守田裕 8月20日
金属バットで殴られた後、守田は都合が良いので気絶したフリをして様子を窺っていた。梶原は特に喋らず、不良たちのつまらない会話だけが聞こえていた。
このまま機会を見つけて逃げられないだろうかと考えていると、蓮華が携帯に出る声が聞こえた。相手はどうやらあずきのようだ。
良かった。蓮華に電話をしているのなら、あずきは不良たちから逃げ切ったようだ。
梶原が舌打ちをして不良の一人に確認を取るよう言った。何人かの不良が外に出る足音が聞こえた。
しばらくして蓮華が絶叫した。
「いつまでも上から目線でベラベラと……、何様だぁ、ビッチ! ねぇ? 分かってる? 今、私の方が上なの。相応の態度ってものがあるんじゃないの? そもそも、アンタは最初に会った時から気に食わなかったのよっ! 恵まれてるくせに全部当たり前みたいな顔してぇ! おいっ! ……電話切ってんじゃねぇよ! クソビッチィ」
うわぁ……。
本当、蓮華と別れて良かった。にしても、あずきは見事と言う他ない。この電話によって守田が酷い目に遭うかも知れないと考えない訳ではないだろうが、決して媚びなかった。
流石、中谷勇次を好きな女だ。肝が据わっているし冷静だ。蓮華のあの感情剥き出しのマシンガントークに媚びても、人質となっている守田の安全は保障されないことをあずきは理解している。
そして、蓮華から情報が得られないと分かれば、そりゃあ電話を切ってしかるべきだ。ただ可能であれば、もう少し穏やかに電話を切っていただきたかった。
蓮華が守田の腹を何度も蹴り、不良たちがからかうように「元カレに八つ当たりしてやんなよ」と言った。
もっと言ってやって下さい。
「こんな、ヤツ、全然、好きじゃ、なかったし。コイツが、告って、きたから、付き合った、だけ、だし」
おい、ちょっと待て。中学の卒業式に第二ボタンと共にラブレターを渡してきたのはお前の方だろうがぁ!
ラブレターっつー古典的なツールに心惹かれて、オッケーしたのは俺だけどもっ!
と、言う訳にはいかないが、心の中で叫んでいた守田の耳に一人の不良の声が届いた。どうやらあずきの現状が確認できたようだ。
「田中あずきは岩田屋高校近くのコンビニの駐車場に居ます。さらいに行った奴らが駐車場の隅に正座させられているらしいです。で、二十代の、多分赤いスポーツカーの持ち主っぽい男が、俺等の仲間をイジメてます。助けに行きますか?」
「赤いスポーツカー?」
と梶原が聞き返した。
川島疾風だ、と守田は思う。というか、この夏真っ盛りに不良を正座させて苛めてるって容赦ないな。岩田屋町で最も恐れるべきは中谷勇次だろう。しかし、最も怒らせてはいけないのは間違いなく川島疾風だ。
「赤い、スポーツカー? ……MR2、か。なぁ、お前等『MR2の赤グラサン』って知ってるか?」
何だっけ? 疾風が走り屋グループに属していた頃の通り名だったはずだ。不良たちは、そんな疾風の名は知らないようだった。
「知らないか」
と、梶原が呟くと「ここは破棄する。今回は失敗だ。守田はゴミ捨て場にでも捨てて、しばらく身を隠すぞ」と言った。
はぁ? と思ったのは守田だけではなかったようだ。
不良たちから不満の声が上がった。
「女が居なくても、ここにいる守田だけでもボコボコした動画を中谷に送るだけで十分呼び出すネタになるだろ? わざわざさらっといて何もしねぇなんて有り得ねぇだろ? 梶原よぉ」
「あ? 俺は元々こーいう派手なのは反対だっつたろーが。お前等がやりてぇーっつから、俺も参加してやったんだろ? おい! 俺が参加する条件、お前覚えてるか?」
梶原に文句を言った不良ではない他の不良が控えめに口を開いた。「作戦の指揮は全部、梶原さんが取るです」
「俺が失敗だっつったら失敗なんだよ。続けんなら俺抜きでやれや」
「腰抜けがっ」
吐き捨てるように不良が言ったが、梶原は特に気にした様子もなく続ける。「何とでも言えよ。続ける以上、お前等は負ける。MR2の赤グラサンだけでも厄介なのに、ここで中谷勇次も戻ってきたら盤上に逃げ道はねぇぞ」
「たった二人に負けるかよ」
「その内のたった一人をリンチにかけるために今日、何人が集まったよ。有象無象の役にもたたねぇ餓鬼どもだが」
「数は暴力だろ?」
「はぁ」
と梶原がため息を漏らすと同時に、守田の手に衝撃が走った。「がぁあっ」思わず声が上がり、目を開いた。視界には守田の指を踏みつけた梶原の冷静な表情があった。
「よぉ。寝たふりは楽しかったか? 守田」
「良い気持ちで寝てたんだから起こさないで下さいよ。先輩」
周囲にいる不良たちが守田に注目するのが分かった。しかし、有象無象は無視した。守田の敵は梶原富也、ただ一人だ。
「守田ァ。お前は、どー思う?」
「何がですか?」
「話は聞いてたんだろ? MR2の赤グラサンの登場だよ」
「そーですね。全然大丈夫だと思いますよ。俺をリンチにかけた動画を勇次の携帯に送り付けちゃいましょう!」
「はっ」
「つーか、いい加減。手ぇ踏むの止めてもらって良いっすか?」
梶原が足をどけた瞬間、守田は立ち上がって殴りかかった。勝てないことは分かっていたが、とりあえず一発は殴っておかないと気が済まなかった。
しかし、当たり前みたいに後ろから羽交い締めにされて、梶原に触れることすらできなかった。
「発情期のサルかよ、守田ァ? 何にでも盛りやがって」
「いつも賢者タイムみたいな澄ました顔する先輩より、マシっすよ」
「あ?」
「つーか、先輩は常に安全圏に居るつもり何っすね。失敗することが怖くて夢を追いかけられない腰抜けみたいっすよ。お似合いです」
梶原がゆっくりとした動作で守田の頭に手を当てると、恐ろしい力で髪を掴まれて頭突きを喰らった。
鉄でもぶつけられたような痛みに目の前が真っ暗になる。衝撃はそれだけでは済まない。拳で頬をぶん殴られた。口の中が切れて血の味でいっぱいになった。舌がしびれて、少し歯で噛んだのが分かった。
悪態の一つもつく暇もなく次の衝撃が守田を襲った。
数秒のことだったが、好き放題に殴られた。守田の意識は朦朧としていて暴力が止んだ時、頭は力なく下を向いた。
守田の耳に聞こえるのは周囲の不良どもの抑えた呼吸音と荒く息を吐く梶原の声だった。
目を開く。一瞬だけ視界が揺れたが、すぐにクリアな色が戻ってきた。守田を羽交い締めにしている不良は随分と優秀らしい。どんな角度で守田が殴られても一度だって手を離さなかった。
素晴しい。
顔を上げる。梶原は先ほどの涼しげな表情から一変して苛立たしげな表情を浮かべていた。守田は彼の眉間に口の中に溜まった血を吐きつけた。
ざまぁーみろ。
梶原の目が更に怒りに彩られるのが分かった。守田はできる限り馬鹿にしたような笑いを漏らした。「図星で、キレるなんて、みっともねぇーっすよ。先輩ぃ」
一歩、梶原が距離を取るのが分かった。重い一発がくると分かった。歯を噛みしめて体を強張らせる。しかし、梶原は守田に拳を振るわなかった。
「てめぇこそ、みっともねぇだろ」梶原がさげずむような視線を守田に向けた。「与えられた役割を果たすだけで高い場所を求めようともしねぇ。まるで地べたを這いずり回る飛べない虫じゃねーか」
「けっ」
それは夢を持たねぇ、アンタもそーだろう。
床に口の中に残った血を吐き呼吸を整える。顔中が熱く、眉一つ動かすだけで激痛が走る。それでも喋れないほどじゃなかった。
「俺はね、先輩。地べたを這いずり回ってるから高いところへ行くヤツが分かるんですよ。知ってますか。勇次の夢はUMAを見つけることなんっすよ」
「UMA?」
「未確認生物、です。アイツは存在しないものを見つけるっつてるんです。すげぇと思いませんか? 世界に確認されていないモノを見つけるんですよ、アイツは」
梶原は鼻で笑った。「まるで英雄だな。アイツは親父でも目指してんのか」
「親父?」と口にして、思い至る。「あぁ、勇次の親父さんは『英雄』って呼ばれてるんでしたね」
「何が英雄だよ。そーやって呼ばれる影で何人の人間が不幸になってると思ってんだよ」
殆ど独り言のように梶原が言った。
英雄の影? 不幸?
「梶原先輩。何を知ってるんですか?」
守田の問いに梶原は冷めた目で答えた。「中谷勇次の父親、消防隊員だった正宗が自らの命と引き換えに救った男は俺の叔父さんだったんだよ」
「は?」
「英雄の代わりに生かされた男。そーいう肩書が叔父さんにとって、どれだけ甘美に響いたか、俺は知らねぇが。調子に乗った叔父さんは数年後、中学生の女の子を襲った。そして、今は塀の中だ」
皮肉気に梶原が嗤った。「英雄っつーのは良いよな? 一回救っただけで自己満足に浸れるんだからな。それで死ねるなんて美し過ぎて涙がでるぜ」
だがな、と彼は続ける。「クズはクズのまんまなんだよ。なぁ守田ァ。地べたを這いずり回る俺等は、死ぬその瞬間までクズだってことを理解してねぇといけねぇ。間違っても高いところへ行けるヤツを見て、俺もそーなれるなんて勘違いしちゃいけねぇんだ」
「だからっ」口の中の血の味が不快だった。「だから、梶原先輩は勇次の邪魔をするんですか? アイツを地面に引きずり下ろそうとするんですか?」
梶原はポケットから煙草を取り出して一本を咥えた。
「そーできたら、アイツとも仲良くしてやるよ」
守田は血の味のする歯の表面を舐めて言った。
「そん時は勇次をぶん殴ってでも、目覚めさせますよ」
梶原が去り際に「守田の携帯は部屋に置いて行けよ」と不良の一人に言った。守田は不良にポケットをまさぐられて、思わず舌打ちをこぼした。これで浩と繋いだGPSを頼ることができない。
困ったなぁ、と思いつつ後ろで腕を縛られた状態で不良たちに連れられて守田は歩いた。辿り着いたのは去年潰れた板金工場だった。潰れた理由は近隣住民から騒音の苦情が殺到したからだ、という噂を聞いたことがあった。
守田からすれば板金工場の近くの林にエロ本がよく捨てられていて、中学生の頃に通っていた記憶しかなかった。
そんなエロ本トークでも振れば笑いの一つも取れるだろうか? と守田は少し考えたが、顔中が腫れて正直痛いし、鼻の奥にねばっこい血が絡みついて不快で口を開けられる状態ではなかった。
何より現在、不良たちは梶原富也を馬鹿にすることに必死で守田に構っている余裕はなさそうだった。
「梶原がさぁ、守田を必死に殴り出した時の小物感はヤバかったよなぁ」「あ~、アレな。幼稚過ぎて見てられなかったわ」「だよな。梶原って今年幾つよ? 十八? あれで? やばいな」「言ってやんなよ。中二病が抜けてねぇんだよ」「中二っつったらさ。突然自分語りを始めた時、浸ってたよなぁ。アイツ」「マジ、どっぷりだったな! 俺、ずっと内心、痛い痛い痛いっつってわ」「何が痛いって、それに気付いてないってとこだよな」「ホント救いようがねぇよ。あと、何だっけ? 地べたを這いずり回る?」「それそれ。入り込み過ぎて、もはや意味が分からねぇよ」「だな、あと、アレだよ。英雄」
言って、不良たちが大爆笑した。
「マジ、英雄ってなに? 漫画かラノベの読み過ぎなんじゃねーの?」「うわぁ。そーいうの読んで自分もなれるとか、思ってそーだわ!」「それはマジで痛いヤツ!」げらげら。「極めつけがアレだよ。英雄の影で不幸になった人間が、何とかってさぁ」「言ってたわ。何、悲劇ぶってんだよっつー話だよ」
「あー、お話中失礼します。先輩方ぁ」
そろそろ聞いているのも不快だったので守田は口を挟む。
「あ? んだよ、てめぇ。もうちょっと待ってろっつーの」
「そーなんですけどね。博識な先輩方に聞きたいことがあるなぁって思いまして」
「はぁ? 博識? お前、馬鹿にしてんだろ?」
お、それは分かるのか。「いえ、そんなつもりはないですよ。それで聞きたいことなんですけど、梶原先輩って中学の時はすげぇ怖いっつーか支配的だったんですよ」
弱音を吐くだけでファミレスの店内でオナニーを強要するのだから、その徹底ぶりは目を見張るものがあった。しかし、今回の守田をさらってリンチにかけるのには、あまりにも統率が取れていないし仲間内で梶原を平気で馬鹿にして盛り上がっている。
少年院に入って何か変化があったのか、それとも。
「あー自分、聞いたことあります」
と今まで喋っていなかった、下っ端っぽい不良が口を開いた。「梶原さんが中学ん時に、野球部の後輩を体育館裏で苛めてたらしいんです。そこに現れた奴が、梶原さんいわくっすけど野生動物みたいに吠えたんですよ」
吠えるって、と不良どもが戸惑った表情を浮かべた。下っ端は気にせずに続ける。
「世の中には言語が通じない、暴力が服を着て歩いているような奴が居るって梶原さんは知って、それから色んなことが狂ったらしいんです。単純に暴力とか恐怖で支配するだけじゃあ駄目だって分かったから色々試しているらしいです」
野球部の後輩は間違いなく井出彰だ。すると、暴力が服を着て歩いているのは中谷勇次だろう。
勇次のせいで梶原は自分を振り返り新たな悪事の方法を模索し始めている。その結果、今回は助かったような気もするが、この先を考えると更に面倒なことが起るのは明白だ。この際、梶原には慈善事業にでも目覚めてくれないだろうか。
にしても、と守田は思う。
当たり前だけれど、人は変わる。十代後半であれば当然とも言えるが、やはり他人の変化を見つけると不思議に思う。
守田自身にとっても目に見えての変化は当然あった。中学一年から現在までの三年と少しの間で身長は九センチ、体重は七キロ増えた。それを成長だと言えば、その通りだった。考え方だって、中一から比べれば富士山を三回超えたぐらいの変化があった。
だからこそ、変わらないものには目がいってしまう。生活する現実においても、そして守田自身の中にある心情においても。
乾いた物音が響いた。それが立てつけの悪くなった工場の扉の音だとすぐに分かった。
不良たちが揃って扉の方に注目した。一人が静かに喉を動かすのが分かった。
「よぉ」
平然とした顔で工場に入ってきた男は言った。「元気そーじゃねぇか。守田」
中谷勇次は変わらぬ笑みで、そこに立っていた。
半月ほど山に籠もった程度で勇次が変わる訳もなくて守田は苦笑いを浮かべた。
中学から比べれば色んなものが変わってきた。後悔したことだって少なくない。それでも中学一年の野球部の部室で、勇次の横に立った時の気持ちは一度も薄れることはなかった。
そして、喧嘩相手を前にした時の勇次の目もまた、あの頃から何の変化もなかった。
「さぁ――、喧嘩しようぜ。俺は、今すげぇむしゃくしゃして、」
勇次の言葉は続かなかった。不良の一人が守田を蹴り、手が縛られて不自由な守田はそのまま頭から地面にぶつかって鈍い音を立てた。
「格好つけてんじゃねぇーよ。中谷ぃ」
不良の叫びに勇次が黙る。守田は地面に額を擦りつけた状態で、脳と視界がぐらぐら揺れているのが分かった。
くそっ、容赦なく蹴りやがってからに。
不良が金属バットを守田の頭の近くに叩きつける。威嚇のつもりなのだろうが、守田からすれば恐怖でしかない。
守田の視界からは勇次の姿は確認できないが、不良たちは何か安心したような軽い声を出した。「そーいやぁ、中谷くぅんのお父さんは英雄なんだって?」「超カッコイイ」「良いねぇ、英雄の息子ぉ」「うらやましぃ」
不良全員がげらげらと下品に笑った。
「英雄?」
と勇次が問う。
「尊敬するお父さんが英雄だから、こんな正義のヒーローごっこをやってるのぉ?」「うわぁ痛い、痛いよ。勇次くん。勘違いし過ぎ!」「自分は特別ぅー、なぜなら、英雄の息子だからぁって言うのなの? ねーねー」
不良たちは勇次を馬鹿にしながら動き、距離を測っていく。一人はサバイバルナイフを持っていた。数は室内にいるだけで十ちょっと。二十はいない感じだったはずだが、蹴られて地面とよろしくやっている守田には上手く確認できない。
痛みは引かないが、視界の揺れは収まった。壁伝いに体を起こして勇次の姿を探す。
「正義のヒーロー? 英雄の息子? 特別?」と呟いた勇次は本当に意味が分からない、という声で「お前等は何を言ってんの?」と言った。
その瞬間、外で待機でもしていたのだろう不良が鉄パイプで勇次を背後から襲った。背中を殴られた勇次は前かがみに態勢を崩したが、倒れるほどではなかったし二歩ほどよろけただけですぐさま振り返って、鉄パイプを持った不良を殴り飛ばした。
鉄パイプが地面に落ちて甲高い音が響く中、勇次は工場の扉にぶつかった不良の腹を靴のつま先で蹴り込み、咳きをして下を向く彼の首元に踵を落として周囲を見渡した。
「なぁ――、お前等」
勇次は愉快だ、とでも言わんばかりに口元を釣り上げた。「俺が親父ほど出来た人間に見えんのかよ?」
◯
まったく見えねぇよ。
と、守田は乱戦した喧嘩の惨状を見ながら思った。視界が揺れる。目を開けるのがしんどくなって閉じた。ひどく喉が渇いていた。
「俺が見ず知らずの、どーでもいい奴を救って。満足して死ぬような人間に見えんのかよ!」
勇次が吼える。誰も応えない。
守田だけが内心で応える。
だから、見えねぇって。
ガラスの割れる音の後、肉と肉がぶつかる生々しい響きが続く。擦れた濁った声が微かに確認できた。不良の一人が小さく「まるで、バケモノじゃねぇか」と言った。
本当にバケモノだったなら勇次も救われたかも知れない。
痛みの中で守田はそんなことを思った。なまじ人間と同じ外見を持ち社会という枠組みに囲われ、感情というものを与えられた十六歳の中谷勇次はバケモノじみた力を持ったが故に、人以上に悩まなければならなかった。
彼は自分を知ろうとした時、間違いなくバケモノのような力と対面せざる負えなくなる。そして、その使い道を考えなくてはならなくなった。
父親が英雄なんて呼ばれていなければ、勇次は本当に正義のヒーローになっていたかも知れない。見知らぬ人を救って弱いものの味方になる。そういう分かりやすいものに彼はなれたかも知れない。
しかし、英雄と呼ばれた父は最も弱い時期の勇次を置いて一人暗闇の中に消えてしまった。仕事だからとか力があるからとか、そういう理由を丸ごと無にする結果だったはずだ。死という事実はそれだけの衝撃がある。
絶対的な父という存在が根底的に揺れ煙のように立ち消える。それだけの衝撃。
守田は思う。だからだろうか?
だから、勇次はUMAという不確かなものを求めたのだろうか?
少年、中谷勇次の気持ちは誰も理解できない。彼が語るその時まで誰も彼に寄り添うことはできない。
それでも彼が拳を握って歯を噛みしめて困難な道へ行くのなら隣に居てやろうと思う。道を間違えるのなら殴ってでも止めてやりたい。
自然と痛みが引いた。目を開く。勇次が二人に取りつかれて、金属バットで殴られているところだった。バットを振るった不良が安心するような乾いた笑みを浮かべた。
額から血を流す勇次は「はっ」と笑った。そして、取りついている一人の髪を掴むと近くの壁に勢いよくぶつけ、呆けたもう一人の顎に拳を振るった。
残った金属バットを持った不良の胸倉を掴むと、そのまま地面に引き倒して拳を落とした。
「英雄? 特別? 本当、いい加減にしろよっ! お前等が勝手に俺を決めんじゃねぇよ!」
血が舞った。勇次にマウンドポジションを取られて殴られている不良はすでにのびている。しかし、勇次は殴るのをやめない。他に残った不良が、その惨状を見て唾を飲んだのが分かった。
あーあ。
守田は立ち上がろうと足に力を入れる。手は縛られているので自由には動かないが、足は何もされていなかった。しかし、殴られ過ぎたせいか二度足に力が足らず、地面に顔を押し付ける結果となった。体が鉛のように重かった。くそと悪態をついて、壁に寄りかかる形で何とか立ち上がる。
微かに血の味がした。息を吸い込み、叫ぶ。
「おいっ、勇次ぃ! ダセェことしてんじゃねーよ」
守田の言葉に勇次の動きが止まった。動ける不良たちは、その姿を見た瞬間、沈没する船の中の鼠のごとく工場の出口へ殺到し、ものの数十秒で周囲はがらんっとした静けさに変わった。
勇次が守田を見た。
そして、僅かに笑った。「大丈夫かよ? 守田」
「大丈夫に見えんのかよ? 良いから、肩貸せよ」
「ちっ、分かったよ」
「あ、その前に腕縛られてんだよ。何か切るもんねぇか?」
勇次が「あー」と言って、周囲を見渡して不良の一人が持っていたサバイバルナイフを持って近づいてくる。額から血を流し、服も返り血まみれになっている同級生がナイフを持って近づいてくるのは一種のホラーだった。
これが女子だったら裸足で逃げ出すパターンだな。あ、でも千秋先輩だったら是非! ってなるか。ん、なるか?
守田は壁に寄り掛かった姿勢で腕を勇次へ差し出した。勇次はナイフでヒモを切ってくれて、守田は自由になった痺れた腕を何度か動かして作動チェックをする。
勇次がサバイバルナイフを床に捨てて肩を貸してくれる。どっと疲れが出てきて、守田は勇次に殆ど寄りかかる形になった。「おいおい、歩けるか?」
と勇次がぼやいた。
「何とかなんだろ」
「本当かよ」
「無理だったら、おんぶにしてくれ」
「はぁ。分かったよ」
工場を出るとすでに月が空には浮かんでいた。
「つーか今、何時だよ? もう絶対、ライブ始まってんじゃねーか」
「ライブ?」と勇次が疑問符を浮かべる。
「あーあ、千秋先輩のドラム聞きたかったなぁ。あと、あずきちゃんの生歌ぁ」
「あずき? 生?」
おい、勇次。それはあずきちゃんの前では言うなよ。




