潜入作戦
ヴィクトリアがようやくベッドから出られるようになったのは、七日後のことだった。熱はすっかり下がり、咳もほとんど治まっている。
何度も「もう大丈夫よ」と訴えたものの、そのたびにダニエルから「まだ安静にしていて」と真剣な顔で言われ、結局ベッドへ戻される日々が続いた。
ヴィクトリアはとっくに動けるつもりでいたのだが、看病をしていたダニエルからすれば、ほんの少し咳をしただけでも気が気ではなかったらしい。
その結果、ヴィクトリアは予定より長く療養することとなり、気づけば仮面舞踏会へ参加したあの日から二週間近くが過ぎていた。
そして今ー
二人を乗せた馬車は、久しぶりに王城へ向かって石畳の道を進んでいた。馬車の中には、規則正しい車輪の音が響き、ヴィクトリアはカラスの姿のまま、座席にちょこんと腰を下ろしていた。黒い羽をきれいに畳み、小さく首を傾げながら向かいに座っているダニエルを見つめる。
ダニエルの膝の上には、今日ヴィクトリアが身につける予定のドレスが丁寧に畳まれて置かれていた。皺がつかないよう何度も位置を直しながら、それでも落ち着かない様子で窓の外へ視線を向ける。
「はぁ…大丈夫かなぁ……」
ダニエルからため息が漏れる。
先ほどから何度も窓の外を確認しては、ヴィクトリアへ視線を移しまた外を見る、そんな動作を繰り返していた。まるで何か悪い予感でも振り払おうとしているかのように、終始そわそわと落ち着きがない。
そんなダニエルの様子を、ヴィクトリアは静かに見つめていた。
(そこまで心配しなくても大丈夫なのに)
ダニエルがここまで神経質になっているのには理由があった。それは二日前、ヴィクトリアが今回の潜入作戦を打ち明けたからだった。
前回、初日に入れてくれた衛兵を頼るという作戦は失敗に終わった。そもそもあの時はレオンハルトとクラウスが居たおかげで入ることができたわけで、決して衛兵が友好的だったわけではなかったのだ。つまり、正攻法で仮面舞踏会へ参加するのは難しい。
だからヴィクトリアが考えたのは、自分の呪いを逆手に取る方法だった。
作戦はこうだ。
まず日が暮れる前に王城へ到着し、正面広場の片隅へ馬車を停める。開場前から多くの貴族の馬車が並ぶため、一台増えたところで不自然には映らないはずだ。
ダニエルが馬車で待機している間に、ヴィクトリアはカラスの姿で外へ飛び立ち、王城の敷地内や庭園の上空を旋回しながら、人目につかない場所を探す。
身を隠せそうな場所を見つけたら、一度馬車へ戻る。ダニエルからドレスを受け取り、再び目的の場所へ飛ぶ。
そして十八時。
人の姿へ戻った瞬間に急いで着替え、人目を避けながら仮面舞踏会の開場へ向かう。
一方、ダニエルは開場と同時に正面から入城し、人目を盗んで会場の外へ通じる扉の鍵を開けておく。窓や扉は幾重にも垂れ下がる豪奢なカーテンに覆われ、中から外の様子は見えない。つまり、一つくらい扉が開いていても、気づく者はいないだろう。
その扉からヴィクトリアが密かに会場へ入り、二人は何事もなかったかのように仮面舞踏会へ参加する。
それが今回の作戦だった。
もちろん危険がないわけではない。
カラスの姿で長時間飛び回れば、その分だけ呪いは進行してしまう。人目のない場所が見つからなければ計画は頓挫するし、人へ戻る瞬間や会場に潜入する姿を誰かに見られればすべて終わりだ。
それでも、空からなら衛兵に止められることなく王城の敷地内へ入ることができる。
ヴィクトリアには、この方法以上に成功率の高い作戦は思いつかなかった。だからこそ、ヴィクトリアは迷うことなくこの作戦を提案したのだ。
呪いが進行する危険性を考えれば、到底賛成できる内容ではないとダニエルは最後まで反対したが、ヴィクトリアの決意は固く、作戦内容を話している時のヴィクトリアのその真っ直ぐな眼差しを前に、ダニエルは何も言い返せなかった。
だからこそ今、ダニエルは落ち着かない。
この作戦が成功してほしい。けれど同時に、ヴィクトリアに無理をしてほしくない。
相反する二つの願いを胸に抱えながら、ダニエルは再び窓の外へ視線を向けた。遠くには、二週間ぶりとなる白と淡い青を基調とした城が、木々の向こうからゆっくりと姿を現し始めていた。
これから始まるのは、失敗の許されない二人だけの潜入作戦だった。




