ヘイダール伯爵の帰還 2
その老人はいつのまにかヘイダール要塞の民間人の居住区域に立っていた。
豊かな白髪と白い髭を蓄えた、長身の老人だった。
民間人の居住区域にあるその場所は広場のようになっていて、銀河帝国の初代皇帝だと言われる銅像が中央にあった。
新世紀共和国の艦隊がこの要塞を占拠したときにこの立像を壊そうとしたが、艦隊司令官ヤム・ディポック提督はそのままにして置くように指示したことがある。
彼によれば銀河帝国もその初代皇帝も実際に存在したものなのであり、歴史の遺物であるからだと言う。
そして、新世紀共和国が銀河帝国に造反して建国したとして、その存在をないものとする必要はないとディポック提督は言った。
それでこの銅像は破壊を免れたのだった。
そのことを聞いた時その老人は、
「若いのに、なかなかやるではないか……」
と呟いたものだった。
老人がヘイダール要塞の現在の司令官に興味を持ったのは、その話を聞いたからである。
とかく功を成し遂げた者は古いものを壊したがる傾向がある。
この立像は特に芸術的に重要だということはないが、歴史的にみればあってもよいものだと思われた。何としてもこの要塞の最初の建設は銀河帝国によるものなのだ。
もっともその老人がその銅像を立てると聞いたときには、あまり賛成はしなかったのだが……。
「あら?もしかしてヘイダール伯爵ではありませんか?」
と、言う声がした。
声の方を見ると、まだ十代前半の少女が立っていた。
「おお、これはアズミ姫ではないか」
「やはり、伯爵なのですね」
「いや、何やらこの辺りが騒がしくなったと聞いて戻って来たのだが……」
「ふふ。一応今回の騒ぎは収まったようですが、もうひと悶着ありそうな雲行きですけど……」
老人が手を振ると、広間の片隅に忽然とベンチが現れた。
「久しぶりだから、少し最近の話をしてもらってもいいだろうか?」
「もちろん!」
二人はベンチに座って話始めた。
リドス連邦王国のアズミ姫は要塞司令室の者達に国へ帰ると言ったが、すぐには帰らなかった。
彼女は要塞の中を観光しつつ、もしかしたら老人――ヘイダール伯爵が戻って来るかもしれないと考えて移動しなかったのだ。
今この要塞の近くには暗黒星雲の種族のリード・マンドがいるが、他に要塞内にダルシア帝国の宇宙都市ハガロンの大使だったアンクール・コアがいた。
コアはヘイダール伯爵が戻って来たのに気づいたが、リード・マンドはそのことに気づいてはいなかった。
なぜなら、彼が以前この辺りにいた時にいた時に、ヘイダール伯爵はいなかったからだ。
もっとも、アズミ姫もヘイダール伯爵もリード・マンドに気づかれないようにしていたこともある。
ベンチに座る二人は、傍目では老人とその孫にしか見えなかった。
要塞司令室からタリア・トンブンを迎えに派遣されたリブレ中尉とその部下の四人は、他の者よりも急ぎ足で歩いていた。
ゼノンの魔術師ディラは、他の連中よりも急いでいる一団を見つけ、吸い寄せられるように近づいていった。
そして、自分からぶつかると、
「あ、すみません」
と、謝って、相手を見た。
リブレ中尉と部下の見たのはヘイダール要塞ではあまり見かけない、美女だった。
彼らはゼノン人を見てはいなかった。ディラは魔法で人間に見えるようにしていた。
ディラはにっこりと笑うと、相手の目を自分に釘付けにした。
これはゼノンの女魔術師の使う、本来は禁じ手の魅了の魔術だった。
ゼノンに伝わる呪文を使わない非常に初歩的で効果的な魔術である。
「ど、どうも。我々も急いでいたので」
と、リブレ中尉は言った。
「いいえ、悪いのは私です。でも、どちらに急いでいたのですか?」
「いや、タリア・トンブンを司令室に連れて行くように命じられているのだ」
と、リブレ中尉は命令されたことをペラペラと答えた。
リブレ中尉の目と意識がディラに釘付けになっている間、ディラの言葉に抗うことはできない。
「丁度よかった。タレス連邦の人たちの居るところへ、私も行く用事があります。ご一緒させていただけますか?何しろ要塞の中は不案内で、今も迷っていたのです」
「それでは、我々と一緒に来るといい」
と、リブレ中尉は当然のように言うと、部下についてくるように合図した。
ボルドレイ・ガウンはそれを少し離れたところで見ていた。
同じ光景を、バルザスは別の位置から見ていた。
リブレ中尉と四人の兵士がディラを連れてタレス連邦の亡命者の居る宿舎の方へ急ぎ足で移動して行った後、バルザスはボルドレイ・ガウンが自分の宿舎に戻るのを見届けた。
そして時間を稼ぐために、先にタリアの部屋の扉が簡単には開かないように魔法をかけた。
その後、タリアの部屋への中へ、魔法を使って移動した。
タリアの部屋には入ったことはないが、バルザス提督には間取りがだいたい分かっていた。
バルザスも一仕官だった頃要塞に配属されて、士官として部屋をもらったことがある。
バルザスは寝室に直接移動すると、寝台を見た。暗い部屋でも常夜灯が足元にあるので、うっすらと見えたが、寝台にはタリアはいなかった。
首を傾げてバルザスは部屋の中を歩いた。
「いたっ……」
何かにぶつかったと思うと、声がした。
「タリア、こんなところで何をしているんだ?」
「誰なの?」
と、タリアは言った。
バルザスがぶつかった拍子に目が覚めたのだ。
だが、暗くて誰がいるのかわからなかった。
「私だ。銀の月だ」
「独身の女性の部屋に何をしに来たの?」
「しっ、静かに!これからゼノンの魔術師がやってくるんだ」
「何ですって?」
その時、部屋のインターホンが鳴った。
「来た!」
「ちょっと、どうすればいいの?」
「ここでじっとしていてくれ」
銀の月は、慎重に魔法の呪文をいくつか唱えた。
タリア・トンブンの部屋の前で、リブレ中尉は止まると、インターホンを鳴らした。
彼の傍にディラがいるが、そのことにリブレ中尉は全然気づいていないようだった。
「誰もいないようだな」
と、何度か試した後、リブレ中尉は言った。
「何処へ行ったのでしょうか」
と、部下の一人が言った。
「他の連中に聞いてみましょう」
と、部下が言うと、
「そうだな。そうしよう」
と言って、リブレ中尉はタリアの部屋から離れていった。
まるでディラがいることなど初めから気がついていないようだった。
ディラはリブレ中尉から離れてタリアの部屋の前に残った。
ディラは部屋の中に人がいるのを感じていた。
廊下からリブレ中尉たちがいなくなるのを待って、口の中で呪文を唱えた。
最初の呪文では、扉は開かなかった。
バルザス提督――銀の月が、扉が簡単には開かないように魔法をかけていたのだ。
イライラしながらディラは何度か同じ呪文を唱えた。
すると、何度目かにタリアの部屋の扉が開いた。
そして、するりと中へ入ると、扉を閉めた。
そして、暗い部屋の中で目が慣れるのを待った。
部屋の中に寝台が置いてあり、そこにタリアが休んでいるようだった。
ディラは、呪文を唱えると、寝台に寝ていたタリアと思われる女性がむくりと起き上がった。
「いい子ね。服を着たままというのは、行儀が悪いけれど、この際都合がいいわ」
と含み笑いをすると、ディラはタリアを連れて部屋を出て行った。
一部始終を寝台の横で小さくなって見聞きしていたタリアは、
「いったい何をしたの?」
と、バルザスに聞いた。
「ちょっと、幻を見せたのさ」
「幻?」
「君が寝台に横になっているという幻をね」
「でも、あの女、誰かを連れて行ったのでしょう?」
「まあね。幻の君を本物と思って、連れて行ったと思っているのさ」
「で、でもいつかは気がつくでしょう?」
「もちろんさ。でも、しばらくは気づかない。さあ、行くよ」
「ど、どこへ?」
「要塞司令室さ。君にとっては、今はあそこが一番安全なんだ」
ディポックはタリアが来るのを待っていた。
「司令官、ゼノン帝国の政府代表のボルドレイ・ガウン閣下から、話があるそうです」
と、ブレイス少佐が言った。
惑星連盟の審判で来訪したゼノン帝国の代表が要塞内の通信装置で連絡してきたのだった。
「何か話があるそうですが、何でしょう」
と、ディポックは聞いた。
「外に我が国の艦隊が来ていると聞いた。審判が終ったので、私が乗ってきた艦で要塞から出て行こうと考えている」
と、穏やかにボルドレイ・ガウンは言った。
「わかりました。そういうことでしたら、そちらの艦の準備ができしだい、出航して結構です」
「では、いいのだな」
「了解しました」
とディポックが言うと、目の前にタリア・トンブンとバルザス提督が現れた。
魔法陣も出ないのに、突然何もない空間に現れたので要塞司令室の者たちはみな驚いていた。
「わ!ど、どうしたんです?」
と、驚いてディポックが聞いた。
「その前に、今話していたのは、誰ですか?」
と、バルザスが聞いた。
「今話していたのは、ゼノン帝国の政府代表のボルドレイ・ガウンですが……」
と、ディポックはゼノン帝国の政府代表たちが要塞を出て行く許可を求めたことを話した。
「なるほど。それで、すぐに要塞を出て行くといっていたのですね」
「そうですが、それが何か?」
バルザスはゼノンの女魔術師とボルドレイ・ガウンがタリアを攫おうと企んだことを話した。
「それで、タリアは大丈夫だったのはわかりました。じゃ、ゼノンの連中は失敗したので早く逃げようとしているのでしょうか?」
と、ディポックは聞いた。
「いえ、彼らには幻覚を見せています。タリアを上手く捕まえたと思っているのです。それで、急いで要塞を出ようとしているのです」
と、バルザスは言った。
「それは、魔法を使ったのですか?」
「まあ、そうです」
「銀の月の魔法は、色々なことができるようだな……」
と、ダズ・アルグが言った。
「銀の月だからできたのよ。他の魔法使いじゃ、そうはいかないわ」
と、タリアが言った。
「しかし、ゼノンの魔術師でも、外の艦から要塞の中へ移動できる魔術師がいるとは、凄い力があるのですね」
「そう数はいないと思いますが、ゼノンにはそうした力を持った魔術師が他にもいるはずです。他の国にも少しはいます。宇宙航行ができる国では、力の強い魔術師や魔法使いが必要とされるようになるからです」
「でも、ガンダルフにはもっと沢山いるのでしょう?」
と、タリアが聞いた。
「それは、どうかな」
と、曖昧にバルザスは言った。
ガンダルフにおいても、宇宙で魔法が使えるような魔法使いは数少ない。
ゼノンよりも数は多いかもしれないが、それほどいるわけではなかった。
銀の月は、一応宇宙で魔法を使える魔法使いの一人だった。
彼の得意とするところは、様々なジル星団の種族の呪文に通じ、古代から伝わる多様な呪文を使えることと、特に霊的なものを感知し、見たり聞いたりできることだった。
そして、今回使ったのは相手に幻覚を見せる魔法だった。
この魔法は一人だけに幻覚を見せるのではなく、相手の仲間にまで幻覚を見る影響を及ぼせることだった。
だから、幻覚だと気づくことが難しい。
だがそれを使うにはかなり慎重に呪文を構築する必要がある魔法のため、使用には少々時間が掛かるのが難だった。
ヘイダール要塞に駐機していたゼノン帝国の艦が、発進許可を求めてきた。
「司令官。ゼノン帝国の艦から発進の許可を求めてきました」
と、通信仕官が言った。
「わかった。バルザス提督、このままゼノンの艦を行かせていいのですね」
と、ディポックは念のため確認した。
「そうしてください」
と、バルザス提督は言った。
「ゼノン帝国の艦に発進を許可すると伝えてくれ」
「了解」
要塞司令部から発進の許可が伝えられると、ゼノン帝国の艦が発進した。
ゼノンの艦は要塞を出ると、彼らの艦隊のいる方へ近づいていった。
「ゼノンの艦に注意していてくれ」
と、ダズ・アルグが言った。
女魔術師ファールーレン・ディラはダルシア帝国の継承者タリア・トンブンを連れて、旗艦に戻ってきた。
作戦は成功したものと、ディラとゼノン帝国政府代表のボルドレイ・ガウンは思っていた。
「よくやった、ディラ」
と、ヴィレンゲル少将が言った。
「幸運に恵まれたのです」
と、ディラは遠慮深く言った。
「タリア・トンブンは?」
「別室におります」
「その者は、ダルシア帝国籍だというが、ダルシア人の形質を受け継いだものなのか?」
と、ドールズ・ゴウン元帥が聞いた。
「いいえ、タリア・トンブンは生粋のタレス連邦の者です」
「そうか。で、ホルガ・ヴォン・ドルとオヴァン・ルウ・ギルト子爵も一緒に連れて来たか?」
と、ゴウン元帥が言った。
「はい」
「では、ヴィレンゲル、これでいいだろう。ヘイダール要塞を攻撃せよ」
と、ゴウン元帥は命じた。
「了解しました」
と、ヴィレンゲルは言った。
ゼノン帝国艦隊が攻撃態勢に入った。
タレス連邦の艦隊にも共同作戦を取るように呼びかけていた。
ヘイダール要塞では、アリュセアがすぐに反応した。
「ゼノン帝国の艦隊が攻撃してくる。タレス連邦の艦隊も。ドルフ中佐、銀の月に連絡して!」
と、アリュセアが言った。
要塞司令部では、
「ゼノン帝国艦隊に動きがあります」
と、通信仕官が言った。
「帰るために動いているんじゃないか?」
と、ダズ・アルグが軽く言った。
バルザス提督の周りに通信用の魔法陣ができるのと、ゼノン帝国艦隊からの第一射が同時だった。
要塞が再び大きく揺れ、金属が破裂するような鈍い音が響き渡った。
驚愕したのは、要塞司令部の者たちだけではなかった。
惑星連盟の各国政府代表は、今度は何事かと要塞司令部に現状の説明の要請が殺到した。
要塞司令部では、現在解答をしかねると突っぱねると同時に非常警戒態勢の措置を取った。
各自、用のないものは一般市民であっても自室に戻り、避難の準備をして待機するというレベルである。
だが、それでも要塞内部にすぐ噂が広まった。
ヘイダール要塞を攻撃しているのは、ゼノン帝国とタレス連邦の艦隊だと。
そこにもしかしたら、ダルシア帝国の艦隊も加わるかもしれない、と……。
惑星連盟の議長であるナンヴァル連邦のマグ・デレン・シャは、自室で深い憂いを浮かべていた。
「やはり、そうなってしまいましたか……」
こうなることを恐れて惑星連盟の審判でダルシア帝国の継承者を公にしたのだった。
「ところで、タリアは無事なのでしょうか?」
と、マグ・デレンは懸念を口にした。
「さあ、それは……」
と、タ・ドルーン・シャは要塞司令部にすでに照会していたが、解答は得られなかった。
「銀の月がいるので、万が一のことはあるまいと思うのですが……」
と、マグ・デレンが一抹の不安を感じて言った。
「もう少し、落ち着きましたら、もう一度聞いて見るつもりでおります」
「そうですね。今は仕方がありますまい」
「それよりも、ゼノンとタレスの艦隊に要塞がもつかどうかを不安に思うのですが……」
「それは、タリアがどちらにいるかによるでしょう。要塞の外にはダルシアの艦隊がいます。もしタリアがゼノンやタレスの者たちに拉致されてしまっているとしたら、ダルシアの艦隊がどちらに付くか火を見るよりも明らかです」
と、マグ・デレンは不安そうに言った。
その時タリアは要塞司令室で、不安そうに大スクリーンを見上げていた。
ゼノン帝国艦隊は、ジル星団ではダルシア帝国の艦隊に次ぐ強力な艦隊なのだ。
ゼノン帝国艦隊とタレス連邦艦隊の攻撃があった時、銀河帝国の初代皇帝の銅像が立っている民間人の居住区の広場のベンチでヘイダール伯爵が目を閉じた。
「これはゼノン帝国艦隊の攻撃か……、いやそれだけではないな。あれはタレス連邦艦隊もか……」
「外の艦隊が攻撃してきたのですね」
「これはまずいことになるかもしれぬな。以前にはゼノンにはあの攻撃専門の艦のようなものはなかったはず」
おそらく、ゼノンの開発した新しい攻撃艦なのだろうとヘイダール伯爵は思った。
その攻撃力は確かで、このままでいけばヘイダール要塞の内壁まで到達するかもしれなかった。
そうなったら、ヘイダール要塞は今までにない致命傷を受けることになる。
この要塞はこれからが本当に必要となるはずなのだ。




