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屋烏の愛  作者: 又一
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手紙

一通りの自己紹介が終わると、場にはどこか満足げな空気が漂っていた。仮面の下に本来の身分を隠し、それぞれが思い思いの役を纏って言葉を交わしたことで、この場だけに許された奇妙な連帯感が生まれている。


遠くでは楽団の旋律が優雅に流れ、舞踏のステップに合わせて床がかすかに軋む。笑い声や衣擦れの音が重なり合いながらも、カーテンに仕切られたこの空間だけは、どこか別の世界のように切り離されていた。


その空気を、ぱん、と軽やかな音が引き締める。


「それじゃあ、さっそく本題に移りましょうか!」


【未亡人のマリーローズ】が楽しげに手を叩く。

頬を紅潮させ、目を輝かせたその様子は、まるで舞踏会そのものよりもこの遊びを楽しんでいるかのようだった。大きな身体を揺らしながら、ぐるりと全員を見渡す。


「さあ、誰からお話を聞かせてくれるのかしら?」


その一言に、場の視線がゆるやかに巡る。

誰が最初に語るのか、探るような、試すような沈黙が落ちる。


「それでしたら」


にやりと口元を歪めて声を上げたのは【金持ちのヨハン】だった。椅子に深く腰掛けたまま、指先でグラスの脚をくるりと回す。グラスの中で揺れる液体が、かすかな光を反射してきらりと瞬いた。


「せっかくですし、新しく加わった三人のうち、どなたかにお願いしてみてはどうでしょう?」


ゆったりとした声音の奥に、どこか品定めするような響きが混じる。


「若い方々の方が、より面白い話をお持ちでしょうから」


その言葉に、何人かが小さく頷く。

自然と視線が集まるのは、ヴィクトリア、レオンハルト、クラウスの三人。


一瞬だけ、空気が張り詰めた。


「こうゆう時はさ…」


その緊張を軽く断ち切るように、クラウスの軽やかな声が滑り込む。そのまま先陣を切り話し出すのはクラウスだと誰もが思ったが。


「レディーファーストだよね?」


にこりと柔らかな笑みを浮かべながら、あろうことかヴィクトリアへと視線を向ける。ほんの一瞬だけ、視線が交差する。逃げ道を塞ぐようでいて、あくまで自然な流れでヴィクトリアに話を振る。


(…わざとかしら?)


三人のうち誰が前に出るか、その一瞬の駆け引きを見極めようと内心で様子を伺っていたが、直々に指名されてしまっては避けられない。ヴィクトリアは一瞬だけ息を整え、その視線を受け止めた。


「ええ、わかったわ」


ヴィクトリアは素直に頷く。

その声は穏やかでありながら、はっきりと芯を持っていた。もともと、この場に加わった時点で、いつかは前に出る覚悟はしていた。呪いに繋がる情報を引き出すため、ヴィクトリアはゆっくりと口を開いた。


「皆さんはご存知ですか?」


一拍間を空ける。


「今から三百年前、とある一家に起こった悲劇を」


空気がわずかに揺れる。


「シュヴァルツ伯爵家失踪事件、そう呼ばれている出来事です」


その名が響いた途端、遠くで鳴っていた楽団の音すら薄れて感じられた。この小さな空間だけ、温度が一段下がったようだった。


「まあ!興味深いわね!」


【未亡人のマリーローズ】が勢いよく身を乗り出す。その拍子にテーブルがわずかに揺れ、並べられたグラスの中の液体が波紋を広げた。


「昔に聞いたことがありますな」


【家令のゲオルク】は髭を撫でながら、記憶を手繰るように目を細めながら顔をあげる。


「未解決事件として、今でも語られていますよね…」


【家庭教師のイザベラ】が小さく頷き、扇子の奥から視線を向ける。ヴィクトリアは、その反応を一つひとつ拾いながら言葉を重ねる。


「当時の記録文書には、シュヴァルツ伯爵家の屋敷は全焼したと記されています」


「ほぉ…火災ですか」


【金持ちのヨハン】が興味を示し、わずかに身を乗り出す。どうやら貴族の歴史には疎いのか、初めて知るかのように目を輝かせる。


「ええ。屋敷も家財もそこにあったものは、すべて灰になったそうです」


視線をゆっくりと巡らせながら、ヴィクトリアは続ける。


「つまり、シュヴァルツ家にまつわる物は何一つ残されておらず、だからこそ、この事件は真相不明のまま今も語られているそうです」


皆がヴィクトリアの話に耳を傾け、誰も口を挟まない。全員が、固唾を飲んで次の言葉を待っている。


「だけど、もし…」


ヴィクトリアはわずかに声を落とす。


「今もシュヴァルツ家が生き残っているとしたら、どうでしょう?」


ざわり、と今度ははっきりと空気が揺れた。


「皆さんに、見ていただきたい物があります」


そう言って、ヴィクトリアは胸元へと手を差し入れる。柔らかな谷間の奥へと、指先が滑り込む。


「……っ」


隣のレオンハルトからかすかに息を呑む気配がする。どうやら顔を背けているようだ。少し遅れて、クラウスがわざとらしく咳払いをひとつ落とす。【金持ちのヨハン】は露骨に視線を向け、口元を緩める。だがヴィクトリアは気にも留めない。迷いなく取り出したのは一通の手紙だった。丁寧に折り畳まれたそれは、未だ封を切られていない。


「…それは何ですか?」


【家庭教師のイザベラ】が聞いてくる。扇子の奥から覗く視線は、はっきりとその紙へ釘付けになっていた。


ヴィクトリアはそれをゆっくりと広げる。

封蝋に刻まれた紋章が、揺れる灯りを受けて浮かび上がった。そこに刻まれているのは、シュヴァルツ家の紋章。見る者が見れば、一目で分かる本物の紋章だ。さらに紙は新しく、端にはごく最近の日付が記されている。


「これは、未開封のシュヴァルツ家の者が記した手紙です」


その言葉が落ちた瞬間、場の空気がぴんと張り詰める。まるで仮面舞踏会の会場にいることを忘れるほど、楽団の演奏や人々のざわめきが遠のき、この場だけ切り離されたかのように。


「…ほ、本当に?」


【家庭教師のイザベラ】は仮面の上からでも分かるほど信じられないものを見たように目を大きくする。【未亡人のマリーローズ】も手紙に釘付けになっており、視線を一切逸らそうとはしない。


「これは紛れもない、シュヴァルツ家が今もどこかで生きているという揺るぎない事実です」


ヴィクトリアは強い意志を瞳に宿し言い切る。

ごくり、と誰かが唾を呑む音がした。

沈黙の中で、クラウスがゆっくりと口を開く。


「へぇ〜…それが本当なら、とんでもない話だね」


軽い口調とは裏腹に、その視線は鋭い。

真偽を見極めようとするように、まっすぐヴィクトリアを射抜いていた。


「…その手紙を、見せてもらってもいいか」


低く、落ち着いた声。

今まで沈黙を保っていたレオンハルトだった。


「ええ、どうぞ」


ヴィクトリアは迷いなく差し出す。

レオンハルトはそれを受け取り、慎重に視線を落とした。封蝋を確かめるように、指先でなぞる。


「…本物のようだ」


ぽつりと呟く。


「僕はシュヴァルツ家の紋章に詳しい。これは間違いないだろう」


さらに紙質を確かめるように、角度を変えて光にかざす。


「紙も新しい」


その仕草は慎重で、どこか慣れた手つきだった。そして次の瞬間、何の躊躇もなく、手紙を鼻先へと近づける。


「インクも、新しい匂いがする」


その一連の動作はあまりにも自然で、まるで日常の延長のようだった。だが、その様子に、ヴィクトリアの思考が一瞬止まる。


(…それ、さっきまで私の―)


胸元にあったものだ、という事実が遅れて意識に浮かぶ。見た目は若くとも、長い年月を生きてきた中で、精神は自然と成熟していく。ヴィクトリアも例外ではない。頬を染めて俯くような、年若い娘らしい仕草を見せることはない。それでも、ほんのわずかに、意識してしまった自分がいた。


「あー……」


間の抜けた声が、場の緊張を破った。


「【孤高のアーデルハルト】くん?それはさすがにダメだと思うよ?」


クラウスが肩をすくめながら指摘する。

レオンハルトは一瞬きょとんとした表情を浮かべ、次の瞬間、はっとした。どうやら理解が追いついたらしい。


「……っ!」


レオンハルトの頬が一気に赤く染まり、耳元まで赤くなっている。無意識にやってしまった自分の失態への恥ずかしさだけでなく、自分の手元にある手紙が今までどこにあったのかを思い出し恥ずかしくなったのだろう。


「す、すまない!そんなつもりは…!」


慌てて手紙を離し、どこかぎこちなく視線を逸らす。先ほどまでの冷静さは跡形もなく、明らかに動揺していた。


おそらく王太子という立場上、彼のもとには日々多くの書簡が届くのだろう。その大半は報告書や挨拶状の類だとしても、すべてが無害とは限らない。時には、害意を含んだものが紛れ込むこともあるはずだ。インクに毒を仕込む、そんな話も決して絵空事ではない。致死量には至らずとも、意識を奪うためのもの、あるいは、わずかな隙を作るためのもの。だからこそ紙質を確かめ、匂いを確かめる。そうした一つひとつの動作が、無意識のうちに染みついていたのかもしれない。


「お気になさらず」


レオンハルトの謝罪に、場の空気がわずかに緩み、ヴィクトリアは何事もなかったかのように微笑み、そっと手紙を受け取った。指先が紙に触れた瞬間、ほんのわずかに温もりが残っている気がして、すぐに意識を逸らす。


(…不思議ね)


先ほどまで感じていたわずかな動揺が、すっと引いていく。誰かが取り乱していると、人はかえって冷静になれるものらしい。目の前で明らかに動揺しているレオンハルトの姿が、逆に自分の心を静めていることに、ヴィクトリアはどこか他人事のように感じていた。

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