第2章 ナルハラ国 1,2
私は、子供の頃書いた「ときどき物語」の中に転生してしまっていた。サルビアとなって、物語の主人公の一人、シャディン・フィル宰相の邸で召使い兼執事として過ごすことに。
召使いとして過ごして早1年経ち、シャディン様もセルド様もそれぞれ宰相、元帥として職務に慣れた頃、お二人はとうとうナルハラ国を攻めるよう国王から厳命が下る。
第2章 ナルハラ国 1,2話
第2章 ナルハラ国
1
コレティア国のある大陸は野球のベース盤のようは形をしている。大陸の東側にあり、大河フィール川流域を支配するのがコレティア国となる。この国はもともとこの大陸を統一していた国家なのだが、百年ほど前に分裂し、その分裂後には5つの国家ができ、東がコレティア国、南がナルハラ国、南西がハーレ国、西がイライア国、そして北のランティン国である。大陸の中央には長い山脈が南北に走っており、その中心部にカルガミ山という霊山がある。そこはハーレ国の領土だが、オウテイ教という宗教団体が宗教施設を作り、半ば独立した地域ができていた。
コレティア国国王のコリウスは大陸を統一した英雄であるラミウムになりたいと考えていた。そして自らもう一度大陸を統一しようと目論んでいた。しかし、そんな望みとは裏腹に国内の貴族たちをコリウス王自身は制御できていなかった。即位以前からそのような状態だった上に、自分の即位を助けてくれたメレル家に頭が上がらないのだから当然だった。
コリウス王が大陸統一して英雄になるには、まず、国内から強権的な国王として君臨しなければならず、まずは味方に絶対服従する部下を持たねばならなかった。それが、民間の著名なアジュガ学校を利用して、身寄りの無い、多少知識のある少年を行政官のトップとなる宰相と元帥に据えるということに繋がったのだ。
そしてその計画によって登用した新宰相と新元帥…少なくともコリウス王にとってはシャディンもセルドも子供みたいな存在であった…は意外にもそれぞれの役割を存分に発揮し、官僚をうまくとりまとめ、国政も軍の実力も以前に比べれば改善していったのである。
登用してから約半年間、彼らはうまく官僚たちを制御し、国政を以前に比べれば貴族有利ではなく王に有利なものへと変えた。それはコリウス王が考えた計画を着実に実行できている証であった。
彼らが行政官や軍人を従えることができれば、次の計画は戦争をして他国を従わせることである。コリウス王はまだ半年しか経っていないというのに、次の段階へ移ることをこれ以上待つことができなかった。
現在の大陸の他の4国のうち、一番弱そうな国はコレティア国の南に位置するナルハラ国であった。ナルハラ国は大陸全土を支配していたコレティア国から最後に独立した国で、数十年前まで従属国であった。今、新しい国王のバサック王が国を統率しており、国民は独立心が強く、コレティア国からどんどん離れていく状態となっていた。コリウス王はこれを快く思っていなかった。弱小国のくせにと見下した気持ちだったのである。
(ナルハラ国を攻めるのに、あの小童どもを使おう。失敗すれば死刑にすればいいのだから)
そう考えて、にやりと心の中でほくそ笑む。自分だけのために動く者を採用したのだ。さっそくそれを利用したくなっていた。
こうしてコリウス王は貴族たちが勢ぞろいした謁見の間にシャディンとセルドを呼んだのである。
「呼んだのは、他でもない。大切な話だ」
そう切り出すと。玉座に寄りかかって足を組み、満足げに顎髭をなぜて一人悦に入った。見下ろせば、正装した若者が頭を垂れて従順な様子で話を聞いている。
「はっ」二人は王の言葉にすばやく返事をした。
「ナルハラ国を攻め取りたい」
王は自分の願望を口にした。宰相元帥より周りの護衛達や執政に参加している上級貴族達が息を飲む空気がさっとその場に広がった。玉座の近くに侍っていた上級貴族のアウストはニヤニヤと口角を上げて内心を顕わにしている。
(早速この平民を血祭りにあげるのだな)
アウストはこの平民上がりの宰相と元帥が早く死ねばいいのにと思っていた。思いのほか早く王自らその処刑台へと導く階段の一歩を二人に提案しているように見えて、おかしくて仕方が無かった。
(さっそく「他国を攻めよ」か。むちゃな要求をしたもんだ。できるわけない。俺にはありがたい話だ)
アウストは、コリウス王がメレル家の権力を傘に好き放題のことをしていながら、今になって疎ましく思い、平民で知識だけが取り柄の子供を要職に就け、自分を牽制しようとしていることは分かっていた。目の前で行われているこの茶番のような命令劇を見つめながら、すでに悪い結果が決まっているとばかりに、目の前の宰相元帥を見つめながら鼻先で笑っていた。
当然、シャディンもセルドも王に反論は不可能だ。賛成しかできない。「はい」としか二人は返事をしなかった。
「それでだ、お前達はすぐ行動して、余に報いてほしい。それぞれの部下を使ってかまわん。あの成り上がり国家を我が国のものにせよ」
コリウス王は、資金も兵も潤沢な貴族達には命令せず、まだ宰相元帥になって半年しかならない二人に、国家の官僚や従属の軍のみで、立派な一国を攻め取れと命令した。
「かしこまりました。陛下、善処します」
二人は一切反論せず、ただ、それだけを言った。謁見の間の空気が拍子抜けしたような、虚無感に覆われた。皆、単なる絵空事と思っているようだった。
「陛下、ただ少しお時間をいただけませんか」
命令に従った後にシャディンが一言添えた。
「分かった、分かった。まあ、果報を待っておる」
国王はそう言うと、汚い虫でも見たように、手をひらひらさせて二人に下がるように指示した。
「失礼いたします」
ほとんど顔も上げずに、二人は礼をすると、さっとその場を辞した。
シャディンとセルドが去った謁見の間はしばらく静かだったが、その沈黙を破ったのはマキロイ大公だった。マキロイ家は古くからある名家で、大公はコリウス王のいとこでもあった。そのため、貴族の中でもつねに上級位にあり、今は宮廷長官を担い、大公の身分にふさわしい地位を確立している。そんな大公が国王そばに近づき、軽く一礼して口を開いた。
「陛下、恐れながら、先ほどの命令、あまりにも急であり、宰相元帥には酷だと思いますが」
「何だと」国王は不快な顔をした。
「お言葉ですが、現在、ナルハラ国は国王国民ともに富国のためと一致し、さまざまな発展が遂げられ、我が国にもその話が聞こえてくるほどです。国土を奪うには苦難を極めましょう。まして、宰相元帥ともに、重職を担うにはまだ就いてから日も浅く、兵も官吏も戦という重責には戸惑うばかりでしょう。もう少し時期を遅らせたらよろしいかと思いますが」
「ナルハラ国、何するものぞ。小国である。たいした能力があるわけでもない。簡単に落とせるはずだ」
国王は事もなげに言った。大公は顔をしかめる。
「失礼ながら、陛下、お父上でも、長い間、あの国には苦しめられたのです。しかも今は過去と比べて国力も上がっております。コレティア国全体の軍を出動させても、難しいと考えるのが普通。私は、コレティア国の国力が下がることを心配しているのです」
「ふん」
平民上がりの若者を助けるためではなく、国の将来を思っての発言だとマキロイ大公が念を押したので、さすがの国王も口をへの字に曲げたまま唸った。
「先ほど、宰相が時間がほしいと話したから時間を与えた。それだけでは足りぬと?」
「私が考えますに、領土を奪うことはせずに、今の対等な関係から、従属関係に変えることで十分かと。それ以上となりますと、ナルハラ国は大規模な戦争すら厭わないでしょう。そうなりますと、我が国の被害が大きくなります」
「我が国に従属することを受け入れればいいと」
「左様。それで十分かと。領土は、あの国が弱くなってから簡単に奪えばいいのです」
「ふん。おぬしがそこまで言うのなら、それでもいい」
「ありがとうございます。その旨、宰相元帥に伝えておきましょう」
大公は深々と国王に礼をした。国王の無茶な発言を少し現実的なものに変えることができて、内心ほっとした。謁見の間の自身の立ち位置へ戻りながら、ちらりとアウストを見る。
(嫌な男だ。もともとこの男の一家のせいで、国がおかしくなったというのに。これ以上おかしくされてはたまらない)
メレル家は王族の末裔とはいえ、もともと辺境の地の一領主で、その所有地で金塊が見つかったことから発展した一家だった。その財力と商売力で一気に貴族の階段を駆け上がり、今では上級貴族の常連となっている。アウストの父、ガルーフ・メレルはまだ常識的であり、遠慮があったが、息子のアウストは遠慮がなく、金の力でもって、人脈を作り、一気に数年でこのコレティア国政治の中心を腐らせてしまった。
マキロイ大公が子供の頃はまだ国内政治は平和だったが、この一家が現れてからというもの、王権が揺らぎ、そのうち、メレル家に奪われるのではという不安が王族の間に立ちこめていた。現状、コリウス王はそのメレル家を利用する形で体制を保っているが、そのうち、アウストに浸食され、潰される可能性が非常に高かった。
そんな現状打破のために、コリウス王が取った苦肉の策が平民の登用なのは、マキロイ大公も分かっていた。当初これに気づいた時、なんてひどい策を取ったのかと思った。単なる時間稼ぎにしかならないだろうと。ところが、見栄えがいいだけと思われていた青年2人は、意外にも実力があり、行政府、軍司令部の官吏達から上がる話は悪い話ではなかった。若い二人なりに、国を変えるためにできる範囲で努力していた。
(せっかくの逸材を殺すのは惜しい)
まぐれ当たりでも、いい人材を引き当てたなら、失うのはもったいないと大公は考えた。しかし覇王を目論む国王は焦り、まだ足元が固まっていない二人に無理難題をふっかけてしまった。
国王が二人に命令する間、アウストの不遜な笑いに気づき、大公は不快だった。アウストを国政から排除することは無理でも、地位を落とすことはできるはず。そのためには、もっと国王に賢く動いてほしかった。
マキロイ大公の発言の後、すぐに国王は、別の話題に入り、他の臣下と話を始めていた。玉座の左側にマルス近衛長官が侍り、その横にアウストが立っている。マルス近衛長官も昔から貴族だったが、今はメレル家のいいなりだった。噂ではメレル家から沢山金をもらっているのという。
(これからこの国はどうなるのか。あの二人がうまくやってくれればいいが)
マキロイ大公は苦い顔をしながら目の前の光景を黙って眺めていた。
シャディンやセルドにとって、国王からの命令はすでに予想していたことだった。
アジュガ学校で特別指導を受けている中で、カイ先生から外交について学んでいる時、「コリウス王は隣国のナルハラ国を最初に攻めるだろう」と指摘されていた。
もともと、二人と縁の深いカイ先生は、この大陸隅々まで旅したことのある人物で、博識で、どの国の文化や民族にも詳しく、楽しい授業をしてくれた。そのカイ先生の説明によれば、ナルハラ国は強固で国民ともに戦闘的。南国ならではの、おおらかな民族性あるものの、いざ戦となれば、非常に好戦的だと聞いていた。実際、現国王も有能で、その臣下は実力者揃いである。この国を攻略することは難しいのは明らかだった。
謁見の間から出た二人は、元帥府へまっすぐ向かった。シャディンはセルドと話したかったので、宰相府に戻らなかったのだ。
「カイ先生の言葉を思い出したな」
セルドは元帥府の執務室に入って、椅子に腰掛けるとそう言った。
「ああ、まさか現実になるとは」
そう答えたシャディンに、セルドは自分の対面の椅子に腰掛けるように促す。
「なんだか、命令を受けながら、ため息しか出なかった」
セルドはそう言ってわざとらしくため息をつく。シャディンが椅子に座ってセルドのため息にくすりと笑うと、扉をノックする音が聞こえた。
「入っていい」セルドがそう命じると、部下の一人が入ってきて、頭を下げる。
「何があったのか」
「はい。先ほどマキロイ大公からのご連絡がありました」
「大公から?」想像もしていなかった名前だった。二人は驚いた様子で顔を上げた。
「はい。陛下から“攻め取らずとも、従属させるだけでいい”と命令に変更があったとのことでございます」
「従属させるだけでいいと?」セルドとシャディンは同時に声を上げた。連絡を告げに来た部下は顔を赤らめる。
「はい、そうお伝えするようご連絡をいただきました」
「分かった。ありがとう。下がっていい」
「失礼します」
扉が閉まるのを確認して、二人は顔を見合わせた。
「よく変更できたものだな」
シャディンは他の貴族が自分たちを助けるようなことをするなど想像できなかった。
「大公が見るに見かねたのではないのか」
セルドは考え込むようにしてそう呟いた。あまりの無茶な命令に国王を注意しなければと義憤に駆られる貴族がいてもおかしくはない。
「マキロイ大公か」
シャディンは遠い目をするように宙を見た。謁見の間に誰が揃っているか知らなかった。名前は知っていても顔が分からなかった。コレティア国の重臣であることは間違いない。自分たちへの命令があまりにも非現実的だったので、注意したのだろうと想像する。
だが、正直なところ、シャディンもセルドも自分たちの味方になる貴族は一人としていないだろうと思っていたので、意外な結果に戸惑っていた。
「まあ、しかし目標が楽になったのなら、願ったり叶ったりだ。作戦も立てやすい」
「そうだな」
「とりあえず、最初に秘密の部屋を作ることから始めるとするか」
「秘密の部屋」セルドはシャディンの言葉に目を見開いた。
「私たちの邸は隣同士だろう?地下でつなげて、お互い秘密裏に作戦会議ができるようにしたいのさ」
「なるほど」
セルドはシャディンの提案にうれしそうに声を上げた。
2
突然邸の地下室の工事が始まった。元々邸の地下にはお酒などの貯蔵庫があって、食料の保存場所のような地下室が備え付けられていた。宰相邸と元帥邸は隣同士なので、それぞれの地下室の壁に穴を開ければ、通路となって通じることができる。
そんなに日数が経たないうちに、邸の地下には大きな部屋と通路が出来上がった。
「お姉様」
私はその新しく出来上がった地下通路で姉のローズに会った。姉も怪訝な様子だ。堂々と玄関から行き来するなり、仕切っている庭の壁にドアでもつければ、簡単なのに、わざわざ地下にこんな仕掛けを作る必要なんてあるだろうかという気持ちが顔に出ていた。
「サリィにいつでも会えるというのはうれしいけれど、昔の家がこんなに改造されると寂しいやら混乱するやらだわ」
「本当ね」
私は姉の言葉に頷いた。
シャディン様が国王からナルハラ国を攻めるように命令されたことは聞いた。私の描いた話の展開通りだから、特に驚きはしなかったけれど、その日のうちに建築業者を呼んで、地下の工事を始めたことにはびっくりした。きっと、シャディン様は表には知られずに内密にセルド様と会い、協議したいのだ。地下には会議室のような広間に、隠し部屋もあったりして、迷路のような地下になっている。もちろん、もともとあった貯蔵庫はそのままだ。
「何が始まるのかしらね」
姉は新しい部屋の設えを隅々まで観察しながら、不安な顔をした。
「戦争だと思うわ」
「聞いたわ。陛下がナルハラ国を狙っているって。しかも、その手先にお二人を使うって」
姉の声には怒りが含まれていた。
「急な話でびっくりした。シャディン様は何もおっしゃらずに、ただ工事を初めて、いろいろ指示しているだけで、私には何もおっしゃらないんですもの」
「政治の大事な話なんて私たちにはお話しにならないと思うわ」
姉は諦めた様子だ。私は後ろ手に両手を組み、考え込んだ様子で天井を見つめる。
(ナルハラ国との戦なんてそう簡単にはいかないわよね)
私の耳にも、あの国は小国だけれど戦となれば強いとの評価が聞こえてくるのだ。小手先だけの作戦でどうにかなるものでもないだろう。シャディン様も慎重にことを進めたいに違いない。
できたばかりの地下室は壁面に塗られたレンガや土の匂いで充満していた。その匂いは嫌いじゃない。すこし冷たさの感じる大地の匂いが心地よかった。
「三日後、セルド様が軍の要職の方を連れて来るみたいだわ。ここに泊まりがけになるみたい」
「え。早速ここ使うの」
姉の話に私はがっかりした。この新鮮な空気を独り占めしたかった。
「ええ。食事や洗濯などの雑用を頼まれたの。忙しい時は官吏を使っていいとまでおっしゃって」
「まあ」私は声を上げた。姉が忙しくなるのを他人事のように聞いていたけれど、そのうち、私もシャディン様からあれこれ依頼されるに違いないと気を引き締める。
「物騒なことは嫌だわ。元帥府や宰相府には立派な建物も人もいるでしょう? そこでできないものかしら」
「難しいんじゃないのかな」
私は苦々しい顔をして答えた。
シャディン様もセルド様もまだこの国の中枢の貴族や官僚に味方はいない。国王に難題を突きつけられて二人を助けるどころか、逆にこれを機に死んでくれたらいいくらいに思っている者ばかりだろう。だから、足元を救われるような危険性のある場所で作戦を考えるくらいなら、邸の地下という完全に情報が漏れない場所で、信用できる部下のみを使い、作戦を実行しようと思っているはずだ。
「そうかもしれないわね。ここまで大がかりな工事するくらいですもの」
姉は私の返事に賛同するようにそう答えた。
すると、私の背後で階段を降りる足音がした。私は振り返る。
「執事は?」
地下室の通路入り口から、私たちのいる会議室の扉の前までやってきたのはシャディン様だった。私を見つけて目を見開く。
「あ、シャディン様、私はこちらにおります」
シャディン様は私のことを「執事」と呼んでいた。私の横で、姉がさっと頭を下げて挨拶をする。
「元帥邸の執事にございます。失礼をしております」
姉がシャディン様と会うのはまだ片手にも満たない。まだ自己紹介みたいな挨拶をしていた。
「どうぞ。ここは元帥邸との共有敷地となっておりますので、遠慮はいりません」
シャディン様はやさしい口調で姉に答えた。姉は返事代わりに再度深く頭を下げた。
「シャディン様、私に何か御用があったのではありませんか」
私はシャディン様に近づいた。今日は勤務でずっと宰相府へ行っていると思っていた。見れば、シャディン様の服装は邸で着ているような普段着に変わっていた。いつの間にか帰ってきて、服を着替えたのだろう。
「ああ、準備をしてほしいことがあったんだ」
シャディン様は思い出したように私の方を向いて言った。
「……かしこまりました」
私は返事をすると、シャディン様と共に宰相邸側の階段へ向かった。途中で、振り返って姉を見る。姉はシャディン様が見ていないことを確認した上で、私にこっそりウィンクをする。
(もう、お姉様ったら、何考えているのやら)
私は心の中で笑いながら、シャディン様の後をついていく。彼は地下室から地上階へ向かう急な階段を上りながら、次々と指示を出してきた。
「20日間くらいの食料を購入して保管していてほしい。それから、5人分くらいが宿泊できるよう寝具や衣服も必要だ。代金については、宰相府から出すので、金額が分かったら私に報告してくれ」
「かしこまりました」
私は返事をしながら、姉が話していたセルド様の話と同じだと気づいた。
(もしかして、シャディン様達はここで籠城でもするつもりなのかしら)
それくらいしか想像できなかった。それがナルハラ国との戦にどう関連してくるのか私には皆目分からなかった。
「実際使うのは数日後になると思う。それまでに用意できたらいい」
「数日後」
私は当惑顔に呟いた。今すぐ準備を始めないと間に合わない話だった。物資を集めるというのはこの世界では簡単ではない。私は玄関近くでシャディン様と別れると、邸の裏口の方へ向かい、早速市場へ行くために馬に乗ろうと厩へと進んだ。食料はまだしも、寝具となると簡単じゃない。どこで調達しようかと頭を巡らせる。
「お嬢さん、一人で行くんですか?」
馬の世話役をやっている使用人が私に気づいて声をかけた。私が元貴族の令嬢だったこともあって、部外者がいないところでは、私のことをお嬢さんと呼んでくれる。ジジだけは私のことを「お嬢」と言って少し同僚の雰囲気を醸し出している。
「急ぎの仕事があるのよ。ちょっと市場の方へ行くわ」
「気をつけて下さいよ」
「大丈夫よ」
いつものことだった。私は慣れた感じで短い髪を少しかき揚げた。この世界では女性は基本的に髪が長い。私は男勝りの性格だから、長い髪が嫌で切っているのだけど、女性にしては珍しい髪型だった。逆に貴族の男性は髪が短い。専属の理容師がいるのできれいに整えてもらえるのだ。そういう意味で言うと、平民だったセルド様やシャディン様は髪が長い。シャディン様は肩より少し長いくらいだけれど、セルド様はもう少し長くしている。これは貴族と違って、髪を切る手段がないからこうなっているのだ。
(これから戦が始まるんだろうか)
物語では、コリウス王の大陸統一の手段としてお二人が活躍する最初の戦がこのナルハラ国だ。私は将来を考えると暗い気持ちになる。それを吹っ切るように馬に乗った。馬を走らせて風を感じるのは気持ちがいい。自由になった気分になれる。私は足で蹴って馬に動くよう指示を出すと、いろいろ考えた。これから起こることを。
コレティア国とナルハラ国の国境は山脈沿いとなっていた。もともとコレティア国だったナルハラ国は特別戦争を経ず独立した。それはコレティア国が弱くなった時に、民族独立を宣言して国を作ったという状況だったからであった。そのため、南部の民族が住んでいたコレティア国の南部分が国となり、独立した時は国境もはっきりはしなかったが、今や民族が別れる山脈沿いが国境となったのである。
その国境と称される地域の中でも、大きな街道の通る盆地が交易の場となり、少なからず大きな街となっていた。そこはランキアンと言い、コレティア国側にある街であった。
交易の場となれば、両国の国民が多く行き交い、さまざまな物資が取引され、歓楽街も大きくなっていった。実際、ランキアンはコレティア国首都パルフに次ぐ歓楽街の大きさを誇っていた。
ナルハラ国国王の嫡子であるカカボ王子は身分を隠し、仲のよい貴族の若者とこの街に足繁く通っていた。目的は歓楽街での遊興と賭博であった。
ここランキアンはコレティア国領土とはいえ、沢山のナルハラ国の民族も住んでおり、厳密にコレティア国の法制度が守られているところではなく、またナルハラ国の監視も行き届いておらず、ある種無法地帯、両国の緩衝地帯であった。
そのため、王子とは言え、身分を偽って遊興していたとしても、金さえ払えば、罪に問われず、暗黙の了解で好きなことができたのである。
王子は、ナルハラ国の都マーネルの王宮にいるのが苦痛だった。父や家臣、そして異母弟のシーパン王子から嫡男としての品格や態度について意見されるのが不快だった。それで、特別行事のない時は王宮から抜け出し、仲良し貴族たちと徒党を組んで馬を走らせ、ランキアンに向かった。マーネルからランキアンまで早馬で3日ほどだ。何度も行き来したので、途中の宿屋とも顔なじみとなり、王子はそんな生活に慣れきっていた。
王子にとってランキアンは極楽だった。美しい女、豪華な設備のある賭博場、質素倹約を第一とする父バサック王の居城とは正反対であった。南国であるナルハラ王国はこの地域でしか栽培されない香辛料や薬草で財を成していた。王族はその繁栄を享受できる立場にいた。だから、王子には潤沢に資金があった。無くなれば父に泣きつけばよかった。財政局担当の貴族はカカボ王子の仲間だった。国の金は王子のお小遣いのようなものだったから、使い込みがばれても、父の厳しい説教だけで、特段処罰はなかった。だから、王子は気にしなかったのである。
そして、王子はランキアンの居心地の良さに気を良くして、滞在が1日から、数日、ひどい時は1ヶ月になるときもあった。そんな状態だから、王子としての役割を求めることを父はもう諦めているようだった。代わりにシーパン王子がしていると聞いたが、王子は気にしなかった。父の小言より目の前の娯楽が一番大切だった。
まだ肌寒い季節なので、王子は相変わらず、不夜城のようなランキアンの中でも一番と言われる娯楽施設に併設された、快適な宿泊施設でお気に入りの美女と夜を楽しんでいた。そして、ベッド脇に差し出される豪華な朝食を頬張っていた時、突然、部屋の扉が大きな音でノックされたのである。
「うるさい。あとにしろ」
裸の女を片腕に抱き、もう片方の腕で朝食をつかみながら、ベッドの上でカカボ王子は叫んだ。この特別な宿泊施設のスイートルームは王子専用の部屋と化していた。自分が出てくるまでそっとしておくように使用人に指示していたのに、不躾にノックされたのだ。王子は不快だった。
「申し訳ありません。ラジ様」
声の主はこの娯楽施設の支配人だった。王子は「ラジ」と偽名を使っていた。王子は返事をせずに扉を見つめていた。
「どうしても、ラジ様に御用があるというお方がおりまして、ご案内しているところです」
「は?」
苛立った心の中を表すように、王子は声を上げた。
「コレティア国の税務官が来ております」
「後にしろ、そこで待っとけ」叫ぶように言うと、イライラした様子で口に果物を入れた。腕の中で女があくびをする。
「それが今すぐとのことです」
「おまえ、そのぐらい、待たせることできないのか」
「あ、おやめ下さい」扉の向こうで、急に主人は困惑した叫び声を発した。すると、強引に扉が開く。ばらばらと数人武装した男が入ってきた。そして最後にコレティア国の上級官僚と思われる服装をした執行官らしき壮年の男性がさっと現れた。
「なんだ、おまえ」
王子の激高が広い部屋隅々まで響いた。上級官僚はその制服の上着の内側から書類を取り出しておもむろにベッドに近づいて口を開いた。
「ここランキアンでは娯楽の支払い金額について、すべて税金を支払うようになっております。しかし、お客様はここ数年この施設を使っていながら一度も税金を支払っていない。この支配人に確認したところ、納付もされていないことが分かりました。金額が上限を超えておりますので、身柄を拘束させていただきます」
「なんだと」
王子は目を白黒させた。そして官僚が持っている紙を手を伸ばして奪い取ると、その紙に記載された未納額を見て仰天する。
「こんな、金額、国家予算にも匹敵するではないか」
「お支払いしていただければ、身柄を拘束する必要はございません」
「そんな金のことなど知らん。この店に払っている金でなんとかしろ、足りなければ後で払う。一度家に帰らせろ」
王子は唾をまき散らして叫びながら、ベッドから抜け出してこの場をすぐ去ろうとした。
「今、お支払いをしていただく必要があります。後納はできません」
官吏たちは逃げようとする王子を数人でベッドを取り囲んで食い下がった。
「おい。俺じゃなくて、ここの主人に言えよ。俺は払った。あいつが払っていないだけだ」
「お言葉ですが、こちらの施設の料金は内税ではないと聞きましたので。お客様はこちらでたいそう儲けたと聞いております。それについても納付の必要があります」
王子が今まで賭博で勝ったお金についても税金が発生すると執行官は言った。
「はあ? なんだと!」
王子は大声を張り上げると、金額が書かれた紙を握りつぶし、ビリビリに破いてベッド脇に捨てた。
「今、納付できないということですので、身柄を拘束させてもらいます」
執行官は冷たい声でそう言い放つと、武装した官吏に目で合図をした。官吏はベッドの掛け布団を無理矢理剥がすと下着姿の王子を引きずりだした。裸の女が悲鳴を上げて布団を引っ張り、部屋の隅に逃げ出す。
「触るな! 何するんだ! 俺を誰だと思ってる!」
執行官は破られた紙をきれいに拾いながら、顔を上げた。
「ラジという名前で聞いておりますが、どなた様でしょう」
次回は第2章の3,4,5話を投稿します。
サルビアは地下室に来た男の世話をするが…。
これは2026年10月15日に第2章すべてを投稿したものを分割して再度投稿したものです。
楽しんで読んでいただければ幸いです。
よろしくお願いします。




