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第一話 白いマントは、英雄を飾るためだけのものではありません

先日投稿した短編作品『妹が「白いマントは私の方が似合います」と言うので、英雄の婚約者席も凱旋式の役目も譲りました。ですが遺族席を忘れていたようです』の連載版です。

https://ncode.syosetu.com/n2055mf/

「英雄の隣に立つなら、白いマントはわたくしの方が似合いますわ」



 王城西棟の軍務式典局で、妹のイレーネがそう言った。


 ここはフォルスター侯爵家の応接室ではない。


 グランヴィル侯爵家の客間でもない。


 王国軍総司令部の下に置かれた軍務式典局の確認室だった。


 壁際には、式典局長のエルマー・ローヴェン卿が控えている。


 その隣には、凱旋式当日の警備配置を預かる近衛士官が立っていた。


 向かいの長椅子には、私の婚約者であるアルバート・グランヴィル様。


 東境戦役で第三槍騎隊を率い、砦を守り抜いた若き英雄。


 そしてその隣で、妹は白い手袋を胸元へ添え、まだまとってもいない白いマントを、すでに肩へかけているかのような顔で微笑んでいた。



「お姉様は、凱旋式を少し暗く考えすぎですわ」



 イレーネは、明るい声で続ける。



「せっかくアルバート様が勝って帰っていらしたのですもの。もっと華やかに、もっと明るく、民に希望を見せる式にした方がよろしいでしょう?」


「希望を見せることと、帰らなかった人を忘れることは違うわ」


「またそういうことをおっしゃる」



 妹は小さくため息をついた。



「遺族席だとか、負傷兵の通り道だとか、戦死者の名を読む順番だとか。お姉様はいつも、祝いの場で沈む話ばかりなさるのね」



 私は膝の上で指を重ねた。


 その言葉を聞いて、ようやく分かった。


 この子は本当に、凱旋式をただの勝利の見世物だと思っているのだ。



「イレーネ」



 私は静かに名を呼んだ。



「凱旋式は、英雄を飾るためだけの式ではないの」


「でも、民が見るのはそこですわ」



 妹は即座に言った。



「広場へ戻ってくる騎士たち。花。楽団。王城の階段。英雄の隣で白いマントをまとって立つ婚約者。そこに堅苦しい顔のお姉様が立つより、わたくしの方がきっと皆さまも喜びます」



 アルバート様が、そこで軽く咳払いをした。


 私へ向ける目には、少しだけ気まずさがある。


 けれど、イレーネを止める気はない目だった。



「リディア」



 彼は私の名を呼ぶ。



「君がこれまで、凱旋式の準備を支えてくれたことは分かっている」


「ありがとうございます」


「だが、今回の式は民の士気にも関わる。東境戦役は長かった。ようやく勝って戻ったのだから、あまり沈んだ式にはしたくない」


「沈んだ式にしたいわけではありません」


「ああ。分かっている」



 分かっている。


 人は本当に分かっている時、その言葉をあまり使わない。


 私はそんなことを思った。


 口にはしなかった。



「けれど、勝利の象徴として、もう少し華やかな見せ方が必要だ」



 勝利の象徴。


 その言葉で、胸の奥が少し冷える。


 凱旋式を勝利だけで作ると、そこからこぼれる人たちがいる。


 その人たちのために、私は半年かけて順番を整えてきたのに。



「つまり」



 私は静かに訊いた。



「私との婚約を解消し、イレーネを新たな婚約者候補として立てる、ということでしょうか」


「婚約解消の書面は、両家で手続きを進められる」



 アルバート様は、少しだけ視線を逸らした。



「正式な婚姻前なのだから、制度上は可能だ」


「ええ。制度上は」


「そして凱旋式の婚約者席も、イレーネに任せたい」



 婚約者席。


 凱旋式で英雄の隣に立つ席。


 白いマントをまとい、帰還した者を迎え、軍旗へ一礼する役。


 見た目は、たしかに美しい。


 青い石畳の広場。


 王城へ続く白い階段。


 軍旗。


 楽団。


 花を掲げる子どもたち。


 民衆が見上げるその中心に立つ姿だけを見れば、妹が欲しがるのも分からなくはなかった。



「承知いたしました」



 私がそう答えると、イレーネの顔が明るくなった。


 アルバート様も、わずかに肩の力を抜く。


 泣かれるか、責められるか、少なくとももっと面倒な反応を予想していたのだろう。


 けれど、ここで取り乱しても、遺族席の位置は一つも整わない。



「では、婚約も、凱旋式の婚約者席も、イレーネへお譲りいたします」



 式典局長エルマー卿が、手元の記録用紙へペンを走らせた。


 近衛士官は表情を変えない。


 その二人の反応で、私は少し安心した。


 少なくとも、この場が正式な確認の場であることを分かっている人がいる。



「ただし、確認させてください」



 私は続けた。



「凱旋式の婚約者席を変更する場合、式典局に登録されている英雄婚約者席連絡員も変更されます。遺族席の案内、献花順、負傷兵の入場導線、戦死者名の読み上げ、軍旗への礼、白いマントの扱いについて、すべて再確認が必要です」


「大げさだな」



 アルバート様が言った。


 ああ、と思う。


 やはり最初に出るのは、その言葉なのだ。



「凱旋式まで、あと四日です」



 私は穏やかに返した。



「大げさで済むうちに、確認しておいた方がよいかと」


「お姉様は、そういうところですわ」



 イレーネが可愛らしく笑う。



「勝って帰ってきた英雄を迎える式ですのよ。遺族の方々にも、明るい顔で見ていただいた方がよろしいのではなくて?」


「遺族の方々が求めているのは、明るさだけではないわ」


「では何ですの?」


「名を呼ばれることよ」



 私は言った。



「帰らなかった人の名が、王都の広場で一度でも呼ばれること。家族が前列でそれを聞けること。それがあるから、凱旋式はただの勝利の宴ではなく、帰還の式になるの」


「まあ」



 妹は小さく首を傾げた。



「わたくし、そういう重い話はあまり得意ではありませんわ」



 エルマー卿のペン先が、一瞬だけ止まった。


 私は見なかったことにした。


 妹は、自分の言葉がどこへ落ちたのか、まだ分かっていない。



「引き継ぎはいたします」



 私は椅子の横に置いていた革箱を、テーブルの上へ載せた。


 中には、式次第の写し、遺族招待名簿、負傷兵の導線図、献花順の覚え書き、白いマントの扱いについての軍務通達が入っている。


 黒い紐は戦死者名の読み上げ。


 白い紐は遺族席。


 赤い紐は負傷兵の入場。


 青い紐は王族と軍旗への礼。


 金の紐は英雄本人の動き。


 半年かけて、式典局と何度も確認してきたものだった。



「最前列に置く遺族代表は十二家。二列目以降は部隊別。負傷兵は東門から入れます。正面階段を使わせると、松葉杖の兵が転びやすいので、南側の緩い通路を使います。戦死者名は、爵位順ではなく部隊番号順です。貴族家の者だけ先に呼ぶと、平民兵の家族が二度と軍の式に来ません」


「そんなにあるのですか」



 イレーネが革箱を開き、最初の束を少し見て、すぐに閉じた。


 たぶん、読む気をなくしたのだろう。



「あります」


「でも、それは式典局の方が覚えていることでしょう?」


「式典局が全体を動かします。けれど、英雄の婚約者席に立つ者は、遺族と負傷兵へ最初に礼をする立場です」


「わたくしが?」



 イレーネが目を丸くする。



「英雄の隣に立つのに、そんなに何度も頭を下げるのですか?」


「英雄の隣だからこそよ」


「白いマントは、勝利を迎える花嫁の印ではありませんの?」


「違うわ」



 私は首を振った。



「白いマントは、戦場の埃を払って迎える布です。帰ってきた者にも、帰らなかった者の家にも、同じ白花を届けるという誓いを示します」


「……お姉様は、何でも意味をつけすぎですわ」



 妹は不満げに唇を尖らせた。


 アルバート様が、そこで低く言う。



「リディア。イレーネを責めるような言い方はやめてくれ」


「責めているわけではありません」


「だが、君の話し方では、まるでイレーネが何も分かっていないように聞こえる」


「分かっていないので、説明しています」



 部屋が静まった。


 アルバート様の顔が、少しだけ強張る。


 でも私は、言葉を引っ込めなかった。



「凱旋式は、勝利を誇るためだけのものではありません。どなたが何を知らず、何を省いたかは、広場に立った瞬間に表へ出ます」


「表へ?」



 イレーネが首を傾げる。



「民はそこまで見ておりますの?」


「民より先に、遺族が見ます」


「遺族の方々は、英雄に感謝してくださる立場でしょう?」


「いいえ」



 私は静かに答えた。



「感謝すべきは、こちらです」


「……お姉様は、本当に暗いですわ」



 妹はため息をついた。



「大丈夫です。わたくしなら、もっと明るい凱旋式にできます。アルバート様の勝利を、王都中に見せて差し上げますわ」



 アルバート様は、その言葉に少しだけ微笑んだ。


 彼は疲れているのだと思う。


 戦から帰り、死んだ部下の名前を聞き続け、負傷した兵の顔を見続け、明るく祝ってくれる誰かに救われたくなったのだろう。


 それは分かる。


 けれど、分かることと譲れることは違う。



「分かりました」



 私は革箱を妹の前へ押し出した。



「それでは、明日から凱旋式に関する確認はすべてイレーネへお願いいたします」


「待て」



 アルバート様が、思わずというように声を上げた。



「すべて、とは」


「婚約者席に立つのはイレーネなのでしょう?」


「だが、君はこれまでの流れを知っている。式が終わるまでは、補佐として」


「私は婚約者ではなくなるのですよね」



 私は静かに問い返した。



「婚約者ではない女が、婚約者席の役目だけを担うのは、式典局にも、遺族の方々にも失礼です」


「それは……」


「もし私の協力が必要でしたら、王国軍式典局より正式な補佐依頼をいただければお受けいたします」



 エルマー卿が、そこで初めて小さく頷いた。


 そう。


 必要なのは、そういう線引きだ。


 婚約者だから当然やる。


 姉だから手伝う。


 これまでそうしてきたから続ける。


 そんな曖昧な形で、帰還と追悼の式を動かしてよいはずがない。



「リディア」



 アルバート様の声が低くなる。



「君は私に恥をかかせたいのか」


「いいえ」



 私は微笑んだ。



「今までずっと、あなたに恥をかかせないために動いてまいりました」



 そこで一拍置く。



「その役目を、本日で終えるだけです」



 アルバート様の顔から、ほんの少しだけ余裕が消えた。


 イレーネはそれに気づかず、革箱の留め金を楽しそうに撫でている。



「大丈夫ですわ、アルバート様」



 彼女は明るく言った。



「お姉様がなさっていたことくらい、わたくしにだってできます。民は難しい順番ではなく、英雄の姿を見るのですもの」



 私は立ち上がった。


 これ以上、この場で言うべきことはなかった。



「では、失礼いたします」



 最後に一礼して、私は確認室を出た。


 扉が閉まる直前、イレーネの弾んだ声が聞こえた。



「白いマントの縁に、金の刺繍を足せないかしら。勝利らしくて素敵だと思いますの」



 私は廊下で足を止めなかった。


 白いマントの縁が白いままなのは、勝利を誇るためではない。


 帰らなかった者の家へも、同じ布を持っていくという意味を残すためだ。


 それを説明する役目も、もう私のものではなかった。



 軍務式典局の廊下は、王宮の表側よりずっと静かだった。


 壁には、過去の戦役で帰還した部隊の名が刻まれている。


 勝った戦ばかりではない。


 大きく負け、わずかに帰った者だけが名を残した年もある。


 その前を通るたびに、私はいつも足音を少しだけ小さくしていた。


 誰に命じられたわけでもない。


 ただ、そうした方がよいと思っていた。



「リディア嬢」



 背後から、低い声が届いた。


 振り向くと、エルマー卿が確認室の扉の前に立っていた。


 彼は軍人というより文官に近い顔立ちだが、背筋はまっすぐで、目はよく動く。


 式典局が無能なのではない。


 むしろ、彼らはよく分かっている。


 分かっていても、功績者家門と英雄本人が婚約者席の演出だと言い出せば、最後の一押しを止めきれないだけだ。



「局長」


「先ほどの確認について、記録は正式に残します」


「ありがとうございます」


「あなたが登録変更後の準備に関与しないことも、明日付の文書で確認します」


「助かります」


「本当に、助かるのはこちらです」



 エルマー卿は、そこで少しだけ疲れたように息を吐いた。



「線を引いていただけると、こちらも線を引けます」


「式典局は、イレーネを止められますか」


「規定違反なら止めます」



 答えは早かった。


 私は少しだけ安心する。



「ただし、演出上の変更として出されるものは、総司令官閣下の判断まで上げる必要があります」


「そうですね」


「凱旋式は軍の式です。グランヴィル家の私的祝勝会ではありません」



 その言葉を聞いて、胸の奥の硬いものが少しだけほどけた。


 分かっている人がいる。


 それだけで、どれほど救われることか。



「リディア嬢」



 エルマー卿は、私の手元を見た。


 私はもう革箱を持っていない。


 半年かけて整えたものを、すべて妹へ渡してきた。



「つらくはありませんか」


「少し」



 私は正直に答えた。



「けれど、私が持ち続ける方がもっとつらいです」


「なるほど」


「白いマントは妹がまとう。英雄の隣も妹が立つ。けれど、遺族席も、負傷兵の導線も、帰らなかった方々の名も、見えない部分だけは私が整える」



 そこで、少しだけ笑った。



「それでは、また同じことになります」


「同じこと、ですか」


「誰かが華やかな場所に立ち、その足元だけを私が支えることです」



 エルマー卿は黙った。


 短い沈黙のあと、彼は深く一礼した。



「明日の確認書は、私の名で出します」


「ありがとうございます」



 私は礼を返し、今度こそ廊下を歩き出した。


 王城の西棟を抜けると、外の風が少し冷たかった。


 凱旋式まで、あと四日。


 広場の石畳には、もう花の台座が運び込まれ始めている。


 白いマント。


 英雄の隣。


 民衆の拍手。


 妹が欲しがったものは、どれも美しい。


 でも私は知っている。


 その美しさは、帰らなかった人の名を呼んだ後でなければ、ただ軽いだけだ。



 私は手袋の指先を握りしめた。


 明日から、私は何もしない。


 それが、今回の私に残された最後の役目だった。

今日は3話まで更新する予定です。

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