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屋烏の愛  作者: 又一
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違和感

仮面舞踏会の余韻を残したまま、ヴィクトリアは王城の正面広場へと足を踏み出した。


外はすっかり夜の帳に包まれているが、

それでも暗さを感じさせないのは、広場の至る所に掲げられた無数のランタンの光のせいだろう。橙色の柔らかな明かりが石畳を淡く照らし、並び連なる馬車の輪郭や、同じように帰路につく招待客たちの姿をくっきりと浮かび上がらせていた。


しかし、ヴィクトリアはそこで足を止めた。


(どんな馬車だったかしら…?)


目の前に広がるのは、ずらりと並ぶ馬車の列。

黒塗りのもの、装飾の施されたもの、紋章を掲げたもの、だがどれも似たような形をしており、一瞥しただけでは見分けがつかない。周囲では、御者に名を呼ばれて乗り込む者、従者にエスコートされる者、名残惜しそうに談笑しながら歩く者たちが、それぞれの帰路へと向かっている。その流れは途切れることなく続いており、広場全体がゆるやかに終わりへと動いていた。その中で、ヴィクトリアだけがほんのわずかに取り残されたように立ち尽くす。


視線を巡らせながら、一歩踏み出そうとした、その時。


「ヴィクトリア…!」


はっきりと自分を呼ぶ声が響いた。

声のした方へ目を向けると、ランタンの明かりの中、人と馬車の隙間越しに見慣れた姿があった。手を振りながらこちらに笑顔を向けているその姿に、思わず胸の奥に安堵が広がる。


「…ダニエル!」


思わず、ヴィクトリアがその名を呼び返す。

迷いなく駆け出したが、足元への意識が疎かになっていたため、石畳のわずかな凹凸にヒール部分が引っかかり、ぐらり、と身体がバランスを崩す。


(…転ぶ!)


咄嗟にそう思い、ヴィクトリアは反射時に目を閉じた。しかし、いくら待っても衝撃は訪れなかった。代わりに感じたのは、しっかりとした腕に抱き止められた感覚だった。


「……っ!」


息を呑む音が、すぐ近くで聞こえる。

恐る恐る目を開けると、至近距離にダニエルの顔があった。ランタンの明かりに照らされたその表情は、はっきりとわかるほどに驚いている。


(受け止めてくれたのね)


ダニエルの腕の中に収まっている状況を理解し、ヴィクトリアは小さく息をついた。


「ありがとう、助かったわ」


ヴィクトリアは落ち着いた声で礼を述べる。


「え、あ…!いや、全然…!!」


一方のダニエルは、みるみるうちに顔を赤くしていく。駆け寄ってきたヴィクトリアを咄嗟に抱き止めたはいいものの、あまりにも近い距離に思考が追いついていない様子だった。腕の中に収まっているという事実に、ようやく気づいたらしい。


「もう大丈夫、ありがとう」


そう告げられ、ダニエルはいまだに抱き止めていた状況だったことに、はっと我に返る。


「あっ!ご、ごめん…!」


慌てて手を離すが、その一連の動きはどこかぎこちない。ヴィクトリアは軽く体勢を整え、何事もなかったかのようにドレスの裾を整えた。そして改めてダニエルへ視線を向けようとしたヴィクトリアに、言いようのない違和感が襲う。


(……?)


ヴィクトリアはほんの一瞬だけ動きを止める。

風でもない、誰かに触られたわけでもない。まるでどこかから見られているような感覚になる。ヴィクトリアはわずかに顔を上げ、広場の周囲へと視線を巡らせる。だが、どこを見ても、特別に自分へ注意を向けている者など見当たらない。


(気のせいかしら…?)


そう思いながらも、胸の奥に引っかかる感覚だけが消えないまま、ほんの少しだけ首を傾げてから、ヴィクトリアは気を取り直すように視線を戻す。


目の前には、まだどこか落ち着かない様子のダニエルがいる。先ほどまでの出来事などなかったかのように、ヴィクトリアは穏やかに微笑んだ。


「探したわ」


そう告げたヴィクトリアに、ダニエルは一瞬だけ目を丸くし、すぐにふっと表情を緩めた。


「僕もだよ」


返されたその言葉はどこまでも穏やかで、いつもと変わらない優しい笑みがそこにあった。先ほどまでの動揺は、まだ完全には消えていないはずだが、それでもダニエルはいつもの自分に戻ろうと努めていた。


「とりあえず、中に入ろうか」


ダニエルがヴィクトリアの手をそっと持ち、馬車へエスコートする。ヴィクトリアも小さく頷き、ダニエルに促されるまま馬車へと乗り込んだ。扉が閉じられると同時に、外のざわめきが遠のき、やがて馬車はゆっくりと動き出した。


向かう先はハイム男爵領ではなかった。

連日の舞踏会に参加する以上、領地と王都を往復するのは現実的ではなかった。往復に半日以上を要する距離では、体力も時間も消耗してしまう。そのため、今回の滞在中は王都に構えるハイム男爵家のタウンハウスへ身を寄せることになっている。


ランタンの明かりが窓の外で流れ、やがて遠ざかり、代わりに夜の王都の街並みがゆるやかに移り変わっていく。明かりの消えかけた店先、帰路を急ぐ人影、遠くに見える城の影。そのすべてが、先ほどまでの華やかな空間とはまるで別世界のようだった。


向かい合うように座る二人の間に、ほんのわずかな沈黙が落ち、心地よい静けさが漂っていた。


「あっ……!」


ふいに、ダニエルが思い出したように声を上げる。


「僕、さっきヴィクトリアのこと、ミーナって言わないで呼んじゃった……!」


言いながら、少しだけ気まずそうに笑う。


「会えたのが嬉しくて、つい」


その声音は素直で、取り繕う様子もなく、ただそのままの気持ちを表していた。


「大丈夫よ、ヴィクトリアで問題ないわ」


ヴィクトリアは一瞬だけ瞬きをし、さらりと返したが、その一言にダニエルはぴたりと動きを止める。


「え?どうして…?」


ダニエルが疑問に思うのも無理はなかった。

“ミーナ・ホルツ”という名は、普段からヴィクトリアの正体を隠すための仮の姿だ。たとえ周囲が見知らぬ者ばかりでも、軽々しく「ヴィクトリア」と呼ぶのはためらわれるはずだった。


「順に話すわ」


ヴィクトリアは落ち着いた声音で告げたあと、

わずかに視線を伏せ、記憶を辿るように息を整えると、ゆっくりと語り始めた。


門前で足止めされたこと。

そこで出会った二人の青年のこと。

会場に入ってから、奇妙な遊びへと誘われたこと。

そして、【亡霊のヴィクトリア】と名乗り、シュヴァルツ伯爵家の話をしたことを。


語るにつれて、馬車の中の空気が変わっていく。それでもヴィクトリアは、一連の出来事を淡々と語った。

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