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屋烏の愛  作者: 又一
22/35

自己紹介

「それじゃあ、まずは僕からいこうかな〜?」


軽やかな声が、場の空気をふっと緩める。

クラウスだった。


「こういうのは先陣切った者勝ちって言うしね」


楽しげにそう言いながら、片手をひらひらと振る。その何気ない仕草ひとつで、張り詰めかけていた空気がするりとほどけていくのがわかった。まるで最初からそうなるように計算されているかのように。


「僕は【遊び人のルーカス】だよ、よろしくね〜」


なんとも嫌な二つ名だ。

ヴィクトリアは思わずわずかに眉を寄せた。

隣にいるレオンハルトも、ほんの一瞬だけ怪訝そうに目を細める。


「いやぁ〜、たくさんの女性に声をかけてもらえるのは光栄なんだけど、どれも本気の恋にはならないんだよね」


軽薄とも取れる言葉を、まるで誇らしげに語るクラウス。指先でグラスの縁をなぞりながら、わざとらしく肩をすくめる。その動作はどこか芝居じみていて、しかし嫌味にはならない絶妙な軽さがあった。


「だってほら、“運命の相手”ってそう簡単に見つかるもんじゃないでしょ?」


わざとらしくため息をつくその様子に、恰幅のいい女性は「まぁまぁ!」と笑い、成金風の男は苦笑を浮かべ、神経質そうな女性は露骨に顔をしかめた。反応は見事に分かれた。


(……わざとかしら?)


ヴィクトリアは内心で呟く。

場の空気を和ませるため、あるいは、誰かの反応を見るため。仮面の裏に、別の意図が透けて見える気がした。その証拠に、クラウスの視線は一瞬だけ、隣のレオンハルトへと向けられていた。まるで、何かを確かめるように。


周囲が引いていることに気づいていないのか、あるいは気づいた上で楽しんでいるのか。どちらとも取れる曖昧な笑みを浮かべながら、聞いてもいない女性遍歴をさらりと語り続けた。やがて満足したのか、ぱん、と軽く手を叩く。


「それじゃあ時計回りで、次はお隣の人どうぞ〜」


ひらりと話題を渡された成金風の中年男は、待ってましたとばかりに身を乗り出した。指に嵌められた大ぶりの指輪が、わずかな灯りを受けてぎらりと鈍く光る。


「私は【金持ちのヨハン】です。今日は娘がこの舞踏会に参加しており、その付き添い人として来てます。どうぞよろしく」


にやり、と歯を見せて笑うその姿には、どこか自己顕示欲の強さが滲んでいた。胸を張る様子や、言葉の端々に滲む驕りは、己が築いた財を誇る者特有のものだった。


だが―


(ヨハン……?)


ヴィクトリアはわずかに違和感を覚える。

その名は本来、どちらかといえば、異国の教会にいそうな、慎ましく厳格な人物を連想させる名だ。それが、この装飾過多な衣装に身を包み、指先まで飾り立てた男の口から語られることで、妙な歪みを生んでいた。


(金持ち、とヨハン……)


その組み合わせは、あまりにも噛み合っていない。まるで借り物の名を無理やり当てはめたかのような、ちぐはぐさ。


だがそれでも、この場では正しいとされる。

本来の自分を隠し、別の誰かを演じる。


「ほっほっほ、なんともわかりやすいお方じゃ」


次に口を開いたのは、長い髭を撫でる老人だった。愉快そうに目を細めながら、ゆったりとした動作で姿勢を正す。その所作は年齢を感じさせながらもどこか品があり、長く人生を歩んできた者特有の落ち着きを滲ませていた。


「では次は、わしですな」


一拍置き、わずかに背筋を伸ばす。


「わしは【家令のゲオルク】と申す者じゃ。

普段は、とあるお方の御屋敷にてお仕えしておっての。今日は、そこの坊ちゃんがこの場に参加しておるゆえ、ひと目拝みに来たというわけじゃ」


穏やかに語られるその言葉には、誇張も虚飾もない。ただ事実をそのまま述べているだけのように感じられた。


「ほぉ……家令とはまた渋いですな」


【金持ちのヨハン】が感心したように頷く。


「ほっほっほ、こういう場ではな、真実を述べることもまた一興なのですぞ」


【家令のゲオルク】は意味深にそう言う。

それは単なる冗談にも聞こえるし、

“自分は嘘をついていない”という宣言にも聞こえる。


そのまま【家令のゲオルク】はゆっくりと視線を横へ滑らせた。その先にいるのは、先ほどから扇子で口元を隠していた細身の女性。


「お嬢さん、次はあなたの番ですな」


柔らかく促され、細身の女性はびくりと肩を揺らした。扇子の奥で小さく息を吸い込む気配がする。


「わ、私……ですか……」


一度視線を落とし、指先をぎゅっと重ねる。

そして意を決したように顔を上げた。


「私は【家庭教師のイザベラ】と申します。普段はとあるお嬢様にお仕えしておりまして…」


言葉を選ぶように、慎重に紡がれる声音。

だが次の瞬間、ほんのわずかに表情が緩む。


「ただそのお嬢様がとてもお転婆で…その…いつも旦那様に怒られないか、ひやひやしておりまして…」


最後は少し早口になり、思わず本音がこぼれたようだった。その様子に、周囲から小さな笑いが漏れる。


「まぁまぁ、それは大変ですわねぇ」


恰幅のいい女性が楽しそうに肩を揺らす。

その反応に、【家庭教師のイザベラ】は少しだけほっとしたように肩の力を抜いた。


「いいわね、いいわね!みんな面白い二つ名だわ!」


ぱん、と手を叩く音が響く。

恰幅のいい女性が、いよいよ楽しさを抑えきれないといった様子で体を揺らした。


その拍子に椅子がわずかに軋み、ヴィクトリアの身体がほんのわずかに傾いた。手にしていたグラスの中で、細やかな泡を纏った淡い黄金色の液体が大きく波打つ。縁すれすれまで揺れたそれが今にも零れ落ちそうだった。


ヴィクトリアは反射的に指先へ力を込める。ドレスの裾の内側で足に力を入れ、重心を戻そうとするが、完全には間に合わない。


(零れてしまう…!)


焦りが胸をかすめた、その瞬間。

すっと、視界の端に影が差すと同時に、隣から伸びてきた手が、ヴィクトリアの腕を支えた。


「…大丈夫か?」


低く、落ち着いた声だった。

騒がしい場の中にありながら、不思議と耳に届く響きだった。


ヴィクトリアははっとして顔を上げる。

支えてくれたのはレオンハルトだった。

おかげでぐらついていた身体が、すぐに安定を取り戻す。グラスの中身も、ぎりぎりのところで零れることはなかった。


「…ありがとう」


小さく、抑えた声で礼を言うヴィクトリア。


レオンハルトは軽く頷くだけで、それ以上は何も言わなかった。だが、支えていた手はほんの一瞬だけ残り、ヴィクトリアが完全に体勢を立て直したのを確認してから、そっと離される。


触れていた時間はほんの一瞬で、その一連の動きはあまりにも自然で、周囲の誰も気づいていないようだった。


「それじゃあ、次は私ね!」


待っていましたとばかりに身を乗り出し、胸元に手を当てる。


「私は【未亡人のマリーローズ】よ!」


堂々とした名乗りで、その声はよく通り、どこか舞台役者のような華やかさがあった。


「旦那に先立たれて、今は一人娘を育てているんだけど…やっぱり一人は辛いわねぇ」


そう言いながらも、その声音には陰りはない。

むしろどこか弾んでいるようにすら聞こえる。


「だからねぇ、早く新しい旦那様が欲しいのよ〜」


頬に手を当て、くるりと首を傾げる仕草は、まるで恋に夢見る少女のようだった。未亡人という言葉とのあまりの落差に、ヴィクトリアは思わず瞬きをする。


「ほっほっほ、随分と前向きなお方じゃ」


【家令のゲオルク】が楽しげに笑い、

【金持ちのヨハン】も「いやはや、素直で何よりですな」と肩を揺らす。


その場に、柔らかな笑いが広がった。


(……本当に、見事ね)


ヴィクトリアは静かに観察する。


誰もがそれらしい役を演じている。

だが、その中に混じる真実と虚構の境界は曖昧で、どこまでが本音で、どこからが演技なのか。一目では見抜けない絶妙な均衡が、この場の面白さを生み出していた。


そうして全員の視線が、ヴィクトリアを見据える。誰もが、次に紡がれる言葉を待っていた。期待と好奇が入り混じった眼差しが、仮面越しにヴィクトリアへと注がれる。


彼女はいったい、どんな二つ名を名乗るのか。

その沈黙の重みを受け止めながら、ヴィクトリアはほんのわずかに息を整えた。


(…大丈夫)

胸の奥で、小さく言い聞かせる。


(最初から、この二つ名を名乗ると決めていたんだから)


迷いはない。舞踏会に参加すると決めた時からすでに覚悟は決まっている。


(自信を持って言えばいいわ)


一拍。

間を置き、そして―

ヴィクトリアはゆっくりと口を開いた。


「私は【亡霊のヴィクトリア】よ」

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