5
今夜はいつもより早目に眠ってしまおうと思った矢先だった。
ふと窓の外を見ると、満月が見える。
やけに静かな夜だ。
あまり食が進まず夕食もそこそこにして酒で腹を満たしたせいで、程よく酔いが回っている。
リブシャ王国で飲んだ酒の風味の豊かさには到底及ばないが、我が国の酒も悪くない。痩せた土地でも育つ果実から作る酒の香りは芳醇だ。
もっと大量に果実を収穫出来るようになれば、民の生活の助けになるだろう。
窓を開けて夜風に当たり、しばらく思いを巡らせていたステファン王子は、ふと辺りの静けさが気になった。
…静か過ぎる。
夜半を過ぎていたとしても、使用人達の中には寝ずの番で働いている者達がいる。夜の帳の中でしか発せられないような密やかな話し声や、遠慮がちに立てられる物音が途切れることはあまりない。
だが今夜は…まるで城全体が眠っているようだ。
窓から乗り出して外の様子を見ると、明かり取りの松明が燻っている。
火が絶やされるなど、あってはならないことだ。
まさか。
「衛兵!」
いつもなら叫ぶとすぐに扉が開くのに、扉はぴくりとも動かない。
何が起きている?
王子は自ら扉を開け、廊下に誰もいないことを確認した。
真っ先に頭に浮かんだのは城が何者かに攻められているのでは、ということだった。
しかし、攻め落とそうとする時に物音一つ立てようともしないものだろうか。
もう一度窓際に戻って満月を見上げ、月の光を頼りに城壁の様子を見る。
城壁が破られた様子はない。それどころか、人影すらも。
見張りが一人もいないとはどういうことだ。
見える範囲で人影を探そうと城壁の外まで王子が目線を移した時だった。
あれは…。
月の光を受けて輝く長い髪。青いドレス。その頭上に輝くティアラ。
馬上からこちらを見上げるあの姿は。
ステファン王子は慌てて自室を出た。誰もいない廊下を駆け抜け、エルマ王女の部屋に乗り込む。
案の定、部屋の中はもぬけの殻だった。
どうやって出た? いや、それよりも…。
「誰かいないのかっ!」
そう叫びながら騎士達のいる棟に向かう。便宜上、騎士達の詰所に使われる棟に一番近い部屋をエルマ王女に与えていた。
詰所の扉を開けたステファン王子は、そこに眠りこけている大勢の騎士達の姿を見た。
「…何をしている!」
王子の怒号は夜警達の重い瞼を開かせた。
「城の中も外も真っ暗な上に、客人の姿がない。城外にそれらしき姿が見えるが、見張りは一体どうした? 姫を城外へ手引きした者は誰だ!」
寝耳に水とばかりに、騎士達はお互いの顔を見合わせ、月の位置を確認して驚愕する。
「直ぐに所定の位置へ就きます!」
ばらばらと騎士達は散り、真夜中の城内は俄に騒がしくなった。今夜は見回りの当番ではない騎士達も起こされ、城内に異常は無いか、確認に向かわされている。
「王子。アリシア姫を始め、ご婦人方の部屋の確認はどのように致しましょう」
「侍女達を起こし、安否の確認に向かわせろ。アリシアの部屋へは私が直接確認に向かう。アリシアの侍女達には、客人の姫の持ち物で無くなっている物がないか確認させろ。それから、客人の侍女だった女を私の所へ来させろ」
「はっ」
命令を受けた騎士が去ると、詰所は王子一人きりになった。興奮が冷めた王子は、部屋の外の喧噪をよそに黙考する。
何者かが、城の食事に眠り薬を盛ったのだろう。夕食後ならば急に眠くなったとしても自然なこととして受け止め、誰も不審に思わない。ある意味、上手いやり方だ。
しかし、ここまで大掛かりな方法はエルマ王女一人の力では到底無理だ。確実に何者かの協力があった。
馬の手配までしていたことから、城内外ともに手引きした者がいると考えていいだろう。王女の協力者は複数だ。それも、思ったよりも沢山の数のようだ。
そう考えると、今まで不可思議だったエルマ王女の態度が急に腑に落ちてきた。
あの侍女は、確かリブシャ王国の出身だとアリシアが言っていた。聞けば、城へ来て間もなかった者の筈だ。
あの女にも無理な芸当だとは思うが、あの女にはリブシャ王国からの何らかの関与があった筈だ。…紹介状を確認せねば。
その前に、アリシアの安否を確認しなくては。
ステファン王子は詰所を出ると、真っ直ぐアリシア王女の部屋へ向かった。
すやすやと眠るアリシア王女の寝顔を見て、ステファン王子は小さく溜息を吐く。
無事だ。
薬がよく効いているのだろう。健やかな寝息を立てて、幸せそうに眠っている。
良かった。
王子がアリシア王女の部屋をそっと出てから廊下で待っていた侍女達を一瞥すると、侍女達は静かに報告を始めた。
「こちらに来られた時にお召しになっていた青いドレスと、ティアラが無くなっています。他の物についてはセレナに確認してみませんと分かりません」
「そのセレナとやらはどうした」
「それが…」
もう一人の侍女が言い淀む。
「捜しましたがおりませんでした。もしかしたら、城の何処かで迷っているのかもしれません」
「こんな夜中にか」
「私共は城内の騒ぎで目が覚めました。セレナもそうではないかと思います。うっかり様子を見に部屋を出て、不慣れな城内で迷ったのでしょう。もしかしたらエルマ様を追われたのかもしれません。私共はもう少しセレナを捜してみます」
侍女達に監督不行き届きの厳罰を恐れている様子は無い。本気でそう考えているのだろう。
セレナという女は侍女達からの信頼がとても厚いと見える。
そう言えば、エルマ王女の信頼も勝ち得た女のようだった。
一体どんな女だったのか、思い出せないことが口惜しい。
「…見つけたら、私の執務室へ来させろ。それから、アリシアにはこの件は暫く伏せておくように。あの姫はまだ城に滞在しているとアリシアには思わせておいてくれ」
「畏まりました」
そう言って頭を下げた侍女達は、足早に使用人専用の廊下へと姿を消した。




