第56話 ボク、だいすき!
(……今しかない)
ユーが部屋の奥にある資材庫へ引っ込んだ。
仰向けに転がっていた俺は、ぎぃぎぃと音を立てて身体を起こした。
机の縁まで歩き、恐る恐る下を覗き込む。
(……高っけぇぇぇぇ!?)
高さ七十センチほどの、ただのオフィスデスク。
だが、今の俺にとっては、断崖絶壁。
落ちれば即死──
いや、バラバラに砕け散る未来しか見えない。
(落ち着け。飛び降りるのは当然、無理だな。……なら、ロープだ!)
机の上を見回すと、少し離れた場所に細い電源コードが無造作に転がっていた。
(あれだ!)
急いで駆け寄り、自分の身体ほどもある太さのコードを、小さなブリキの手で掴んだ。
(これなら……いけるか?)
コードを机の端まで持ってきて、何度も引っ張って強度を確かめる。
次に、机の上に置かれていた組紐をコードに巻きつけ、デスクの金具部分へ固く結びつけた。
(頼むぞ……)
簡易ロープを机の端から垂らす。
コードの先は、床まで十分に届いている。
(よし!)
ロープを両手でしっかり握りしめ、少しずつ、身体を下へと滑らせていく。
ぎぎぎ……と、右肩の関節から嫌な音がした。
(……え?)
パキィー!
真鍮のネジが吹き飛び、右腕がすっぽ抜けた。
バランスを失った俺の身体は、そのまま床へ向かって落下していく。
(落ちる!? 死ぬ死ぬ死ぬ!!)
ガシャーンッッ!!
乾いた金属音が、静かな研究室の床に盛大に響き渡った。
床に転がった俺の視界の端で、落下の衝撃で外れた左腕がコロコロと転がって行くのが見えた。
両足もポッキリと折れてしまっている。
痛みはないが、意識が薄れていく。
(……視界がぼやけてきた。思考が動かない……)
「あーあぁ。だから言ったのに〜」
呆れたような声とともに、資材庫からユーが出てきた。
両手には白くてモコモコした物体を抱えている。
「せっかちだなぁ。ユーちゃん特製の試作一号機、テストする前に大破しちゃったねぇ」
ユーが俺を見下ろしながら言った。
「それにさっきまでの元気もないなぁ。肉体の損傷度を精神側で『同期』して受容してるのかぁ。このままだと死んじゃうかもねぇ?」
ユーは床にしゃがみ込み、俺を指先でつまみ上げた。
「ピ……ガガッ……ピヨ……」
(冷静に観測するな……誰のせいで……こんな目に遭ってると思ってんだ……)
「ま、いいや。どっちみち一号機は声も出なかったしね〜。もっと頑丈で、お話しもできる『二号機』を作ってあげたよぉ!」
ユーは床に、抱えていた「モコモコした物体」を置いた。
(……なんだ?)
そこにちょこんと座ってのは、体長二十センチほどの、無駄に毛並みの良い白いぬいぐるみだった。
(……なにかの動物か? 目が霞んで、よく見えない)
「天聖連の公式マスコット、『テンちゃん』だよ〜。動物のテンとかけてるんだって。安直だよねぇ?」
ユーは笑いながら、テンちゃんの頭部を撫でている。
「即席で中身をくり抜いてぇ、魔導フレームと《引受》の『受容核』を詰め込んでみたよ〜。これなら弾力性もあるし、多少の衝撃では壊れないかなぁ!」
(テンちゃんって……今度はぬいぐるみにする気か……もう、好きにしてくれ……)
「はい、お引越し〜! これで元気になると思うよ〜」
ズズズッと、意識が吸い上げられる感覚。
視界がぐにゃりと歪み、次の瞬間──
俺はブリキ人形から、ぬいぐるみの中へと移ってていた。
(……おお? 視界良好! 完全復活だ!)
だが、視点が妙に低い。
いや、さっきのブリキよりは高いのだが、四つ足になったせいか、体感がまるで違う。
見下ろすと、真っ白でフサフサの短い前足があった。
試しに一歩踏み出すと、胴体がくにゃりと波打つようにしなって、滑らかに前進できた。
(め、めちゃくちゃスムーズに動ける……!)
ただ、胴長短足のせいで、歩くたびにお腹が床を擦りそうになる。
「ふふ、似合ってるよ〜。可愛いねぇ!」
ユーが満足そうにしゃがみ込み、拍手を送ってくる。
「ちゃんとね、声が出る機能もつけてあげたよぉ。胸の魔導プレート、押してみて〜?」
(なに!? 声が出るのか!?)
実験台は御免だが、声が出るなら話は別だ。
今すぐ元の街角に帰せと全力で怒鳴りつけてやる。
俺はフサフサの丸っこい前足で、胸元の魔導プレートを思い切り押し込んだ。
ポフッ。
きゅい〜ん、と小さな起動音。
そして、テンちゃんの腹の奥に仕込まれたスピーカーから、やたらと甲高い、愛らしい合成音声が響き渡った。
『ボク、だいすき!』
(…………)
白い研究室に、「ボク、だいすき!」という声が虚しく響く。
ユーが目を丸くし、それから頬を染めて両手を頬に当てた。
「えっ……! ユーちゃんのことそんなに好きなの〜!? 照れるなぁ〜、情熱的だねぇ!」
(ちがうわバカタレ!! なんだこの台詞は!?)
俺が言いたいのはそんなことじゃない。
慌てて、短い前足でもう一度胸のボタンを強く押し込んだ。
ポフッ。
『ダメダメ〜!』
(おっ!? 否定が出た!! そうだ、これだ! お前なんか好きじゃないんだよ!)
俺は必死の形相(顔は無表情でつぶらな瞳のイタチだが)で、胸のボタンをバンバンと連打した。
ポフッ! ポフッ! ポフッ!
『ダメダメ〜!』
『ダメダメ〜!』
『ボク、だいすき!』
「あははははっ! ツンデレだー! すっごいツンデレだ〜!」
ユーが床を転げ回って大爆笑している。
(都合良く解釈するなっ!!)
俺は短い後ろ足で床をジタバタと踏み鳴らし、モフモフの尻尾をぶんぶんと振り回して猛抗議した。
だが、どれだけ胸を叩いても、出てくるのは『ボク、だいすき!』と『ダメダメ〜!』の二パターンだけだった。
(意思疎通……台詞二つでどうしろってんだよ……)
「あ〜、お腹痛い。キミはやっぱり最高だねぇ!」
ユーは涙を拭いながら起き上がると、俺の丸っこい頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「しばらく、その身体で遊んでていいよ。あ、でも部屋から出ちゃダメだからね〜? 次は、いよいよ『本番』だからさぁ!」
そう言い残して、ユーは再び資材庫の奥へと入っていった。
取り残された俺は、床の上でぺたりと長細い身体を伏せた。
ポストから引きずり出され、ブリキのおもちゃにされたかと思えば、今度は『ボク、だいすき!』と叫ぶ謎のイタチにされてしまった。
(……本当に最悪だ。でも、悪い事ばかりでもないか)
一号機と違って、この身体はスムーズに走れる。
多少無茶をしても綿が衝撃を吸収してくれる。
背が低いから人目にも付きにくいはずだ。
逃げるなら今しかない。
だが、ユーには「部屋から出るな」と釘を刺されている。
(……出るなと言われて、素直に従うテンちゃんではない! まずはポストの封印を解く方法を探さないとな)




