第51話 二人で魔王になりましょう。
『……どうして何もしなかったのよ』
帰路につく馬車に揺られていると、ヴェルが静かに問いかけてきた。
(……何もかもおかしいからだ。彼女の言葉も、態度も。当事者の言動とは思えなかった)
『そんなことはわかっているわよ! だとしても、やれることはあったでしょう!?』
(……あの絶望に染まった顔を見たら、無理に追いかけることなんてできなかった。ヴェルはどうだ)
あの時、ヴェルの心は殺意に満ちていた。
だが、時間を置いたことで、少しずつ平静を取り戻しつつある。
今の時点でどう考えているのか、俺は聞きたかった。
『……バカね。私たち』
それきり、ヴェルは何も言わなくなった。
何か言葉をかけるべきだとは思っていた。
けれど、今のヴェルに何を伝えればいいのか、わからなかった。どんな言葉をかけても、彼女の抱える怒りや悔しさには届かない気がした。
結局、俺も黙り込むしかなかった。
そうして、重い沈黙を引きずったまま、いつもの街へと戻ってきた。
俺は《引受》を解除して、街角に佇む。
その目の前で、ヴェルは立ち尽くしていた。
革手袋が軋む音が聞こえるほど、彼女は両の拳を強く握りしめている。
「……恒一。アンタはどうして、あの勇者にこだわるの」
「絶望していた俺に、生きる希望をくれた人だからだ。それに、俺も彼女の大切な想いを預かっている」
「……そう、なんだ。それで、これからどうするつもりよ」
「できれば、彼女の口から真実を聞きたいと思っている。だが、あの様子では無理だろうな」
「そうね。別の方法を探すしかないわ」
手詰まりではない。何か必ず道はあるはずだ。
その答えを探すように、俺は思考を巡らせる。
短い沈黙の後、ヴェルが顔を上げた。
「──アンタ、魔王になりなさいよ」
あまりにも唐突な提案だった。
だが、ヴェルの声に冗談めいた響きはなかった。
「アンタが魔王として、世界の脅威になりなさい。そうすれば奴は必ず、私たちの前に現れる」
俺の返答は決まっていた。
「俺はポストだ。魔王になることは考えていない」
即答した俺の姿を見つめ、ヴェルは乾いた笑いを漏らした。
「……そう。アンタがやらないなら、私がやるわ」
冷たい声が路地裏に響いた。
「私が二代目の魔王になる。どんな手を使ってでも……あの女を引きずり出して、真実を吐き出させてやる」
ヴェルが一歩、足を踏み出した。
震える手で投函口の縁へと手をかける。
「アンタはどんな想いでも受け止めるんでしょ!?」
今にも泣き出しそうな表情で、彼女は詰め寄ってくる。
「……だったら、私のこの怒りを、覚悟を、本気を受け止めなさいよ! 《預かって》みなさいよ!!」
彼女の想いが、痛いほどに伝わってくる。
「待てよ。ラズベリに魔王にはならないと宣言しただろ? ……本当の気持ちを教えてくれ」
「……そうよ。魔王になんてなりたくないわ」
投函口にかけられた手から力が抜け、ヴェルは握りしめた拳を悔しそうに震わせた。
「でも……そうでもしなきゃ、あの女はもう二度と姿を見せないかもしれない。お父様が殺された理由も、一生わからないかもしれない」
自分の本心を押し殺すような言葉だった。
生半可な覚悟で言ったことではない。
その覚悟を無下にするなど、できるはずなかった。
「──俺も、頑なだったかな。今までの考えは、一度捨てる。お前と一緒に答えを探したい」
「それって──」
遮ろうとする彼女を制し、俺は言葉を続けた。
「でもな、世界を壊したり、人を傷付けるつもりはないぞ。選ぶのは、お前と一緒に進む道だ」
ヴェルの瞳がわずかに揺れる。
「……俺だって納得してないんだ。勇者のことも、お前の父親の死の真相も。わからないことだらけなのに、ここで終わりになんてできるかよ」
「……本気で言ってるの? アンタ、最後にはポストだからとか言って突っぱねるじゃない」
「人は変わる。ポストも変わるんだよ」
俺は、できるだけいつもの調子で答えた。
「ひとりで抱え込まなくていい。お前が何を決めるにしても、一緒に考えるから。ヴェルが本気なら、その想いも全部預かってやる」
「……恒一」
張り詰めていた緊張がほどけたように、ヴェルの膝から力が抜けた。
石畳にへたり込み、そのまま力なく、俺のボディへと額を預けてくる。
掠れるような声で、ヴェルが小さく呟いた。
「……だったら、いっそ二人で魔王になってみる?」
穏やかで、優しい声音。
どこか揶揄うような問いかけだった。
「それも面白いかもな。ただ、魔王になるのは勇者を呼び出す手段であって、目的ではないだろ?」
額を預けたまま、ヴェルが小さく笑った。
「バカね。……冗談よ」
冗談だと言いながらも、彼女はしばらくの間、俺から離れようとはしなかった。




