第6話 無機物と話す少女。
朝が来た。
俺は、昨日の声をまだ覚えていた。
『大丈夫。ちゃんと届いています』
あの一言が、妙に頭に残っている。
あのピンクの髪の少女は、一体何者なんだろう。
そんなことを考えていると、銀色の髪が視界に入った。
今日もあの勇者の少女がやってきた。
「おはよう」
短く挨拶をして、いつものように手紙を入れる。
カタン。
「……今日も、お願いね」
それだけ言い残すと、彼女は慌ただしく去っていった。いつもより滞在時間がかなり短い。
遠出でもするのだろうか。
俺は預かった手紙の内容に意識を向けた。
──今日は、少し遠い場所まで行ってきます。
──たぶん、夕方には戻れると思います。
──また、来ます。
短く素朴な文章。
だが、ちゃんと『また来る』と書いてある。俺はその手紙を大切に内部へ納めると、ぼんやりと空を見上げた。
その時だった。路地の方から、小さな足音が近づいてくる。
「……ポストさん」
声がした。昨日の、あの声だ。
ピンク色の髪をした少女が、俺の前にちょこんと立っていた。地味な服に、どこか影のある表情。
そして、左右で色の違う瞳。
少女は周囲を確認すると、誰もいないことを確かめてから俺に向き直った。
「おはよう。ポストさん」
「…………」
どう反応すればいいんだ。ポストさん、って。
「昨日は、急に話しかけてごめんね」
少女は少し申し訳なさそうに続けた。
「でも、どうしても伝えたくて」
「…………」
「あの人の手紙、ちゃんと届いてるって」
俺は思わず考えた。
……聞こえてるのか?
その瞬間、少女の目がパッと大きく見開かれた。
「……もっと、はっきり」
「え?」
「私に伝えたいことを、はっきりと言ってください」
間違いない。この少女、俺に話しかけている。
まさか心の声が届いているのかだろうか。
俺は試しに、意識を集中して強く念じてみた。
「……聞こえてるのか? 俺はポストマンだ!」
少女が、ゆっくりと頷く。
「……うん。聞こえる。ポストマンって何?」
「本当に聞こえてるのか? ちなみに、ポストマンに深い意味はない」
「そっか。名前かと思った」
少女は少しだけ首を傾げると、ふわりと微笑んだ。
「私はルミナ」
「……俺は、恒一」
「恒一さん」
「なんでさん付けなんだよ」
「なんとなく。年上かなって」
「なんとなくかよ」
思わずツッコんでしまった。
ポストと少女。普通なら成立するはずのない会話が、スムーズに成立している。
「……俺の声、本当に聞こえてるんだな」
「うん」
ルミナは当たり前のように頷いた。
「無機物の声というか……モノに宿る想いというか。そういうのが聞こえるの」
「無機物の声?」
「うん」
ルミナは少しだけ視線を落とした。
「普通の人には、変な子って言われるけど」
そう言って小さく笑う。
無理もない、今だって道端のポストと楽しそうに会話しているのだから。けれど、その笑顔はどこか寂しげだった。
俺は思った。この子も、俺と同じなのかもしれない。
ポストではない。けれど、周囲の普通からは少し浮いてしまっているのだ。
「……ルミナは、ずっとこうなのか?」
「生まれたときから」
「じゃあ、頭の中が一日中やかましいだろ」
「うん」
ルミナはあっさり頷いた。
「でも、人と話すより、物と話してる方が楽だから」
「……そうなのか」
「私には、魔法の才能がないみたいだから」
淡々とした言い方だった。だが、その軽さが逆に引っかかる。
才能がない。ポストの俺に魔法の才能とかは分からないが──ただ、一つだけ言えることがある。
俺の声を聞けるんだから、少なくとも『何も持っていない』わけがないだろ。
(……俺なら、力になってやれそうな気もする)
「え?」
しまった。声に出してないのに。
「今、力になってくれるって言った?」
「……聞こえてんのかよ」
「うん」
ルミナが、嬉しそうに笑った。
「ふふ」
「何がおかしいんだ?」
「ううん。嬉しいなって」
そう言って、ルミナは俺の前にしゃがみ込んだ。
「ねえ、恒一さん」
「なんだよ。いきなり距離感が変わったな」
「また、来てもいい?」
俺は少しだけ考えてから答えた。
「俺はずっとここに固定されてて、動けないからな」
「ポストだものね」
「それは否定できない」
ルミナは満足そうに頷いた。
「じゃあ、また来るね」
そう言って立ち上がると、去り際に一度だけ振り返る。
「今日は、話せてよかった」
俺は心の中で、そっと返した。
……俺もだ。
ルミナは手を振ると、路地の奥へ消えていった。
俺はその背中を見送る。そしてまた、静かな街角に一人残された。
「…………」
変な奴と仲良くなってしまった気がする。
でも、悪くなかった。
ポストになってから、初めて誰かと対等に「会話」した。相手もお世辞にも普通とは言えない少女だったけれど。
「また来る、か」
俺は小さく呟いた。
今日も、悪くない一日になりそうだった。




