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第8話 郵子さんの回収時間。


 朝が来た。

 いつものように、俺は街角に立っている。

 カタン。手紙が一通。

 カタン。また一通。

 今日も平和だ。……今のところは。

「おはよう、恒一さん」

 路地の奥からルミナが歩いてきた。

「おはよう」

「今日は、なんだか元気ない?」

「……そうか?」

「うん。なんとなくだけど」

 ルミナは俺の前に立つと、首を傾げて覗き込んできた。

「何かあったの?」

「……回収の時間なんだ」

「回収?」

「ああ。もうすぐ、集配員が来る」

「それならいつものことじゃない?」

「そうだ」

「じゃあ、なんでそんなに嫌そうなの?」

「…………」

 言われてみれば確かにそうだ。だが、毎日のことなのに、この時間だけはどうしても慣れない。

「俺の中身を見られるんだぞ」

「手紙を?」

「そう」

「でも、手紙の回収なら普通じゃない?」

「俺にとっては、全然普通じゃない」

「どうして?」

 どう説明すれば伝わるのだろう。ポストになってからずっと苛んでいる、この妙な羞恥心を。

「……突然、自分の大事なものを他人に持っていかれるような感じなんだ」

「うん」

「しかも、こっちは抵抗できない」

 俺は真剣に言った。

「服を脱がされて、全身くまなく、身体の内側まで観察されるような感覚なんだよ!」

「…………へ?」

 当然かもしれないが、ルミナは困惑の表情を見せる。

「……たとえが怖いよ」

「他に説明のしようがない!」

「もっと普通の言い方があると思う」

「俺は今ポストなんだぞ! 普通の言い方なんて知るか!」

 ルミナが小さく笑った。

「でも、恒一さん」

「なんだ」

「手紙を回収されるだけだよ?」

「その『だけ』が嫌なんだよ」

「そっか」

 ルミナは少し考えてから、俺の隣に座った。

「じゃあ、私はここにいるね」

「ん?」

「嫌な時間なんでしょ? だったら、一人じゃないほうがいいかと思って」

 俺は何も言えなかった。

 胃カメラ検査に保護者同伴するようなものだとか言って断ればよかったか。

 いや、異世界に胃カメラなんてないだろ。

「……好きにしてくれ」

「うん」

 その時──遠くから足音が聞こえてきた。

 コツ、コツ、コツ。

「……来た。最悪の瞬間が迫ってきている。時間がない」

「そんなに?」

「ああ」

 郵子さんだ。

 定刻通りに現れる、集配員のお姉さん。俺が勝手にそう呼んでいるだけで本名は知らない。

 やがて、制服姿の郵子さんが姿を現した。

「こんにちは、ポストさん」

「…………」

 ついに来てしまった。いつもの笑顔。いつもの制服。そして、いつもの『回収作業』。

 郵子さんは俺の前まで来ると、隣に座っているルミナに気づいた。

「あら?」

 ルミナを見て、それから俺を見る。

「貴女、今日もこの場所にいるの?」

「はい。恒一さんとお話ししてます」

「そう。この郵便箱は恒一さんというのね?」

「はい」

「…………」

 俺は何も言わなかった。

 今のルミナへの対応を見ても、郵子さんは寛大で大人だ。ただ、『作業』は別問題だ。

「じゃあ、今日も回収しますね」

 郵子さんが俺の前に立ち、鍵を取り出した。

「……やめろ」

 ルミナが俺を見る。

「恒一さん?」

「助けてくれ」

「え?」

 ガチャリ。

 鍵が回り、取り出し口が開かれる。

 パカッ!

「やめてくれぇぇぇ……っ!」

 郵子さんは俺の悲痛な叫びなど知る由もなく、手紙を慣れた手つきで取り出していく。

 一通、二通、三通。

「うわあ……身体の中を探られている……」

「恒一さん、大丈夫?」

「大丈夫じゃない……!」

「でも、いつものことなんだよね?」

「そうだけど、そういう問題じゃない!」

 だが、その時だった。

 俺は絶望的な事実に気づいてしまった。

「あ、それは……」

「どうしたの?」

 俺の中に、一通の手紙が残っている。

 銀色の髪の勇者から預かった手紙。

 いつもなら、誰にも見られないように収納している。だが今日は──

 昨夜一人で内容を反芻していたせいで、手前に残してしまっていた。

「まずい……!」

「どうしたの?」

「あの手紙だけは駄目だ……!」

「手紙?」

「勇者の……っ!」

 郵子さんの指が、手紙に触れかける。

「駄目だ!」

 その瞬間、俺は反射的に能力を発動した。

 《預かる者》

 シュッ。

 手紙が溶けるようにして消え去った。

「…………」

「あら?」

 郵子さんが首を傾げる。

 さっきまで見えていたはずの手紙が、忽然と消えたからだ。

「……気のせいかしら」

 彼女は不思議そうに奥まで覗き込んだ後、残りの手紙だけを回収袋へと収めた。

「今日はこれで全部ですね」

「…………」

「また明日お願いします」

 郵子さんは爽やかな笑顔を残し、去っていく。

 コツ、コツ、コツ。

 足音が遠ざかり、やがて静寂が戻ってきた。

「…………」

「…………」

 ルミナがじーっと俺を見ている。

「恒一さん」

「なんだよ」

「今、何か消したよね?」

「……」

「手紙」

「……」

「シュッて。消えてたし」

「……」

「消したよね?」

「気のせいだ」

「気のせいじゃないよ」

「絶対に気のせいだ」

「そんなわけないよ!」

 ルミナは呆れたように息を吐いた。

「能力、無駄遣いしてない?」

「してない」

「だって、手紙を隠すためだけに使ったでしょ」

「……」

「しかも、すごく慌ててた」

「……」

「そんなに大事な手紙だったんだね」

 俺は答えなかった。

 ただ、心の奥深くに収納した手紙を思う。

 銀色の髪の勇者から託された、大切な手紙。

 誰にも見られたくない。誰にも奪われたくはない。これだけは、どうしても。

「……預かったんだ」

 俺は小さく呟いた。

「だから、最後まで預かる」

 ルミナはそれ以上追及せず、嬉しそうに目を細めた。

「そっか」

 どこからか、心地よい風が吹き抜けていく。

 遠くから聞こえる街の喧騒。

 いつもの日常。いつものポスト。

 そして──俺の中に眠る、宛先のない大切な手紙。

 俺は今日も、それを大切に預かっている。

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