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とある王女の恋物語  作者: 藍田 恵
第七章 ひとつの選択
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 朝靄の中、城を出発したクレイ達を見送ったエリーは、そのまま部屋へは戻らずに庭園を散歩することにした。

 朝露を含んだ咲き始めの薔薇の芳香に包まれ、エリーはうっとりと目を閉じる。

 こうして花の香りだけ嗅いでいると、いつかサラと一緒に庭園を散策した日の事を思い出す。その次には村で、いつもすぐ隣に並んで笑い合い、お互いの髪を花で飾った楽しい思い出が甦った。

 サラからはいつも花の香りがした。いつも草木の側に居るからその移り香なのだろうと思っていたけれど、あれはサラの香りだったのだと今になって気が付く。

 離れてから気が付くことのあまりの多さにエリーは驚き、それがエリーの喪失感をますます募らせた。

 サラ。

 もう一度会いたい。

 どうして精霊の世界で暮らすことを選んでしまったの?

 クレイの想いを知ったサラがそれを拒否するなどと、エリーは夢にも思わなかった。

 あんなに一途な想いを、サラが平気で拒める筈がない。サラだってきっと…。

 エリーは溜息を吐いた。

 サラだってきっと、辛かった。

 だからこそ、精霊の世界で暮らす道を選んで私の目の前からも姿を消してしまったのだ。

 もしクレイがサラときちんと話すことさえ出来ていたら…いいえ、私から話しても良かったのに、私が後でサラを驚かせようなんて思ったから。

 戴冠式が終わるまではサラに秘密にしておこうとしたせいで、こんなことになってしまった。

 これは罰だ。

 くすん、と鼻を鳴らして、エリーは呟いた。

「サラ…」

「呼んだ?」

 エリーは自分の耳を疑った。慌てて声がした方向を振り返り、そこに変わらず麗しい姿を見つけたエリーは夢中でサラに駆け寄った。

「サラ!」

 しかしサラの目の前でエリーは立ち止まった。

「どうしたの? エリー」

 それ以上近付こうとはしないエリーに、サラは不思議そうに尋ねる。

「…本当にサラ? 帰って来てくれたの?」

「ええ。帰って来たわ」

 そう言ってにっこり微笑むサラの笑顔も、エリーは俄に信じられない。

「森の女王は何て…?」

「私が何を選んでも、何処で暮らしていても、私は娘のままだと言ってくれたわ。…だからエリー、私はケイト達と一緒に村へ帰ろうと思うの。勿論、近い将来には森の女王の娘としてエリーを支えていくつもりでいるし、王都にも時々遊びに来るわ」

「本当に?」

「本当よ、エリー。どうして信じてくれないの? もしかして、心変わりして欲しい?」

「駄目! 心変わりなんかしたら、絶対に駄目っ!」

 エリーはそう言うとサラに抱きついた。

「サラ…帰って来てくれて、本当に嬉しい…!」

「私もずっと会いたかった。エリーやみんなに…」

 サラのその言葉にエリーははっとして、改めて向き直る。

「…サラ。クレイとデラはもう出発したわ」

 その名を聞いてサラの表情は強張ったが、しかしサラは平然を装った様子で静かにエリーを見つめ返した。

「そう…」

「サラ。クレイから直接聞いたんでしょう? クレイの気持ちを」

「ええ。でも…」

 気まずそうに視線を泳がせるサラの瞳を、エリーは逃がそうとはしなかった。

「どうして受け入れてあげなかったの?」

「クレイはあなたの婚約者よ! そんなこと出来るはずが…」

 しかしエリーは動じることなく、そっとサラの両手を握る。

「違うの」

「…え?」

「違うの。私とクレイは、結婚しないわ。そのことを戴冠式が終わったらすぐあなたに打ち明ける予定だったのに、私が誘拐されてしまったから…」

 二人の間に沈黙が降りる。

 暫く呼吸することすら忘れていたサラは、急に口をぱくぱくさせて慌てて喋り始めた。

「どういうこと? 戴冠式でクレイと最初に踊ったのは、婚約のお披露目でしょう?」

「クレイは婚約者候補(・ ・)の一人よ。一緒に踊っただけで勘繰る人達もいるかも知れないけれど、大多数の人は社交の一環としてしか見ていないわ。でも、私もクレイも、出来れば諸外国にそう思わせておきたかったの」

 すっかり訳が分からなくなっているサラに、エリーはすまなそうに苦笑いした。

「クレイには好きな人がいたから、私は彼の友人としてその恋に協力することにしたのよ。あんな紛らわしいことをしたのは時間稼ぎの為なの。だって、クレイには国に帰って父王を説得する時間が必要でしょう? 私と婚約する予定だと招待客から誤解・ ・されていれば、暫くの間は無用な縁談が防げると考えたのよ」

「そんなこと、国王陛下がお許しになんか…」

国王陛下おとうさまは渋々だったけど許して下さったわ。でも、これはリブシャ王国がハーヴィス王国と同盟を結ぶことになって、状況が大きく変わったからこそ可能になったんだけど。だから、これでクレイも好きな人と…誰のことを言っているか分かるわよね?」

「エリー」

「早く行って、サラ。クレイを追いかけて、あなたの本当の気持ちを伝えてあげて」

「…ありがとう、エリー」

 サラはそう言うと再びエリーをぎゅっと抱き締め、そして朝靄の中に姿を消した。

 その後ろ姿を見送るエリーの瞳から涙が零れる。

 大好きなサラ。私だけのサラ。

 これからもずっと…一緒にいられると思っていたのに。

 あなたの後ろ姿を見送ることがこんなにも寂しくて辛いなんて。

「エルマ王女」

 一人で涙していたエリーは、名前を呼ばれて慌てて涙を拭った。

「あなたは…」

 朝靄の中から浮かび上がるように現れたソニヤがエリーに恭しく礼を執る。

「美しき王女よ。我々は貴女が我等の王女の良き友であり、支えであってくれたことに…これからも支え続けてくれることに、心から感謝している。我々は貴女に永遠の忠誠を誓おう」

 ソニヤがそう言い終わるか終わらないかのうちに一陣の風が吹く。

 朝靄が晴れて、その碧い瞳の色に良く似た青空を目にしたエリーは、少し前までの塞いだ気分がすっかり消えたことに気が付いた。

「ソニヤ、あなた今…」

「貴女のその高潔な美しさは貴女の心そのものの表れだ。その美しさが…その心が滞る事無きよう、いつまでも晴れやかであるように…風の精霊の祝福を贈った」

「ありがとう…」

 エリーはそう言うとソニヤに微笑んだ。ソニヤは小さく頷き、再びエリーに礼を執ると、今度は空気に溶けるかのようにその姿を消した。


 懐かしい森の道を通り抜けていたクレイとデラは、それぞれの馬に水を飲ませる為に湖に立ち寄ることにした。

 早朝の湖面はまだ眠っているかのように穏やかで、魚の泳ぐ姿すら見えない。

 この場所で、サラに出会った。

 泳ぐ姿はまるで人魚のようで…。

 こんなに美しい森の中ならば、どんな幻想だって信じてもいいと思ってしまう。

 幻想だった方がいっそ諦めもつくのにと、自分の往生際の悪さにクレイは苦笑した。

「どうしたんです? 王子」

 それに気付いたデラが不思議そうに尋ねる。

「ここで…人魚を見つけたんだ」

「ええっ?」

 驚くデラに、クレイは真顔で頷く。

「初めは人魚かと思った」

「本物の人魚じゃなかったんですね」

 担がれていることに気付いたデラがほっと安堵の溜息を吐く。

「ああ。でも本当に…」

「本当は覗いてたんじゃなかったの?」

 その聞き覚えのある声と口調にクレイの思考は止まった。

 目の前のデラの心底驚いている表情を見て、クレイは我が目を疑う。

 まさか。

 振り向かなくても分かる花の香り。それでもクレイは瞬きする間も惜しんで振り向いた。

「…サラ!」

 クレイは迷わずサラを抱き締めた。

 サラがどうしてここにいるのかということよりも、今、自分の目の前にサラがいることの方がクレイにとって何よりも重要だった。

「…愛している」

 素直にクレイの胸の中に収まったサラをきつく抱き締め、クレイは掠れる声で呟く。おずおずと腕を伸ばしてクレイを抱き返したサラは、クレイの耳元にそっと囁いた。

「私もよ…クレイ、あなたを愛しているわ」

 クレイはサラを抱く腕の力を緩める。微笑みながら再び見つめ合った二人は、やがてゆっくりと唇を重ねた。


 のちにクレイとサラは結婚し、クレイはワイルダー公国の北方の領地を与えられてその土地の領主となった。デラの故郷でもあるその荒れ地は、時が経つと緑豊かな土地に変わり、ワイルダー公国にとって重要な領地のひとつとなった。

 エルマ王女を始め、村長の娘達もそれぞれ愛する人を見つけて結ばれた。リブシャ王国の民は森の女王の変わらぬ手厚い加護を受け、平和で幸せな暮らしを送り続けたと後世まで語り継がれている。


長い間、お付き合いいただいてありがとうございました。

サラとエリーのお話はこれで完結します。

気が付いたら100話超えになっていて、作者も本当にびっくりです。

無事に完結出来たのは、読み続けて下さった読者様のお陰です。

本当にありがとうございました。


近日中にこのシリーズの番外編を投稿する予定です。

興味のある方はお楽しみに。

そのお話の中でサラ達のその後の様子がちょっとだけ出てきます。


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