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第14話

冷たい夜風が、窓の隙間から吹き込んでくる。

胃の奥が鉛のように重く、冷たくなっていった。

問題は何も解決していない。

ただ、底知れぬ無力感と、暗い予感だけが、僕の心を黒く塗りつぶしていく。

僕は闇の中で、ただ立ち尽くすことしかできなかった。


学園が完全に封鎖され、地下の増幅陣が起動した今となっては、すべてが遅すぎた。なぜこんな最悪の事態を防げなかったのか。無力感に沈む中、僕の脳裏にテロが起きる少し前の記憶が蘇る。

あの日、僕は感情を奥底に押し込め、仮初めの日常を過ごしていた。表では相変わらず目立たない落第生として振る舞いながら、裏では新進気鋭の暗殺者として暗躍する二重生活の最中だった。

思い返せば、予兆はあった。学園の演習林で行われた合同訓練。鬱蒼と茂る木々の間で、金髪を綺麗に撫でつけたレオンが、中級の魔物である装甲ボアを前にして無様に足掻いていた。


「くそっ、なぜ僕の炎が効かない!」


彼が大仰な身振りで長い詠唱を紡いでいる間にも、魔物の鋭い牙が迫る。僕は木々の陰に潜み、自身の気配を完全に断ち切った。

右手に握った短剣を構える。


「……消音」


指定した空間の音をゼロにする。足音も、衣擦れも、刃が風を切る音すらも存在しない。

放たれた短剣は、誰にも気づかれることなく魔物の急所である眼球を正確に貫いた。直後、レオンの放った炎が崩れ落ちる魔物を包み込む。


「見たか! これが特待生である僕の力だ!」


自分が倒したと信じて疑わないレオンの傲慢な声が響く。周囲の生徒たちも感嘆の声を上げていた。僕はただ、無言でその場を立ち去った。

夜になれば、黒装束に身を包み、裏社会で甘い汁を吸う汚職貴族たちを次々と処理していった。厳重な警備網も、僕の魔法の前では意味を成さない。音のない暴力で標的を闇に葬り去るたび、僕の暗殺者としての評価は確固たるものになっていった。


◆ーーーー◆


しかし、学園を覆う不穏な空気は日増しに濃くなっていた。


「おい、ルーク。なんか最近、息苦しくないか?」


中庭のベンチで、制服を少し着崩したトムが周囲を見回しながら呟いた。彼のそばかす顔には、いつものお調子者らしい笑顔はない。


「息苦しい?」


「ああ。なんつーか、見えない壁に囲まれてるみたいな……。それに、騎士団の連中もピリピリしてて、嫌な感じだ」


トムの直感は正しかった。バイス教頭が、不自然なまでに権力を振りかざし始めていたのだ。彼は学園の警備体制を勝手に変更し、優秀な騎士たちを外周部へと追いやり、自分の息のかかった者たちを中枢に配置していた。


「そこをどけ、落ちこぼれども」


冷たい声と共に、レオンが取り巻きを引き連れて歩いてきた。彼は胸元のバッジを見せびらかすように胸を張り、僕たちを見下ろす。


「君たちのような無能が、この学園の空気を汚しているんだ。教頭先生も、近いうちに大規模な粛清を行うと仰っていたよ。せいぜい今のうちに、学園の空気を吸っておくことだね」


魔力の高さが人間の価値だと信じて疑わない彼は、強者には媚び、弱者を徹底的に痛めつける。バイス教頭の真の目的など知る由もないまま、虎の威を借る狐として振る舞っていた。


◆ーーーー◆


その夜、僕は学園の旧校舎裏で、信じられない光景を目にした。

主席優等生であるエリアが、黒い外套を着た三人の男たちに囲まれていたのだ。彼らの手には、見慣れない形状の杖が握られている。


「大人しくしろ。お前のような魔力の高い生徒は、計画の素晴らしい贄になる」


男の一人が、短い詠唱と共に拘束魔法を放とうとした。

僕は反射的に動いていた。


「……消音」


空間の音を完全に奪い去る。男の口から紡がれるはずの詠唱音は虚空に消え、魔法は不発に終わった。


「なっ……!? 魔法が発動しない!?」


男たちが混乱した隙を突き、僕は死角から忍び寄る。手刀で一人目の意識を刈り取り、二人目の膝裏を蹴り砕き、三人目の顎を柄で打ち抜く。

わずか数秒。音のない暴力が、路地裏を制圧した。


「……あなたは」


へたり込んでいたエリアが、月明かりに照らされた僕の黒装束を見上げた。その瞳に恐怖はない。あるのは、圧倒的な力に対する強い憧れだった。

表社会の象徴とも言える彼女が、裏社会の存在である僕に救いを求めている。その事実が、僕の心を少しだけ軽くした。僕の力は、誰かを守ることもできるのだ。

僕は正体を明かすことなく、無言で闇の中へと溶け込んだ。


◆ーーーー◆


その足で、僕は王都の片隅にあるガルドの工房を訪れた。

テロに対抗するため、少しでも装備を整えておきたかったからだ。


「焦ってんな、坊主」


煤にまみれた作業着姿のガルドは、僕が持ち込んだ短剣を砥石に当てながら、ぶっきらぼうに言った。


「……焦ってなんかいません」


「嘘をつけ。刃こぼれの仕方が、いつもより荒い。力任せに振ってる証拠だ」


ガルドは筋骨隆々な腕を組み、鋭い眼光で僕を射抜いた。


「お前一人で全てを背負い込むな。道具ってのは、使い手の心に呼応するもんだ。心が乱れてりゃ、どんな名剣もただの鉄くずになる」


偏屈で無愛想な職人の言葉は、重く、そして確かな熱を持っていた。


「ありがとうございます」


僕は調整を終えた短剣を受け取り、工房を後にした。


◆ーーーー◆


しかし、ガルドの言葉を受けても、僕の心は晴れなかった。

学園に戻った瞬間、肌を刺すような悪寒が走った。

エリアが以前から訴えていた耳鳴りの原因——特殊な魔法の波長が、学園全体を完全に覆い始めているのを感じ取ったのだ。

空気が震え、空間そのものが歪んでいくような感覚。

圧倒的な危機が迫っている。

その直感は、最悪の形で現実となった。


ズドォォォンッ!


正門の方角から、鼓膜を破るような爆音が轟いた。

夜空を焦がすほどの巨大な火柱が上がり、学園を囲む防壁の一部が吹き飛ぶ。


「なんだ!? 何が起きた!」


寮から飛び出してきた生徒たちが、パニックに陥って逃げ惑う。

僕は屋根の上に飛び乗り、正門の状況を見下ろした。

そこには、数十人のテロリストたちが陣形を組み、大規模な詠唱を行っている姿があった。彼らの中心には、あのバイス教頭が立っている。


「愚かな者たちよ。今宵、この学園は生まれ変わるのだ!」


教頭の高笑いが響き渡る。

すでに通信で知らされていた通り、正門付近の制圧は完了していた。テロリストたちは歩みを止めることなく、学園の奥へと無慈悲な侵攻を開始する。彼らが無造作に放つ魔法は、通常の何倍もの威力と規模を持っていた。空を覆うほどの巨大な氷柱が校舎を穿ち、大地を割るような雷撃が逃げ遅れた者たちの退路を断つ。


「うわぁぁっ!」


「助けてくれ!」


外部の騎士団が結界に弾かれ、近づくことすらできない光景は、すでに確認済みだ。頼みの綱だった学園内の教師たちも、圧倒的な暴力の前に次々と地に伏していく。

学園を覆う特殊な波長は完全に定着し、外部からの救援も逃げ場も断たれた完璧な檻が完成してしまった。

僕は屋根の上で、ただその絶望的な惨状を見下ろすことしかできなかった。

「お前一人で全てを背負い込むな」

ガルドの言葉が脳裏をよぎるが、この状況で僕に何ができるというのか。

冷たい夜風が、僕の頬を撫でる。

胃の奥が鉛のように重く、冷たくなっていった。

結界の内に取り残された生徒たちと、暗躍するテロリストの先兵たち。

僕一人で、この巨大な悪意を覆せるはずもない。

底知れぬ無力感と、暗い予感だけが、僕の心を黒く塗りつぶしていく。


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