第2章 ナルハラ国 3,4,5
第2章3,4,5話です。
囚われた王子は宰相邸の地下室へ連れて行かれる。サルビアがその世話の当番となって会うことになるが…。
3
ナルハラ国の王宮では大騒ぎになっていた。カカボ王子が戻ってこないという一報の直後にコレティア国のランキアンで逮捕という続報が入ってきたのだ。父であるバサック王は真っ青になった。早速宮中に臣下を集め、緊急会議が行われた。
会議にはランキアンに王子と共に遊びに行っていた貴族の子弟が王の下に引っ張り出された。
「気がついたら、逮捕されていたのです。まさか、客室に税の官吏が入って、王子を捕らえるとは思いませんでした」
彼らは王子逮捕にあわてて宿を飛び出し、逃げ帰ってきたのであった。王は顔を覆った。もともと素行の悪い長男であった。庶子の出来がいいことを苦にしたのか、自らの責務を放り出すようになり、最後には理由をつけて王宮を逃げ出していた。幼い頃はまだ説教をし、無理矢理学ばせ、指導に従わせた。しかし、大人になったら、もう指導はできなかった。しかも似たような輩と同調し、一緒に遊びに行くのだ。王の力でも止められなかった。せいぜい、小遣いを減らすことで、制御していたつもりだった。それに遊ぶ先のランキアンはコレティア国領土とはいえ、ナルハラの民も多数住み、治外法権だと考えていた。王子がそこに出入りしても、見逃してくれると高をくくっていた。それが違ったのだ。
「そして、どこに連れて行かれた」
「分かりません」
「分からんと?」
王子の身分を考えれば、本来、一緒に同行した貴族の子弟は王子を守る行動に出るはずなのだが、彼らは逃げ出した挙げ句、情報すら得ていない状況だった。その現実にバサック王はますます打ちのめられた。
「誰か分かる者はおらんのか」
ため息と共に王は呟いた。すると末席の方から、一人が進み出た。
「恐れながら、私が聞いた情報によれば」そう言葉を切り出したのはランキアン近くに領地を持つ貴族の一人だった。
「よい」
「捕まった後すぐに都に向かう馬車に乗せられたという情報が耳に入っています」
「なんと」
コレティア国首都パルフまで連れていかれたら重大な問題である。
「王子はラジという偽名を使っているので、官吏はナルハラ国王子だとは分からないはずです。王子も自ら身分は明かさないでしょう」
逃げ帰ってきた貴族の子弟が口を挟んだ。国王は黙れという言葉の代わりにその若者を睨み付けた。
(きっと王子だと分かった上で直接狙ったのだ。税金の支払いなど、なぜ今ごろ命じるものか。もう何年も通っているというのに)
コレティア国の真意を考え、王は王子が人質として囚われたと気づいた。
「陛下、現在、ランキアンへは簡単に通行できぬようになっております」
急に会議室に入ってきた上級官僚である行政長官が更に悪い情報を告げた。
「突然どうしてか」
それでは交易もままならないではないかと王は不思議に思った。コレティア国もナルハラ国の輸入品を必要としているはずである。
「貨物については通行可であるが、人の往来は禁止となっております」
「なぜ、そうなった」
「噂では、コレティア国の新しい宰相が決めたそうです。現在、ランキアンの街道に大きな関所を建設しています。その門の近くには軍が駐留し、警戒していて、新しい元帥がそれを指示しているとか」
次から次にもたらされる新しく不利な情報に、王は混乱した。王子が囚われたのはコレティア国の新しい宰相と元帥の策略だということだけは何となく分かった。そして会議室の入り口に立っている行政長官に言葉を投げる。
「それは一体どういうことなのか、詳しく説明せよ」
「かしこまりました。御前に失礼します」
行政長官はそう言うと、貴族の間を縫うように王の前に進み出て、おもむろに口を開いた。
「去年、コレティア国国王が採用した平民が、宰相、元帥となり、彼らが今やコレティア国の政治の中心と聞いています」
「ははは」
意外な話に、平民に何ができると言いたげに王は笑った。
「詳しいことは分かりませんが、宰相府、元帥府とも変わったようです」
「ふむ」
王は首をかしげ、王座に深く座り直して、聞く姿勢に変わった。ずっと、王子がコレティア国に出入りしていたというのに、その政治体制が変わったことなど全く知らなかったことに王は気づいたのだ。
「租税方法、法の統治、軍の指揮、人材の登用、あれこれ急に変わって一時期混乱したようですが、今は落ち着いているようです」
「平民が変えたとなれば、貴族が黙っておるまい」
王は納得がいかない口調で言った。
「はい。当然貴族が反発しているようですが、コリウス王の強い後ろ盾があるようで、強行に推し進められたようです。ただ、貴族の改革ではなく、あくまでも官吏の中だけのようで」
「ふうん」不可思議な話だと言わんばかりの顔をして王は呟いた。
「今回の税徴収については宰相の命令だともっぱらの噂です。ランキアンで商売をやっている者は皆震え上がっています」
「何という名か」もしかしたら知っている名前かと王は思った。
「シャディン・フィルという者だと」
「知らんな」王は鼻で笑った。
「都パルフにある庶民の学校出身だとか。まだ20才にもなっていないということです」
「ふん」そんな無名の若造に何ができると王は思った。
「元帥も同じ出身で、セルド・レビィンという者だと」
「はあ」もうため息しか出なかった。王は立ち上がった。
(そんな無名の子供のような庶民にこんな仕打ちをされたなど、情けない話だ)
王はそんな無名の新参者の策略など簡単に反撃できると考えた。
「誰か、誰かおらぬか。さっさとランキアンを攻めて、王子を取り戻せ!」
王の声に臣下達はしばらく無言だったが、ざわざわと急に話し始め、一人が王の前に飛び出した。
「私が行きます!」
声を上げたのは、小麦色の肌に大きな黒い瞳、短髪の淡い茶色の髪、体つきは筋肉質で背が高く、いかにも軍人風情の若者であった。
「陛下、是非私に行かせて下さい」
「おお、ソロ将軍か」
バサック王は目を輝かせた。長年自分に仕えた家臣らが自分と同じように年を取る中で、ラウン・ソロ将軍は弱冠20才であった。才能ありとして登用し、筆頭の将軍とした期待の若手である。バサック国王はこの小国ナルハラ国を強くするため、才能があれば、家柄などを無視して登用し、国を発展させていた。
「ここは、陛下のためにも、王子を助けに行きたいと存じます。私にご下命下さい」
「分かった。そなたには期待しておる。すぐに支度して行け。従軍する者はそなたの好きなように選んでかまわぬ」
「かしこまりました」
将軍は威勢よく返事をすると、さっと簡易的な礼をして頭を下げ、すぐにその場から去った。事は急ぐのだ。将軍は小走りに宮殿を後にした。
首都マーネルからランキアンまで約3日、ソロ将軍は腕に自信のある部下数名を連れて休まず、ランキアンまで駆けた。今まで国境の表示すらなかった街に新しく関所の砦まで作っているという話だ。砦が完成するまでに到着し、囚われているであろう王子を奪還しなければならない。都まで運ばれている間に数騎で襲いかかれば、簡単に助けることができるだろうと考えた。
ランキアンは南北に連なる山脈の峠の先の盆地にある。坂道で息が上がる馬をなだめながら、ソロ将軍は急いだ。山林を抜け、旅人の横をすり抜け、先へと進む。遠くに見えたのは、丸太を並べ連ねた簡素な作りの柵と門であった。
(こんなもの、火をかければ簡単に焼け落ちる)
将軍は内心勝ったと思った。門に近づき、馬を止めると、扉の前の衛兵に尋ねる。
「我はラウン・ソロと申し、ナルハラ国の将軍である。ここをお通し願いたい」
丁寧な挨拶に衛兵は地面に突き立てていた槍をおもむろに握ると、攻撃はしないものの、いぶかしげな様子で返事をした。
「どのようなご身分の方でもここを通すことはできない。これは上の命令である」
「なぜ通せないのだ。つい先日まで通行自由だったではないか」
「密偵が多数出入りしている疑いがあるとのことで、急に閉鎖となったのです」
「密偵だと」
ソロ将軍は突然の話に困惑した。王子が逮捕されて、一方的にコレティア国の新宰相や新元帥が無理矢理国境に門を作っただけだと思っていた。
「いかなる身分の方でも、そういう訳でお通しできません」
「むむ」ここで押し入れば逆に密偵となってしまう。将軍はひるんだ。ふと周りをみれば、背後の部下も困惑している。兜は外しているものの、首から下は甲冑を着け、明らかに戦闘する気満々な格好をしていた。これでは、どんな甘言を用いても衛兵は一切門を開かないであろう。
「将軍様、申し訳ありませんが、お引き取り下さい」
衛兵の態度は低姿勢であった。ソロ将軍は諦めなかった。
「お前の上司を呼んでくれ。我はナルハラ国の代表でもある。話がしたい」
「……」衛兵は眉間にしわを寄せてしばらく将軍の顔を見つめていたが、仕方なさそうに「しばしお待ちを」と言うと、他の者に番をさせて、扉の脇の小さな出入口から奥に消えていった。
(上司というのは元帥か)
ソロ将軍は少しワクワクした。新参者で平民出と言っていた。自分と年齢も近そうだと思った。自分は才能を認められ王から直接登用されたが、このコレティア国の国王は暗愚だと有名なのだ。そんな者の登用する平民など、たかが知れていると思った。その馬鹿顔を拝んでやろうと侮蔑する気持ちがふつふつと心の底から湧き上がってくる。
しばらくすると、門の大きな扉の向こうから蹄の音が聞こえた。それは大きく、刺さるような音だった。ソロ将軍は噂の元帥がやってきたとにやりと微笑む。
新しい木材のきしみから漂う芳香と共に、大きく扉が開いた。その隙間から現れたのは、将軍の想像を超えた男だった。
黒い馬にまたがる青色の男、その手には大太刀が握られ、地面に向けられたその刃先は陽光に鋭く反射し、その殺戮能力の高さを示していた。そして顔を見れば、きりりと引き締まった顔立ちで眼光鋭く自分を見つめている。とても愚鈍には思えなかった。
「初めてお目にかかる。私はコレティア国が元帥、セルド・レビィン、ナルハラ国のソロ将軍とお聞きしたが、何の御用でしょう」
セルドの声が高らかに響いた。それは強く、圧倒されるような声音だった。ソロ将軍はひるんだ。想像とは正反対だった。
「ここを通していただきたい」
「ご希望には添えかねます」
「なぜ。我はここに幽閉されている者を助けに来ただけだ」
「幽閉されている者? どなたのことだろうか」
「ラジという者だ」
「知らないな」セルドは冷たく言い放った。ソロ将軍は嘘をつけと思った。
「我が国の者が拘束されたため、見に来たのだ。我は将軍、我が国民を保護しなければならぬ」
「拘束されたというのであれば、理由がありましょう。コレティア国は理由なく逮捕などせぬ国。そのラジという者に理由を聞けばいいのではないか」
「そうだそうだ。そのためにも、その者に会うため、ここに入れてもらわねば、話ができない」
ソロ将軍は理由を得たりとうれしそうに叫び、馬の手綱を締めた。
「ここは人の往来は認めていないが、荷物の往来は認めている。その者と話がしたくば、書簡のやりとりをすればいい」
セルドは冷たく言い放った。そしてソロ将軍に対抗するように大太刀を持つ手に力を入れる。
「チッ」将軍は舌を鳴らした。
(これ以上この元帥と話してもらちがあかない)
ソロ将軍は無駄なやり取りに苛立った。しかし、幸運なことに相手はたった一人である。しかも無名の若者、倒せばいいだけではないかと思い直し、将軍は腰に帯びていた剣に手をやった。
「争うつもりか」
将軍の態度を見たセルドはそう口にしても特に動じた様子はなかった。ただ、片眉を上げ、ふうんという風情だった。
(馬鹿にしやがって)
ソロ将軍がそう思う先に、自分の部下が大きな槍を突き出して先に打って出た。
ガツンと大きな金属音が鳴ったと思うと、部下の槍は宙を舞い、遠くに飛んだ。
「くそッ」続けざまに他の者が叫ぶと、剣や槍でコレティア国元帥に向かって挑んでいく。ソロ将軍が加勢する前に、部下達はなぎ倒され、馬から落ちて地面に転がるか、武器が無くなり、逃走する有様で、誰も太刀打ちができなかった。
(どういう才能だ)
剣の柄に手を置いたまま、ただ部下が倒れていくのを眺めることしかできず、将軍はそのセルドの実力に舌を巻いた。
「一体何のためにここへ来たのですか」
地面に倒れている男たちを見下ろしてセルドはそう呟くと、大太刀を握り直して門の方へ戻っていく。
「俺と勝負はしないのか」
その背中に向かって思わず将軍は叫んだ。相手にされていないようで悔しかった。すると馬を止め、セルドは振り返って答える。
「これ以上、ナルハラ国の代表者と戦えと? 将軍を倒せば、国が黙っていないでしょう。戦争をしたいのですか」
「……」確かに、あくまでも王子の奪還のためにここに来ただけだった。国対国の戦争を求めているわけではない。ソロ将軍は唇を噛んだ。
「これ以上ここで争っても無駄です。それでは」
門を閉める前にセルドはソロ将軍に向けてそう言い、興奮した馬をきゅっと手綱を締めて落ち着かせた。その姿はすぐに門の奥へと消え、木造の門が大きく音を立てて閉まった。
ソロ将軍はただ見送るだけしかできなかった。
地面に倒れた部下や遠くに転がっている武器を眺めて敗北した気持ちになった。コレティア国元帥は手加減したのだ。部下の命までは取らなかったのだ。本気だったら、部下だけではなく、自分も殺されていたのだろう。
(まさか、そんな実力の持ち主がいるなんて)
相手を見くびっていたとソロ将軍は素直に敗北を認めた。彼自身、一から努力し今の身分を勝ち取った人間だった。相手のレベルは一目見れば分かる。ひとまず、ここは引き上げるしかない。国元へ帰り、次の作戦を考えなければならなかった。
4
(疲れた)
私は心の中でため息をつく。ここ数日、宰相邸は忙しい。一人、暴れる男を邸に連れてきて、地下の部屋に幽閉してから、ひどく物々しくなった。
シャディン様もその男が地下室に入った途端、宰相府の勤務時間より、在宅している時間が長くなった。それに対して、セルド様はどうやら、国境近くの警備で忙しい様子で、まだこちらには戻ってきていなかった。
そして邸の中に、その幽閉されている男のために宰相府や元帥府から職員が数人泊まり込むようになった。そのせいで私たち召使いはその職員の対応で忙しい。
(だいたい、一日中っていうのが問題ね)
24時間体制なのだ。私とジジは交代で休みをとり、泊まり込みの職員の要望を聞いている。一番困っているのはその幽閉された男がひどくわがままだということだった。夜中でも、あれこれ持ってきてくれとうるさい。お世話係は泊まり込みの宰相府や元帥府の職員がしているけれど、結局食事や水などの用意するのは私たちだった。
「迷惑をかけるが、協力をお願いしたい」
その男が入ってきた時、シャディン様は私やジジにそう言った。入って行く時にちらりと見たその男は、やたらキザな感じでいけ好かなかった。
「どうします?」
邸の1階隅にある召使い用の部屋で、ジジが私の顔をのぞき込んで尋ねる。今夜は私が当番だった。ジジは、私が疲れ切って自分のベッドに足を投げ出してぼーっとしているのを見たので、それとなく気を遣ってくれたようだった。
「当番だもん、するわよ」
私は腰をさするようなしぐさをしながら、ベッドから出て立ち上がる。元帥邸の姉やノシャックもしているはずだ。嫌でも順番が来たらしなければならない。
「昨日、本当に大変だったんですよ。今夜も大変だと思いますけど」
幽閉されている男は拘禁反応なのか、夜になるとイライラしだし、あれこれ無理難題を言ってくる。それをなだめている官吏もいい加減堪忍袋の緒が切れ、とうとう昨日は暴言合戦になったようだ。
「仕方ないわ」
私はため息をつく。そして、ジジが自分のベッドに座るのを横目で見ながら、そそくさと部屋を出た。
地下室の入り口にある召使い用の控室は温度が他の部屋よりも少し低い。私は手編みのストールを羽織ると廊下を通って、その部屋の中に入った。
室内にはベルがある。召使いの呼び出しベルだ。私は天井を見上げてベルを見つめる。これが鳴ると地下室へ行き、なんらかの用事を命じられるのだ。
私は部屋に置いてあったポットからコップに温かいお茶を注いで、その香りを楽しむ。それくらいしか楽しみがなかった。
(なんらかの重要な人なんだろうけど、こんな面倒な男なら、もっとしっかりした牢屋にでも入れればいいのに)
心の中で文句を言いながら、私はお茶を入れたコップから手を離し、テーブルの上で指をコツコツと押しつけた。ふと、自分が描いた物語の流れを思い出す。物語の中では、シャディン様たちは国王に無理難題を押しつけられ、少数の軍隊で戦に挑み、南国ならではの密林を利用してゲリラ戦に打って出て、有能な将軍を打ち負かし、ナルハラ国王の停戦の申し出で戦は終わるという流れだった。
(全然違う展開じゃない)
私は遠い目をして少しぬるくなったお茶を飲んだ。
私は展開が違うことに動悸がした。私の知らない新しい話が進んでいるのかも知れなかった。それはいいことなのかもしれないとぱっとうれしい顔をした瞬間、ベルが鳴る。
(さあ、今夜も忙しくなりそう)
私は覚悟を決めて、地下室に通じるドアを開けた。
「何か御用事ありますか」
階下から宰相府の官吏がうんざりした様子で顔を出す。
「水を持ってきてくれ」
「分かりました」
牢に入っている男が何か言ったのだろう。私は厨房の方へ向かった。厨房には私以上に疲れ果てた料理人が椅子に腰掛けていた。
「お水いただきますね」
料理人に私は笑顔で言って、水桶の方へ向かう。
「お嬢様」
料理人は、元私の家のお抱え料理人だったから、私を昔のように呼んだ。
「どうしたの」桶から水をくみ、ポットに水を入れながら、私は返事をした。
「本日はこれで10回以上です。水をやってもきりがありませんよ」
「そう」私は軽く返事をした。だからといって、無視することもできない。私は黙々と水をくんだ。
「昨日も同じくらいでした。朝まで。2,3日前からこういう状態です」
料理人は私に愚痴を言った。彼は本来自宅から通って宰相邸で料理を作っていた。しかし今回の件でずっと泊まり込みの生活になっていた。
「ねえ、水以外何を出したの」
「軽い食事くらいですかね」
「軽い食事だけ」私は眉をひそめた。料理人は仕方ないだろうというしぐさで私に返事をする。きっとその男を刺激しないように皆気を使っているのだ。私はいい考えが浮かんだ。
「いいこと考えたわ」
「何をするのです」料理人は疲れ切った顔で私を見つめた。じゃじゃ馬娘が楽しいことを考えている風情で言うので、少し心配そうだった。
「豪華な料理を作りましょうよ」
私はいたずらっ子の眼差しでにっこり笑った。
ずいぶんと遅れて、私は水を入れたポットを持って地下に降りた。私に水を持ってくるように指示した官吏が戸惑ったように私を見つめる。いつもなら、地下室入り口で水を渡して終わりなのに、ずうずうしくも地下室に侵入してきたからだ。
「どうした」
夜番だった宰相府の官吏数人が奥から顔を出し、私のもとへやってきて、息を飲む。私の後ろには料理人がいた。そして、私と料理人の両手には沢山の料理が入ったバスケットが握られていたのだ。できたての料理のいい香りが密封された地下室に漂い、皆とまどった顔をしている。
「夜食持ってきたわ。みんなで食べましょうよ」
私は笑顔で言った。「水だけ頼んだだろ」と地下室の奥から反論する男の声を無視して、私は奥まで遠慮無く入っていった。
「夜食など、ここで食べられませんよ」
官吏達がぎょっとして私を制したけど、私は無視した。
「いいじゃない。こんな夜中までみんな仕事しているんだもの、いいもの沢山食べて、楽しまなきゃ」
私は男が入っている檻が見える場所までくると、官吏が詰めていた場所にあったテーブルに料理を置いていく。そしてちらりと檻の中の男を見た。
「あなたも、食べたら? お酒もあってよ」
「酒?」男は檻に近づくと、目を輝かせて私を見た。
「おお、ひさびさに女を見るね! 男ばっかりでうんざりしていたのさ」
私の腕を一人の官吏が引っ張った。
「こら、召使い、変なことをして刺激するんじゃない」
私はうるさいわねと言わんばかりに引っ張られた腕を払う。
「思ったのよ、毎日毎日、ここで質素な料理。いい加減飽きたでしょって。たまにはご馳走食べたいだろうって。少しくらいいいじゃない」
「おいおい」官吏達が私を取り囲んだ。召使いの一存で勝手なことをしていると困惑している。
「いいじゃないか!」檻の中の男が叫んだ。
「たまには贅沢させろよ!」
「うるさい、黙れ、おとなしくそこに座っていろ!」
官吏の一人が叫んだ。檻の中の男は鉄格子を握って、それを揺らして抗議する。
「いつまで俺をここに置いておくんだクソやろう! 水とクッキーしかくれんくせに」
男の叫び声は地下室にこだました。
「私、思ったんですけど、このままじゃ、病気になってしまうわ。しっかりしたものを食べないと」
私は男に呼応するように言った。
「おまえ」官吏の一人が呆れたように私に言って、暴れそうになる檻の中の男を睨み付けた。
「食べるだけでしょう。そんなに時間かかりませんわ。食べたら私も去りますから」
そう言うと、私は料理人に目配せした。料理人は料理を置いてその場を静かに去って行く。私はグラスを見つけてそれを布で拭くと、持ってきたお酒を入れた。そしてこれ見よがしに檻の中の男に見せる。
「ねえ、飲んでみたい?」
「おお、そりゃそうさ、お嬢さん」
男は口が悪く、薄汚れていたけれど、それなりにいい身なりをしていた。
「これ、あげてもいいわ。でも条件があるの」
私はわざとグラスを地下室の明かりに照らして中の酒の色を楽しむように掲げながら言った。
「なんだい、お嬢さん」
男はひどくうれしそうに私に言った。
「おとなしく飲む? 暴れたらすぐ取り上げるし、二度とこんなことはしないわよ」
まるで猛獣を手なずけるように私は笑顔を見せてやさしく言う。
「へえ、いいね。悪い条件じゃないね」男はニヤニヤ笑った。
「約束を守るならあげるわ」
私は檻の隙間から伸ばした男の手にグラスを渡した。
「おいおい」
監視していた官吏達が困ったように私に近づいた。
「ねえ、一緒に食べましょう。おいしいものを持ってきたの」
男に酒が渡るのを見届けると、今度は当直の官吏達に向かって言う。そして持ってきた籠から料理を取りだしてテーブルの上に広げた。
「何も、この人だけのために持ってきたんじゃないの。皆さんで食べようと思って。私も食べたいし」
そう言って私は笑顔を見せる。官吏達は戸惑ったようだったけれど、私がむりやり皿を持たせて料理を渡すと、しかたないとばかりに食べ始めた。
「お嬢さんよ、俺にも料理くれよ」檻の中の男が言う。私は躊躇せずに皿に盛った料理を檻のそばへ持って行った。
「どうぞ」私が渡した料理を男はうれしそうに手に取った。そして目を輝かせて私を見つめる。
「あんた、いい人だな。こんな食事久しぶりだよ」
「そう? よかった。たまには食べないとね」
見れば、男はきれいな手をしていた。それに髪も整えられている。あきらかに貴族の類いの人種だ。
(きっと、シャディン様がこの男を捕まえたんだわ)
男を見つめてそう思う。きっとナルハラ国にとって不利益になる人なのだろうと予想はつく。ただこの男をどう利用するのかまでは分からなかった。
しばらく黙って私は檻の前にしゃがんでいたけれど、男がじろじろと私の体を見ているのが、急にいやらしく感じて私は檻からさっと離れた。
気づくと、いつの間にか私の背後で官吏達は無言で食事をしていた。そして時々警戒するように私や男をかわるがわる見つめる。
(うまく行ったじゃないの)
私は内心ほくそ笑む。厨房で、疲れた料理人に「これ以上夜中に起こされたくなかったら、向こうがお腹いっぱいになるくらい食べさせて満足させてやればいいのよ」と私が言ったのだ。私も料理人も、そして官吏もゆっくりしたい。この檻の中のわがまま男に振り回されたくないのだ。そのための手段が高級料理だった。
「早く出たいな。こんな料理もっと食べたいよ」男は独り言を言った。
「こんな料理食べたことある?」
そんなに高級料理が食べたいのかと私は気になった。
「俺が何様だと思っているんだ。高貴な身分なんだぞ」
男はあまり性格がよくないらしい。私に対して大きく見せようとそんな言葉を吐いた。私はその言葉に興味をそそられる。
「あ、失礼なことを言ったかしら。私、あなたのことを存じ上げないので」
私はわざとおどけたように返事をして、彼を誘導した。彼はふふんと鼻を鳴らす。
「俺はナルハラ国の王子だ」
「え。王子様なの」
私は目を丸くした。
(なんで王子がこんなところで捕まっているの)
私は当惑した。そうなるとシャディン様はどこでこの人の存在に気づき、拘束できたのか気になった。私が驚いた顔で見つめたので、その王子という男はプライドをくすぐられたのか、食事をするのを止め、背筋をピンと伸ばして高らかに言った。
「俺は、こんなところにいるような身分じゃない。こんなひどいことをしたからには、こいつらは絶対に許さないからな」
「まあ、そうなんですか」
私は大げさに驚いた演技をしてそう言った。正直、檻の中から強気の発言をしても、全く威厳を感じなかった。
「そのうち、父が助けに来るだろう。ここの宰相や元帥め、絶対に覚えておけ」
王子は官吏に聞こえるように叫んだ。そして、肉を口にほおばり、うれしそうに目を細める。
「ご主人様が何をしたのです」私は興味にそそられて尋ねた。官吏が近くで私を制止しようとしていたが、無視した。
「おまえのご主人は宰相か」
「そうでございます」
「あれはひどい男だ。俺を脱税で捕まえやがった。こっちは店主に金を払っていて、税など関係ないのに。罪を着せて金を払わないから拘束するって言うんだ。めちゃくちゃだろ」
「脱税で逮捕」私はオウム返しに答えた。
(まあ、脱税しそうな顔しているけれど)
私はじっと男の顔を見つめながらつくづく考えてみる。
「そうだ。金ならいくらでもある。そんな姑息な手段など使わない。父に頼めばいくらでも払ってやれるんだ」
「お父様というのは、国王陛下になるのですね」
私は確認するように言った。近くにいた官吏がそれ以上話をするのを止めろと言わんばかりに私の腕をつかんで引っ張ったが、私は腕を振り切った。こんな面白い話止めるなんてもったいなかった。
「そうよ。父は俺のためならいくらでもお金を払う」
「そうなんですか?」
私は素っ頓狂な声を出して反論した。王子は食べる手を止める。
「どういう意味だ」
「いくらでもっていうのはちょっと難しいのかと思って」
「なんだと」王子の目に殺気が宿る。
「あ。暴れたら、料理取り上げますよ」
私は最初の条件を思い出してそう言った。
「俺は、こんな平民宰相の召使いからまで馬鹿にされんのか!」
王子は吐き捨てるようにそう言い放ち、私のいる柵の側から離れると、奥の方に料理の皿へ持って行き、私に背を向けて食事を続けた。
「ちょっと、刺激しないで下さい」
官吏の一人が私に小さい声で注意する。私は少し時間をおこうと、檻から離れてテーブルの近くで料理を並べたり空の皿を片付けたりした。
「お酒注ぎましょうか?」
私は籠の中に入っていた残りの酒の瓶を高らかに持ち上げると、皆に聞こえるように言った。
そんなこんなでこの地下室は居酒屋と化した。結局王子もお酒を飲み、酔いが回ったのか、自分の身の上話を始めた。今のこの状況に始まり、自分の処遇のこと、とうとうナルハラ王国の王宮の内実まで話し出した。
王子の話にずっと付き合った私は、彼もある意味かわいそうな人だと同情した。
彼は王子とはいえ、素の姿はごく普通の若者だった。
正妃の長男として生まれ、将来の国王になるための教育を受け、それを期待されていた。しかし、彼の能力はそれに見合ったものではなかったようだ。そうこうしている内に、側妃に男子が生まれる。シーパン王子だ。彼とは5才ほど違う異母弟だ。このシーパン王子は優秀な人のようだ。家臣の信頼も厚く、君主としての知能、人格は明らかに彼よりも上だった。そうなると彼は自然と比べられ、自分を卑下するようになる。そしてそのうちに学習することを拒否し、また、人の目を逃れるため、居場所を探して王都の外に出歩くようになった。そして、ランキアンという彼にとって楽しい楽園の場所ができたのだ。そこで好き放題遊び、自分の立場や学問を忘れようとしてきたのだ。
その結果が、コレティア国の法による拘束だったのだ。
「ね、私が言うのも何ですけれど、身分はしっかりしているんですから、できる範囲で努力すればいいのではありませんか。その、異母弟の方には補佐してもらえばいいのでは」
いらん世話というのは百も承知だったけれど、思わず私は母親のような気持になって彼にそんなことを言ってしまう。
「うるさいな。分かってるって、もういいんだって」
彼はろれつの回らない声でそう叫んだ。私は悲しい顔をした。
(これは彼なりの精一杯の親への反抗というものじゃないの。それに、ここまでこじれたら、他人はどうこう言ってもしかたないのかもしれない)
急に静かになったと思ったら、檻の中の王子は寝ていた。実は彼には特別度数の高いお酒を選んで飲ませていた。官吏達への酒は度数を低くしているので、眠ってはいないが、王子の話に当てられたのか、彼らは難しい顔をして押し黙っていた。
「片付けて帰りますから」
役目は終えたとばかり、私は皿を籠に入れ、地下室を出て行く。官吏達はあいさつ代わりに頭を軽く下げたが、私の勝手な行動に困惑しているのか、ねぎらいの言葉はなかった。
お咎めなしでよかったと胸をなでおろしながら、階段を上り、召使いの控え室へ向かった。これで朝までゆっくりできるだろう。私は冷えたお茶の残りを喉に流し込んだ。少し仮眠ができるかもしれないとうれしくなる。
そして、私の予想通りに朝まで快適だった。ずっと地下室は静かだったのだ。
翌朝、官吏たちがシャディン様に話したのだろう。朝餉の時、私が食堂で料理を並べていると、シャディン様から注意された。
「あの人の素性を決して人に話してはならない。この邸の人でもだ。気をつけるように」
そう言うシャディン様は厳しい顔をしていた。私の行為は否定しなかったけれど、檻の人の素性は内密にしたかったようだった。召使い風情が国家の大事に関わったら大問題だ。私はすました顔で「心得ております」と頭を下げた。
シャディン様やセルド様には、あの王子を使った何か作戦があるのだろう。それを邪魔するつもりはなかった。もし何かあって、お二人の身に何か起こるなんてことあれば、私はやりきれない気持ちになる。だから、それ以上彼のことを詮索するのは止めようと考えた。
朝餉が終わると私は召使いの部屋に下がった。そしてジジと交代する。
「ね、夜どうだった?」大変だったのだろうとジジは心配している。
「ううん。ゆっくりできたわ」
「え、どうしたの」
「上等なお酒飲ませた」私はにっこりと笑った。ジジは「なるほどね」と合点がいったようだった。
(ジジも同じ事をしようと考えているに違いないけれど、官吏かシャディン様に止められるかも)
ジジが去って行くのを見送りながら、私は寝間着に着替えて、ベッドに潜り込んだ。昼夜逆転とはこういう生活なのだろう。とりあえず疲れていて眠たくて私は布団を被った。
(そういえば)
目を閉じて眠ろうとした時にふと心の中から湧き上がってくるものがあった。
(あの王子、この先、殺されるんじゃなかったかしら?)
閉じかけたまぶたをぱっちりと開ける。昔の記憶を引きずり出そうとした。
かすかに思い出したのは、ナルハラ国攻略の結末は、嫡男の王子率いる軍とシャディン様やセルド様率いるコレティア国軍がゲリラ戦に突入、ナルハラ国の将軍が敗れた後、王子の軍は壊滅状態に陥ってしまい、その失敗を理由に、国王から責任を追及されて処刑か自殺を求められたはずだ。最終的にナルハラ国は嫡男に代わって次男が太子となる。
しかし、そういう流れになってない現在、王子はここで囚われの身だ。別の意味で責任を追及される立場だ。
(あの人、結局、死んでしまうのかしら)
酒を飲んで悲しげに異母弟とのいさかいや王宮での苦渋を話していた姿を思い出す。なんだかやりきれない気持ちになってくる。
(ともかく今は寝よう。眠たいし)
実際、ゲリラ戦になる流れは今のところはない。彼のことについてはあとで考えようと私は目を閉じた。
5
バサック王のもとにコレティア国から内密の使者が来た。
「カカボ王子を帰国させる代わりに条件があります」
その使者の向上にナルハラ国の重臣たちはがっかりすると同時にやるせなさを感じた。やはり人質作戦だったのである。当然王も同じように悲しい気持ちになる。息子に対する怒りより、親としての情けなさが心を支配していた。
「条件とは」
「コレティア国との条約を締結してほしい」
「どんな条約か」
「今後、コレティア国と同盟関係を強化すること。そして王女殿下を輿入れさせることの二つです」
「…姫を」
バサック王は絶句した。カカボ王子の妹姫だった。まだかわいい盛りで一人娘ということもあり、大切に育てていた。
「コリウス王には次子のオーレア王子がおります。ブンガ王女殿下とは年も近いかと」
バサック王はコレティア国が嫌いだった。その原因はコリウス王の横暴さと無神経さだった。まさに彼の性格と国家が一心同体のようで、コレティア国と仲良くするなど心底嫌なことだった。だから、そんな国の王の血が通っている王子にかわいい娘を嫁がせるというのは絶対納得できるものではなかった。
(カカボがあんな子に育たなければ)
そう思う。長子らしく、王位継承者のプライドを持ち、例え才能が無くとも、重臣たちをうまくまとめることさえできれば、王としてこの国をまとめることもできるだろうにと今まで何度も思ってきた。
しかし、王子はそれを嫌がり、逃げ出すようにあのような不謹慎な場所に出入りし、とうとうこのざまだった。国の足を引っ張り、妹を犠牲にしてしまったのだ。
「ブンガはまだ13歳だぞ」
ため息とともに王は使者に向かってそう口にした。使者は冷淡な口調で答えた。
「コレティア国国王は最初、この国を攻めろと発言されました。それを条約締結に変えて申し出ているのです。戦争をして死者を出すことに比べれば、この条件を飲む方がたやすいではありませんか」
使者の言葉に数人の家臣たちが、剣の柄に手をやり、今にも殺そうかと殺気立つ。それをバサック王は手で制した。
「使者殿の言うことも一理ある。一つ教えていただきたいのだが、もしこの条件を飲まない場合はどうなるのか」
「カカボ王子を処刑します」
「処刑」
王はため息とともに呟いた。そしてちらりと家臣たちを見つめる。その場の雰囲気に王子に同情するものは一切なかった。逆に安堵という空気が広がっているのを王は感じた。この際、問題児の王子を殺してしまえばいいのだと皆思っているのだと王は気づいていた。
「貴国にとっては朗報かもしれませんな」
使者は淡々とそう言った。まるでナルハラ国の内実をすべて知っているかのような発言だった。
「処刑後は条約の締結は望まず、貴国とは敵対国家として待遇し、国境は閉鎖することとなります」
「閉鎖」
「貿易は中止ということです」
例え貿易中止となっても、コレティア国以外とも交易をしているので、ナルハラ国としては大打撃ということはないが、痛手になるのは間違いなかった。実際国の財政は特産品の輸出で潤っているのだ。
「…貿易が中止か…」
バサック王は小さい声で呟くように言い、うつむいた。王の左右に居る重臣たちは困惑したように押し黙った。どちらをとっても不利だった。ただ、カカボ王子の命だけが選ぶ基準を決定づけているような気がした。
「不躾ながら、陛下にとって、息子はかわいいものでしょう。実は、私は、宰相の邸で王子殿下とお会いしました。まだまだお若い方だ。命を失うにはもったいない」
使者は最後に感情をこめてそう付け加えて、王に向かってやさしく微笑んだ。
春の終わり、カカボ王子が囚われてから約1か月後、ナルハラ国から使者がやってきた。使者は王宮を目指さず、宰相府に直接交渉しにやってきた。それは条約締結の相談はすべてシャディンがしていたからだった。
シャディンはある程度この事案の最終決着の方向を予測していた。そのために、能力のある宰相府のリンスト秘書官を使者としてナルハラ国へ送った。その結果、バサック王は条件を飲んだのだ。
(確実に押さえ込むよりも、従属的な同盟関係に持って行けばいいのだから)
シャディンはコリウス国王が大満足する結果ではなく、マキロイ大公が勧めたような、多少妥協を伴う、ほどほどの結果で十分だと考えた。それが条約の締結と王子との婚姻だった。
それはある意味無難な策だった。人質交渉で相手の条件を引き出し穏便な形で従属関係を結ぶのだ。王が大満足という結果ではないが、悪いわけでもない。
(あまり、頭角を現さないほうがいい)
シャディンもセルドも今の自分たちの立場を考え、そういう方針でいた。まだ貴族社会で認められていない者が、最上の結果を突然もたらし、その能力を見せつけるというのは危険な行為だった。
コリウス国王はあくまでも、二人を従えたいのだ。そうなると、想像以上の実力を示すことは自殺行為だった。国王庇護の元で成長する若輩者くらいの位置づけでないと、どこで殺されるか分からない。それに貴族達に侮られるのはいいが、脅威の対象となってしまえば、殺される可能性が高くなる。
(さて、ここまできたら大丈夫か)
作戦はうまくいったとシャディンは思った。カカボ王子が内密にランキアンで遊んでいるとの情報を聞きつけてから、結末はここへ持って行こうと考えていた。すべて計画通りだった。そしてそれを確認するかのごとく、シャディンは窓辺に寄り、外を見て、先ほどの使者が宰相府を去るのを確認した。
「閣下、元帥閣下がお戻りだと報告がありました」
使者を見送った後、官吏が一人戻ってきて、シャディンに報告をした。
「分かった」
シャディンは返事をする。すると官吏は静かに扉を閉めて出て行った。
「はあ」
執務室に誰もいないのをいいことに、大きくため息をつく。宮廷に参上してから今日まで、一度も緊張を緩めることができなかったが、この一つの結末を見て、やっと、少し安堵した気持ちになった。
宰相府への出仕が許された後、シャディンの就任に反対して宰相府の職員が反乱を起こし、職員が半分以下に減った。少人数で職務を遂行するのは大変だったが、逆に職員の中から、一人、二人と近づいてきて少しずつ信用できる部下を持てるようになった。もちろん、近づいてくるのは平民出で、採用試験で宰相府に入った職員ばかりだったが。
シャディンはある程度職員の状況を把握すると、それぞれの得意分野ややる気、家庭事情を考慮して配置を決め、宰相府の官吏はすべて自分の指示に従う者にしていった。セルドも元帥府の軍属や武官はそのように変えていた。反抗する貴族の子弟達は、シャディンやセルドがすぐに処刑されるか左遷されると予想し辞めていった状況だから、指示命令系統が順調に機能する官吏の構成が簡単に出来上がったのだった。
次第に職務にも邸にも安定した状況が作られてきた矢先、今回の、国王からナルハラ国攻略の命令だった。
(まあ、私には自由も権利もないからな)
シャディンは執務室の机に近づき、上に置いてある飲み物を口に含む。
安定をつかんだと思えば、いつも波乱が待ち構えていた。
(学校にいた頃が一番順調だったな)
シャディンは遠い目をする。身よりもない。母の故郷も知らない。そんな孤児に学問と生きる力を教えてくれたのだ。だから、学校を早く卒業して身一つで生きていくようになりたかった。それなのに、予想を超えた王命にささやかな夢は打ち砕かれたのだ。シャディンはアルカ学校に来た身なりのいい男達が自分とセルドを食い入るように眺めニヤニヤ笑っていたことを思い出す。あの時に自分たちが選ばれたのだと今になって分かる。
(思い返せば、生まれてから今まで安定が長く続いたことがなかったな)
シャディンはそれはある種の自分の運命なのかと自分を呪いたくなる。だから、きっとこの宰相という身分にいてもどうせ安定は望めないのだ。それなら、この宰相という立場から安全に立ち去る為に、いかにうまく立ち回り、王や貴族を怒らせず、刺客から身を守り、何らお咎めのない状態で平民に戻るよう王の気持ちを動かす必要があった。
シャディンはもちろん、当然セルドも身分や地位、高級な生活に何ら未練はなかった。普通の生活がなにより大切であった。逆に地位を高め、貴族に染まり、毎日疑心暗鬼になりながら、地位の階段を登るほうが身の安全が図れるかもしれない。だが、平民出身という足かせがあるのだ。一歩間違えれば簡単に命を失うだろう。
(早くこの立場から去りたい。そうして元の生活に戻りたい)
シャディンはそれ以上考えることを止めた。思い出したように上着をポールハンガーからさっと手に取って、軽く羽織ると、セルドが戻ってきた元帥府へと向かった。
次回は第2章6,7話です。
第2章の最終話となります。
ナルハラ国と条約締結が出来たものの、その後の王女の来訪でアウストが行動を起こして…。
楽しんで読んでいただければ幸いです。




