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第23話

地下階段を駆け上がり、中枢ホールの分厚い扉を抜けた先には、赤黒い光に染まった中庭が広がっていた。


砕けた石畳の破片が宙を舞い、焦げ付いた魔力の匂いが鼻腔を突く。空を覆う防衛結界は歪に歪み、中心に立つ恰幅の良い男が、両手を天に掲げて荒れ狂う魔力を撒き散らしていた。


「役立たずどもが! 地下の仕掛けが不発に終わろうと、この私の手で全て焼き払ってくれるわ!」


バイス教頭の怒号が響き渡る。高価な魔法石を散りばめた杖の先から、禍々しい紅蓮の炎が渦を巻いて噴き上がっていた。


その足元には、金髪を乱したレオンが無様に這いつくばっている。胸元に光っていた特待生のバッジは泥に塗れ、かつての傲慢な面影など微塵も残っていなかった。


「きょ、教頭……お助けください! 僕は貴方に従ってきたではありませんか! 僕まで巻き込むおつもりですか!?」


「黙れ、無能が! 貴様のような小物が何人生き残ろうと、私の新秩序には何の価値もない!」


バイス教頭は冷酷に吐き捨て、杖を振り下ろそうとした。レオンは悲鳴を上げて頭を抱え、ただ震えることしかできない。圧倒的な熱波が特待生の肌を容赦なく焦がし、死の影が覆いかぶさる。


その炎がレオンを呑み込む寸前、僕は頭上の渡り廊下から静かに地表へと滑り降りた。


着地の衝撃も、衣服が擦れる音すら立てない。ただ一つの黒い影として、教頭とレオンの間に割り込む。


「……なっ!?」


バイス教頭の眉が跳ね上がった。細い目を怒りで血走らせ、立ちはだかった僕を睨みつける。


「何者だ……いや、その面は……ルークか!? なぜ貴様のような落ちこぼれのゴミがここにいる!」


足元で蹲っていたレオンも、信じられないものを見るように目を見開いた。


「ル、ルーク……? 嘘だろ、なんでお前が……」


僕は何も答えず、ただ右手を静かに持ち上げた。教頭の放つ熱風が黒い装束の裾を揺らすが、僕の視線は揺らがない。


教頭は僕の佇まいに得体の知れない苛立ちを覚えたのか、顔の脂肪を歪めて嘲笑を浮かべた。


「ふん、地下の騒ぎに紛れて逃げ遅れたか! 退学になった役立たずが、騎士の真似事でもする気か? 貴様の攻撃力ゼロの魔法で、この私に敵うとでも思ったのか!」


教頭の胸中に渦巻くのは、自身の権威に対する絶対の過信だ。威力の高い魔法こそがすべてであり、派手な破壊力を持たない者は虫けら同然だという、この学園を蝕んできた頑迷な選民意識。


「消え失せろ、出来損ないが! 貴様もろとも、この無様な学園を消滅させてやる!」


バイス教頭が杖を両手で握り直し、極大魔法の詠唱を開始した。


「『天を焦がす劫火よ、万物を灰燼に帰す業炎となりて——』」


学園の防衛結界すら喰らい尽くすほどの魔力が、教頭の周囲に収束していく。地面が激しく軋み、大気が悲鳴を上げる。レオンは恐怖のあまり泡を吹いて失禁しかけていた。


本来なら、この規模の詠唱を前にして生き残る術はない。強力な魔法ほど長い詠唱を必要とし、発動すればすべてを破壊する。それが表の世界の絶対的な常識だった。


だが、僕の世界は違う。


僕は息を吸い込み、右の掌を教頭へと向けた。


「『消音』」


心の中で短く紡ぎ、魔力を解き放つ。


かつて実技試験で魔力測定器の探知波を完全に遮断し、エラー音すら出させずに沈黙させた時の感覚。それを、目の前の空間全体へと上書きするように広げていく。


刹那、世界から音が消えた。


「——ッ!? ……!?!?!?」


教頭の口は大きく開かれ、喉を激しく震わせている。だが、そこから発せられるはずの詠唱の声は、一音たりとも大気に届かない。


言葉が響かなければ、魔力は形を成さない。構築されかけていた巨大な火球が、芯を失ったように急速に輪郭を崩していく。


「がっ……!? な、な……!?」


教頭は必死に喉を掻きむしり、声を張り上げようとした。しかし、漏れ出るのは吐息の微かな擦れ音すら許されない、完全なる静寂だけだ。


魔力の波長そのものが僕の領域に呑み込まれ、霧散していく。杖の先で猛り狂っていた紅蓮の炎は、まるで最初から存在しなかったかのように、呆気なく掻き消えた。


「……な、にが……?」


レオンが呆然と呟いた。その掠れた声だけが、僕の領域の外側で小さく響く。


極大魔法の不発。

学園屈指の魔力を誇る教頭が、詠唱を完了することすら許されずに封じられた。


バイス教頭は杖を取り落とし、震える両手で自分の喉を押さえた。顔面は土気色に染まり、額から脂汗が滝のように流れ落ちている。


目の前で何が起きたのか、男の頭脳では処理しきれていなかった。攻撃力などないはずの、ただの落ちこぼれ。かつて自身が嘲笑い、ゴミのように切り捨てた少年が、指先一つ動かしただけで、自慢の最高位魔法を無に帰したのだ。


「貴様……なにを……なにをした……!?」


声帯の震えが僅かに復活した教頭の口から、掠れた恐怖の音が漏れ出る。

その瞳に宿っていた傲慢な光は完全に消え失せ、底知れない化け物を前にしたような、理解不能の絶望だけが張り付いていた。


僕は一歩、前へと踏み出す。


足音はしない。だが、その静寂の圧力に耐えかねたように、教頭は無様に後ずさり、尻餅をついた。


「ひっ……! く、来るな……!」


かつて僕を役立たずと罵倒した男が、いまや腰を抜かして震えている。

僕の腰のホルダーには、ガルドが研ぎ澄ませた黒刃の短剣が収まっていた。ジンの教えと、暗殺ギルドで培った技術が、冷徹に研ぎ澄まされていく。


僕の手には、すでにこの男の生死を分かつだけの力が宿っていた。

刃を抜き、静かに間合いを詰める僕を見上げ、バイス教頭は引き攣った顔で絶叫にも似た呻きを漏らした。

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