第49話 不穏な英雄。
夕闇が街を包み込む。
ラズベリが去った後の街角は、何事もなかったかのように静まり返っていた。
「……いよいよ、明日ね」
「ああ。夜が明けたらすぐに出発だ」
「ねえ、恒一」
ヴェルがぽつりと零した。
「……もし、勇者が父上を殺した、冷酷な怪物だったら……私、どうすればいいのかしら」
「その時は、俺が一緒に考えるよ。お前がどんな顔で勇者と向き合おうと、側にいるからな」
「……相棒気取りしちゃって」
照れ隠しのように鼻を鳴らしたヴェルだったが、その表情には微かに安堵の色が浮かんでいた。
⭐︎
翌朝。朝靄が立ち込める停留所。
すでに数台の乗合馬車が停まり、御者たちが出発の準備に追われていた。
『ヴェル、調子はどうだ?』
「……平気よ。落ち着いているわ」
『よし。精神が安定しているなら、《引受》も半日以上は持つはずだ。これなら勇者をじっくり探せるな』
「ええ。行きましょう」
御者に銀貨を渡し、ヴェルは乗合馬車へと乗り込んだ。
車内には、すでに数人の旅人や行商人が腰掛けている。ヴェルは隅の席に深く腰を下ろし、外套のフードを少し目深に被った。
パチン、と御者が手綱を鳴らす乾いた音が響き、馬車がゆっくりと動き出す。
見慣れた街並みが、小窓の外を後ろへと流れていく。
やがて馬車は街の西門を抜け、街道へと出た。
窓の外に広がるのは、見渡す限りの緑の平原と、遠くに連なる険しい山脈。
『……外の世界って、こんなにも広かったんだな』
ポストの視界では決して見ることのできなかった景色に、俺はしばらく見入っていた。
「おい、聞いたか? 勇者の噂」
穏やかな旅の空気を壊すように、前の席に座る行商人たちの話し声が聞こえてきた。
「行方不明の勇者が現れたって話だろ? 本当なのかね」
「間違いないらしい。だがな……なんだか様子がおかしかったって話だぜ」
「おかしいって、何がだ?」
「魔王を討伐した英雄だってのに、街のやつらと一切言葉を交わさなかったんだとさ」
「人目を気にしていたという話も聞いたな」
ドクン、とヴェルの心臓が跳ね上がった。
『落ち着け、ヴェル。心が乱れてる』
(……だ、大丈夫よ。色々と考えてしまっただけ)
『深呼吸しろ。まだ勇者に会ってもないのに、緊張する必要はない』
(……そうね)
ヴェルは小さく息を吐き出し、強張っていた肩の力をゆっくりと抜いた。
馬車に数時間揺られ続け、陽が高く昇った頃。
「おい、着いたぞ! リトナの街だ!」
御者の野太い声と共に、馬車が緩やかに速度を落とした。
ヴェルが顔を上げ、窓の外を見つめる。
高い石造りの城壁、行き交う大勢の人々、重苦しい空気を纏った大都市──リトナ。
馬車のステップを踏み締め、ヴェルが一歩踏み出す。
見知らぬ街の雑踏を見据えながら、彼女は胸元にそっと手を当てた。
「……いるわ。この街の、どこかに」




