田中あずき 8月20日③
眠る少女、三回目のライブは成功とは言い難い結果となった。三曲目まではミスも少なく声も出ていた。けれど、四曲目の最初でコードミスをしてからドミノ倒しみたいに演奏も歌もグダグダになってしまった。
スリーピースバンドである眠る少女は一人が担う役割は大きい。それもギター、ボーカルのあずきが崩れてしまったのだから、どうしようもなかった。
ライブが終わり、あずきは本当に申し訳ない気持ちになって帰り道に葵と千秋に謝った。
「そういう日もあるよ」と千秋が言ってくれた。
「でも、何か事情があったんじゃないの?」と葵が言った。
葵は宮内くんから何か聞いているのかも知れない。いや、葵は宮内くんがライブに来ていないことに気付いて、自分で何か事情のようなものに思い当たったのかも知れない。
どちらにしても、ちゃんと説明しないといけなかった。守田から無事だというメールはあったにしても、色んな人が巻き込まれた今回のことを。
そう思いつつ言葉を探しているところで、声をかけられた。声の方を見ると深水菫だった。顔がガーゼだらけになったボディーガードの佐藤もちゃんと後ろに控えていた。
「ごめんなさい、あずきさん」
と菫はまず言った。
「ううん。何にしても、どちらも無事で良かった。ちなみに勇次の奴は大丈夫だった?」
「大丈夫でした。宮内浩が、その、庇ってくれたから」
「それは良かった。まぁ菫ちゃんを殴ってたら勇次を私が殴ってたけどね!」
言って、ボクサーのような手の動きをしてみたが、菫は笑ってくれなかった。もう少し面白い返しを今度、守田辺りに聞こうとあずきは思った。
「菫とあずきちゃんって顔見知りだったの?」
そう言ったのは葵だった。
「ちゃんと説明します」
答えたのは菫だった。あずきは菫の説明によって詳しい結果を聞いた。勇次が殆どの不良を病院送りにしたこと、守田も用心の為に病院で一泊すること。
最初に反応を示したのは意外にも千秋だった。
「なるほどなぁ。守田くんいないなって思ったら、そんなことになっていたのかぁ」
「千秋ちゃん。守田くんと仲良かったっけ? あ、そう言えば、守田くんが練習を見に来た時に、喋ってはいたけど」
とあずきが言うと、千秋が楽しげに笑った。
「夏休みに入る前に学校で仲良くなったんだよ。うち、ああいう子好きなんだよ」
「好き? え、誰が誰を?」
思わず、あずきは聞き返してしまった。
「ん? うちが守田くんを。良い子だよね~」
えーという顔であずきが千秋を見た。良い子、良い子かぁ。千秋ちゃん、天然入ってるからなぁ。この好きも男の子として、というよりは弟としてとかじゃないのかなぁとあずきは思ったが追及はしなかった。
「菫は、今日、どうして来てくれたの?」
小さな声だった。しかし、それが葵の声だとすぐに分かった。菫は少し俯いた後、意を決したように葵を見据えた。
「宮内、浩が、教えてくれた、のよ。それに庇ってもくれたから……」声は尻すぼみに小さくなって、蝋燭の火のように消えた。
それでも葵には言葉以上のものが届いたようで「そっか」と穏やかな表情で頷いた。
「じゃあ、ちゃんとお礼を言いに行かなきゃね。一緒に」
菫は少し戸惑って、視線をあちこちに向けた後に「うん」と頷いた。
あずきは、私もお姉ちゃんに叱られる時こんな感じだなぁと考えていると、一つの提案が浮かんだ。
「ねぇ、菫ちゃん。今、何年生?」
あずきの突然の質問に菫は一瞬呆けた後に応えてくれた。
「中学三年、です」
「じゃあ、今年受験だね。高校は決めた?」
「まだ、……ですけど?」
「じゃあさ、岩田屋高校にしない?」
「え?」
言葉を飲み込みきれていない菫に対してあずきは更に続ける。「深水の人間ならって言うのも失礼かも知れないけど、菫ちゃんも何か楽器できるでしょ?」
「あ、はい。ピアノができます」
「おぉ良いね。じゃあ、キーボード担当だ」
「えぇ? え?」
菫が困惑する中、葵と千秋はあずきが何を言いたいのか理解して緩く笑った。
「菫ちゃん。眠る少女に入らない?」
◯
葵。
と宮内くんが言い、葵がそれに答えた。夏休みの最終日、宮内くんが主催する深水ピアノ教室のパーティでのことだった。
葵は当たり前みたいに宮内くんの声に応えて、更に彼のことを「浩」と呼んだ。彼らの間で関係の変化があったのは間違いがなかった。
あずきはからかう気持ちで宮内くんに声をかけた。
「良かったね」
「ん? 何が? あぁ、パーティが開催できて?」
「んー、そうじゃないけど。でも」と周囲を見渡す。あずき、葵、葵の母のほたる、駄菓子屋のお婆ちゃん、あずきの母、千秋ちゃん、菫ちゃん、そして、ほたるのピアノ教室に通っている小学生の生徒が十人ちょっと。レッスン教室にこれだけの人数がいると、やはり手狭ではある。
しかし、それを差し引いても、珍しいメンツの集まりであることは間違いない。「よく、これだけの人を集めたよね」
関心するような声がでた。実際、深水ピアノ教室でこのようなパーティを主催し、開催できてしまう宮内くんを凄いと思った。それだけの信頼を葵だけではなく彼女の母、ほたるから勝ち得たと言うことなのだから。
「タイミングだった気もするよ」
と宮内くんは笑った。「ほたるさんも教室に通っている生徒を集めて、何かしたいって考えていたみたいだから」
「なるほどね」
「まぁ、でも、まだ大森先生が来てないけどね」
「ん? あのナンパ教師、来るの?」
あずきの物言いに宮内くんは苦笑いを浮かべた。
「引っ張ってでも来るつもりだったんだけど、色々と理由をつけて遅刻するってさ」
「ヘタレだね」
「ごもっとも。気まずいの分かるけどね」
「分かるの?」
宮内くんはピアノに視線を移した。「多少はね。でも、葵が演奏するまでには来てほしいんだけどね」
「葵が演奏するの?」
「うん」
初耳だった。葵はこれまでピアノの演奏をしようとしてこなかった。あずきは何か理由があるのだろうと思って、それについて尋ねてはこなかった。宮内くんは葵のその理由を知っているのだろう。
その上で、彼女が演奏する場を作ったのだ。
「良いヤツだね」
「ん? 誰が?」
「宮内くんが」
「そうかな?」
「そうだよ。で、宮内くん、良くない不良二人組には声かけてないの?」
吹き出すように笑った後、宮内くんが「良くない不良二人組って?」と浮ついた声で尋ねてきた。
「分かってるでしょ?」
「まぁね。守田くんと中谷くんは、セイブツ部のメンバーで監督のバースデーってことで色々やっているみたいだよ」
「色々って?」
「学校のプールに忍び込むんだってさ。その準備を昼間に手伝わされたよ」
「なにそれ? 忍び込む準備って何したの?」
宮内くんが眉を下げて緩く笑った。「忍び込んでパーティをしたら確実に苦情がくるからって言うので、学校のプールでイベントがあるって近所の家を回って事情説明をしたんだよ」
「そこまでして学校のプールに忍び込みたい理由ってなによ?」
「監督が今まで一度だってプールに行ったことがないから、それを叶えてあげるんだってさ」
「へぇ」
頷いた後、宮内くんの表情に浮かんだ感情をあずきは言葉にできなかった。それが喜怒哀楽の何に属するのかさえ判断がつかなった。
だからかも知れない。
あずきはこの瞬間、初めて宮内浩の小説を読んでみたいと思った。葵が心惹かれ影響を受けて曲にまで落とし込んだ彼の小説。
眠る少女のボーカルとして葵の作った曲の中心で誰よりも最初に、その曲のボイスに想いに触れる役割のあずき。曲の奥の奥には何があるのか。考えてこなかった訳じゃない。
宮内浩が何を想って小説を書いたのか。
あずきはそれを知るのが怖かった。
でも今、目の前にある宮内くんの表情に浮かぶ感情を知ることができるのなら、あずきはそれを読むべきなのだろうと思った。
宮内くんが切り替えるように、柔らかな笑みを浮かべた。その端にはまだ取り繕いきれなかった感情の残りがあった。
「僕はさ、監督がどうして今までプールに行こうって思えなかったのか知っているから。守田くんと中谷くんが、その彼の気持ちを変えられるのなら、願ってもないことなんだ」
「変わっていくことは正義だからね」
あずきの言葉に宮内くんは笑みを浮かべた。
「でも、その変わっていく中に死んだ人は含まれないんだよね」
それはそうかも知れない。けれど、
「宮内くん。誰のことを言ってるの?」
あずきの問いに宮内くんは答えなかった。




