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屋烏の愛  作者: 又一
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睡魔

「ここがヴィクトリアの部屋だよ」


ダニエルは軽く振り返り、そう告げてから扉に手をかける。ゆっくりと開かれた扉のその先の光景に、ヴィクトリアは思わず息を呑んだ。


「これって…」


思わず漏れた言葉は、半ば呆然としたものだった。まず視界に飛び込んできたのは、部屋の中央に据えられた天蓋付きの寝台。淡い薔薇色とクリーム色で統一された寝具は、繊細な花模様に彩られ、幾重にも重なる薄布が柔らかな影を落としている。頭上には重厚なクリスタルのシャンデリアが吊るされ、わずかな揺れに合わせて光を砕き、室内に細やかな煌めきを散らしていた。そして、寝台の正面には長椅子が置かれ、そこにはふかふかのクッションが惜しげもなく並べられている。寛ぐために備え付けられた、隙のない配置だった。


さらに視線を巡らせれば、大きなガラス戸の傍には優雅な椅子と小さなテーブルが置かれており、針仕事や書き物がすぐに始められるよう整えられている。その一つひとつが、この部屋の主を想定して丁寧に選ばれていることが伝わってくる。


「…客室ではないの?」


てっきり客室に案内されると思っていたヴィクトリアは、ゆっくりとダニエルを振り返る。どう見てもこれは、単なる滞在用の部屋ではない。むしろ将来この屋敷を預かる女主人のために用意された私室、そのものだった。


「あー…うん、ヴェルターがせっかくならって言って…」


ダニエルは歯切れ悪く言い、わずかに視線を逸らす。


未婚の男性が女性をタウンハウスへ招く。

それだけで、周囲がどんな想像をするかなど、考えるまでもない。ましてや相手があのヴェルターだ。人の良さそうなあの好々爺が、未来の花嫁の来訪と受け取ったとしても不思議ではないし、むしろそう考えたからこそ、この部屋を勧めたのだろう。そしてダニエルは、その善意と勢いに押し切られた、そんな光景が容易に思い浮かんだ。


「…なんとなく想像できたわ」


ヴィクトリアは眉を下げ、くすりと小さく笑う。その声音には、呆れと同情が半分ずつ混ざっていた。用意されたものを無下にするわけにもいかず、何より、この部屋には細かな配慮と厚意が込められている。


「ありがたく、使わせてもらうわね」


そう言って視線を戻した先、部屋の奥にもう一つ、控えめな扉があることに気づく。ヴィクトリアは自然とそちらへ歩み寄り、扉を開いた。


その先に広がっていたのは、身支度のための私的な空間。さらに奥へ進むと、小ぶりながらもきちんと設えられた浴槽が目に入る。壁や床には新しく張られたであろうタイルが光を受けて淡く反射し、この場だけが最近整えられたものであることを物語っていた。


「みんなにはヴィクトリアの呪いのこと、知らせてないからね。できるだけ、この部屋の中で完結できるようにしてあるんだよ」


後ろからついてきたダニエルが、少しだけ声を落として説明する。


元は衣装部屋だったのだろう。

それを今回の滞在のために改装し、浴槽まで運び込んだその手間と気遣いを思うと、胸の奥がわずかに痛んだ。


「ごめんなさい、手間をかけさせてしまったわ」


ヴィクトリアが言うと、ダニエルはすぐに首を横に振り、まるで気にしていないように笑顔を見せる。


「ヴィクトリアが気にすることじゃないよ!僕がやりたくてやったんだから!」


その言葉はあまりにも軽やかで、迷いがなかった。だからこそ、余計にヴィクトリアの胸に響き、この優しさに甘えているその自覚がゆっくりと形を持つ。

この呪いを、早く解かなければならない。

そのためにも仮面舞踏会で出会ったレオンハルトが持っている情報を、もう一度確かめる必要がある。それにクラウスが言っていた呪いの件も気になる。


「ありがとう、ダニエル」


決意を胸に押し込みながら、ヴィクトリアは微笑んだ。その笑顔は穏やかだったが、瞳の奥には、先ほどまでとは違う意志が宿っていた。


「う、うん…!あっ、そ、そうだ!ヴィクトリア、お腹空いてない?何か軽く食べられるものをもらってくるから、部屋で寛いで待ってて」


返事を聞くよりも早く、ダニエルは半ば逃げるように部屋を出ていった。閉まる扉の音が、やけに大きく響く。


「慌ただしいわね」


小さく呟きながらも、ヴィクトリアはふと自分の体の感覚に意識を向ける。言われてみれば、人の姿に戻ってから何も口にしていないことに気づいた。


「有り難くいただこうかしら」


そう呟き、ヴィクトリアは寝台の向かいに置かれた長椅子へと腰を下ろした。柔らかなクッションが体を受け止め、思いのほか深く沈み込む。そのまま背を預け、ゆっくりと視線を上げた。クリスタルのシャンデリアが、静かに光を宿し、揺れているわけでもないのに、どこか不安定な煌めきが、天井いっぱいに広がっていた。その様子を眺めながら、ヴィクトリアは今日の出来事を振り返る。ダニエルが驚くのも無理はないほど、改めて自分でも濃密な時間だったと気づいた。また明日も仮面舞踏会へ参加して、レオンハルトに会って話をしなくてはと考えていると、その思考を最後に、徐々に意識が遠のいていく。気づけば頭は長椅子の背もたれへと預けられ、視界はゆっくりと暗く閉じていった。抗う間もなく、ヴィクトリアは眠りへと沈んでいった。


―――


数刻後、扉の外で足音が止まり、控えめなノックのあと、静かに扉が開かれる。


「ヴィクトリア? 持ってき…」


言いかけた声が、途中で止まる。

長椅子に身を預けたまま、規則正しい寝息を立てるヴィクトリアの姿が目に入ったからだ。


「……寝ちゃったのか」


ダニエルは思わず声を潜める。

その表情には驚きよりも、どこか安堵に近い色が浮かんでいた。きっと、今日は一日中ずっと気を張っていたのだろうとすぐに分かる。ダニエルは、手にしていた盆をそっとテーブルへ置き、静かに歩み寄る。起こさないよう細心の注意を払いながら、そっと腕を差し入れ、その身体を抱き上げた。想像していたよりも、ずっと軽いことに驚いたダニエルは、心配な顔をして眠っているヴィクトリアを見つめる。


「…ちゃんと食べさせないとな」


小さく呟きながら、ダニエルは寝台へとヴィクトリアを運ぶ。柔らかな寝具の上へ丁寧に横たえ、乱れた髪を指先でそっと整えた。穏やかな寝顔だけを見ると、呪いとは無縁な、何も背負っていないかのように無防備に映る。


「おやすみ、ヴィクトリア」


囁くようにそう告げ、ダニエルは名残を断つように立ち上がる。一度だけ振り返り、それから静かに部屋を後にした。

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