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屋烏の愛  作者: 又一
28/35

*嫉妬*

***


ヴィクトリアと別れ、レオンハルトとクラウスは並んで会場を歩いていた。仮面舞踏会の余韻がまだ色濃く残る城内は、あちこちで談笑の声や靴音が反響している。名残惜しそうに手を振り合う者、従者から外套を受け取る者、華やかな夜が終わりへ向かっている気配が、そこかしこに満ちていた。


すれ違う者たちから見れば、ただの親しげな青年が二人並んで歩いているだけ。それ以上でも、それ以下でもない。だが、その間に流れる空気は、明らかに異質だった。ぴん、と張り詰めたままの沈黙に、言葉にせずとも伝わる、どこか刺すような気配が漂う。


「ねー、そろそろその怖い顔やめてくれる?」


軽い調子で、クラウスが口を開いた。

揶揄うような声音だったが、その瞳の奥では、しっかりとレオンハルトの様子を観察している。レオンハルトは一瞬だけ横目でクラウスを見たが、すぐに視線を前へ戻す。


「…なんのことだ?」


あくまで白を切るつもりなのか、その声音は淡々としているが、わずかに硬い。その様子にクラウスは小さく肩をすくめた。


「ま、いいけど〜」


その軽さに反して、言葉の余韻だけが妙に長く残る。その一言に、レオンハルトの眉がほんのわずかに動いたが、二人の間には再び沈黙が落ちた。


(…わかっている)


レオンハルトの視線が無意識にクラウスの腕へと下がる。つい先ほど、ヴィクトリアが触れていた場所。何事もなかったかのように、今はただ布越しに覆われているだけのその腕に、レオンハルトの脳裏には焼き付いて離れない光景があった。ヴィクトリアがクラウスの腕を掴んだ瞬間、あの白くて細い指先が、クラウスの腕に触れていた光景は、ほんの一瞬のことだったはずなのに、やけに鮮烈に残っている。


(…僕は何を考えている)


それはあまりにも彼らしくない感情だった。

王太子として育てられ、常に理性を求められてきた彼にとって、感情に振り回されるなどあってはならないことだった。だが、あの光景を見た瞬間、体中の血が湧き上がるような熱を持って全身に駆け巡った。レオンハルトの胸の奥に、苛立ちに似た焦燥ともつかない鈍い感情が渦を巻いた。ヴィクトリアとクラウスが言葉を交わしている間、視線を逸らすべきだと分かっていながら、逸らせなかった。


(…情けない)


その自覚が、さらに苛立ちを呼ぶ。そんな彼の様子を横目で見ていたクラウスは、小さくため息をついた。


「はぁ〜、まったく…僕の腕見過ぎだよ。そんなに嫉妬してるならさ〜」


クラウスはわざとらしく首を傾げ、にやり、と口元を歪める。


「ヴィクトリアちゃんに触られたところの、僕の腕……舐める?」


冗談にしては悪質すぎる言葉に、レオンハルトは一瞬、完全に思考が止まった。何を言われたのか理解が追いつかない。だが数拍遅れて、その意図を理解した瞬間、表情が変わる。


「…冗談でもよせ」


レオンハルトは低く、押し殺した声を出す。

クラウスに向けられた視線には、はっきりとした拒絶が滲んでいた。クラウスはそれを軽く受け流す。


「え〜、本気だったんだけどなぁ〜」


クラウスは肩の力を抜き、両手を頭の後ろで組み、まるで何事もなかったかのように笑っている。レオンハルトはそれ以上何も言わなかった。普段のクラウスの機転や観察眼は評価しているが、こういう時の対応は正直、扱いに困っている。


万が一にもあり得ないことだが、もしレオンハルトが頷き、クラウスの腕を舐めたりしたらどうするつもりなのか。そんな考えが一瞬でも頭をよぎった自分に、内心で小さく舌打ちする。普段なら「少しは先のことを考えて発言しろ」と小言のひとつも言いたくなるところだが、クラウスのことだ。舐められることすら、最初から受け入れるつもりであの言葉を口にした可能性もある。


(…考えるだけ無駄だ)


そう結論づけると、レオンハルトは思考を振り払うように、足を速めた。


「行くぞ」


レオンハルトはクラウスより一歩先に出て、短く告げる。


「はいは〜い」


クラウスは遅れてレオンハルトについてくる。

城内の喧騒を背に、レオンハルトは迷いのない足取りで廊下を進む。豪奢な装飾も、煌めく燭台の光も、今の彼の視界には入っていない。目指すのはただ一つ正面大扉の上方、外を見渡せる露台だ。吹き抜けへと続く階段を上り、さらに回廊を抜ける。やがて辿り着いたのは、城の正面広場を見下ろす位置に設えられた、縦に並ぶ窓の列だった。そのうちの一つだけは重厚な装飾の施されたガラス戸となっており、その向こうには、夜気にさらされた細い露台が広がっている。


「急いで見つけなくちゃね」


クラウスが先に手をかけ、扉を押し開けると、

ひやりとした空気が流れ込み、思考まで冷やすような冷たさが室内の熱を一瞬でさらっていく。二人が外へ出ると、そこは、城の正面広場を見下ろす位置にあり、人の流れを俯瞰しながらも、顔立ちまでは見失わない、絶妙な高さに設えられた露台だった。手すり越しに覗き込めば、舞踏会を終えた招待客たちが、次々と馬車へと乗り込んでいく様子が一望できる。ランタンの灯りに照らされ、家紋を刻んだ扉が開閉し、従者たちが慌ただしく行き交う。


「…よく見えるな」


「だね〜、顔も、馬車の紋章もバッチリだね」


クラウスは楽しげに笑うが、レオンハルトの視線はすでに、人の流れの中を探り始めていた。華やかな衣装を身に纏った群れの中から、ヴィクトリアを見つけ出すために。やがて彼女が正面入り口をくぐり、夜の外気へと踏み出したその瞬間、どの馬車に乗るのか、その行き先までも、この場所なら、すべて見届けられる。


【亡霊のヴィクトリア】と名乗った彼女は、いったい何者なのか。どこから来たのか、誰かと一緒に来たのか。そのすべてを確かめるために、レオンハルトはあえて別れ際に何も問わず、あっさりと引いた。本来なら、直接尋ねるのが最も早い。だが、この仮面舞踏会においてその行為は無粋にあたる。仮面の下にある素性を暴こうとすること自体が、この舞踏会の暗黙のルールに反してしまうからだ。だからこそ、別の手を取るしかなかった。舞踏会が終わった後、この場所から見下ろしていれば、誰がどの馬車に乗り、どこへ向かうのかが分かる。そう提案したのはクラウスだった。覗き見るようなこのやり方が、褒められたものではないことは、レオンハルト自身もよく分かっている。

それでも胸の奥に沈んだ後ろめたい気持ちを押し殺すように、レオンハルトはその感情に蓋をした。


そして今はただ、視線を下へと落とす。

【亡霊のヴィクトリア】を見つけ出すために。


***

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