↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
屋烏の愛  作者: 又一
PR
39/46

誤解

***


仮面舞踏会が開催される数日前。

ダニエルは一人で王都にあるタウンハウスを訪れていた。


広々とした居間には暖かな陽射しが差し込み、磨き上げられた家具が光沢を放っている。突然の来訪にも、万全の体制でもてなすことできるよう整えられているあたり、日頃からの管理の行き届きぶりがよく分かった。それだけヴェルターの手配が優秀なのだろう。


ダニエルはソファへ腰掛け、用意された紅茶へ口をつける。香り高い湯気がふわりと立ち上がり、ダニエルの鼻腔をくすぐる。


「仮面舞踏会の開催中はここへ滞在するから、よろしくね」


「はい、もちろんでございます」


傍で控えていたヴェルターは、穏やかに一礼する。その笑顔には、長年仕えてきた執事らしい落ち着きがあった。


「あ、あと…」


ダニエルはそこで言葉を切る。何故か急にそわそわし始め、紅茶のカップを持ち直した。


「もう一人、連れてくるから…!」


その瞬間、ヴェルターの眉がぴくりと僅かに動く。だが驚きはほんの一瞬だった。


「はい、かしこまりました」


すぐにいつもの完璧な笑顔へ戻る。

ただ、よく見ればその目にはわずかな興味が滲んでいた。


「お連れ様は、女性の方でしょうか?」


ダニエルはその問いにびくりと肩を揺らした。


「う、うん…!ミーナって言うんだ。だから、その…部屋を整えておいてくれるかい?」


ダニエルはどこか気恥ずかしそうに答える。


「はい、かしこまりました」


ヴェルターは表情を崩すことなく、頷いた。

だが内心では、かなり衝撃を受けていた。

今まで女性の話題などほとんど口にしなかった主人が、自ら女性をタウンハウスへ連れてくると言ったのだ。しかも名前を呼ぶ時、明らかに照れていた。


ヴェルターの脳内では、その瞬間すでに色々なものが繋がっていた。


(ついにダニエル様にも春が来たのですね)


長年見守ってきたヴェルターとしては、感慨深いものがあり、しかもそのお相手は舞踏会へ一緒に参加するほど親しい女性ときた。これはもう、かなり真剣なお相手なのだろうと、ヴェルターがそんな期待を抱いてしまうのも無理はなかった。


「あ、あと、ミーナは毎日夕方まで起きてこないから、朝や昼の世話はいらないよ」


ダニエルはできるだけ自然な口調を装いながら付け加えた。


ヴィクトリアをタウンハウスへ招く以上、最大の問題はカラスの呪いだった。朝になればヴィクトリアは人の姿ではなくなる。だからこそ、誰にも部屋へ入らせないようにする必要があった。事前に「世話は不要」と伝えておけば、不自然ではあるものの、少なくとも使用人が部屋へ立ち入る理由は減る。


ダニエルなりに考えた末の対策だった。


「…毎日ですか?」


ヴェルターの思考がぴたりと止まる。

先ほどまでヴェルターの頭の中では、客室の準備や食事の手配、滞在中の世話など、執事として必要な段取りが次々と組み立てられていた。

だがダニエルの予想外の発言によって、それらが一斉に停止したのである。


「…う、うん」


「食事も不要なのでしょうか?」


ヴェルターはさらに確認する。

さすがに毎日夕方まで眠り続け、朝食も昼食も取らないというのは不自然だ。執事として聞き流せる内容ではなかった。


「う、うん。毎日夕方まで寝ることになると思うんだ…!」


ダニエルは苦しい言い訳だと自覚しながらも答える。嘘は言っていない。実際、ヴィクトリアはカラスの状態では常に寝ているのだから。だが真実を知る者以外が聞けば、かなり怪しい説明だった。


「………………」


「ミーナには無理をさせることになると思うから、ゆっくり休んでもらいたいんだ……!」


ヴェルターが何か言う前に、ダニエルは慌てて言葉を重ねた。実際、今まで屋敷に引き篭もり、社会との関わりを絶っていたヴィクトリアにとって、連日の仮面舞踏会への参加は体力的にも精神的にも疲れて無理をさせることになるはずだ、とダニエルは思っていた。


しかし、そんな事情など知らないヴェルターは顎に手を添え、しばらく沈黙していた。その表情は崩れていないが、内心では、主人の発言をどう解釈すべきか真剣に悩んでいた。


毎日夕方まで起きてこない女性。

朝も昼も部屋へ入る必要はない。

そして「無理をさせることになる」と主人が口にしている。それらの情報が、ヴェルターの頭の中でひとつの結論へと収束し始めていた。


そして数秒後。

何かに納得したように穏やかな笑みを浮かべた。


「かしこまりました」


ヴェルターは一瞬だけ間を置いてから、丁寧に一礼する。


「お二人きりの時間を邪魔しないよう努めさせていただきます」


「う、うん!ありがとう…!」


ダニエルはその言葉に若干の引っ掛かりを覚えたが、ヴェルターにとりあえず納得してもらえたことに安心した。


「それじゃあ、あとはよろしくね!」


「ダニエル様、お待ちください」


居間を後にしようとするダニエルの背後から、ヴェルターの声が飛んできた。ダニエルは思わず足を止めて振り返る。


「どうしたの?」


「ただのお節介と思っていただいて構いませんが、一言だけ申し上げてもよろしいでしょうか」


改まった態度に、ダニエルは首を傾げる。

何か重要な話だろうか。そう思いながらもダニエルは頷いた。


「もちろん」


するとヴェルターは微笑んだ。

だが、その笑みはどこか意味深だった。


「あまりがっつき過ぎてしまいますと、嫌われてしまいますので」


「…………え?」


ダニエルは固まる。

ヴェルターは構わず続けた。


「程々になさいますよう」


口角だけを上げた完璧な執事の微笑み。

しかしその目は、完全に何かを誤解している者の目だった。


「………………」


ダニエルは無言になった。


(程々に……? がっつき過ぎると嫌われる……? 一体何の話だろう……)


ヴェルターの言葉の意味が分からず、ダニエルは必死に頭を回転させる。自分が先ほど伝えた内容と、ヴェルターの忠告を順番に思い返していく。


毎日夕方まで起きてこない。

無理をさせることになる。

がっつき過ぎると嫌われる。

程々にするように。


そして、それらを繋ぎ合わせた瞬間——

ダニエルは一つの結論へと辿り着いた。


どうやらヴェルターは、ダニエルが毎晩ヴィクトリアを朝まで寝かせず、二人きりで親密な時間を過ごす予定なのだと解釈したらしい。


「…………っ!!」


理解した途端、ダニエルの顔が一気に熱くなる。みるみるうちに頬が赤く染まり、耳まで熱を持っていく。鏡を見なくても、自分が真っ赤になっていることが分かった。


「ち、違っ…!!」


ダニエルは慌てて否定する。


「そ、そういう意味じゃ……!!」


「ご安心ください、若い頃は誰しもそういうものです」


ヴェルターは穏やかな笑みを浮かべたまま頷く。その表情は、まるで微笑ましいものを見る年長者そのものだった。


「だから違うんだって…!!」


必死の弁解も虚しく、ヴェルターは穏やかな笑みを崩さず、まったく聞く耳を持っていなかった。


だが、ヴェルターが誤解してしまうのも無理はなかった。冷静になって考えてみれば、自分の説明はあまりにも誤解を招きやすいものだったのだ。


女性を連れてくるから部屋を用意しておいてほしい。でも朝も昼も部屋へ入る必要はない。そして、無理をさせることになるから毎日夕方まで起きてこない。


そんな話を聞けば、人によってはそう解釈してしまっても不思議ではない。ダニエルはようやく、自分がとんでもなく説明不足だったことに気づいた。そして同時に、取り返しのつかない誤解が生まれてしまったことも悟る。


「……はぁぁぁ〜、どうしよう……」


ヴェルターを残して居間を後にしたダニエルは、廊下へ出た途端、盛大なため息を吐いた。

思わず両手で頭を抱える。先ほどのやり取りが何度も脳内で再生され、そのたびに顔が熱くなった。


(ヴィクトリアになんて説明すればいいんだ……)


ただタウンハウスへ招くための準備を頼んだだけだった。それなのに、気がつけばとんでもない方向へ話が広がってしまった。


もしヴィクトリア本人がこの誤解を知ったら、どんな反応をするだろうか。呆れられるかもしれない。怒られるかもしれない。それならまだいいが、最悪の場合は、その場で二度と口を利いてもらえなくなるかもしれない。そこまで考えたところで、ダニエルはぶんぶんと首を振った。考えれば考えるほど、ろくな未来が見えてこない。


「…………よし」


そして悩みに悩んだ末、ダニエルはひとつの結論へ辿り着く。


ヴィクトリアには何も伝えない。


少なくともその時のダニエルは、それが今できる最善の選択だと本気で思っていた。


もちろん、その判断が後々ヴィクトリアに怪しまられることになるなど、知る由もなかったのだが。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。