第15話
眼下で繰り広げられる惨劇を、僕は時計塔の屋根から見下ろしていた。
すでに中庭は巨大な氷柱によって無惨に穿たれ、退路を断つ雷撃の爪痕が黒く焦げ付いている。前触れもなく始まったテロリストたちの襲撃は、瞬く間に学園の美しい石造りの校舎を瓦礫の山へと変えてしまった。
学園全体を覆う強固な結界のせいで、外部の騎士団は近づくことすらできていない。頼みの綱であるはずの教師たちも、敵の圧倒的な物量と組織的な魔法攻撃の前に次々と地に伏し、防衛線は完全に崩壊していた。
僕はこれまで、表社会では目立たない落第生として振る舞いながら、裏社会では新進気鋭の暗殺者として暗躍してきた。学園の優秀な生徒たちが束になっても苦戦するような裏の魔物や、甘い汁を吸う汚職貴族たちを、誰にも気づかれることなく処理してきた。
その二重生活の中で、自分の異能には確かな価値があると信じられるようになっていた。
だが、今目の前で起きているのは次元が違う。
テロリストたちは、学園という組織そのものを根底から破壊しようとしている。
僕一人で、この状況を覆せるのか。
迷いを振り切るように、僕は屋根を蹴った。
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風を切り裂きながら降下する中、鋭い悲鳴が耳に届いた。
視線を向けると、中庭の片隅で銀髪の少女が膝をついていた。学園の主席優等生、エリアだ。
彼女は激しい耳鳴りに顔を歪めながらも、背後に震える下級生たちを庇うように両手を広げている。
その正面には、巨躯を誇る異形の魔獣と、それを操るテロリストが立っていた。
「弱者を理不尽に虐げることは許さない……!」
エリアは気丈に叫ぶが、その声は微かに震えていた。彼女が信じてきた表社会の正義や秩序が、圧倒的な暴力の前に崩れ去ろうとしている。
テロリストは嘲笑いながら、手元の杖を振り上げた。
僕は空中で魔力を練り上げ、空間の音を奪う。
敵が炎の魔法を紡ごうとした瞬間、その詠唱は完全な無音に飲み込まれた。
「な、なんだ……声が……」
不発に終わった魔法に敵が驚愕する。その隙を突き、僕は背後から忍び寄り、音もなく首筋を刈り取った。主を失い暴走しかけた魔獣も、僕の短剣が急所を貫き、声すら上げずに崩れ落ちる。
「あなたは……」
エリアが目を見開く。以前彼女を救った時のように、その瞳には黒装束の僕に対する確かな信頼が宿っていた。
だが、再会を懐かしむ余裕はない。彼女は依然として激しい耳鳴りに顔を歪め、苦しげに耳を塞いでいる。僕の異能で周囲の音を奪ったはずなのに、彼女を苛む不快な音だけは消し去ることができていない。
物理的な音ではなく、魔力そのものが鼓膜を直接揺らしているのだ。僕は原因を探るべく、何も言わずに彼女の前から姿を消した。
◆ーーーー◆
エリアを苦しめていた耳鳴り。その発生源は、学園の地下から発せられる特殊な波長だ。
僕は単独で地下施設へと潜入した。
冷たい石造りの通路を進むと、開けた空間に出た。そこで待ち受けていたのは、派手な装飾のコートを着た鋭い三白眼の青年だった。
「てめえが最近裏でコソコソ嗅ぎ回ってるネズミか」
別組織の若手エース、ザッシュ。
「俺の魔法で、派手に消し炭にしてやるよ!」
ザッシュは好戦的な笑みを浮かべ、両手に膨大な魔力を集め始めた。彼の周囲の空気が熱を帯び、爆発的な破壊力を予感させる。
だが、僕は冷静に異能を展開した。
ザッシュの口が動き、大仰な詠唱が紡がれるはずだった。しかし、空間には何の音も響かない。
「なっ……!? なんで発動しねえんだ!」
焦燥に駆られた彼が再び魔力を練り直そうとするが、結果は同じだ。音が消えれば、詠唱は成立しない。
僕は足音すら立てずに彼の懐へ潜り込み、柄で鳩尾を打ち抜いた。
「がはっ……てめえ、何しやがった……」
ザッシュは床に崩れ落ち、屈辱に顔を歪めながら意識を手放した。
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ザッシュを退け、さらに奥へと進む。
重い鉄扉を押し開けた先で、僕は息を呑んだ。
広大な地下空間の壁という壁に、無数の起爆用魔道具がびっしりと設置されていたのだ。中央の制御盤からは、不気味な紫色の光が脈動するように放たれている。
その時、制御盤に備え付けられた通信機から、聞き覚えのある声が響いた。
『外部の騎士団も、学園の教師共も、我らの大規模詠唱の前には手も足も出まい』
バイス教頭だ。
『この学園は一度破壊し、真の力を持つ者だけの学び舎として生まれ変わるのだ』
権威主義の権化である彼が、このテロ計画の首謀者だった。
僕は目の前の光景に立ち尽くした。
起爆用魔道具の数は、ざっと見積もっても数百。僕の異能で一つや二つの音を消し、起爆を遅らせることはできても、これほどの数を同時に無効化することは不可能だ。
僕一人の力では、どうにもならない。
冷たい絶望が、足元から這い上がってくる。
この巨大な悪意を前に、僕の暗殺術は何の役にも立たないのか。
紫色の光が、無機質に僕の顔を照らしていた。




