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空の名残  作者: 多木 葉
第1章 サルビア・コルトー

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第1章 サルビア・コルトー 1,2

東京で事件に巻き込まれた私は、気づいたら子供の頃書いた物語の世界にいた。そして中でもわき役のサルビア・コルトー嬢となっていた。そして物語の展開と同じようになっていき…

第1章 サルビア・コルトー


 1

 コルトー家の次女サルビア。

 突然その名前が自分に降り注いで来て私を襲った。

私は岩倉多香子だったはずなのに、自分はサルビア・コルトーだと思い込んでいることに気がついた。

そしてマホガニー製のような古びた鏡台の前に私は座っていた。今まで感じたことのない感覚だった。ふわふわして足元がおぼつかないような感じだ。目の前の鏡に映った自分の顔というものを見つめた。いつもの顔に近いけれど、違うところもあった。髪の色が茶色だ。瞳も薄い茶色、髪は肩にかからないくらいの長さでパッツリと切っていてさっぱりしている。そして格好といえば、10世紀前後のヨーロッパか中央アジアのものに近い感じで、コルセットなど無い、Aラインの流れるようなワンピース。美しい装飾が袖口や裾、ベルトにされてある。ただ、首元や耳には、大きな宝石など無く、シンプルですっきりとした装飾品を付けていた。

(神保町にいたはずの私が、どうしてここに?)

 私は、まじまじと鏡に映る自分を見つめながら、指先の感覚を研ぎ澄ませ、現実がどうかを感じようとしていた。

「サリィ」

 突然名前を呼ばれた。その愛称は私の体になじんでいた。対応しきれていないのは自分の心だけだった。

 私の愛称を呼んだその声の主は姉ローズだった。私は声のする方向を見た。サルビアの記憶が自然と心に流れてくる。ローズ・コルトーは一つ年上の姉だ。このコレティア国貴族社会きっての美女と言われている。栗色の波打った長い髪、大きな濃い茶色の瞳、整った顔立ち。そして桃色のドレスがとても似合う。私は水色のドレスだった。じゃじゃ馬娘と父がよく言っていた。それに引き換え、姉は美しく、おしとやかで貴族令嬢の鑑ともいえるコルトー家自慢の娘だった。

「お姉様、どうしたの」

「気がすすまないの」

 そうだったと私ははっとする。

今から、ある上級貴族主催の夕食会に行かねばならないのだ。ちょうどその準備をしていたのだ。それは、夕食会とはいっても、いわゆる夜会のような、社交界を楽しむ会ともいえる。私は退屈で嫌いだった。けれど、美人な姉はこういう会では必ずお誘いを受けていた。

遠い昔、コルトー家は有数な名家だったが、今では名ばかりで、実質身分は低く、たいした収入もない貧乏貴族だ。今をときめく貴族たちの夕食会に、本来招待されることはない。しかし姉が美しいので、声がかかるのだ。出席すれば、身分にかかわらず男性が遠慮無く姉に声をかけてくる。社交界の礼儀としてお誘いを断るのは無礼だから、姉は出席していた。でも姉にとってはそういう男性の声掛けは負担だった。

私はそんな姉を心配して護衛を買って出ていた。品のいい男性ばかりではない。貧乏貴族だからと軽い気持ちで暴力的なことを平気でする男性もいるのだ。私は大好きな姉が傷つくのが許せなくて、いつも姉のそばにいて男たちを蹴散らしていた。おかげで評判を悪くしている。姉と違って、妹のサルビアは顔も悪く性格はじゃじゃ馬と陰で言われているのだ。    

私は姉とは生まれた時から仲が良かった。だから悪く言われても全く気にしないのだけれど、姉は妹の将来を心配して噂を残念がっていた。これ以上妹を悪く言われたくないので、一緒に貴族の集まりに出席はしても、行儀の悪いことはしないでほしいと思っているようだった。

「お姉様、気がすすまないのは分かるんだけど、招待受けたんですもの、行くしかないわ。ちょっと顔を出してさっさと帰ればいいじゃない」

「そうね」

 かすかに笑って姉は返事をした。そして準備ができた私と姉は、家の古びた馬車に乗り込む。

「メレル家のお邸へお願い」

 御者に行き先を言い、私と姉は気の進まない顔で馬車の引き窓から外を見た。

今日の夕食会の主催者であるメレル家は5年ほど前から急に台頭してきた新顔の貴族だ。王族の遠縁の末裔で、鉱山で巨額の富を得て、突然社交界で大きな顔をしてきた一族だ。跡継ぎは姉と年齢も近く、何かにつけて言い寄ってきていて面倒な男だった。名前をアウストという。ちょっと顔立ちもよく、お金持ちというだけでひどく偉そうな態度だから私は顔を見るだけで虫唾が走る。だから、私もこんなお夕食会には参加したくはないのだ。

 馬車に揺られていると、心臓の付近に急に鈍痛を受けた。今までに感じたことのない不快感だった。動悸でもない、不安でもない。心臓のあたりに大きな虫がいて、それが上半身をうごめいているという感じだ。

(あ、そうよ。)

 私ははっとした。

(そうだった。この世界は私が子供頃、面白半分に書いていた物語「ときどき物語」じゃない。)

 私はひらめくように思い出した。

小学生のころ、稚拙ながらに描いた、サルビア・コルトーが出てくるこの「ときどき物語」は、伝記や歴史小説に触発されて書いたものだ。

 ファンタジーのような戦記物だった。主人公は才知ある男性二人。サルビアは脇役だ。男性のうちの一人に仕える。主人公の平民の男性二人が活躍して名を上げるという戦争ものの話だった。思いついたときに好きなように書いていたから「ときどき」書く物語という理由で名づけた話だ。

そんな感じで描いていたから、内容は行き当たりばったりの適当なものだった。そして結末を決めきれず、子供の頃に見た不思議な夢を結末に選んでしまった。それは血を流した人を抱きしめている夢だった。それ以外覚えていない。ただ私はその人を抱きしめて泣いていた。まだ小学生だった私は、目を覚ました後、現実でも涙で枕を濡らしていたことに気づいて、衝撃を受けたのだった。それが忘れられず、そんな悲劇的な結末を物語の最後にした。

 私は、物語と同じ世界と気づいた瞬間、頬を叩いてみた。岩倉多香子のはずなのに、そんな物語の中の登場人物になっているなんて夢じゃないかと思った。

私の突然の行動に、ぎょっとしたように姉が私を見る。叩かれた頬は痛かった。私は手を伸ばして馬車の壁を触った。手のひらに感触が伝わる。

(これって現実なの? 自分が描いた物語の世界があるなんて)

「大丈夫なの?サリィ」

 眉をひそめて尋ねる姉に私は苦笑いを返した。神保町で私は刃物を持った男に襲われ…そしてどうなったのだろうかと想像する。

 私はキラリと光った刃先を思い出してぞっとした。

(今は、岩倉多香子ではないということは、今の私は何なの?)

私は自分の認識が誰なのか混乱した。今、サリィと呼ばれ、頭では私はサルビアだと思っている。ということは、目の前の現実はサルビアが自分なのだと結論づけるしかなかった。

 そうすると、ふわふわ浮いたような自分の心と体が合致したような気持になった。そして私の脳が急速に計算を始めた。まるでスーパーコンピューターがものすごい勢いで難題に挑むかのように、自分の現在位置と今後どういう行動をすればいいかの最適解を必死に探っていた。

 そして物語の最初はまさにこの馬車の場面から始まっていたことを思い出す。

(そうよ、今後の展開は、この夕食会のハプニングで姉と私は貴族社会から追い出されることになるんだった!)

 私はそこまではっきり思い出して苦しくなる。

「雨が降ってきたわね」

 姉の声に我に返って外を見ると結構な土砂降りだった。目を凝らして風景を見つめる。私がいた日本とは違う。外国のどこかに似ているような。確か、この物語の舞台は古代や中世の歴史的事実をモデルにしていたと思い出す。当時読んでいた歴史ものの小説はほとんどその時代のものが多かった。しかしここは地球ではない。似たような世界か惑星のどこかだということが分かる。

急に雷のような刺激が体の奥を駆け巡った感じがして、私は心臓を押さえた。どうしてもこの体の不快感を取り除くことができなかった。

 到着したメレル家の屋敷は巨大だった。宮殿近くに位置し、広い敷地面積を誇っている。そして今の技術の粋を集めたような立派な建物だった。門をくぐって中に入ると、天にも届きそうな勢いの高い建物が見えた。その財産を誇るかような建物と雰囲気はひどく威圧的だった。

 屋敷の玄関前に馬車が止まったので、私は姉とともに雨を避けながら屋敷の入り口に降り立った。すると、メレル家の使用人たちの案内で中に通される。私は屋敷内の豪華な調度品を空虚な目で追いながら考え続けた。ここは本当にあの物語の世界なのか、そして書いた通り話が進むのかなどの疑問が心の中でせめぎ合った。

「お姉様、私から離れないで。ずっとそばにいて。決して男と一緒に別のところへ行かないで」

 私は姉に忠告した。確か、そこからおかしな方向に話が振れるのだ。突然のことにストーリーをはっきり思い出せないけれど、ここで姉が罠にはめられ、話が展開していたはずだった。

「どうしたの。怖い顔して」

舞台となる広間へ向かいながら、姉は私を不審な様子で眺めている。

「ごめんなさい。それくらいしか言えなくて。嫌な予感がするのよ」

「まあ。心配してくれるのね。やさしい子」

姉はそうやさしく言うと、私の髪をやさしく撫ぜた。

「いいの。お姉様が心配なだけなのよ」私ははかなく笑った。

 広間にはすでに結構な人が来ていた。無造作に置かれた椅子に座り、談笑する者、立ち話を楽しむ者。皆、邸の者が準備したごちそうを片手にその場の雰囲気を楽しんでいた。広間の端ではさりげなく演奏者が素敵な音楽を奏でている。

 状況としては、ホテルのビュッフェパーティーの豪華版のようだった。

 会社の謝恩会を思い出しながら、私は姉と空いている場所探しをした。庭への出口に近い壁際に姉と立ち、給仕が持ってきたグラスを手に取ると、それとなく周りを見渡す。

「ローズ・コルトー嬢」

突然横から声がかかった。上質な紺色の生地のマントを片側の肩に流し、絹のような光沢を放つ白い衣装を着た男がすっと現れた。私はちらりと見る。男は私を見ることもなく、姉だけを見つめている。美女を前にした男の決まった行動だ。

「あなたに会えなくて久しい。今日は珍しくこの会にご出席なのですね」

「招待いただいたのは久しぶりなのです。皆様にお会いできてうれしいわ」

 心にもないことをさらさらと口にできる姉に私は心の中で脱帽する。私は会話の邪魔をしないようにそっと薄口のワイン風ドリンクを口に含んだ。

「私の想いを話したいので、ちょっとこちらに」そう言って、男は姉の手首をつかもうとした。私はそれに気づくと、バチンを男の手を叩く。

「無礼ではありませんか。淑女の手を強引に掴むだなんて」

突然の私の行為に男は仰天したのか、目をむいて私の方を向いた。姉があわてて取りなそうとする。

「サルビア、叩かなくてもいいのよ」

「危険よ。お姉様の返事もないのに、つかむなんて。何するか分からないじゃない」

 それはその通りなので、姉は妹の味方をしつつも困惑した顔のまま、男の方を向いた。男は顔を真っ赤にして、私への罵詈雑言を小さい声でブツブツと言いながら去って行った。

(ほんと、油断も隙もない。うちが貧乏貴族で御しやすいとでも思っているんだわ。お姉様を安売りなんてさせられない)

 私はきれいな姉を一番素敵な人に嫁がせてあげるのが使命とばかり男を睨みつけた。

「お越しいただきありがとうございます」

 ふらりと私たちの目の前に現れたのは、招待主のアウストだった。調子に乗ったような眼差しと高飛車な雰囲気がいかにも彼らしい。服もとびきりの豪華なものだ。たくさんの宝石を使った飾りを身に着けていた。王族よりも贅沢なものに見える。アウストは丁寧にお辞儀をして、私や姉に笑顔を振りまいた。

「素敵な会ですわ。久しぶりにお会いできる方もいらしていて、とてもうれしく思っております」

姉はそう言って少し身をかがめてお辞儀を返した。私は無言のまま、姉の後に続いてお辞儀を返す。面倒な男だから、さっさとかわしたい。私は話題を振らずにただじっと彼を見つめたままだった。

「本日は陛下にもご参加いただいております。お忍びでお越しなんですよ。それでは」

 アウストは何か含みのあるような言い方をして、ちらりと私と姉を見つめると何事もなかったようにその場を去った。彼としたら私たちと会話しても何も得るものはないからだろう。以前は姉にいろいろと言い寄っていたけれど、姉がつれなかったので、それ以上は関わってこないようだ。

「陛下が」そう言って姉は不思議そうな顔をした。

陛下というのはこのコレティア国のコリウス王だ。もう50代後半の年齢で、壮年期とあってか、強欲でプライドが高く、面倒な男という印象だ。そんな人が一臣下のお食事会にお忍びで参加など聞いたこともなかった。

(危険だわ。確か、姉が陛下に絡まれて拒否した時、事件が起こるんだった)

 この先に起こる出来事が唐突に私の脳裏に蘇る。すると鼓動が高鳴ってきた。これは悪い予感からだった。陛下は姉とこのメレル家が目的で参加してきているはずなのだ。だから絶対姉に近づかせてはいけないと思った。

 その後、食事、演奏会、顔見知りとの挨拶と適当にやりすごしていた。私は予想した未来を見たくなかったから、早く退出しようと考えていた。そんな時、姉に年配の男性が声をかけてきた。身につけている装飾品から身分が高いことは分かるのだが、頭に深々と帽子をかぶり、はっきりとは顔が見えない。私はその男と話す姉を注意しようと腕を引こうとした。

「ちょっと待って」そう言って、姉は困惑した顔で私を見た。

私はそんな姉の態度に驚く。そして一瞬ためらった。その間に姉は引っ張られるように、その男とその場を離れた。

(嫌だ、あれが陛下だったらどうするの。予定通りに悪い方へ話が進むかもしれないじゃない)

 私は再び夢ではないかと自分で自分の手のひらをつねる。やっぱり痛い。落ち着かなくて、そばに置いてあるドリンクやお菓子を口に入れる。顔見知りの貴族が私の変な様子に気づいたのか、私を見て注意がてらに微笑んだ。私はあわてて動揺を悟られまいと素早く広間の壁近くに移動する。もともと壁の花扱いの女だ。目立たぬようにしてさっさとこの場から去らないといけない。姉が早く戻ってくればいいだけなのだ。

 広間はしばらく演奏が流れ、食事や談話が行われていた。姉はなかなか帰ってこない。私は何杯目かの炭酸水を飲んでいていい加減お腹が苦しくなっていた。

「この女が余に無礼をはたらいた!」

 突然怒号が広間に響き渡った。

私は弾かれたように広間の真ん中を見つめる。他の貴族たちも食事や話を止め、その真ん中を見つめた。奥から出てきた男が乱れた髪の女の腕を引っ張って無理やりこの場に引きずり出し、そして広場の真ん中に突き飛ばした。薄ピンク色のドレスが激しく広がって床にたたきつけられる。

「お姉様!」

 私は仰天して声を上げた。そのドレスは姉のものだった。私は床に力なくしゃがみ込んでいる姉に向かって走り出した。

「この女、失礼にも程がある、出て行け!」

 髪飾りや衣服が傷ついて、一部破れていた。姉は両手で顔を覆い、床に突っ伏すようにして泣いていた。そして小さな声で私に向かって「ごめんなさい、サリィ」と何度もうわ言のように呟いている。

 私はさっと青ざめた。そしてあたりを見渡した。

 広間の真ん中に私と姉、そして向かい合うように、さっきの顔を隠していた男、その隣には薄ら笑いを浮かべたアウスト。そして他の貴族達は遠巻きにして私たちを見つめている。

(あ。やっぱり、あの場面じゃない)

 私は物語の一場面を見せつけられて、それが現実にここで行われているということに衝撃を受ける。

 私は念のために再び手の甲をつねってみた。やはり痛い。そばにいる姉も、そしてこの広間も、空気も夢のソレではない。全部現実だ。私はそのうちこの夢物語から目覚めて東京の病院のベッドから起きるという未来があると心のどこかで考えていたけれど、そうはいかないようだ。

(ということは、私って死んだわけ)

 目の前の現実より、自分があの刃物で刺されて死んだということの方が私はショックだった。何気なく首や心臓あたりを手で触れる。ずっと違和感があったのがもう何も感じられなくなっていた。

「…死んだってこと…」

 独り言のように言う。私は両手で自分のほおを覆った。

(あの、神保町で歩いていて、暴漢に襲われて、それで死んだって?それでこの私の子供の頃の想像の世界へ迷い込んだってことなの?)

 私は茫然として荒い息をした。ゼエゼエ息が上がる。今までの自分の生活がすべて失われたという喪失感がどっと襲ってくる。

「聞いているのか!出て行けと言っているんだ」

 命令口調の大きな声が私の思考をつんざいた。その罵声に私は現実に引き戻される。

(もう私はこの世界にいるのよ。もうあの生活には帰れないってこと)

 私は目の前の男の怒号より、東京の生活に戻れないことへの絶望感に打ちひしがれた。しばらくうつむいてぐっと唇を噛んだ。必死に心の中の整理をしようとした。そして、気持ちを切り替えて両手を頬から離すと、ドレスのスカートの裾をぐっとつかむ。

「何よ、一体、こんなことで。だからどうだっていうのよ」

 立ち上がった私は、歯ぎしりしながら目の前の男をにらみつけた。

「はあ?」アウストが素っ頓狂な声を上げる。よく見ればアウストの隣にいるのは明らかに国王陛下だ。

(…そう、結局こういう展開になってしまったのね)

 私はこの現実をしっかりと受け止めた。そして床にしゃがみ込んでいる姉を抱きしめるように自分に寄せて、目の前の男どもを睨む。

「姉が何をしたっていうわけ、どうせ、乱暴したんでしょ」

 この世界の王様なんて怖くないとばかりに私は強気で言い返した。

「恐れ多くも陛下ですぞ」

 国王にアウストがすっと寄り添う。そして勝ち誇ったように私や姉を見下していた。

「だから?」

 私は言い返した。アウストは信じられないという目で私を凝視した。しかし、その瞳はすぐに侮蔑を含む笑みに変わる。

「ほお、国王陛下に向かってそういう口を使うか」

「女性の髪が乱れ、服が破れているのは暴力があった証拠。陛下だろうと、許されることではありません!」

 私は正義感に駆られて強気で言った。たとえ無礼でも、物語の展開で、ここで私と姉に危害がこれ以上及ばないという確信もあった。

「退がれ! この不埒な娘どもが! コルトーの姉妹だな。二度と貴族として顔を出すことはまかり成らん、おって沙汰するまで出てくるな」

 陛下が顔を真っ赤にして吐き捨てるように言った。

 私は姉の腕を支えながら立ち上がり、目だけで殺せるものなら殺してやるくらいの勢いで渾身の力を込めて二人を睨みつけた。

「分かりました。ええ、沙汰を待ちますから」

 そう叫ぶように言うと、私は姉の腕を引っ張り、無理やり歩かせる。そして広間を出て行った。

「サリィ、サリィ」

「お姉様、いいから帰るわよ」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

「いいの、何も言わないで、分かってるから」

「私、私、拒否したから」

「それでいいのよ。……馬車をお願い」

 屋敷の玄関まで来ると、乗ってきた家の馬車を頼む。他の貴族と比べて古く傷んでいる馬車の設えを見ながら、私たちは雨を避けるように走って乗り込んだ。

「私、陛下から、乱暴されそうになって…、その、拒絶したの、そしたら」

「いいの、それで正解よ。拒絶していいの」

「でも、でも、こんなことになって」

「気にしないで」

「貴族の身分を剥奪されるのよ」姉は涙を拭いながら叫ぶように言った。

「ええ」私は外を見つめたまま、言葉を続けた「分かってるわ。どうせ、あいつら、そのうち死ぬから。心配しなくていいの。お姉様も素敵な出会いが待っているわよ。だからこれで正解なの」

 物語の先の展開まで口にしてしまった後、私の目から不覚にも涙が流れ落ちた。姉ははっと息を飲む。

「ごめんなさい。私のせいよ。サリィまでこんなつらい思いをさせて」

「違うの。この涙は違う意味よ」

 私は手で涙を拭った。でも止まらなかった。

 貴族なんてどうでもよかった。ただただ、私は死んでしまったのだという現実が、一番辛かった。

(もう二度と友人や、家族には会えないんだ。さようならすら言えなかった。死んだから、ここにいるってことなのよ)

 それを知ったことが一番辛かった。


2

 物語の通り、私の家は貴族の身分を剥奪され、宮殿そばにある邸宅も没収された。住むのは領地にある小さな邸宅だけだった。しかもその領地も自分たちのものにはできないという。

 父と母は一気に老けてしまった。姉は泣かない日はない。自分のせいで先祖代々の家柄を地に落とし、ほとんど平民に近い身分となってしまった。正直、明日すらどうなるかも分からない。

 疲れきった表情の両親に衰弱しきっている姉が申し訳なさそうに何度も謝罪をしていた。

「もう、止めましょう。こんなこと言っても先に進まないわ」

 暗い雰囲気の家の中で私だけが威勢のいい台詞を吐いていた。

「私たちはいいのよ。かわいいローズとサルビアが心配なの。こんないい子、幸せになれるはずなのに、こんなことになって苦労させてしまって」

母が涙を流しながらもやさしく言う。

「お母様、私のせいなんです。私がお父様やお母様をこんな目に。サリィまで巻き込んで」

 あの時、姉は声をかけてきた紳士が国王だと気づいた。だから止める私を制して一緒に行かねばならないと思ったそうだ。そして向かった先はベッドのある個室。びっくりする姉に国王は愛人になるよう迫った。そしてベッドに押し倒されたのだ。けれど姉はそこで抵抗した。そしてその結果が今の状態だ。

 私は姉の行動はそれで正解だと思う。そんな理不尽な暴力に屈する必要はなんてない。けれど、私が書いた物語の通りなら、実はこれはある作戦なのだ。陛下はコルトー家の領地と宮殿そばの小さな邸宅を押収したかっただけだ。だから姉にわざと不敬な態度を取らせるようにそんな乱暴を働いたのだ。

 そんな裏事情を知っているから、家族の中で私一人だけ泣かずに平気な顔をしている。

 父は姉の言葉に無言でうつむき、母と姉二人は半分抱き合ったまま、すすり泣きをしながらソファに倒れ込んでいる。私はため息をつく。

「泣いたって始まらないじゃない。先のことを考えましょうよ。まずは生活をどうするかってことよ」

 まるで自分に言い聞かせるように私は言った。

 私の言葉に刺激を受けたのか、両親と姉が私に注目する。なんて前向きな娘だという顔だ。

「私、習い事したいの」

「突然どうしたんだ」

「今後のことを考えたら、悲嘆に暮れていてもしかたないわ。だから、自分の身を守るためにいろいろと学びたいの。もちろん、家の事情は分かっているから、家計の負担にならない程度に私に教師をつけてほしいと思っているのだけど」

「まあ」姉は涙を忘れたように私を見つめて立ち上がった。「サリィ。すごいわ。何を習いたいの」

「護身術、経営、会計ね」

「そんな、男がするものじゃないか」父が驚いて反対する。

「もう、身分の保証はないのよ。今後、自分の足で立っていけるように、男と同じくらいの能力や知識がほしいの」

私は叫ぶように言った。この世界の価値観は前近代的なもの。女性というだけで能力は必要ない。妻のたしなみや召使いの能力しか女性は必要ではなかった。

(でも、そんなことじゃ、これからやっていけない。今後、ここで何が起こるかよく分かっているのだから、それに備えないといけない)

 私はこの世界でも一人で生きていけるだけの能力がほしいと望んだ。

「サリィ。素敵だわ」

女性の鑑のような姉が、突然ソファから立ち上がり、私の手を取って言う。

「私もあなたと同じように学びたいと思うの」

「ええ?」父も母も目を丸くした。じゃじゃ馬の妹だけならまだしも、淑女の姉まで男のようなことを学ぶというのだから当然の反応だった。

 私は物語の今後の展開を思い出していた。今後、私たち姉妹は、国王に採用された平民の男の執事兼召使いとして働くことになる。物語の主人公はその平民の男二人だ。

私と姉は、彼らの支えとなって、出世の後押しをするのだ。けれど、将来に待っている結末は戦と死だ。主人公である男性二人は、それぞれなんらかの形で死亡する。そういう悲劇的な結末で私は物語を終わらせてしまった。その反面、私と姉は最後まで生き残っていたような気がする。

私は今更ながらに主人公の彼らに、心底なんてひどいことをしたのだろうと思う。自分があの神保町で突然の暴力で殺されてしまった経験を思い返すと、話の流れは、彼らにとってひどいものだったと今になって気づく。理不尽な現実と結果を彼らに与え、それを乗り越えたというのに、その先に待っているのは死しかないのだ。本当に、この世界で、物語通りに進むのなら、私や姉は安泰でも、彼らには悲劇が続くことになってしまう。

(いいえ、私が変われば何か変わるかもしれないじゃない)

私は自分が何かすれば変えられるかもしれないと前向きに考えた。だから悲劇の前に対処できるように力をつけておかねばならないのだ。

「突然、そんなこと言うが、本気なのか」

 父が考え込む私を見て心配げに尋ねた。

「お父様、上っ面の気持ちだけでこのようなことは言いません。私、本気で学びたいのです」

「そうか…」父は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。

「大変なことなのよ。それでもいいの」母が私の心情を推し量るような目で私をまっすぐ見つめた。

「分かってる。でも非常事態ってことは事実でしょう」

「まあ、そこまで言うのなら」父は難しい顔をしてしばらく空を見つめていたけれど、急に腑に落ちたように、納得してくれた。

「習い事をするために払うお金くらいはある。かわいい娘たちのために、親はなんでもしてやるものだよ」

 父の顔はやさしかった。姉も顔を明るくした。私はうれしかった。

(そういえば、宮崎の実家にいる父と母はどうしただろう。私が殺された後、どんなに悲しんだのだろう。娘が仕事で忙しくて、あげくに殺されたなんて)

私はふと、東京の頃を思い出して悲しい気持ちになる。日本の両親にはきっとひどく心配と苦労をかけているだろうと思うと、目の前のコルトー家の両親の明るさを見て切なく感じた。


 それから数日後、父はつてを使って教師を呼び寄せた。武術、会計、そして召使い仕事、それらを私と姉は習うことになった。この世界でうれしいことは視力があるのでコンタクト不要ということと、運動神経があるということだった。だから、多少の運動は苦にならなかった。ただ、召使い仕事、つまり雑用についてはあまりうまくできなかった。

召使い仕事の師匠は私や姉のお世話係だったマムだ。もともと我が家は貧乏貴族だったから、執事以外は数人しかいなかった。マムは私が子供の頃から世話になった召使いである。私は母よりマムと過ごした時間が長かった。だから、マムは私や姉の将来を自分の子供のように心配して、完璧な雑務を学ばせたいらしく、教え方がひどく厳しい。皿の置き方、ドアの開け方、こんなことまで注意するのって思うくらいだった。姉はそこのところは難なくこなせているのだけれど、私はてんで駄目だった。

「サルビアお嬢様。さっきも注意したでしょう」

「分かっています」

 いつもこの会話になってしまう。だけれど、基本中の基本だ。マムに注意されないようにならないといけないのだ。

 国王からはもう命令が出ていた。コルトー家が所有していた宮殿近くの邸宅は半分に分割され、それぞれに主人が来る。それは平民出の行政官であり、その人の召使いに私と姉が指名された。

 それは私の物語のとおりだった。

コレティア国王コリウスは、姉に乱暴するように見せかけ、姉に罪を着せ、我が家のコルトー家の邸宅や領地を取り上げたのだ。そして、それらを二分して、何も身寄りのない平民の若者2名を主人とし、自らの傀儡として政治を行おうと考えているのだ。

 前に食事会で向かった邸の持ち主メレル家は、今、飛ぶ鳥落とす勢いで国王をしのぎ、国家に君臨しつつある。それを危機だと思った国王は自らの手駒として平民を雇い、メレル家に対抗させるつもりなのだ。そしてその平民は後ろ盾がなく、財力の乏しい身分にさせたいために、人選した上で、貧乏貴族のコルトー家の財産の半分だけを与え、思い通りに動かそうと狙っているのだ。

 コレティア国は古来、高級官僚など、官職を得る者は貴族にかかわらず、実力さえあれば登用される制度となっていた。しかし、実際はそれが形骸化しており、今は貴族たちが世襲のように官職を担っていた。つまり、本来、行政官については平民でも任命が可能なのである。それをコリウス王は利用することを考えたのだ。

 私と姉は国王の陰謀にまんまとはめられ、都合のいい駒として平民のもとで使われるということになる。だから、マムは真剣だ。私や姉がどういう立場になり、苦労するか分かっているのだ。平民の男なら、元貴族の召使いの女性をどう扱うかというのはだいたい想像できるからだ。

「しっかりして下さい。ちょっとした間違いは危険です」

 私がお盆をもって食事を運ぶ姿すら、気にしてあれこれ指示する。個人的にはちゃんと運んで並べればいいじゃないのと思うのだけれど、そうはいかないらしい。

「ちゃんとがんばっているから」

「お辞儀の角度が浅いですよ」

「はい」

「ご主人に不快な思いさせる以上に、お客様に失礼があったら、ご主人が恥をかくのですよ。それに、人がいないからと、お嬢様お一人で執事役までしないといけないのですから」

「はい」

 私は背筋をピンと伸ばした。遠くで見ていた姉がにっこりと笑う。

「サリィ。あんなに馬に乗るのは上手なのに、どうしてそこが難しいのかしら」

「お姉様、好きでできないんじゃないわ。そりゃ、お姉様は美人だし、しぐさもきれいだし」

「あら、サリィもかわいいわ。動作もキビキビしているもの」

 姉は私をからかおうとする。決して私をけなさないのは姉のやさしさだ。ついついうれしくなって、姉をハグしてしまう。

「はいはい、続けますよ」

 実質、期間は半年もない。早く完璧に仕上げないと、勤めだしてからでは間に合わないのだ。だからマムは必死になっている。

半年弱の期間、没収されたコルトー家の邸宅は改修工事が行われる。その邸は庭付きのちょっとした邸でそんなに大きいわけではなかった。ただ、結構な時代のものなので、古い上、改築増築を繰り返して、変に横に長くなっていた。それを二分して、二つの邸にしているから時間がかかるのだ。

そして、父の話だと、我が家の元領地は新しく来る平民二人の共同領地となるらしい。特に産出する鉱物も農作物もない痩せた土地だ。

これは物語の通りなので、私は安堵する反面、不安な気持ちにもなる。その本来の主人公である平民の二人は、本当に物語通りの人なのかという心配だ。

「マム、明日、休んでもいい」

「え? 突然どうしたの」

 明日も続けて教えてもらう予定だったのだが、私は居ても立ってもいられずに、ついマムに頼んでしまった。

「ちょっと散歩したくなって」

「まあ」

「毎日がんばったじゃない」

 私は交渉してみる。どうしても休みを取って出かけたかった。

「では、今日教えたことができたら、お休みとってもいいですよ」

 マムは私のお願いには弱い。さすがに条件つきだけど、許可を出してくれた。

「はーい」

 私は必死に姿勢を整え、お辞儀をした。


次は続きの3,4話を掲載します。

最初に投稿した際、第1章すべてを投稿し、あまりにも長かったとの反省のため、分割して再度掲載しました。よろしくお願いします。

次回、サルビアとなった私は、とうとう物語の主人公が本当に存在しているのかと彼のいる場所へと向かいますが…。

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