第28話
ギルドの拠点を後にした僕は、入り組んだ裏路地を縫うように歩き、王都の最深部にある薄暗い一角へと足を向けた。
頭上を覆う重苦しい石造りのアーチをくぐると、湿った鉄と煤の匂いが鼻腔をくすぐる。看板も掲げられていない重厚な鉄扉の前に立ち、独特のリズムでノックを三度刻んだ。
内側からカンヌキが外れる鈍い音が響き、軋んだ音を立てて扉が開く。
「……なんだ、坊主か」
煤にまみれたエプロンをつけた筋骨隆々の初老の男――ガルドが、乱雑に伸ばした白髭の奥から鋭い眼光を覗かせた。奥の炉からは、赤黒い熱気と槌を振るう金属音が漏れ聞こえてくる。
「こんにちは、ガルドさん。装備の手入れをお願いしたくて」
「入れ。埃が舞う」
愛想のかけらもない返事と共に工房へ招き入れられる。床には削り屑や様々な鉱石の破片が散らばり、壁一面には見たこともない形状の刃物や魔道具が無造作に吊るされていた。
僕は腰のベルトから、先の騒動で酷使した特注の暗殺具――黒刃の短剣と、極細の魔力ワイヤーを射出する小型射出器を外して作業台の上に置いた。
ガルドは無言のまま手袋を外し、太い指先で刃の腹をそっと撫でる。刃こぼれこそ最小限に抑えていたが、刃先には幾重もの魔力障壁を貫通した際に生じた微細な歪みと、高熱の魔法を切り払った痕跡が焼き付いていた。
「……派手に使い込みやがったな」
ガルドが鼻を鳴らし、射出器のゼンマイ機構を分解し始めた。
内部の魔導ギアには、僕の放った無音の魔力波が限界まで圧縮された負荷の跡が刻まれている。
「無茶な使い方をしてすみません。少し急ぎの仕事が重なってしまって」
「謝るんじゃねえよ。道具は使われてナンボだ」
ガルドはルーペを目にはめ込み、歪んだパーツをピンセットでつまみ上げた。
「だが、これだけの負荷をかけて機構そのものを焼き切らせてねえ。引き金を引く一瞬、魔力の流れを完璧にコントロールしてやがったな。あの教頭とテロリストどもの騒ぎ……お前が片付けたってのは本当らしい」
「噂が届くのが早いですね」
「裏社会の職人を舐めるな。情報屋連中が朝から騒がしく買い漁ってたぜ。音もなく相手の魔法を封じて中枢を叩き潰した化け物がいるってな」
ガルドはピンセットを置き、太い腕を組んで僕をじろりと見据えた。
その瞳には、世間の魔法至上主義者たちが僕に向けていたような軽蔑の色は微塵も存在しない。あるのは、己の作った道具を極限まで引き出した使い手に対する、純粋な敬意だけだった。
「いい仕事をしたな、坊主」
短く吐き捨てられたその言葉が、胸の奥にじんわりと染み渡る。
派手さも破壊力もない僕の技術を、この頑固な職人は最初から信じて装備を誂えてくれたのだ。
「最高の状態に戻してやる。明日の夜には取りに来い」
「ありがとうございます。代金は……」
「ギルドの口座からきっちり引かせてもらう。特級任務の報酬、たんまり入ったんだろうが。出し惜しみすんなよ」
「はい、もちろん」
小さく笑いながら頭を下げ、僕は工房を辞去した。
◆ーーーー◆
工房の外に出ると、王都の夜空には淡い三日月が浮かんでいた。
細い路地を抜け、大通りへと通じる石段を上がろうとしたところで、頭上からカチリと硬質な金属音が落ちてきた。
「相変わらず、足音ひとつ立てねえで歩く野郎だ」
階段の踊り場にある街灯の笠の上に、一人の青年が腰掛けていた。
派手な装飾が施された深紅のロングコートを夜風になびかせ、三白眼を細めて僕を見下ろしている。別組織の若手筆頭、ザッシュだった。
「ザッシュ……どうしてここに?」
僕は立ち止まり、警戒を解かないまま問いかけた。だが、彼から立ち上る魔力に殺気や敵意は含まれていない。
ザッシュは軽やかな身のこなしで街灯から飛び降り、石畳に音を立てて着地した。
「工房から出てくるのが見えたからな。ちょっと顔を拝みに来ただけだ」
「顔を?」
「学園の地下じゃ、てめえのサポートに回らされたからな。俺のプライドはズタズタだ」
そう言いながらも、ザッシュの口元にはどこかさっぱりとした笑みが浮かんでいた。
かつて僕を地味な能力者と侮り、派手な破壊魔法こそが至高だと吠えていた頃の刺々しさは消え失せている。
「あのときは助かりました。君の火力があったからこそ、地下の防衛線を突破できた」
「おためごかしはよせ。敵の詠唱を全部黙らせたのはお前だろ。俺はただ、的に向かって火の玉をぶち込んだだけに過ぎねえよ」
ザッシュは懐から銀色の煙草入れを取り出し、一本咥えて指先から小さな火花を散らして火をつけた。紫煙が夜の闇に細く立ち上る。
「俺は強い奴しか認めねえ。だが、認めた奴には二度と負けたくねえんだ」
彼は煙草の灰を指先ではじき、僕の目をまっすぐに見据えた。
「今回は貸しにしといてやる。だが次は、俺が先に一番首を獲る。お前が音もなく獲物を掻っ攫う前に、俺の炎で跡形もなく消し炭にしてやるよ」
「……受けて立ちます」
僕が静かに答えると、ザッシュは満足そうに白い歯をこぼした。
「へっ、その澄ましたツラを焦らせてやるのが楽しみだぜ。『サイレンス』の旦那」
背を向け、手をひらひらと振りながらザッシュは路地の闇へと消えていく。
かつて競い合い、命のやり取りすらしかけた相手が、今はこうして互いの実力を認め合う好敵手として背中を預け合っている。
不思議な高揚感が、胸の奥で静かに脈打っていた。
◆ーーーー◆
ザッシュと別れた後、僕は王都を一望できる高台の広場へと足を運んだ。
石造りの欄干に手をかけ、眼下に広がる街並みを見渡す。無数の魔導灯が瞬き、まるで地上に星空を敷き詰めたかのように美しく輝いている。
あの中央にそびえ立つのが、僕が通う王立魔法学園だ。
威厳に満ちた白亜の大時計塔が、静かに月光を浴びてそびえ立っている。
ほんの少し前まで、僕にとってあの場所は世界のすべてであり、同時に僕の存在を真っ向から否定する冷酷な牢獄だった。
「派手さも威力もない役立たず」と罵られ、魔力測定器の前で沈黙を強いられ、退学を言い渡されて立ち尽くしたあの日。
けれど今は違う。
ポケットの中に手を入れると、指先が無音の懐中時計に触れた。ジンが僕を見出し、与えてくれた大切な道具だ。魔力を蓄積し、僕の技術を研ぎ澄ませるための指標。
工房で僕の仕事を認めてくれたガルド。
ライバルとして僕の背中を追うと言い残したザッシュ。
ギルドで笑顔で出迎えてくれたミラや、僕を一人前として扱ってくれるジン。
表の学園では決して手に入らなかったものが、この裏の世界には確かにあった。
僕の力を求め、僕の技術を正当に評価し、居場所を与えてくれる仲間たちがいる。
明日になれば、僕はまた学園の教室で冴えない落第生を演じることになるだろう。
教官の小言を聞き流し、トムの他愛ない冗談に笑い、特待生たちの傲慢な視線を気にも留めずにやり過ごすのだ。
誰も僕が、あのテロの元凶を無音のまま制圧した暗殺者だとは気付きもしない。
だが、それでいい。
誰かに誇示するための力ではない。自分の居場所を守り、自分を信じてくれた人々の期待に応えるための力が、今の僕にはある。
夜の空気を深く吸い込む。
冷たい空気が肺を満たし、頭の中が澄み渡っていく。
孤独だった落第生は、もうどこにもいない。
僕は欄干から身を離し、静かな足取りで夜の帳の中へと歩き出した。
二つの世界を生きる僕の、新しい日常がここから始まっていく。




