第19話
僕は無音の刃を握り直し、さらなる深淵へと足を踏み入れた。次なる標的は、この惨劇を作り出した首謀者たちだ。僕の戦いは、まだ始まったばかりだった。
薄暗い廊下を、足音一つ立てずに進んでいく。窓の外からは、依然として遠くで戦闘の気配が感じられる。時折、夜空を焦がすような赤い閃光が走り、遅れて鈍い爆発音が腹の底を揺らした。
学園を制圧したテロリストたちの前では、高火力の魔法を誇る教師陣も、重武装の騎士団も無力だった。彼らの大規模な結界と連携した詠唱の前に、表社会の象徴たる力はことごとく粉砕されている。
威力がすべてを決めるという学園の常識は、実戦という残酷な現実の前にあっけなく崩れ去っていた。
だが、僕にとっては違う。
裏社会に足を踏み入れてから、僕は数々の任務をこなしてきた。表では相変わらず目立たない落第生として振る舞いながら、夜の闇に紛れては、学園の優秀な生徒たちが苦戦するような凶悪な魔物や、裏で甘い汁を吸う汚職貴族たちを次々と処理してきた。
派手な閃光も、鼓膜を揺らす轟音も必要ない。
誰にも気づかれずに命を刈り取る術を、僕はすでに知っている。
角を曲がった先で、見張りのテロリスト二人が談笑していた。
「騎士団の連中、案外脆かったな」
「ああ。教頭の言う通り、温室育ちの坊ちゃん嬢ちゃんばかりだ」
僕は息を殺し、背後から近づく。
「……『消音』」
発動の気配すら消し去り、二人の首筋に手刀を叩き込む。声も立てずに崩れ落ちる体を静かに床へ横たえ、僕はさらに奥へと進んだ。
彼らが信奉する力など、闇の中では何の役にも立たない。
◆ーーーー◆
「そこまでだ、お嬢ちゃん」
特別教室の片隅で、エリアは壁を背にして荒い息を吐いていた。
透き通るような銀髪は乱れ、常に完璧に着こなしていた指定制服の袖は無残に破れている。目の前には、下卑た笑みを浮かべる三人のテロリストが立ち塞がっていた。
「大人しく捕まれば、痛い思いはさせない。お前は学園の主席だ。いい人質になる」
男の言葉に、エリアは唇を強く噛み締める。
彼女が信じてきた正義や秩序は、この数時間で完全に崩壊していた。弱者を理不尽に虐げることは許さない。そう信じて疑わなかったのに、いざ圧倒的な暴力を前にすると、教師たちは逃げ惑い、ルールは何の役にも立たなかった。
自分が優等生として守ってきた学園のルールが、いかに脆いものだったのか。
才能や環境だけで片付けられることを嫌い、必死に努力して築き上げた地位。それが今、無残に踏みにじられようとしている。
(誰か……)
恐怖で膝が震える。だが、彼女の脳裏に浮かんだのは、頼りになるはずの騎士団でも、権威ある教師でもなかった。
かつて自分を窮地から救い出してくれた、あの漆黒の装束を纏った影。
理不尽な暴力から弱者を守る、名も知らぬ暗殺者。
(お願い、助けて……!)
男が杖を振り上げ、エリアに手を伸ばしてきた、まさにその時だった。
視界の端で、黒い影が揺れた。
風切り音すらない。男の腕が不自然な角度で折れ曲がり、声にならない悲鳴を上げる間もなく、その巨体が床に沈み込む。
残る二人が慌てて杖を構えようとしたが、遅かった。
影は滑るように二人の間をすり抜け、無音の打撃を急所に叩き込む。
わずか数秒。
三人のテロリストは、何が起きたのかも理解できないまま意識を刈り取られていた。
「怪我はないか」
低く変えられた声。
エリアは目を見開き、その場にへたり込んだ。
「あなた……先ほど、中央階段へ逃げろと指示してくれた……」
漆黒の装束。顔を隠すマスク。間違いない。彼女がずっと心の中で待ち望んでいた存在だった。
「なぜ指定したルートから外れた。あそこなら安全だったはずだ」
僕は少しだけ咎めるような響きを混ぜて問いかけた。せっかく避難させたのに、自ら危険地帯へ舞い戻ってくるとは思わなかった。
「申し訳ありません。でも、どうしても確かめたいことがあって……」
エリアの青い瞳に、強い意志の光が宿る。ただ守られるだけの優等生で終わるつもりはないという決意が窺えた。
「私、役に立てるかもしれません。ずっと、変な音が聞こえていたんです」
僕は背を向けかけていた足を止めた。
「音?」
「はい。不快な耳鳴りのような……。避難する途中、それが地下の第三区画から強く響いてくることに気づいたんです。テロリストたちが現れてから、ずっと」
僕は目元を細めた。
優等生を襲っていた原因不明の耳鳴り。それがテロリストの仕掛けた特殊な魔法の波長だとすれば、地下に何かがある。彼女はそれを突き止めるために、あえて危険を冒したのか。
耳元の通信魔道具が、微かに振動した。
『聞こえる、ルークくん?』
ミラの明るい声が鼓膜を打つ。
『彼女の情報、ビンゴみたい。こっちで魔力波長を解析したんだけど、地下第三区画に起爆用魔道具のネットワークを統括する制御装置があるわ』
「制御装置……」
『ええ。それを壊せば、学園中に仕掛けられた爆弾はすべて無効化できる。教頭の計画も台無しってわけ』
僕は小さく頷いた。
「わかった。すぐに向かう」
通信を切り、エリアを振り返る。
「有益な情報だった。感謝する」
「どうか、ご無事で」
彼女の祈るような視線を背に受けながら、僕は再び闇へと溶け込んだ。
制御装置の場所は判明した。
テロの首謀者であるバイス教頭の企みを潰すための、明確な道筋が見えた。
だが、地下へ続く階段の入り口に辿り着いた僕は、思わず足を止めた。
通路の奥には、幾重にも張り巡らされた防御結界と、重武装の精鋭部隊が密集している。
これまでの見張りとは次元が違う。完全に統率された、強固な防衛線。
少しでも魔力を波立たせれば、即座に蜂の巣にされるだろう。
僕は懐中時計の冷たい感触を確かめながら、深く息を吸い込んだ。




