第48話 甘い誘いのラズベリー。
昼下がりの街を、穏やかな空気が包んでいる。
ベンチに座るヴェルは、手元で銀貨を数えていた。
「……明日の朝一番の乗合馬車に乗るわよ。銀貨五枚もあれば、十分足りるはずだから」
「ああ。乗り込む直前に《引受》してから行こう」
「そうね。頭ピンク女に文句言わせないためにも、必ず勇者を見つけてやるから」
「お前、まだ根に持って──」
言いかけた瞬間、路地の奥から近づいてくる奇妙な気配に気づき、俺は言葉を飲み込んだ。
「ヴェル様、見ぃーつけた。こんな人間の吹き溜まりで、何してるんですかぁ?」
突如、粘りつくような甘い声が路地に響いた。
フリル仕立ての軽装をひらひらと揺らしながら、一人の少女が姿を現した。
「……ラズ!?」
ベンチから立ち上がったヴェルは警戒を露わにする。
「はいはーい! アナタの忠実なる側近、ラズベリ・ミルフィーユでーす! お元気そうで何よりですぅ」
赤い髪の少女がスカートの裾を摘み、恭しくお辞儀する。
「アンタ、どうしてここに……! 城が落ちた時、散り散りになったはずよ」
「そりゃあ、主の行方を追うのは側近の務めですからねぇ。途中で少しばかり粗相はしましたけどぉ」
ラズベリは満面の笑みを浮かべた。
「先代様が討たれたからって、魔族がこのまま消えちゃうのは……つまらないじゃないですかぁ?」
マイペースに話し続ける少女の様子を、ヴェルは静かに見つめていた。
「今、一部の魔族の間で計画が進んでましてぇ。新生魔王軍を結成して、世界を奪っちゃおうって作戦です。……そこでですね、ヴェル様!」
ラズベリが一歩、距離を詰めてくる。
「次の魔王になりません?」
極めて軽いトーンで彼女は言った。
「……なぜ、私なの」
「象徴が必要なんですよぉ。先代様の血を引くヴェル様が神輿になってくれれば、潜伏中の魔族も一つにまとまりますよねぇ? いい話でしょ?」
「……私に無断で、勝手に決めるんじゃないわよ」
「あっ! ラズ、こわーい!」
「──ッ……」
ヴェルが沈黙するのを確認すると、ラズベリの視線がスッと横へ滑る。
「やっぱりぃ……噂通り!」
少女の視線は明らかに俺に向けられていた。
「これがニンゲンたちに神と呼ばれている、怪しい物体ですかぁ。先代様が遺した秘密兵器ですかぁ?」
(いや、俺はただの郵便ポストなんだが!?)
ラズベリは感心したように頷いている。
「願いを叶える、謎の存在……素晴らしいじゃないですかぁ。仲間にしましょうよぉ。ヴェル様と、そのお供……セットで新生魔王軍!」
(ポストを魔王軍に勧誘するんじゃない)
「……断るわ、ラズ」
「えぇー? どうしてですかぁ?」
「魔王になるつもりはないわ。潜伏している仲間たちについては、私個人でなんとかするから」
不満そうに頬を膨らませるラズベリを、ヴェルは真っ直ぐに見据えた。
「でもでもぉ……」
「黙りなさい。私は明日、リトナへ行く。父上を討った勇者に会うのが先よ。まだ決着がついてないもの」
「……勇者、ですか」
ラズベリの甘ったるい笑顔が、すっと消えた。
底知れない冷たさを湛えた瞳で、ヴェルと俺を値踏みするように見つめる。
「ふぅん……まあ、ヴェル様がそう言うなら、今日のところは引き下がりますけどぉ、魔王の件、よ〜く! 考えておいてくださいね!」
それだけ言い残すと、ラズベリはひらりと身を翻し、雑踏の中へと音もなく消えていった。
「……なんだ、あいつは」
「性格の悪い幼馴染よ。関わらない方がいいわ」
ヴェルは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「俺は魔王軍に入る気なんてないぞ」
「……わかってるわよ。だから断ったじゃない」
「それならいいが。お前が選んだ答えなら、俺はその想いを何だって預かってやるからな」
「バカじゃないの? ポストのクセにカッコつけてるんじゃないわよ」
今の俺たちに、魔王軍の計画に関わっている余裕はない。
明日は、勇者を探しにリトナへ向かう。




