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屋烏の愛  作者: 又一
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新たな参加者

「すまない」


低く落ち着いた声が、談話スペースの空気をすっと切り裂く。先ほどまでの緩やかなざわめきが、その一言で静まり返る。まるで見えない糸で引かれたかのように、その場の空気が一斉に張り詰めた。


「僕らもその遊びに加わってもいいだろうか」


柔らかさを含みながらも、どこか有無を言わせぬ響きを帯びた声音だった。その場にいた全員の視線が、一斉に声のした方へ向けられる。


ヴィクトリアもまた、ゆっくりと顔を上げた。

そこに立っていたのは、二人の男性。

どちらも仮面に素顔を隠している。

だが、その佇まいだけで分かる。


一人は、立っているだけで周囲の空気を支配するような気配を纏っていた。余計な動きは一切なく、それでいて視線を引き寄せる。そしてもう一人は、その隣で柔らかく微笑みながらも、場の流れを楽しむような余裕を滲ませている。


(……やっぱり)


ヴィクトリアは、わずかに目を細めた。

その声を聞いた瞬間、確信していた。

先ほど入場の際に助けてくれた王太子レオンハルト。そして、その傍らにいるのは、あの時ともにいた男性クラウスだ。


(どうして、こんなところに……)


胸の内で小さく疑問が浮かぶ。

だが同時に、納得もしていた。

王太子ですら、一人の参加者として振る舞うと宣言した夜だ。ならば、こうして人目を避けた場所に現れても不思議ではない。


そして、ヴィクトリアが正体に気付いたのと同じように、その場にいた四人もまた、一瞬で察していた。


空気が、わずかに揺れる。

恰幅のいい女性の笑みが、ほんの一瞬だけ固まり、細身の女性は息を呑み、扇子を持つ手に力が入る。髭の老人は目を細め、静かに二人を見据え、成金風の男は、にやりとした笑みを消さぬまま、わずかに姿勢を正した。


『なぜ、ここに王太子がいるのか』


誰かがそう口にしかけて、飲み込んだ。

そんな気配だけが、この場をかすめる。

だが、その名を口にする者は、誰一人としていない。


今宵は仮面舞踏会。

身分も、名前も、すべてを覆い隠す夜。

それを破ることがどれほど無粋な行いか、ここにいる全員が理解していた。


ゆえに誰も知らないふりをする。

それが、この夜の礼儀だった。


「いやぁ〜」


場の空気を和らげるように、クラウスが肩をすくめて笑う。


「立ち聞きするつもりはなかったんだけど、なんだか楽しそうな会話が聞こえてきてさ〜」


悪びれた様子はまるでなく、むしろそれすら軽やかな冗談にしてしまうような口調だった。その声音には不思議と棘がなく、自然と場の緊張をほどいていく。


「気づいたら、つい足が向いちゃってた」


そう言って、くすりと笑う。

その仕草ひとつで、先ほどまで張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩む。


他の四人はレオンハルト同様にクラウスの正体に気づいているようだったが、ヴィクトリアはクラウスの正体まではわからなかった。


「もちろんですわ!さあ、どうぞこちらへ!」


恰幅のいい女性が、ぱっと顔を輝かせる。

先ほどまでの遠慮はどこへやら、まるで待ち望んでいた客人でも迎えるかのような勢いだった。慌てて身体を横へずらし、隣の者たちにも視線で合図を送る。


「ほら、詰めて詰めて!せっかくなんですもの!」


自然とヴィクトリアの隣にレオンハルトが腰を下ろす形になった。クラウスもその隣へ軽やかに腰を下ろす。


「いやぁ〜こうゆう遊びっていいよね」


くつろいだ様子で足を組み、場を見渡すその目は、どこか楽しげに細められていた。


(…やりにくくなったわ)


ヴィクトリアは、内心で小さく息をつく。

つい先ほどまでは、肩の力を抜いていられるような、どこか気安い空気があった。だが、王太子とその側近と思しき人物が加わったことで、場の温度はわずかに変わっている。誰も口にはしないが、全員が意識している。その見えない緊張が、静かに場を覆っていた。


ヴィクトリアは、さりげなく視線を隣に座るレオンハルトへ流す。仮面に隠された表情は読み取れないが、その佇まいは変わらず隙がない。背筋はまっすぐに伸び、無駄な動きは一切ない。ただそこにいるだけで、空間の軸になってしまうような存在感。


―けれど。


(……?)


ほんのわずかに、違和感があった。

完全に無表情、というわけではない。

かといって、感情が露わになっているわけでもない。


(少し、落ち着かないようにも見える…?)


確証はないが、ほんの一瞬、そう見えただけかもしれない。それでもヴィクトリアは、その小さな揺らぎを見逃さなかった。


「僕の顔に何か付いているか?」


低く静かな問いかけが、隣から落ちてくる。

まるで心の奥を覗き込まれたような感覚に、ヴィクトリアは一瞬だけ呼吸を止めた。


「…い、いえ。何も…」


慌てて視線を逸らし、言葉を濁す。

仮面に隠れているはずなのに、その奥にある瞳に見透かされたような錯覚が拭えなかった。


レオンハルトはそれ以上追及することはせず、何事もなかったかのように視線を前へ戻す。だがその沈黙が、かえってヴィクトリアの胸にわずかな緊張を残した。


(…侮れないわね)


ほんの一瞬の視線すら見逃さず、しかもそれを問いただすでもなく流してみせる余裕。その振る舞いは、ただの気まぐれではない。長く人の上に立つ者として培われた観察眼と、意図的に距離を測る冷静さを感じさせた。


ヴィクトリアは思考を、静かに切り替える。

レオンハルトが加わったことで場は一見やりにくくなった。だが同時に、これ以上ない情報源が自ら目の前に現れたとも言える。


(誤魔化しは効かないでしょうね)


下手な誘導や曖昧な言葉では、すぐに見抜かれる。それどころか、こちらの意図すら読まれかねない。


(……なら)


一度、わずかに視線を伏せる。

手に持つグラスの中で揺れる液体が、淡い光を受けて波打った。


(いっそ、こちらから踏み込むしかない)


遠回しでは届かない。

だが、あまりに直接的すぎれば警戒される。

その綱渡りのような駆け引きを思い描きながら、ヴィクトリアは小さく息を整える。


(むしろ好機だわ)


三百年前にかけられた呪い。

その核心に最も近い場所にいる人物―王太子。


彼がどこまで知っているのか。

そして、どこまで語る気があるのか。

それを見極めることができれば、停滞していた時間が、ようやく動き出すかもしれない。


ヴィクトリアはゆるやかに顔を上げた。

仮面の奥で、琥珀色の光を宿した瞳が、再びレオンハルトを捉える。


(あなたなら、何か知っているのでしょう?)


言葉にはせず、ただ心の中で問いかける。

誰にも悟られぬよう、ヴィクトリアは決意を固める。


「それじゃあ、改めて!」


恰幅のいい女性が今度こそ、ぱんと手を打った。


「もう一度、全員自己紹介からいきましょうか」


どうやら、新しい参加者が加わったことで仕切り直すらしい。仮面の下に素顔を隠した者たちが、それぞれの役を纏い、言葉を紡ぐ遊びが、新たな顔ぶれを加え始まろうとしていた。

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