第27話
放課後の鐘が学園の敷地に響き渡ると、僕は生徒たちの喧騒から滑り出るように校門を後にした。夕暮れのオレンジ色が石畳を長く染めている。すれ違う生徒たちは、数日前まで学園を揺るがした大事件の後始末や、中止になった試験の噂話で持ちきりだった。
大通りを抜け、入り組んだ裏通りへと足を踏み入れる。人通りが途絶えた路地裏の奥、苔むしたレンガ壁の一角にある重い鉄扉の前に立った。合言葉代わりの特殊なノックを刻むと、小さな覗き窓が開き、カチャリと鍵が外れる。
扉を押し開けた途端、小気味よい破裂音が店内に響いた。
「はい、お疲れさま! 大殊勲のルークくん!」
パパパアン、と色とりどりの紙テープと紙吹雪が僕の頭上に降り注ぐ。カウンターの奥でクラッカーの筒を構えていたミラが、赤いショートヘアを揺らしながら満面の笑みを浮かべていた。口元にはいつもの棒付きキャンディが覗いている。
「ミラさん、これ……」
「何って、お祝いに決まってるじゃない。学園を狙ったあの大規模テロ、見事に完封してくれたんでしょ? ギルド始まって以来の大手柄よ」
ミラはカウンターの上に身を乗り出し、パンパンと景気よく手を叩いた。派手なブレスレットがジャラリと音を立てる。
「表の騎士団も教師陣も手も足も出なかったっていうのに、単身で乗り込んで敵の指揮系統をめちゃくちゃにして、あのバイス教頭ごと一網打尽にしちゃうんだから。いやあ、うちのエース様は頼もしいわあ」
「エースだなんて、まだそこまでは……」
口元まで出かかったいつもの謙遜を、僕は意識して呑み込んだ。以前の僕なら、恐縮して縮こまっていただろう。けれど、あの暗闇の中で敵の詠唱をことごとく封殺し、無音の魔術で圧倒したときの感覚は、今も掌に鮮明に残っている。あれは紛れもなく、僕自身の意志と力で成し遂げた仕事だった。
「……ありがとうございます。無事に片付いて良かったです」
僕が姿勢を正して答えると、ミラは意外そうに目を丸くし、それから一層嬉しそうに目を細めた。
「お、いい顔つきになってきたんじゃない? オドオドした新人の皮が剥けて、ちゃんとした裏稼業の顔になってきたわよ」
ミラはカウンターの下から分厚い革袋と、紫色の封蝋が施された豪奢な封筒を取り出し、僕の前に滑らせた。
ずしり、と重たい金属音がカウンターに落ちる。
「これ、今回の特別報酬。それから、パトロンのセリアン様から届いた個人的な感謝状と追加の小切手よ」
「セリアン様から……?」
「ええ。『学園の害虫を鮮やかに駆除してくれた。我が一門より心から礼を言う』――あの気難し屋が手放しで褒めるなんて前代未聞よ」
封筒を受け取り、指先で上質な羊皮紙の感触を確かめる。中には丁寧な筆致で書かれた感謝の言葉と、僕がこれまでの人生で見たこともない桁の数字が記された為替手形が入っていた。
革袋の紐を緩めると、中には最高純度の白金貨がぎっしりと詰まっている。これだけの対価を支払われるほどの仕事を、僕はやり遂げたのだ。
かつて学園の修練場で、派手な火炎や雷撃を放つ特待生たちが喝采を浴びるのを、僕はただ遠くから眺めることしかできなかった。魔力測定器を沈黙させただけで無能の烙印を押され、居場所を奪われかけた。
けれど、ここには確かな評価がある。派手さや見栄えではなく、目的に対していかに的確で完全であったか。僕の特異な技術を、ただそれだけの基準で正当に量り、対価を支払ってくれる場所。
「……本当に、僕の技術が役に立ったんですね」
「役に立ったどころの話じゃないわよ。あんたのおかげで、ギルドの株も爆上がりなんだから。これ、あんたの新しいライセンスカードね」
ミラから手渡されたのは、鈍い黒銀色に輝く金属の板だった。表面には精緻な紋様が刻まれ、ギルド最高位の階級を示す刻印が施されている。
「最高位……僕が、ですか?」
「当然でしょ。単独で大規模なテロ計画を鎮圧して、依頼主の権益を完璧に保護したのよ。文句をつける奴なんて、この組織には一人もいないわ」
胸の奥に、静かで確固たる熱が灯るのを感じた。誰かに施された憐れみではない。僕自身の手で勝ち取った、プロとしての証明書だった。
「ほう、もう受け取ったか」
奥の執務室のドアが開き、聞き慣れた低い声が響いた。
無造作な灰色の髪に、鋭い三白眼。黒いコートを無造作に羽織ったジンが、煙草の煙をくゆらせながら姿を現した。手には僕が提出した事後報告書が握られている。
「ジンさん」
「おう。報告書、読ませてもらったぞ」
ジンは僕の隣のカウンターに腰を預け、報告書の束を軽く指先で叩いた。
「敵の配置情報の把握から、無音領域の展開、詠唱妨害による各個撃破……私情を挟まず、状況を冷静に見極めて標的を無力化している。粗削りな部分はまだあるが、実戦での立ち回りは文句のつけようがねえな」
「バイス教頭を前にした時、少しだけ焦りがありました。もし失敗したら、という考えが一瞬よぎって……」
「だが、手は止まらなかったんだろ?」
ジンの鋭い視線が僕を射抜く。
「お前は迷いながらも、最善の選択肢を選び続けた。自分の能力の限界と特性を正確に理解していなきゃ、あんな芸当はできねえよ」
ジンは煙草の灰を携帯灰皿に落とすと、薄く口元を吊り上げた。
「どうだ、ルーク。あの学園の連中が信奉する『派手な魔法』とやらを、音もなく叩き潰した気分は」
「……不思議と、復讐心のようなものはありませんでした」
僕は自分の掌を見つめながら、素直な心情を言葉にした。
「ただ、自分のやるべきことをやっただけです。学園にいた頃は、自分の力が恥ずかしくて、無意味なものだと思い込んでいました。でも、あそこで敵と対峙した時、僕はこの力でここに立っているんだと、はっきりと実感できました」
かつて絶望の淵にいた僕を見出し、暗闇の中での戦い方を教えてくれたのはジンだった。彼が僕の消音技術に価値を見出してくれなければ、僕は今頃、路地裏で野垂れ死んでいたか、無力感に押し潰されていただろう。
「そうか」
ジンは短く応じ、僕の肩にポンと大きな手を置いた。
「それでいい。自分の技術に誇りを持て。お前はもう、ただの落第生なんかじゃねえ。俺たちが認めた、一流の仕事人だ」
不器用だが力強いその言葉が、胸の奥深くまで染み渡っていく。
自分を認めてくれた恩人を絶対に裏切らない。与えられた仕事を完璧にこなす。その誓いを胸に刻み直すように、僕は力強く頷いた。
「はい。これからも、この場所で戦います」
「頼りにしてるわよ、ルークくん。あ、でも学園の方はちゃんと卒業しなさいよね? あそこの学生身分は、最高の隠れ蓑なんだから」
ミラがからかい混じりにウインクを投げてくる。ジンも「違約金で落第されたらたまらんからな」と肩をすくめて笑った。
「大丈夫です。トムと一緒に、なんとか進級してみせますよ」
「言ったわね!」
ミラがカウンターを叩いて吹き出し、ジンも煙草の煙を吐き出しながら肩を揺らした。
暗殺者としての最高位の称号と、莫大な報酬。そして何より、僕の存在と力を無条件に肯定してくれる仲間たちの存在。
表の学園では、僕はこれからも冴えない落第生を演じ続けるだろう。大魔法を放って拍手喝采を浴びることも、華々しい表彰を受けることもない。
けれど、僕には守るべき日常と、確固たる居場所がある。
ポケットの中で静かに時を刻む懐中時計に触れながら、僕は温かなランプの光に包まれたギルドの空気の中で、静かに息を吸い込んだ。この二重の生活が、僕にとっての確かな道なのだと確信しながら。




