第20話
危険を冒したのか。
彼女が危険を冒してまで託してくれた情報を無駄にするわけにはいかない。エリアの祈るような視線を背に受けながら、僕は闇に溶け込み、学園の深部へと歩を進めていた。
先ほどミラとの通信で得た情報は、状況を覆すための大きな希望だった。起爆用魔道具のネットワークを統括する制御装置を破壊すれば、学園中に仕掛けられた爆弾はすべて無効化できる。
教頭の狂気じみた計画を根本から叩き潰すため、僕は気配を完全に殺し、冷たい石造りの通路を音もなく駆け抜けていく。
地下へ続く階段の入り口で、僕は足を止めた。
通路の奥には幾重もの防御結界が張られ、重武装の精鋭部隊が密集している。少しでも魔力を波立たせれば、即座に蜂の巣にされるだろう。
冷たい石造りの壁に背を預け、僕は通路の奥を慎重に観察する。
等間隔に配置された魔晶石の灯りが、武装した男たちの影を長く伸ばしていた。彼らの装備は学園の警備兵のそれではない。裏社会で傭兵として名を馳せる者たち特有の、血と鉄の匂いが漂ってくる。
正面突破は自殺行為だ。だが、迂回するルートは存在しない。
ふと、これまでの日々が脳裏をよぎった。
ギルドに拾われてからの二重生活。表では相変わらず目立たない落第生として振る舞い、教師や特待生たちからの嘲笑に耐える日々。だが、裏に回れば、僕は新進気鋭の暗殺者として暗躍していた。
ジンに教え込まれた技術を駆使し、学園の優秀な生徒たちが束になっても苦戦するような凶悪な魔物を、誰にも気づかれずに切り捨てた夜。裏で甘い汁を吸い続ける汚職貴族の厳重な屋敷に潜入し、警備の目を掻き潜って標的を処理した任務。
最初は、自分の力が本当に通用するのか半信半疑だった。攻撃力ゼロの魔法。学園では何の価値もないと切り捨てられた能力。
しかし、ジンは僕の才能を見抜き、「お前の魔法は、裏の世界じゃ誰にも負けねえ最高の武器だ」と断言してくれた。
そして、先ほど救出したエリアの真っ直ぐな瞳が、僕の中に確かな熱を残していた。
表社会の象徴とも言える主席優等生の彼女が、名もなき暗殺者に向けた強い憧れと信頼。
その眼差しが、僕の自己評価を少しずつ前向きに変えていた。僕はもう、ただの無能な落第生じゃない。僕には、僕にしかできない戦い方がある。
しかし、目の前の現実は容赦なく重くのしかかる。
バイス教頭が引き起こした大規模なテロ計画。権威主義の権化である彼は、自らの理想とする学園を作り上げるため、無差別に生徒を巻き込む凶行に及んだ。
先ほど目にした光景が蘇る。表の騎士団や教師陣は、テロリストたちの連携された大規模詠唱の前に手も足も出なかった。彼らが誇る高火力の魔法は、発動する前に敵の組織的な妨害に遭い、次々と無力化されていった。学園は今、絶望的な危機に陥っている。
この防衛線を突破し、制御装置を破壊しなければ、すべてが終わる。
「おい、てめえ。こんな所で何油を売ってやがる」
背後から掛けられた荒々しい声に、僕は咄嗟に短剣を構えて振り返った。
暗がりから姿を現したのは、派手な装飾のコートを着た鋭い三白眼の青年。別組織の若手エース、ザッシュだった。
彼は好戦的な笑みを浮かべ、両手に濃密な魔力を滾らせている。
「ザッシュ……どうしてここに」
「決まってんだろ。前回の雪辱を果たしに来たんだよ。てめえのその小賢しい手品、今度こそ俺の火力で消し炭にしてやる」
ザッシュは一歩踏み出し、周囲の空気がビリビリと震える。
だが、彼の視線は僕だけでなく、通路の奥に陣取る精鋭部隊にも向けられていた。
「……と言いたいところだがな」
ザッシュは舌打ちをし、掌の魔力を少しだけ収めた。
「俺もあのクソ教頭のやり方は気に食わねえんだ。無差別な破壊なんざ、暗殺の美学に反する。それに、巻き込まれたガキ共を見殺しにする趣味もねえ」
彼は顎で奥の防衛線をしゃくった。
「てめえの目的も、あの奥にあるお宝……いや、学園の救済ってやつか?」
「制御装置を壊す。それだけだ」
「なら、話は早い。一時休戦だ。俺と組め」
予想外の提案に、僕は目を瞬かせた。
派手な魔法による圧倒的な破壊力こそが至高だと信じる彼が、地味な能力しか持たない僕に共闘を持ちかけてくるなんて。
「俺の火力で結界ごと吹き飛ばす。だが、あいつらの詠唱を全部潰すには手が足りねえ。てめえのその能力で、俺の死角をカバーしろ」
ザッシュの目は本気だった。敗北から学び、目的のために手段を選ぶ柔軟さ。それが彼の強さの根源なのだろう。
「わかった。背中は預ける」
「へっ、足手まといになったら容赦なく置いていくからな」
僕たちは並んで通路の角から飛び出した。
敵の精鋭部隊が即座に反応し、一斉に詠唱を開始する。
「吹き飛べぇっ!」
ザッシュが両手を突き出し、無詠唱に近い速度で灼熱の炎弾を放つ。
轟音と共に、最前列の防御結界がガラスのように砕け散った。
敵の陣形が崩れた瞬間、僕は影の中を滑るように駆け出した。
右手に魔力を集中させる。
「『消音』」
僕の周囲から一切の音が消え失せる。
足音も、衣擦れも、呼吸音すらも。
敵の遊撃手が僕に気づき、迎撃の魔法を放とうと口を開く。だが、その詠唱音は僕の領域に触れた瞬間、完全に無に帰した。
音が消えれば、魔法は発動しない。
混乱する敵の首筋に、無音のまま短剣の峰を叩き込む。一人、また一人と、音もなく崩れ落ちていく。
「オラオラオラッ! どうした、自慢の防衛線がスカスカじゃねえか!」
ザッシュが豪快に笑いながら、炎と雷の魔法を次々と叩き込む。彼の派手な攻撃が敵の注意を完全に引きつけているおかげで、僕は驚くほど容易に敵の死角へと入り込めた。
かつての敵同士。だが、その連携は奇妙なほど噛み合っていた。
ザッシュが破壊し、僕が沈黙させる。
光と影、轟音と無音が交錯し、強固だったはずの防衛線が次々と瓦解していく。
敵の指揮官らしき男が、ザッシュの背後を取ろうと回り込むのが見えた。
男の手には、すでに魔力が込められた長剣が握られている。
「ザッシュ、後ろだ!」
声を出さず、僕は石畳を蹴って跳躍した。
男が長剣を振り下ろそうとした瞬間、僕はその背後に着地し、無音のまま短剣を突き立てる。
男は悲鳴を上げることもなく、崩れ落ちた。
「チッ、余計な世話だ。俺一人でも対処できたぜ」
ザッシュは悪態をつきながらも、その表情には微かな笑みが浮かんでいた。
「ルーク、右だ!」
「わかってる!」
ザッシュの指示に合わせ、僕は右翼から回り込もうとした敵の増援を無音で刈り取る。
互いの実力を認め合っているからこそ成立する、ギリギリの連携。
やがて、最後の結界術師がザッシュの雷撃に焼かれ、通路に静寂が戻った。
僕たちは荒い息を吐きながら、最深部へと続く重厚な鉄扉の前に立った。
扉の向こうからは、これまでとは比べ物にならないほど濃密で、禍々しい魔力が漏れ出している。
「どうやら、ここからが本番らしいな」
ザッシュが口元を拭いながら、獰猛な笑みを浮かべる。
「ああ。制御装置は、この奥だ」
僕は短剣を握り直し、懐中時計の冷たい感触を再び確かめた。
ライバルとの共闘により、最深部への扉は開かれた。
だが、その先で待ち受ける敵の精鋭部隊を、僕たちはどう打ち破るのか。
重い金属音を立てて、扉がゆっくりと開き始めた。




