第6話
翌日の放課後。王立魔法学園の廊下は、相変わらず僕にとって息が詰まるほど居心地の悪い場所だった。
遠くの修練場からは、鼓膜を揺らす轟音と目を焼くような閃光が絶え間なく漏れ聞こえてくる。火力と派手さがすべてを決めるこの学園において、それは優秀さの絶対的な証明だった。
すれ違う生徒たちの冷ややかな視線が、容赦なく突き刺さる。
「まだいたのかよ、あの落ちこぼれ」
「退学が決まってるのに、よく顔を出せるわね。私なら恥ずかしくて外も歩けないわ」
ひそひそとした嘲笑が、鼓膜を打つ。攻撃力ゼロの魔法しか使えない僕は、すでに不要な存在として切り捨てられていた。実技試験で無残な結果を突きつけられ、退学を宣告されたあの日の絶望が、再び胸の奥を冷たく撫でる。魔力測定器がエラー音すら鳴らさず、完全に沈黙した時の、あの凍りつくような静寂。周囲から向けられた蔑みの目は、今でもはっきりと焼き付いている。
足早に廊下を抜け、人気のない旧校舎の裏手へ向かう。誰の目にも触れない場所で、少しだけ息をつきたかった。
だが、そこには先客がいた。
「……例の件は、抜かりなく進んでいるのだろうな」
傲慢な響きを持つその声に、僕は咄嗟に足を止め、壁の陰に身を潜めた。
そっと視線を向けると、恰幅の良いバイス教頭が、高価な外套を羽織った男と向かい合っているのが見えた。
男の顔を見て、息を呑む。
昨夜、ミラから渡された依頼書に描かれていた顔。王都の裏で違法な魔導具を密売しているという、汚職貴族その人だった。肥え太った体躯に、他者を見下すような冷酷な瞳。表社会の権力者である彼が、なぜ学園の教頭と密会しているのか。
「ご安心を、教頭。学園の警備網に細工を施す手はずは整っております。あなたには、さらに上の地位に就いていただかなくては」
「ふん。無能な者たちを排除し、私がこの学園の秩序を正す。そのためには多少の荒療治も必要だ」
教頭の指先で、高価な魔法石の指輪がいやらしく光った。彼らの背後にある黒い繋がりと、学園を掌握しようとする野望の断片が、冷たい風と共に漂ってくる。
その時、僕の足元の枯れ枝が微かに音を立てた。
「誰だ!」
教頭の鋭い声が飛び、僕は逃げることを諦めて物陰から歩み出た。ただの通りすがりを装うしかない。
「……ルークか」
僕の姿を認めた瞬間、教頭の顔に露骨な嫌悪が浮かんだ。細い目が、汚物を見るかのように僕を射抜く。
「貴様のような無能が、こんな所で何をしている。退学の手続きは済ませたはずだ。さっさと荷物をまとめて出て行け。お前がいても、この学園には何の役にも立たないのだからな」
かつての僕なら、その言葉に心を抉られ、絶望に縛り付けられていただろう。長年浴びせられ続けた評価が、古傷のように微かに胸を痛ませる。だが、今の僕の奥底にあるのは冷たい静寂だった。表社会での無能という烙印は、もはや僕の本当の価値を揺るがすものではない。
僕は怯えた落ちこぼれを演じるように肩を震わせ、深く頭を下げた。視線の端でターゲットである汚職貴族の顔をしっかりと脳裏に焼き付けながら、足早にその場を立ち去った。
◆ーーーー◆
夕暮れの王都。
学園を逃げ出した僕は、石畳の路地裏を歩いていた。
ここは数日前、失意のどん底にいた僕が、暗殺ギルドの幹部であるジンに待ち伏せされた場所だ。
『お前の魔法は、暗殺において値段がつけられないほどの価値がある』
あの夜、彼が告げた言葉が脳裏に蘇る。
気配や足音を完全に遮断する力。そして、あらゆる魔法の発動音を消し去る力。表社会では無能の烙印を押された僕の魔法は、裏社会の規格外の才能として見出された。
学園での扱いは変わらない。教頭の言葉は今でも僕を傷つける。だが、もうあの時のように絶望に打ちひしがれることはない。僕には、自分を必要としてくれる場所があるのだから。
迷路のような路地を抜け、煤けた看板の掛かるガルドの工房の扉を叩いた。
「入れ」
ぶっきらぼうな声に促され、中に入る。油と鉄の匂いが立ち込める室内で、白髭を蓄えた初老の職人が作業台に向かっていた。
「坊主か。この前の仕事はどうだった」
ガルドは手を止めず、背中を向けたまま尋ねてきた。
「無事に終わりました。あなたに作ってもらった短剣のおかげです」
僕は懐から黒塗りの短剣を取り出し、作業台の上に置いた。
「実戦での感覚を教えてくれ。刃の入り具合、重心のブレ、何でもいい」
僕は初任務の記憶を辿りながら、詳細なフィードバックを伝えた。標的の背後に音もなく接近したこと。護衛の魔術師たちが気づく前に、発動音を消した魔法で視界を奪い、一撃で急所を貫いたこと。
ガルドは目を輝かせ、短剣を手に取って刃こぼれを確認し始めた。
「なるほどな。お前、骨を断つ時に少し手首を捻ってるな。この刃の摩耗の仕方はそれだ。無音で仕留めるために、余計な摩擦を減らそうとしてるんだろうが、それだと刃こぼれしやすい」
ガルドは手際よく工具を操りながら、楽しそうに口の端を歪めた。
「素晴らしい。お前のその特異な魔法と合わされば、俺の作ったピーキーな武器が完璧な暗殺具に化ける。プロの連中だって、お前の適性には舌を巻くはずだ」
偏屈な職人が見せる熱意に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
ギルドに加入し、新人暗殺者『サイレンス』として踏み出した初任務。表の常識が通用しない裏社会の実戦で、僕は確かに結果を出した。与えられた任務は必ず完遂する。それが、僕を認めてくれた彼らへの恩返しだった。
「少し重心を柄の方に寄せておく。次はもっと素直に振り抜け。次の仕事に備えな」
自分の作った武器が役立っていることに満足しているのか、その横顔は職人魂に溢れていた。
「ありがとうございます、ガルドさん」
調整された短剣を受け取り、僕は工房を後にした。
◆ーーーー◆
深夜。
王都の高級住宅街の一角に、ターゲットである汚職貴族の屋敷がそびえ立っていた。
僕は向かいの建物の屋根に身を潜め、ジンから渡された秒針の鳴らない懐中時計で時間を確認する。単なる隠密用のアイテムに見えて、微かな魔力を帯びているこの時計は、僕の力を蓄積する魔道具でもあった。
屋敷の周囲には、目障りなほど派手な光を放つ結界が何重にも張られていた。一定の間隔で巡回する警備の魔術師たちは、誰もが強力な杖を手にしている。
魔法の威力を誇示するかのような、表社会の縮図とも言える光景。
昼間、学園で目撃した教頭との密会を思い出す。あの汚職貴族は、学園の内部にまで黒い繋がりを広げ、何か企んでいる。もし彼を放置すれば、トムやエリアたちが過ごす日常が脅かされるかもしれない。
「……警備の数は十五。結界の起点は四箇所か」
僕は屋敷の図面と実際の配置を照らし合わせ、頭の中でシミュレーションを繰り返す。
正面からの突破は不可能だ。だが、僕の魔法なら、あの結界の探知波すらも打ち消して進むことができるはずだ。かつて学園の魔力測定器を沈黙させたように。
「まず、南側の死角から結界に触れる。探知波を僕の魔法で相殺し、音もなく敷地内に侵入する。巡回の魔術師が交差するタイミングは、三分に一度。その隙を突いて壁を登り、二階の書斎の窓から中へ入る」
魔法至上主義の表社会の裏側に潜む闇の深さを知るほどに、任務の難易度が跳ね上がっていることを実感する。
それでも、僕の心に恐れはなかった。
「音を消して、確実に仕留める」
厳重な魔法警備の隙間を縫う、無音の暗殺計画。
僕は短剣の柄を強く握り締め、静かに息を吐き出した。




