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空の名残  作者: 多木 葉
第1章 サルビア・コルトー

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3/9

第1章 サルビア・コルトー 3,4

サルビアは物語の主人公のいる学校へ向かう。そして彼らを見つける。そして彼らが本当に邸にやってくるのだが…。

第1章の3と4を投稿しました。

3

 翌日、私は馬に乗って都の中心部へと向かっていた。領地の邸宅から都まで馬を走らせて2時間くらいだ。身なりも普通の農民風情にして、女一人でも目立たないようにした。

 目的地はアジュガ学校。これはコレティア国の都パルフの私塾だ。

 学校という制度はもう百年以上前からこの国にあり、公共的なものは、教養の高い人や身分の高い人が中心となっていて、平民だとお金が払えず、通うことが難しい。ところが、私塾といって、知識人が個人のお金やボランティアで学校らしいものを開き、お金がなくとも平民が気軽に通える学校もあった。

 その中で一番有名なのがアジュガ学校である。設立したのはもう百年以上も前で、その頃の名士がお金を出して学校を作ったものだ。現在は知識人として名高いアルカ校長という人が経営をしていて、コレティア国以外からも知識人が集まり、講義を行うらしく、優秀な人が集まり、いわゆる門人育成をしていた。

(本当に物語の世界と同一なら、主人公の二人は、この学校にいるはず)

 私は街の人に学校の場所を尋ねながら、馬を走らせた。宮殿や貴族の邸宅が並ぶ高級住宅街ではなく、そして都心の商業華やかな場所でもなく、その学校は都の中でも城壁に近く、閑静な街並みの中にひっそりと建っていた。

 校舎らしきものが見えてきた時、あたりが閑静な住宅街だったこともあって、私は馬のひづめの音が気になって、馬を離れたところに残して一人学校の近くまで歩くことにした。

 あたりの街並みは、クロアチアのドゥブロヴニクに似た、明るめのレンガに高い壁が立ち並ぶ風景だった。少し歩いて、子供の声が響く建物に近づいた。塀はそんなに高くなく、中は広々とした平屋建ての建物が2棟あるのが分かった。

 私は道に迷ったふりをして、門扉のない門柱にそっと体を近づけ、顔だけを内側に入れてみた。人の気配はあるものの、建物の中からは声だけ聞こえて人の姿は見えなかった。

(本当にこの中に主人公の二人がいるのかしら。)

 まるで恋にときめいている女子のような気持ちになる。この見ず知らずの世界で、まだ会ったことの無い、これからの運命を背負う男性がこの中にいると思うと、実質17歳くらいの少女なのだから、心臓の鼓動が早くなるのは仕方ない。

 あまりにも静かで動きがないので、躊躇したものの、片足を敷地内に1歩入れてみる。肩に羽織ったストールを片手で軽くつかんで顔を隠すように前に持ってきた。そして中をもう一度のぞき込む。

「あ!」

 建物の外壁の隅から突然人が顔を出した。建物の裏側から走り出た子供のようだった。私に気づいて驚いたように声を上げた。

 私は思わず口元を塞ぐ。そしてまるでお邪魔しちゃったと謝っているように軽く会釈をしてみた。

「ここは学校だよ」

 間違って入っちゃったんでしょと注意するように子供が言った。私は謝るように苦笑いをして後ずさりしようとした。そのとき、その子供の後ろから「どうした」と顔を出した人がいた。

(わ、あの人…)

 一瞬ぞっとした。怖いって気持ちじゃない、やっぱりいたんだという気持ちだった。紛れもない淡い紫の色の髪、そしてきれいな顔立ち。間違いない。

 私は頭を下げて必要以上に顔を見られないようにその場を去った。心臓が飛び出しそうなくらいドキドキが止まらなかった。見てしまったという気持ちと、相手も気づいたんじゃないかという心配でハラハラする。追いかけてこないかと気になって後ろを振り向いたけれど、人影はなかった。

 石畳を歩き、やっと馬のところへ到着する。昼過ぎだから、ちらほらと人がいた。馬を引き、城郭の出口まであたりをきょろきょろ警戒しながら歩いた。両親と住んでいた元の邸宅を見ようかと思ったけれど、なんだか気持ちが塞がりそうだったから諦めた。空を見上げると青い。高いところに薄雲が見えている。そういえば、もう秋だった。冬、新年を迎えた後、私はとうとう新しいご主人に仕えることになる。

(新しい主人は彼になるのかな。やっぱり)

 物語通りなら、将来が予測しやすいし、彼の性格も知っている。全く想像していない人だった方より絶対安全だ。

(けれど、彼は最後死んでしまう。それが話の結末なのよね)

もう20年以上昔に書いた内容を思い出して、私はその非情な内容に心が押しつぶされそうになる。実際、目撃した彼が本当に新年に宰相として私の前に現れたら、それは設定どおりということだ。

(まさか、本当に筋書き通りの将来じゃないわよね…)

 私は足を止めた。そして元来た道を振り返った。人々は市場で買い物をした後なのか、食料を持ち、楽しげに歩いている。空を再び見上げると、大きな衛星が二つ空に並んで浮かんでいた。

(そう。ここは衛星が2つある惑星なのよ。ここは別の世界。私はここで新しい人生を手に入れる。だから、幸せになるように努力しよう)

私は鈍く輝く衛星を見つめながらそう誓った。もし、彼なら、再び会えるのは後3ヶ月後だ。


 シャディン・フィルは顔を隠した女が去った門を見つめた。

(なんだろう。何か用があったのか)

 一瞬、気味悪く感じた。もしかして、王宮からの探りなのかもしれないと思った。

 数ヶ月前、王の使者が学校に来た。その口から述べられたのは「この学校から二人少年を選んで王宮に出仕させろ」というものだった。それも条件があり、身寄り無く、十代後半の男性というものだ。

 一介の平民でしかない私塾の校長が王命を拒否するのは難しい。しかし、その命令を持ってきた使者に対して、アジュガ学校のアルカ校長は「該当者はいない」と回答して断った。そして他の学校を当たるようにとも言った。ところが、数日後、使者は具体的に指名してきたのだ。

「シャディン・フィル君、セルド・レビィン君が選ばれた。」

 生徒を限定されたら、さすがに断ることができない。アルカ校長は使者の前でその王命に一瞬言葉を失った。シャディンもセルドも身寄りがない孤児だった。

「うるさい、帰れ」

 アルカ校長はまるで何も聞いていない風情で使者を追い出したが、そうはいかない。使者はしつこく学校に来訪し、シャディンとセルドに決定したことや、今後の予定について一方的に通達してきたのだった。

 シャディンは、アルカ校長からその出仕話を聞いた時、驚きより、強烈な無力感に襲われた。もともと世の中に対して何ら期待はもっていなかった。だから、この学校を卒業したら、世話になっているアルカ校長の助けになるためにこの学校の教師になり、空いた時間で農業でもしながら生計を立てようと考えていたのだ。

 ところが、突然「王宮に登用」という話が舞い込んできた。

 これは決して自分にとって喜ばしいことではないことは明らかだった。それは命の危険を意味していた。ささやかな生活を最低限の望みと考えていたところに、王命という理不尽な命令によって希望を奪われた気持ちになった。

「いいか、時間は半年しかない。それまでに生きていけるだけの知識と能力を教え込むから、なんとか助かってほしい」

 アルカ校長は他の先生たち、そして有力な協力者達を集め、シャディンとセルドを特別に指導した。今後、何ら後ろ盾の無い身分で、王の傀儡として、味方のいない貴族の中で生きていくということは、オオカミの群れに子羊を放つようなものだった。だから指導は厳しいものだったが、二人ともきついなどとは一切思わずに指導に従った。

「なあ、生きて平民に戻れたら、どうする?」

 夕刻、学校から寮までの帰りに、ほの暗くなった道をシャディンと一緒に歩きながらセルドは尋ねた。

「そうだなあ、お金があれば、世界を旅したいな」シャディンは遠い目をして言った。

「いいね」

「セルドはどうするんだ」

「そうだね、一度、故郷を見てみたいかな」

 セルドはコレティア国から離れた、北の孤島の出身だった。一族を戦争で亡くしている。だから、そこに一度でも戻れるのなら戻りたいと思っているようだった。それに対して、シャディンは自由を望んだ。自由に渡航して他の世界を見てみたいと思っていた。

(あと数ヶ月か)

ため息をつきながらシャディンはそう思った。味方のいない世界に少年が飛び込むには短すぎる期間だった。

(あの女性も敵の一人なのだろう)

 門から顔を出した人はそんな気がした。シャディンは王の陰謀を知り得た貴族の関係者がこっそり偵察に来たのだと思った。貴族のいる世界、コレティア国を動かす政治の世界は汚く、黒いものが渦巻いているのはよく知っていた。

(王命を受けてから、一度も心の底から笑えていないな)

シャディンは自分の変化に今更ながらに気が付いた。


 新年前夜、アジュガ学校は静まり返っていた。

明日、生徒二人が旅立つ準備をしていた。すでに学校は閉鎖されていた。ただ、アルカ校長、そして科学や国際社会を担当するカイ先生はまだ残っていた。

「学校の生徒や先生はすべて避難させた。これで無事に明日が迎えられる」

 老齢でありながら、若々しい顔立ちと明晰な頭脳を持つアルカ校長は生徒に人気ですべての教師に慕われていた。このアジュガ学校の五代目の校長であり、一番生徒数を増やした人気の教師だった。

「まさか、閉校までするとは思いませんでした」

 カイ先生はため息交じりに言った。夜の明りに照らされた黒髪が緑色に光る。長くて豊かなその黒髪は背中で一つにまとめられ、腰近くまで垂れていた。そしてその美しい風貌はひときわ目を引いていた。

「国王の意図を考えると、この学校をこのまま存続させるのは危険を伴う」

「そうですね」

 そのアルカ校長の読みは間違っていないと、カイ先生は暗い顔のまま相槌を打ち、最後の片づけをしている二人の生徒を見つめた。

(まさか、こんな恐ろしいことを国王が考えるとは)

 自分が助けた孤児二人が幸せをつかむどころか、国王の横暴の犠牲になると考えると心が暗く沈んでいく。

 旅立つ生徒の一人であるシャディンは、カイ先生がその母親と共に保護した。後に、母親は病で亡くなり、シャディンを一人で面倒見ていたが、独身のカイ先生では難しく、親しかったアルカ校長を頼み、この学校に連れてきたのだ。

 そしてもう一人の生徒、セルドは、北方の孤島に住む豪族の子だった。戦争に巻き込まれ、海に流されていたところ、漁師に助けられ、たまたまその港町を通りがかったカイ先生に引き取られた。そして、先のシャディンと同じように、このセルドもアルカ学校に入れることにしたのだ。

 その奇縁とも思える二人が同時に国王に選ばれたのだ。カイ先生は苦々しい思いで片付いた教室を見つめる。

(二人とも幼いころから苦労続きで、学校でやっと子供らしい生活ができたところだったというのに、なんてことだろう)

 国王の理不尽な命令から二人を助けるために、アルカ校長もカイ先生も奔走したが、無理だった。国王はこの孤児二人を気に入ったようだった。見目良く、頭も良く、年頃もちょうどいい二人である。傀儡にするにはぴったりな平民の少年だと思ったのだろう。

 傀儡なんかにはさせるものかと学校の先生が一丸となり、半年の猶予の間に、二人に徹底的に指導をした。貴族の世界に入れば、もう援助することもできないのだ。そんな教師の気持ちを知った彼ら二人は、期待に応えて真剣に学んでくれていた。

 そんな二人はとうとう明日、王城へ行き、官位を授けられるのだ。

「先生、片づけが終わりました」

 セルドがカイ先生に近づいてきた。明るい声なのに、瞳の色が曇っていた。

「そうか。明日は早い、寮に帰って寝るがいい」

 笑顔を見せたいのに、カイ先生はぎこちない暗い笑みを見せることしかできなかった。

「先生、寮の荷物はどうしますか」

「明日、君たちが出発する時に廃棄するから」

「わかりました」廃棄という言葉にセルドは目を見開いたが、大人しく頷く。

「早く帰って、体を拭いてよく眠りなさい。明日の朝は早いから」

「はい」

セルドはそう言って後ろにいたシャディンに向かって一緒に帰ろうとばかりに振り返る。

「もう夜だ。急いで帰りなさい」

 カイ先生は二人を急き立てるように言った。学校から寮まではそんなに離れてはいなかったが、人家があっても人通りは少なかった。

 二人は見送りに出た先生たちに軽く頭を下げると道を足早に進んだ。明日のこの時間はもう宮殿か新しい住まいにいることになっていた。

(とうとう明日か)

 セルドは、不安が心を支配しているのを感じていた。まったく想像できない世界に明日踏み込んでいくのだ。星のない暗い空の下、静かな住宅街を歩きながら、自分と同じ気持ちのシャディンを振り返って見つめる。

「今日は寒いから、暖炉をしっかり温めよう。そしてお湯を沸かして体を拭こう」

「そうだね」

 シャディンは少し息が上がった声でそう返事をした。

 その時、二人の背後から馬の足音がした。その騎乗の人物から殺気を感じ、セルドははっと身を引いた。

「あっ」

 シャディンの悲鳴だった。突然背後から槍のようなもので、二の腕付近を切られていた。首付近を狙った攻撃を避けたので、そこに刃が当たってしまったのだ。

「くそっ」

 セルドは刺客が5人いることに気づいた。自分たちは丸腰だった。帰宅を襲えば簡単に殺せると思ってここらに潜んでいたに違いない。相手の刃を避けて小道に逃げ込む。シャディンは負傷した腕をかばうように走り出し、近くの家の玄関に置いてあった金属の棒を手にしていた。

「刺客がいるぞ!」

 セルドは聞こえよがしに叫んだ。学校に聞こえればいいと思った。そして細い道に入り込んだ馬の眉間めがけて石を投げつける。馬はひどくおびえて大きくいななき、馬上の人間を振り落とした。

「こいつっ」全身黒色の戦闘服を着ていた男が叫んだ。その間にセルドは男の腰から剣を奪い取る。そしてためらいもなく、その男の首を切った。

 血があたりに散乱し、馬が恐怖のあまり暴れて壁に当たり、あたりに大きな音が響き渡った。見れば、シャディンが金属の棒で相手を突き落とし、倒れた相手の上に乗りかかっている。

「セルド!シャディン!」

 カイ先生の声がした。先生は剣術にも優れていた。金属のぶつかる音が何度か響いた後、馬の走り去る音がし、槍を持ったカイ先生が通りからセルドのいる小道に入ってきた。

「ほかの刺客は?」

 そう言ったカイ先生の足元に男の死体があった。セルドは手に剣を持ったまま、先生に近づいて周りを警戒した。シャディンは殴り殺した死体を一瞥すると、ほかに刺客がいないかあたりを見つめる。

「もう逃げたかもしれない」セルドが返事をした。

「学校へ戻りなさい。寮は危険だ。それに、シャディンの手当てもしないと」

 カイ先生が二人を導くように手招きし、学校の門へいざなった。

「痛いか」セルドは走りながらシャディンに近づいた。

「大丈夫」そういうシャディンの左腕は真っ赤に染まっていた。深手を負ったのに、無理して動かしたから出血が多くなっているようだった。

 死体が4体転がっていた。馬の姿はなく、3人は学校に入ると門を固く締めた。

「すぐ治療をするから。レビィン君は熱い湯と薬草を準備して」

 アルカ校長が奥から走り出てきた。そして手には治療用の布や金具を持っている。カイ先生と学校に残っていた何人かが門の近くに立ち、武器の準備を始めた。

(これが登用されるということなんだ)

 セルドは金属のたらいに水をため、台所へ行きながら唇をかんだ。シャディンが真っ青な顔で広間の床に倒れこむように体を横たえたのを見た。出血多量で死んだらと心配になった。沸騰を待つ間、カイ先生が保管していた薬草の棚のところへ行き、消毒になる薬草や痛みの緩和の薬を探した。

(貴族のやつらめ!)

 心の底から憎しみが湧いてくる。平民からの登用を阻止しようと、何回か刺客が学校や寮に来ていた。あれは国王側の人間ではなく、平民登用を喜ばない貴族の差し金であることは明らかだった。

 セルドは熱湯の準備ができると、シャディンが休んでいる部屋へ向かった。外が真っ暗になった中で、この部屋だけが明りがともっていた。セルドが近づき、お湯を渡すと、アルカ校長やカイ先生が治療を始める。傷口は大きくはなかったが深く刺されていた。傷口を閉じるために特殊な液体や針を使った時、シャディンは声にならない悲鳴を上げていた。

(なんで僕たちがこんな目に遭わないといけないんだ。国王の気まぐれで登用され、貴族には命を狙われ、僕たちは望んでもないのに)

 苦痛でゆがむシャディンの顔を苦々しく見つめながらセルドはやりきれない気持ちになった。

「明日、傷が開くかもしれない」

 カイ先生が暗い面持ちで言った。そうなれば、謁見中に倒れるかもしれなかった。高度な医術のない世界である。大きな傷を負えば、命の危険は当然にあった。

「シャディン」セルドが近づいて苦悶のシャディンの顔を覗き込んだ。

「……」

「明日、行けるのか」

質問の答えは決まっていた。国王の命令だから行けないという選択肢はなかった。もう専用の衣服も、そして馬も用意されてあった。それは国王からの下賜ではなく、カイ先生が準備したものだった。

「……行くよ」

口から絞り出すようにシャディンは答えた。さすがに傷ついた翌日の朝、歩くことができるのか分からない状態だ。それでも行かねばならない立場だった。

「シャディン。お願いだから早く良くなってくれ」

 宮中に上がればもう味方は二人だけだった。セルドはシャディンに絶対死んでほしくなかった。唯一の味方で親友なのだ。失ったら自身も生きていけなかった。

「……うん」

 力を振り絞ってシャディンは返事をした。シャディンもセルドと同じ気持ちなのだ。明日からは、先生たちの援助は得られない。もう二人きりなのだ。

「フィル君、もういいから寝なさい。睡眠をとる方が大切だ。私がずっとそばについているから」

 アルカ校長が言った。年の割に若々しかったのに、髪だけではなく、ひげも白くなっていた。彼らが登用されると決まってから忙しく緊張した日々が続いた。その分自身も疲労が溜まっていた。そして最後の最後に生徒がこういう目に遭うのだ。アルカ校長もこの現実にやりきれなさが募る。

「レビィン君も寝るんだ。私の部屋に行きなさい。明日の朝まで私たちはここで待機しているから」

 アルカ校長は生徒を安心させるように微笑んだ。


 4

 とうとう新年が明けた。

この世界の新年は地球と似たようなもので、冬が終わり、春が告げられる時、それを新年として一年の区切りとした。

その時は国を挙げて祝賀モードになる。いろんな場所でお祭りがあり、人はご馳走を作って家族や友人と楽しむ。そんな一日だった。

そして、私にとって、この新年の初日は運命の日だった。新しい宰相邸と元帥邸へ向かい、それぞれ、この日、新しい主人を迎える。

物語の筋書きのとおり、私は宰相邸、姉は元帥邸に配属となった。その邸は、もともと私のコルトー家のタウンハウスを二分したものだから、それぞれの邸宅は二階建ての小ぶりなもので、隣同士だ。

私の宰相邸での役職は執事兼召使長、私のほかに召使いが一人、ジジというマムの姪が採用されていた。そして男性の使用人が二人。雑務や厩の仕事をしてくれることになっている。小さい邸で、平民出身の宰相の館なので、たった4人しか使用人がいないという貧乏貴族以下の扱いである。姉の元帥邸も同様で、姉が執事兼召使長、ノシャックと言って、私たちー家の元執事で父と同い年の男性が姉の補佐や召使いの補助をし、ほかに男性の使用人二人がいた。

夕刻、新宰相と新元帥が王に任命され、彼らが下賜されたこの邸に向かう頃には、私は建物の中の確認をして主人を迎える準備を終えていた。外がほの暗くなった頃、外が騒がしくなった。私はジジと目を合わせる。

「ご主人様がお見えになったようだわ」

 玄関ドアを開けてジジが飛び出した。私も彼女の後ろについて外に出て、主人を出迎えようとした。かろうじて馬車止めのスペースがあるくらいの小さい屋敷は玄関の前から門の先がよく見えた。そこには馬車はなく、ただ二頭の馬と二人の男だけが立っていた。使用人が門を開けると、その二人が馬に乗ったまま入ってくる。

 門を彼らが入ると崩れるように一人が倒れそうになる。それをもう一方が素早く馬から降りて抱きかかえた。

(まさか…)

 私は背中が寒くなるのを覚えた。既視感みたいなものを感じた。まさに筋書き通りの展開だった。先に玄関に近づいたのは元帥だった。

 セルド・レビィン元帥。濃紺の髪と青い瞳を持ち、きりっとした男性らしいすがすがしい風貌の男性だ。背が高く、体格を見れば鍛錬されていることがわかる。彼は黒いマントに光沢のある灰色の貴族らしい礼装をして、意識を失った宰相の腰に右腕を通して支え、肩で宰相の左半身を担ぐような形でこちらに歩いてきていた。

「どうなされました」

 ジジが叫んで近づいて行った。

「すまない、すぐにベッドへ向かってくれ」

 そう言って彼は前を向いた。その青色の瞳が私を捉え、早くしてほしいと訴えているのが分かった。

「こちらへ」

 私は玄関扉を広く開け、彼を案内した。ジジが元帥のそばに寄り、気を失っている宰相の背中を支え、元帥の負担を減らしていた。

寝室は2階の奥の部屋だった。玄関すぐ横の階段を上り、2階の廊下へ向かうと、奥のドアへ向かう。

(本当に物語通りじゃないの、どうしよう)

 私は今の状況の心配より、予想通りの展開に心臓の動機が激しくなるばかりだった。

「こちらが寝室です」

 私はドアを開けて振り返って元帥を見た。彼は軽く頷いて、私がドアを支えて開けたままの空間を、背負っている宰相を引きずるようにして通った。ジジが素早く元帥の前に走り出し、ベッドの掛布団をはがす。 

「高熱を出したようだ。とりあえず、横にするよ」

 元帥はそう言うと、右肩で支えていた宰相をベッドの上に仰向けに横たえた。

 私は近寄って息を飲む。

 シャディン・フィル宰相。淡い紫色の髪。端正できれいな顔立ちだ。元帥に比べて華奢な体形だが、しっかりと肉づきがあり、か細いわけではなかった。ただ、彼は目を開けず、苦しそうに息をしていた。

(やっぱり、この人だ)

 心臓が凍り付いた。完全に描いた主人公そのままだった。その顔立ちの先に、思わず物語の先の展開を想像してしまう。変な無言の静けさが広がり、宰相を横たえた元帥が遠慮がちに私の後ろに引き下がった。はっとして私は、ジジやそばに来ていた男性の使用人に替えの衣服や蒸しタオル、湯を用意するよう指示した。

「高熱とは、何か病気ですか」

 私は執事らしく、主人の現状把握のための質問をした。元帥は心配そうに宰相を見つめていたが、弾かれたように私のほうを向く。

「いえ、昨日、傷を負ったのです。そのせいで体が悲鳴を上げたのでしょう。応急処置は済んでいます。ともかくしばらく休養させてあげてほしい」

「傷…」私は唇をかみしめた。それも展開通りのものだった。よく見れば、宰相の左の二の腕付近だけ深紅に染まっている。傷口が開いたのかもしれない。

「シャディン…」隣で私がいるのも忘れたように、元帥は親友の名を呼んだ。その姿が痛々しい。私は宰相を見た。声に無反応で顔色が真っ青だった。額には汗がにじみ、時々苦しそうに眉間にしわを寄せていた。

「元帥閣下。私どもの専属医師を呼びますので、今日のところはお帰りくださいませ」

 私はできるだけやさしく言った。そうでもしないと一晩中この場で看病しそうな勢いだった。きっと隣の元帥邸では姉が元帥の到着を待っているはずだ。物語では姉は元帥に一目ぼれするんだけれど、実際どうなるのだろう。私は想像しながら元帥に屋敷に向かうように勧めた。

「……そうですか」

 一切私のほうを見ずに元帥は宰相を心配そうに見つめるばかりだった。心残りなのか、しばらく無言のまま身動きしなかったけれど、急に私のほうに振り返ってかすかに口元に笑みを浮かべた。

「それでは、シャディンを…宰相をお願いします。また、後日様子を見に来ますので、彼を頼みます」

「かしこまりました。それでは荷物を運びます」

 私は部屋を去っていこうとする元帥の後ろについて下に降りようとした。すると彼は振り返って少し困惑した様子で言った。

「荷物はありません。宰相の馬だけです。カオンという名の白馬で下に連れてきています。私は自分の馬に乗って帰りますので、見送りは不要です。それより、宰相を頼みます」

 何かにおびえるように、宰相を一人にするのを不安がった。私はためらいがちに頷いて、部屋から去る元帥を見送るよう、お湯を運んできたジジに指示した。

(荷物が全くないだなんて、しかも、馬だけだなんて)

 平民だからそういうことになっているのだろうと気づいた。それだけ切羽詰まった状態で儀式に向かっていたのだ。

「すぐ、医者を呼んで」

 私は廊下にいた使用人に、私の家が懇意にしていた医師を呼ぶように言った。執事らしく、主人を守るために迅速に動こうと思った。私は宰相が横たわるベッドに近づいた。彼はまだ正装した姿のままだった。ベージュ色の柔らかい素材の礼装にビロードの黒いマント。私はそれらを丁寧に脱がしていく。そして薄着だけにすると左腕の傷が露わになった。それは見るに忍びないくらい痛々しい。

「……ここは」

 まるでうわ言のような声が聞こえた。私は掛け布団を腰付近に掛けながら主人の顔を見た。紫色の瞳が瞼の中から現れていた。

「ご主人様の屋敷です」

「……ああ」返事が苦しい声に変っていた。

「すぐ医師が参りますから、お待ちください。もうここは安全ですから、お休みになってかまいません」

「……」返事の代わりに彼は少し目を見開いて私を見つめた。少しほっとしたように見えた。

「ちょっと衣服を緩めました。汗がひどいので、医師が参ってお体を確認したらお着替えしましょう」

 落ち着いた表情で彼は私を見つめながら軽く頷いた。そして目を閉じる。何かに引き込まれるように熟睡したようだった。私は脱がせたマントや上着を部屋の大きなハンガーに掛けて再び主人のそばに向かった。

(これが、シャディン様か)

 私は心の中で自分が書いた物語の呼び方で彼を呼んだ。彼は目を閉じて力なく眠っている。真っ青な顔がその色白さを際立たせてはかない感じを強調させていた。その姿を改めて見つめて私は描いていたころの自分の気持ちを遡る。

 あの物語を書き始めた小学生の頃、素敵な王子様のような人に憧れていた。だから、好きな戦争の歴史小説を描きながら、その中で理想の人はこんな感じだろうと自分の想いを具現化した。まさにそれがこのシャディン様だった。

(まさか、現実に目の前に現れるなんて)

 思わず苦笑いする。苦しそうに時々痙攣するのに気が付いて、そばに置いていた布でその額の汗をぬぐうと、彼は落ち着いたように深い息をした。私は切ない気持ちになる。稚拙な物語を書いてから約20年後、私が35歳になるまで、いろいろ恋愛を経験した。だから、素敵な王子様というのは現実にはいないことを知っている。

(けれど、実際、この人はどんな人なんだろう)

 顔を見つめて期待してしまう気持ちに、想像と現実は違うと強く思い返す。子供の頃の淡い夢はもうとうに失われていた。

「…うう」

彼は無意識に声を出していた。傷を受けた場所が痛むのだろう。苦し紛れに布団から手を出して傷ついたところをつかもうとしていた。

私は思わず、その手を握った。はっとしたように彼は薄目を開けた。焦点のあっていない目で私を見つめたけれど、急に微笑をうかべた。声にはならなかったけれど、感謝してくれたようだった。

「心配しないで下さい。私が助けますから」

 思わず声に出して言ってしまった。それが聞き取れたかわからなったけれど、彼はゆっくりと目を閉じて深い眠りに入ってしまった。

もし、物語の展開どおりなら、この先、彼は追い込まれ、体まで蝕まれ、死へと繋がる様々な苦難に襲われることになるだろう。

(そんな結末を絶対変えてみせる)

私は握った手に力を込めた。男性の手だというのに、彼の手はなんだかはかなく思えて私は不安になる。しかしそれに贖うように私は心を激励した。今の立ち位置が分かった以上、がんばるしかない。そのために努力したのだ。絶対に将来を変えてみせると強く誓った。


シャディン様が回復したのは邸に到着してから5日くらい経った後だった。

それまで私は、ベッドに寝ている彼を手当して、食事を持ってくるだけで、特に会話はしなかった。高熱で疲れた様子だったというのと、あまり会話をしたくない雰囲気が漂っていて、私も挨拶程度しかしないようにしていた。

傷口がふさがり、熱も下がった頃、ベッドの背に持たれて、食事をしている時に初めて彼は私に名前を名乗った。

「私は、シャディン・フィルと言います。あんな状態でこちらに来てしまい、なかなか正式に挨拶をすることができなかった。大変申し訳ない」

 心から申し訳なさそうに言うその姿はひどく警戒している感じだった。私は苦笑してしまう。これからずっと一緒に生活するというのに、攻撃的ともいえるほどの警戒心を感じていた。

「それから、毎日、昼にやってくるのは元帥になったセルド・レビィンだ。私の親友で、こちらに迷惑をかけているかもしれないが、よろしくお願いしたい」

毎日、お昼くらいに、隣の邸から元帥が訪れて、彼を見舞っていた。その親友が来る時だけ、シャディン様は警戒心を解く。お二人が話している時はとても間に入れそうにないくらい親しく楽しそうだ。

物語の設定を知っている私は、そんなお二人の仲の良さを見ると心が苦しくなる。

(この二人が将来、苦難に見舞われて死んでしまうなんて)

 物語の展開通りに行けば、コリウス王の大陸全土を征服するという欲望とメレル家打倒の手先となって才能を開花する二人は、最終的にセルド・レビィン元帥が戦死して、そのあとを追うように精神的疲労でシャディン・フィル宰相も命を落とすのだ。

それはお二人が非常に仲良く、運命共同体というところに由来する。それを彷彿とさせるお二人の行動に私は悲しい気持ちになってしまう。

「いいえ、ご主人様、とんでもありませんわ。迷惑をかけてなど。とても心配されている様子で、私どももお二人の仲の良さを感じておりますわ」

 私は必死に笑顔を作りながら、警戒心の強い彼にやさしく話しかける。

「私のことはご主人様を呼ばなくていい」

 食事を止めて、真顔で彼は私をじっと見つめて言った。空気が急に緊張したものに変わり、私は笑顔から困惑した表情になってしまう。

「…それは、どういうことでしょう」

 召使いや執事は邸の主人はご主人様というのが通例であり、それ以外の呼び方が失礼に当たるのは常識だ。

「私のことは、シャディンでかまわない」

「まあ、それはお名前をそのままお呼びするということですか」

 私は絶句した。それが許されているのは家族か恋人だけだ。きっと彼は見ず知らずの召使いからご主人様と呼ばれるのが嫌なのだろう。

「はい。ご主人様というのにはどうしても馴れそうにないので」

 正直に感想を言う彼を私は思わず凝視した。ストレートの淡い紫色の髪がはらはらと肩にかかり、彼がうつむくと、前に垂れて、その顔が見えなくなる。

(恥ずかしいのね)

 少年の困惑した感情が読み取れて、緊張感や威厳を感じた彼の背中に急に親近感が湧く。私はにっこり笑ってしまった。

「かしこまりました。けれど、シャディン様とお呼びしますわ。さすがに呼び捨てにはできませんから。それと、外部の人の前ではご主人様と呼ばせていただきます」

 元会社員なのだ。てきぱきと状況に応じて的確な回答を私は述べた。シャディン様ははっとしたように顔を上げる。その紫色の瞳が私を捉えて、少し安堵した表情を見せた。

「そう。けれど、様はつけるのですか」

「さすがに、そこは譲れません」

「分かりました。よろしくお願いします」

 そう言うと、シャディン様はやっと食事を再開した。


 それからしばらくしてシャディン様はすっかり回復していた。まだ18歳くらいなのだから、回復力はやはり早い。今までベッドに横たわっていたのが嘘のように、朝食を終えると、庭先に出て体を動かしたり、となりの元帥邸へ行き、セルド様と歓談したり稽古したりしていた。

 お二人とも、陛下から「宰相」「元帥」に任命されたとはいえ、出勤は認められていなかった。本当に名前だけ官職のような状況だった。噂に寄れば、行政機関側がまだ王の命令についていけない状態らしい。今まで宰相や元帥は貴族の名誉職だった。実質の行政の権利はあのアウストやその取り巻きが牛耳っていて、本来の権限のあった宰相元帥は何もできていなかったのだ。それを平民の若者に官職を与え、実質権限をつけようと王が一人で決めたのだから、行政機関内は混乱したのだ。それが収まるまで、お二人とも出勤ができない状態なのである。

「それで、さっそく領地を見に行きたいと考えているのだが」

 ある程度生活が落ち着いた頃、シャディン様がそう言ってきた。これはセルド様も姉に同じことを言ったらしい。まだ宰相府や元帥府に行くことができないのなら、先に領地を視察して今後の生活基盤をどう整えるかお二人は考えたいのだろうと私は気づいた。

「お恥ずかしいくらい、何もない土地ですの。見に行かれたら、びっくりなさいますわ」

 私はお二人が受ける元我が家の領地への失望の感情を考え、少しでもそのショックを減らそうとそう言った。

「見に行かないと何も分からないから」

 シャディン様はそう言って、あまり気に留めない様子だった。寒い日々から少しずつ温かさを感じる頃、もう外出にもいいと考えたのだろう。都パルフの郊外から山の方へ向かった先にある小さい領地に行くのに、天気が苦にならない季節になっていた。

「かしこまりました。私の両親が歓迎する準備をしたいと考えるでしょうから、お時間をくださいませ」

 私は頭を下げてそう返事をした。お二人が来るということは両親の小さな家にまずは案内し、簡単な歓迎会をしなければいけないと私は考えた。


次回は第1章の5、6話を掲載します。

次回、元コルトー家の領地を見たシャディンとセルドが取った手段と、彼らの過去について…。

お楽しみいただけましたら幸いです。

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