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王妃様のドレスと聞いて恐縮していたエリーは、ハーヴィス王国の侍女に手際良く着付けられた後、姿見の中の自分の姿を見て目を見張った。
まるでエリーの為に仕立てられたのではないかと思うほど、ドレスはぴったりとエリーの体に馴染んでいる。
「お母様がこの国へ嫁ぐ時に持参されたドレスです。想像していた通り…お似合いです」
アリシア王女はうっとりとエリーを眺めながら説明する。
「生地はリブシャ王国の綿の花を使っているそうです。王族の殆どが使っている生地なのですね。私も嫁ぐ時はその生地でドレスを作って貰えると聞いています」
綿の花の生地で作られたドレスを着るのは、リブシャ王国でも特別な場合のみだ。いくら王族でも普段着にすることはない。
「とても素敵なドレスですね。でも、普段着として使わせて貰うには、贅沢すぎるわ」
やんわりと簡素なドレスにしてほしいと伝えたつもりだったが、アリシア王女は頑として否定する。
「そんなことはありません。これはエルマ様に普段着て頂くのに相応しいドレスです。それに…他にも着て頂きたいドレスが沢山あるのです」
まるで着せ替え人形のような扱いだとエリーは思ったが、それをそのままこの王女に告げるのは酷な気がして、エリーは黙って自分の着ているドレスを見つめた。
貴族でも数着しか持たない筈の綿の花のドレスはアリシア王女が普段着として選ぶのも無理はないと思うほど、装飾が少ない。綿の花の特色を最大限に引き出す為にこのような簡素さなのだろうが、エリーは自国の産物の価値を知っているからこそ、畏れ多くてこのドレスを普段使いにするのは憚られた。
「お茶の準備が出来たようです」
アリシア王女の嬉しそうな声にエリーは我に返る。
着替えを手伝ってくれた侍女とは別の侍女が、部屋の一角にあるテーブルにお茶とお菓子の準備を整えていた。
アリシア王女は卓上の出来に満足して侍女を下がらせると、エリーに着席するよう促した。
「夢みたい…。こうして、エルマ様とお茶が飲めるなんて」
エリーは何と言って良いか分からず、曖昧な笑顔を返した。
上機嫌のアリシア王女はテーブルの上にあった茶器とは別に置かれていた小さな皿に、大きな瓶から大切そうに掬ったジャムを移す。
「お好きなだけ、取り分けて下さい。お茶に混ぜて飲むと美味しいのでしょう?」
渡されたジャムの瓶と空の小皿を受け取り、エリーはまじまじとそれらを眺めた。
リブシャ王国ではお茶にジャムを混ぜるという習慣はない。以前デラから、他国ではジャムは稀少品だから王侯貴族がそのような楽しみ方をしていると聞いたことはあるけれど…。
エリーの手が全く動かないことを不思議に思ったのか、アリシア王女は説明を加える。
「そのジャムはリブシャ王国で作られた木苺のジャムです。お兄様に、お土産に買って来ていただくようにお願いしたのです。我が国ではなかなか手に入りませんから…。せめて、これを召し上がってお心をお鎮め下さい」
懇願に近いような促しに従うことにしたエリーは、ジャムを一匙掬おうとして、その中身が殆ど減っていないことに気付いた。
「このジャムは、あなたにとって大切なものなのではないですか?」
エリーの問いにアリシア王女はびっくりしてエリーを見た。
「そうですが…。でも、少しでもエルマ様のお心をお慰めできればと思って」
「お兄様のこと、大好きなのね」
「ええ。…でも、どうしてそんなこと」
「血は繋がっていないけれど、私にも妹がいるの。あなたよりもっと小さい子よ。大切な人から貰った物を大事にしすぎるところがあって…。それが食べ物だったりするとすぐ傷んでしまうから、食べ物を貰ったらきちんと食べるように躾けるのが大変だったの」
ジェスが作った綺麗なお菓子や、サラが見つけてきた木苺を大切に仕舞い込んで腐らせてしまい、母親に慰められながら叱られている小さなマイリの泣き顔を思い出して、エリーはつい微笑んだ。
「妹姫様がいらっしゃるのですか」
「妹は王族ではないわ。小さな村の長の娘で、私も長の娘として村で一緒に育ったの。野原を駆け回っていたし、木苺もよく採りに行ったわ。ジャムもみんなでよく作っていた…」
エリーの瞳から、ぽろりと涙が零れる。
「村に帰りたい…。あの頃に…」
「エルマ様。このような方法でしか我が国にお連れ出来なかったことをお詫び致します。でも…でもわたくしは、どうしてもエルマ様にここにいて欲しいのです。帰りたいだなんて、仰らないで」
エリーに泣かれて驚いたアリシア王女は、可哀想なくらいおろおろと取り乱した。
「エルマ様、どうか…どうか泣かないで下さい。お体に障ります。お願いですから、泣かないで…」
こんな小さな少女の前で、成人した王女が泣くべきではないということはエリーにも分かっている。アリシア王女にも気の毒なことをしていることは分かっている。
でも。
今この瞬間だけは、ただのエリーとして泣きたい。
長の娘でも、リブシャ王国の王女でも、誰かの婚約者でもない、ただの村娘のエリーとして。
「エルマ様…」
「一体どうしたのだ、アリシア。姫は気分が悪いのか?」
その声に、エリーはびくりとした。
「お兄様。いつの間に」
勝手に部屋に入っていたステファン王子にアリシア王女はただ驚く。
「侍女から姫が目覚めたと聞いて訪ねてみたが、呼んでも返事が無かったので入らせてもらった。…もし姫の気分が優れないのなら侍医に診させよう」
「だ…大丈夫です」
近付いてきたステファン王子を拒むかのように、エリーは身を固くして涙を拭いた。その様子にステファン王子は冷たい笑みを浮かべる。
「故郷が恋しくなられたのだったら、申し訳ない。しかし妹姫を困らせる態度は慎んでくれ。妹姫は体が丈夫ではない。極度の心配が、妹姫の体に障るのだ」
「お兄様、そんな…。エルマ様はただ、心細くなられただけです。わたくしは困らされてなど…」
「どうやらそのようだな」
ステファン王子はそう言うと、改めてエリーを見た。
「それに思ったより、お元気そうだ。…ドレスも良く似合っている。妹姫とはすっかり打ち解けられたようだな、エルマ王女」
嫌味とも取れるその言葉に落ち着きを取り戻し、エリーはステファン王子の瞳を見据えて告げた。
「…ステファン王子。お話ししたいことがあります」
「私もだ。夕食の席で改めて話そう。アリシア、姫にあまり多くの茶と菓子を勧めないようにな」
「分かりました、お兄様」
「ではエルマ王女。また後ほど」
エリーは黙ったまま王子の背中を睨み付けた。アリシア王女が目の前にいなければ、恥知らず、と大声で詰っていたところだ。
一国の王女を勾引し、剰え軟禁までしておきながら、妹姫に対する非礼を責める厚顔さ。
それでもエリーがそのような侮辱に耐えたのは、自分が置かれている現在の立場のためだけではない。
目の前のこの少女…どこかマイリと重なるこの少女のため。ステファン王子に寄せる絶対的信頼をむざむざと打ち砕くほど、エリーはアリシア王女に対して冷徹になれなかった。




