第13話
答えのない問いと、底知れぬ無力感だけが、静かな不安となって胸の奥に降り積もっていく。
僕はただ、闇の中で立ち尽くすことしかできなかった。
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時計塔の上から、僕は夜の王都を見下ろしていた。
冷たい風が黒装束を揺らす。眼下に広がる街の灯りは、どこまでも遠く、冷たく見えた。
ジンの言葉が耳の奥でリフレインしている。
正義の味方ごっこに付き合う気はない。
その通りだ。僕は裏社会の人間になった。表の事件に首を突っ込む権利などない。
それでも、胸のざわめきは収まらなかった。
僕は足音を消し、影から影へと跳躍しながら、ギルドの拠点へと向かった。
裏路地の奥深く、古びた酒場の地下にある隠し扉を抜ける。
薄暗い作戦室には、すでにジンとミラがいた。
いつもは飄々としているジンが、腕を組んで壁にもたれかかり、険しい目をしている。
ミラは棒付きキャンディを口に咥えたまま、机の上に広げられた大量の羊皮紙を睨みつけていた。
「戻ったか、ルークくん」
ミラの声は、いつになく硬かった。彼女の派手な装飾品が、魔石のランプの光を反射して鈍く光る。
「何か、分かったんですか」
僕が尋ねると、ミラは重々しく頷いた。
「君が言っていた見えない波長。そして優等生を襲った連中の正体。全部繋がったわ」
彼女は羊皮紙の一枚を指差した。それは、学園の地下構造を示す古い図面だった。
そこには、僕が見たこともない複雑な魔法陣の図形が、赤いインクでびっしりと書き込まれている。
「首謀者は、バイス教頭よ」
その名前に、僕は息を呑んだ。
僕を無能と見下し、退学に追い込もうとした男。
常に高価な魔法石の装飾品を身につけ、他者を見下すような細い目をしていた権威主義の権化。
彼が、なぜ学園を狙うような真似を。
「教頭は、学園を自分の完全な支配下に置こうとしているの」
ミラがキャンディを転がしながら説明を続ける。
「自分の価値観に合わない教師や生徒を徹底的に排除し、権力と富を独占するためにね。でも、表向きの権限だけじゃ限界がある。だから、外部の過激派組織を引き入れた」
過激派組織。彼らは強力な古代魔法の復元を掲げ、手段を選ばない危険な集団だ。
「教頭は彼らと結託し、学園の地下に大規模な魔力増幅陣を敷き詰めていたのよ。あの耳鳴りは、陣の起動準備に伴う微弱な漏出波だった。教頭が自らの権限で監査の目を誤魔化し、防衛システムに細工をしていたから、誰も気づかなかった」
ジンが鼻で笑った。
「権力に縋るしか能がない男が考えそうなことだ。自分の地位を脅かす才能を恐れ、力ずくで押さえつけようとする。常識という名の檻に閉じこもり、外の世界の恐ろしさを知ろうともしない」
ジンの声には、深い嫌悪が滲んでいた。
表社会の権威や常識を盲信する者たちへの、彼なりの怒りだ。
その時、ミラの傍らに置かれた通信用の魔道具が、けたたましいノイズを発した。
ミラが顔色を変え、魔道具に手をかざす。
「……始まったわ」
彼女の声が、作戦室の空気を凍らせた。
「連中、学園を封鎖した。地下の増幅陣が完全に起動したみたい」
魔道具から漏れ聞こえる断片的な報告が、事態の深刻さを物語っていた。
テロリストたちが一斉に蜂起し、学園の要所を制圧。
彼らは増幅陣の力を利用し、何十人もの魔術師による規格外の大規模詠唱を行っているという。
「強力な結界が展開されて、学園は外界から完全に遮断されたわ。表の騎士団が突入を試みているけど、結界の反発力で吹き飛ばされている。近づくことすらできていない」
ミラは苦々しい表情で図面を叩いた。
「内部の教師陣も、手も足も出ない状況よ。連中の詠唱規模が大きすぎて、通常の魔法じゃ相殺できない。結界の内側は、完全にテロリストの支配下にあるわ」
僕は愕然とした。
あの学園が、陥落した。
魔力の威力がすべてを決める、絶対的な力を持つはずの場所が。
僕の脳裏に、トムの顔が浮かんだ。
不器用に僕を励ましてくれた、悪友の笑顔。
そして、エリアの姿。
僕の正体を知らないまま、感謝を伝えてくれた彼女。
彼らが、あの結界の中に閉じ込められている。
「……行かないと」
無意識のうちに、声が出ていた。
足が扉へ向かって動く。
だが、その前に黒いコートの男が立ち塞がった。
「どこへ行く気だ」
ジンの声は、氷のように冷徹だった。
「学園です。このままじゃ、みんなが……」
「言ったはずだ。俺たちは依頼を受けて動く。正義の味方ごっこに付き合う気はないとな」
ジンは鋭い三白眼で僕を見下ろした。
「これは表社会の問題だ。権力闘争の末路に過ぎない。ギルドとして、無報酬で表立って介入することはできない」
「でも、教頭のやり方は間違っています! あんなことのために、関係ない生徒まで巻き込むなんて」
「それがどうした」
ジンの言葉が、僕の胸に深く突き刺さる。
「あんたを無能と切り捨てた連中だぞ。自分たちの基準に合わない者を排除し、権威に縋るしか能がない連中が、自分たちの招いた結果で滅びようとしている。自業自得だろうが」
反論できなかった。
確かに、学園は僕を否定した。
魔力の威力がすべて。派手さがすべて。
そんな基準で僕を測り、不要なゴミとして捨てようとした。
バイス教頭はその象徴だ。彼が破滅しようと、僕には関係のないことのはずだ。
「あんたの才能は、裏の世界でこそ最も輝く。一度拾った才能は最後まで面倒を見るのが俺の主義だ。だからこそ、つまらない感情で命を捨てるような真似は許さない」
ジンは一歩近づき、僕の肩を掴んだ。
その手には、確かな力が込められていた。
彼の目には、僕が精神を壊し、才能を無駄にして死んでいくことへの強い恐れが潜んでいるように見えた。
「掟を破れば、お前はここにも居られなくなる。表にも裏にも、お前の居場所はなくなるんだぞ」
居場所。
その言葉が、鉛のように重くのしかかる。
僕の力は、このギルドでようやく認められた。
気配を絶つ技術。呪文の音を消すこと。
それらを駆使して、僕は自分の価値を見出した。
ここを失えば、僕はまた、何もない落第生に戻ってしまう。
誰からも必要とされない、孤独な日々に。
ミラが、悲しそうな目で僕を見ていた。
「ルークくん。冷たいようだけど、ジンの言う通りよ。私たちが動けば、組織全体の存亡に関わるわ。裏社会の人間が、表の大きな事件に介入すれば、必ず報復を受ける」
彼女の言葉は理にかなっていた。
僕たちは日陰者だ。光の当たる場所で正義を気取ることは許されない。
僕は拳を強く握りしめた。
爪が掌に食い込み、鈍い痛みが走る。
窓の外を見る。
王都の夜景の向こう、学園がある方角の空が、不気味な赤紫色に染まっていた。
結界の光だ。
あの中で、今この瞬間にも、誰かが傷ついているかもしれない。
トムが怯えているかもしれない。
エリアが絶望しているかもしれない。
助けたい。
でも、どうやって?
一人で乗り込んだところで、何ができる?
相手は大規模な詠唱を操る武装組織だ。
表の騎士団すら無力化されている状況で、攻撃力ゼロの僕が、どうやってあの結界を突破し、彼らを救うというのか。
「……」
声が出なかった。
足が床に縫い付けられたように動かない。
ジンの言う通りだ。僕には、世界を救うような力はない。
ただ、音を消すだけの、ちっぽけな異能。
裏社会の暗がりでしか生きられない力だ。
「頭を冷やせ」
ジンは僕の肩から手を離し、背を向けた。
「俺たちはプロだ。引き受けた依頼は最後までやり遂げるが、それ以外のものには手を出さない。それが、この世界で生き残るためのルールだ」
作戦室に、重苦しい沈黙が降りた。
ミラの舐めているキャンディの棒が、微かに揺れる音すら聞こえない。
僕の魔法が発動しているわけではない。
ただ、誰も言葉を発することができないだけだ。
窓の外で、赤紫色の光がさらに強くなった。
学園崩壊のカウントダウンは、確実に進んでいる。
僕は自分の両手を見つめた。
黒装束に包まれたこの手は、誰かを救うためのものではない。
暗闇から忍び寄り、命を奪うためのものだ。
孤立無援。
ギルドの支援はない。
表社会の大人たちは無力。
僕一人で、この危機に立ち向かう術など、どこにもない。
冷たい夜風が、窓の隙間から吹き込んでくる。
胃の奥が鉛のように重く、冷たくなっていった。
問題は何も解決していない。
ただ、底知れぬ無力感と、静かな不安だけが、僕の心を黒く塗りつぶしていく。
僕は闇の中で、ただ立ち尽くすことしかできなかった。




