、ダメだ! 私は査察官! こんな出処不明の料理に、胃袋を支配されてなるものか……ッ! だが……箸が! 箸が止まらんのだァァァァ!!)
千切りキャベツでタレを拭い取り、米を食う。
肉をかじり、米を食う。
エリートとしての矜持も、疑いの心も、全てが『生姜焼き』という神の料理の前に完全敗北を喫した。
わずか三分。
ユリウスの目の前には、米一粒残らないピカピカの皿と茶碗だけが残されていた。
「……ふぅ。お粗末さん。どうだった? お役人様」
リアンがニヤリと笑いながら、布巾でカウンターを拭く。
「…………」
ユリウスは、涙で曇った銀縁メガネを外し、深く、深く頭を下げた。
「……店主。すまない」
「ん?」
「白米、おかわりだ。……今度は、大盛りで頼む」
かくして、ルナミス帝国が誇る最高峰のエリート特別査察官は、調査初日にして、ポポロ屋の生姜焼きの前に完全に陥落したのである。
不正の証拠? そんなものより、今は目の前の肉汁だ。




