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第22話

魔導盤の中央で回転する数字は、無慈悲に桁を削り落としていた。


『00:01:22』


『00:01:21』


祭壇全体が、過密な魔力奔流によって細かく震動している。空気そのものが摩擦熱を帯び、肌を焼くような異臭が鼻腔を突いた。通常の結界解除術式や強制停止の魔導回路を差し挟む隙間など、設計の段階から完全に焼き切られている。


「くそっ、内部の炉心が完全に暴走臨界点へ直結してやがる!」


ザッシュが額に脂汗を滲ませ、制御盤の縁を殴りつけた。


「外から魔力をぶつけて回路を断ち切ろうにも、衝撃そのものが起爆の引き金になる仕掛けだ。触れることすらできねえぞ……!」


耳元に仕込んだ超小型の通信魔道具から、微かなノイズ混じりに声が届く。


『……ルーク、聞こえるか。学園上層の退避路はあらかた確保したが、その規模の術式が弾けたら地下区画ごと吹き飛ぶ。巻き込まれりゃ、地上にいる生徒たちも無事じゃ済まねえぞ』


ジンの低い声だった。普段の飄々とした調子を崩してはいないが、状況の切迫さは十分に伝わってくる。

さらにその背後から、張り詰めた少女の声が割り込んできた。


『サイレンス様……! どうか、ご無理だけはなさらないでください。まだ、逃げる時間なら……!』


エリアの必死な呼びかけ。彼女は今も、僕を顔も知らぬ凄腕の暗殺者だと信じている。

僕は通信機に向かって何も答えない。ただ呼吸を整え、暴走する術式の波形を冷徹に見据えた。


盤面から噴き出すのは、常人には知覚できない高密度の振動波——かつて優等生たちが訴えていた耳鳴りの正体である魔力波長が、大気を鋭く震わせていた。


波長であるならば、それは空気と魔力を震わせる波動に他ならない。

ならば——僕の領域だ。


僕は胸元に手を差し入れ、一対の懐中時計を取り出した。

銀色の蓋を開くと、秒針が一切の音を立てずに滑らかに回っている。スカウトされたあの日、ジンから渡された魔道具。


単なる隠密用の補助具ではない。日々の任務で僕が使い、周囲から削ぎ落としてきた膨大な魔力の余剰を、極限まで圧縮して溜め込み続ける蓄積器——リミッターとしての真の姿。


カチリ、と静かな操作音とともに、懐中時計の竜頭を一段引き抜く。


「おい……なんだその魔道具は? おいおい、冗談だろ……!?」


隣にいたザッシュが、目を見開いて後退した。

懐中時計の内部から、濃密を通り越して視界を歪めるほどの純粋な魔力が溢れ出していた。落第生として蔑まれてきた僕の底に、ずっと眠っていた力の奔流。


「ザッシュ、耳を塞いでいて」


短く告げ、僕は右手を魔導盤へと翳した。


「——拡張展開」


僕の手の平から放たれた不可視の帳が、部屋全体を瞬く間に呑み込んでいく。

消音の概念を、単なる可聴域の空気振動から、魔導粒子が織りなす波動そのものへと再定義する。起爆装置が放つ高周波の共振、魔力の軋み、暴走を促す術式の脈動——そのすべてを「音」として捉え、ゼロの深淵へと叩き落とす。


『00:00:14』


『00:00:03』


『00:00:01』


数字がゼロを刻んだ。


だが、爆発は起きなかった。


閃光も、衝撃波も、熱量すらも立ち上がらない。暴走したはずの術式は、咆哮を上げることすら許されず、完全な沈黙の中に呑まれて霧散していった。

盤面の光がすうっと消え失せ、冷え切った金属板の質感だけが残される。


「……止まった、のか……?」


耳を塞いでいたザッシュが、信じられないものを見る目で制御盤を見つめている。

通信機の向こうから、ジンが短く口笛を吹く気配がした。


『見事だ、ルーク。波長ごと圧殺しやがったか。まったく、とんでもねえ化け物を拾っちまったもんだ』


『……信じられません……。大爆発の兆候が、完全に消滅しました……!』


エリアの安堵に震える声が響く。だが、僕たちの息を抜く時間は与えられなかった。


ガシャアンッ!


背後の重厚な鉄扉が魔力によって吹き飛ばされ、通路から十数人の武装集団が雪崩れ込んできた。テロリストの別動隊、そしてバイス教頭の私兵たちだ。

彼らは制御盤が停止しているのを見るや、血走った目を僕たちに向けた。


「小細工をしおって! 貴様らだな、起爆を邪魔したのは!」


先頭に立つ筋骨隆々の指揮官が、巨大な戦斧を構えて叫ぶ。


「総員、詠唱を開始しろ! 教頭先生の計画を邪魔する鼠どもを、最大火力で消し炭に変えろ!」


背後の魔導士たちが一斉に散開し、高密度の詠唱を紡ぎ始める。学園で教鞭を執る教師たちと同じ、威力と派手さだけを追求した長大な魔導句。

だが、彼らが口を開いた瞬間——その喉からは、一切の声が漏れ出さなかった。


「……ッ!? ……!?」


魔導士たちが自分の喉を掻きむしり、狼狽の表情を浮かべる。

僕がすでに、部屋全体の音を支配下に置いていたからだ。


強力な魔法ほど、長大で緻密な詠唱を必要とする。それがこの学園の、そして魔法至上主義者たちの絶対的な常識だ。だが、その詠唱という基盤そのものを奪われた時、彼らはただの無防備な標的に成り下がる。


「連携を指示する声も、魔法を紡ぐ言葉も、ここでは存在しない」


僕は短剣を抜き放ち、床を蹴った。

踏み込みの音すら響かない。完全な静寂の中を、滑るように敵陣の懐へと潜り込む。


先頭の指揮官が慌てて戦斧を振り下ろそうとするが、僕の姿を捉えきれていない。音のない世界において、視覚だけに頼る大振りの攻撃など、止まっているのも同然だった。


僕は指揮官の腕の隙間をすり抜け、無詠唱で練り上げた圧縮魔力の衝撃波を、その鳩尾へと叩き込む。


ドスッ、という鈍い感触すら外には漏れない。

巨漢の指揮官は目を見開き、声も上げられずに床へと崩れ落ちた。


「……ッ! ……!?」


魔導士たちが手振りの合図を交わそうと腕を上げた瞬間には、すでにその懐へ踏み込んでいた。


僕は影のように敵の間を縫い、無詠唱の魔弾を次々と急所へ撃ち込んでいった。膝、肩、頸動脈、魔力経路の結節点。命を奪う必要のある相手には刃を、そうでない者には的確な無力化の打撃を与える。


誰一人として、反撃の魔法を放つことすら叶わない。

派手な炎も、唸りを上げる雷撃も、詠唱を封じられた彼らの手からは一筋の火花すら生まれなかった。


わずか数十秒。

静寂が支配する部屋の中で、立っている敵は誰一人としていなくなっていた。


床に転がる無数の兵たちを見下ろし、ザッシュが呆然と呟いた。


「……声も出させず、魔法も使わせず、たった一人で制圧しちまうのかよ。威力至上主義の連中が見たら、泡吹いて倒れるぜ」


僕は短剣に付着した魔力の残滓を払い、鞘へと納めた。

派手な光も轟音もない。だが、確実に目的を達する力。表の学園で無能と切り捨てられたこの魔法こそが、僕の武器だ。


だが——まだ終わりではない。


倒れた指揮官の懐から転がり出た通信魔道具に、微かな魔力の明滅が残っていた。僕はそれを拾い上げ、耳元へと寄せる。


『……どうした、応答しろ! 地下の鼠どもは始末したのか!?』


通信の主は、間違いなくバイス教頭だった。焦燥に満ち、権威を失いかけた男の醜い怒声。


『クソッ、どいつもこいつも役に立たん! だが構わん、起爆が失敗しようと、学園中枢の防衛結界基幹さえ掌握すればこちらの勝ちだ……!』


通信が一方的に切断される。

教頭はすでに、学園の最深部にある中枢施設へと逃げ込んでいるようだった。


大爆発による壊滅という最悪の事態は防いだ。テロの第一波は、確実に僕たちの手で断ち切った。

だが、すべての元凶であるあの男が逃げ延びている限り、この戦いは終わらない。


「ザッシュ。ここは任せていいかい?」


「おう。残党の拘束と、通信の確保は俺が引き受ける。……行けよ、ルーク。落第生を切り捨てた連中に、本当の現実を教えてやれ」


ザッシュが不敵な笑みを浮かべ、僕の背中を押し出すように親指を立てた。


僕は静かに頷き、祭壇の奥へと続く長い上り階段を見据えた。

かつて僕を役立たずと蔑み、学園から追放した教頭。

その男が待つ最上層へ向け、僕は音もなく駆け出した。

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